林檎の蕾

八木反芻

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さん『エンマ様が判決を下す日はお気に入りの傘を逆さにさして降ってきたキャンディを集めよう』

12 あなたがいい◆終

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「どうして……? なんであたしを選んでくれないの?」
 ハルを押し倒した仁花は馬乗りに覆い被さったまま訴えた。
「新妻さんよりあたしの方がキレイだしかわいいし、胸は自信ないけど、スタイルだって悪くないでしょ? 男の人には結構褒められるんだから……。あたしは新妻さんより勝ってるし、あたしの方がいいに決まってる!」
「良いとか悪いとか、そういうものは俺にはわからない。俺には誰もが同じにように見える」
「同じじゃない……あんな奴と一緒にしないで……」
「……そうだな。あんたの言う通り、あの子はあんたとは違う」
 その言葉の不快感に仁花の表情は険しくなる。
「それどういう意味……? やっぱりあいつの方がいいってことじゃん! なんで? なにがいいの? 比べる価値もないのに!」
「だったら聞くが、なぜ俺なんだ?」
「……え?」
「あんたが俺に執着する理由はなんだ」
「それは……っ」
 言葉に詰まった仁花はそのまま口を閉じた。
「答えられないのは、あんたには俺でなければならない理由がないからだ。だが、あの子には俺でなければならない理由がある」
 彼女を特別扱いしている気がして仁花は気に入らない。
「……理由ってなに?」
「あんたに教える気はない」
「それってズルくない? ちゃんと答えてよ」
「俺の質問に“ちゃんと”答えられたら、教えてやる」
「なに……?」
 ハルは覆い被さる仁花の肩を掴み、押し返しながら上体を起こした。肩は掴んだまま、仁花の目を見据える。
「あの子はあんたを友達だと言った。あんたにとって友達とはなんだ」
「はぁ? なにその質問……意味わかんない」
「そうだ。あんたには答えられない」
「そんなことない!」
「いいや、答えられない。そうやって心のなかでいつも見下しているあんたには」
「……見下してなんかないっ!」
「俺は人が嘘をつくときの顔をよく知っている」
 ハルは仁花の目を見つめ、頬に手を伸ばす。その手が触れそうになったとき仁花は顔をそらした。
「嘘なんてついてないもん……!」
「俺の財布から金を取っただろ」
「えっ……」
「俺はあんたを見ていた、ずっと」
 伸ばした手を固まる頬に沿わせ、唇へ滑らせた。見つめ合う二人。仁花は見透かすような鋭い瞳にたえられなくなって視線を外した。
「わかった、返す! 返すから……許して……!」
「結構だ、返さなくていい。それはもうあんたの金だ」
 仁花は不機嫌そうに口を歪ませた。
「納得できないなら、あんたの希望する金額を言え」
「……なら……100万ちょうだい」
「わかった、行くぞ」
 ベッドを下りたハルは、はだけたシャツをズボンの中へしまいベルトを締めて、上着を抱え出ていこうとする。
「えっ、ちょっちょっと! 待ってよ!」
「なんだ、違うのか? いくらだ。二百か三百か、一千万か?」
「ホンキなの?」
「当たり前だ」
「……新妻さんはいくらなの?」
「比べるなというわりに気にするんだな」
「いくらなの!」
「ゼロだ」
「ウソ。そんなわけないじゃん! あたしにはウソつくなって言うくせに、自分はウソついてもいいわけ?」
「俺は嘘をつくなとは言っていない。それに、俺たちはあんたが思っているような関係ではない」
「……なにそれ、ホントなんなの。意味わかんない。なにがいいの。なんで新妻さんなの……」
「100万でいいんだな?」
「……お金はいらない。あたし、春彦さんがいい。春彦さんがほしい」
「違う。あんたは金さえ獲られれば相手は誰でもいいはずだ」
 ゆっくりとかぶりを振った仁花は、弱々しくハルを見つめた。
「誰でもよくない。あたしあるよ? ちゃんと。春彦さんを選ぶ理由……」
「言ってみろ」
 仁花は目を伏せ、小さく唇を動かす。そこに続く言葉を発するまでに少し時間がかかった。
「……楽しそうだったから。春彦さんと歩いてる新妻さん、笑ってて……楽しそうだったから。あの新妻さんが、あんな風に笑ったり話したりしてるから、優しい人なんだと思って……。だからあたしも」
「それは俺の役目ではない」
「え……?」
「あんたは金がほしいんだろ? だから二度と会わずに済むよう、あんたが望むだけの額を今すぐ渡す。それで手を引け」
「イヤ!」
「なに?」
「……新妻さんだって、お金が必要なんじゃないの? だから春彦さんと会ってるんでしょ? なんであたしとはもう会ってくれないの?」
「彼女と会う理由は、金ではないからだ」
「そんなわけない! だって新妻さん、お金に困ってるみたいだったし」
「……金に困っている?」
「5万がどうのこうのって言ってたの。本当はそうなんでしょ?」
 ハルは考えるように目をそらした。
「だからあたしと新妻さんと、交換したの」
「交換? なんの話だ」
 勢いで言ってしまったがハルの威圧感にそれ以上のことは言いにくい。それでも言わなければいけないと、催促するハルの視線を感じて重い口を開いた。
「あ……あたしが春彦さんと会うかわりに、新妻さんには……あたしの……あたしが今会ってる人を、紹介したの。無理にじゃないよ!? 10万くらいもらえるって、言ったら、喜んでたし……」
「10万?」
 仁花はうつむきながら、ハルの顔色をうかがうように慎重に話した。
「……本当の理由はなんだ、金ではない理由は」
「それは……」
「あんたなにを隠している?」
「別に、隠してなんか……!」
「電話の相手と関係があるんだろう?」
 黙り込む仁花の腕を掴みベッドへ押し倒し、体を押さえ込むように覆い被さった。
「あ……」
 光が遮断され、仁花の体に大きな影が落とされた。
 腕を強く掴まれているわけでもないのに、退けようにもびくともしない。その上、頭の中を覗かれているように感じる眼差しが追い詰める。
「答えろ」
 この時、仁花ははじめてハルに対して震えるほどの恐怖を感じた。
「……電話の人が、その人、なの」
「なぜ出なかった」
「……怖かったから……」
「あんたは自分が怖いと思う相手を彼女に紹介したのか」
 顔をそむけ黙り込んだ仁花は涙目で鼻をすする。
「自分がなにをしたのか、わかっているか?」
 小刻みにうなずくと、目尻から流れた涙は耳へと伝い、そしてシーツを濡らした。それを見て仁花の体から身を引いたハルは、椅子へ腰かけ上着から取り出したタバコをくわえた。
「なぜ彼女なんだ。あんたならそれなりの人脈があるはずだ。俺と歩いていたところをたまたま見かけたことが、本当の理由ではないだろ?」
「……それも理由だよ。楽しそうな新妻さんが羨ましかったのはホント……」
「それで?」
「……その人、谷崎新次っていうんだけど……その新次さんが探してる被写体に、あってると思ったから……」
「被写体?」
「新次さん、カメラマンなの」
 他の男の人みたいにえっちもないし、普通にファッション誌のモデルみたいに色んな服を着てポーズとったりして、撮影自体は楽しかった。でも、
「あたし見ちゃって……」
 たまたま見てしまったそれは、動物の頭を被った人間二人が野性的に、一方的に愛する姿。
「それで、怖くなって……」
 もう辞めたいと話すと、谷崎に『俺の理想に合う人物を見つけてこい』と言われた。撮影を続けながら代わりの人を探した。そして、見つけたのがサキだった。彼のいう理想にあっているかはわからなかったが、害のないサキがちょうどいいと思った。
 良くないこととわかってはいたが、自分を守るためには、そうするしかなかった。
 話を静かに聞いていたハルは「フゥ」と息を吐いた。
「あんたが好んで選んだ稼ぎ方ではないんだろ」
「どうしてわかるの……?」
「そんな風には見えない」
 灰を落とす様子を眺める仁花は嬉しさを堪えるように微笑する。ハルの顔を見ていると、一度感じた恐怖がそこにはもうなくてホッとした。
「……彼氏がやれっていうから」
「金が必要なのはその男のためか」
 小さくうなづく。
「嫌なら断ればいい」
「断ったよ! 断ったけど……そしたら、別れるっていうんだもん……。あたし嫌われたくなくて、だから……」
「体と時間を売ってまで付き合いたい人間なのか?」
 改めて聞かれると、彼に対するこの気持ちがなんなのか、モヤモヤした波が胸に押し寄せた。自分の気持ちが知りたくて、思い返したくて仁花は伏せた目を閉じた。
 周りが子供ばかりだから、大学生って響きだけで、大人で、魅力的に感じた。彼とのデートは正直楽しかったし、お金のことを除けば会うのは苦痛じゃなかった。
(あたし、彼のなにが好きだったんだっけ……)
 本当に彼に対して特別な感情を持っていたのか、それともただ優越感に浸りたかっただけなのか。考えれば考えるほど、今の自分が嫌いになっていく。
「……もう……わかんないや……」
 ベッドに寝そべりまた涙を浮かべる仁花にハルは近づいた。
「泣くな、笑え。笑顔は得意だろ? そうやっていつも自分を騙しているんだからな」
「得意なんかじゃない……!」
「そうか。だったら笑うな。機嫌をとるような笑顔は必要ない。苦しいくらいなら自分を偽るな」
「……ごめんなさい……」
「謝る相手は俺じゃない」
「……わかってる。でも……謝りたくても謝れない……」
「どういうことだ」
「学校に来ないから」
 ハルは嫌な予感がした。
「約束の日から学校に来てないの」
「いつの話だ」
「えっと……今日で5日だから……」
 それはシロクマのぬいぐるみを買った次の日のことだった。その日サキは、谷崎新次という男と会い、なにがあったか、それからずっと学校を休んでいるという。
「一応電話してみたけど、でも、出なくて……」
「場所はどこだ」
「えっ、行くつもり……?」
「念のためだ」
「でも! センセーは風邪で休みって言ってたから……家にいるんじゃないの……?」
「本当にそう思うか?」
 あの子の親を考えれば、もしあの子がいなくなったとしても大事にはしたくはないはず。自分たちの立場が危ぶまれるから。だとすれば、それを隠すために嘘をついていると、ハルは推測した。
「その男はなぜこの子に電話をかけた……?」
 ハルは独り言のように言った。
 ベッドから起き上がった仁花は、鞄から財布を取り出し、その中から一枚の紙を抜き取ると、それをハルに差し出した。
「これ、名刺。当てにならないと思うけど」
 紙には名前『谷崎 新次』と電話番号、そして住所が記載されている。すぐに住所を検索したが、デタラメだとわかった。
 初めに警戒心がなければ検索もしないだろうし、ましてや相手は子供。検索をしてもその場所を示す雑居ビルの一室が有りもしない架空の会社だとは思うまい。
「撮影を行った場所はどこだ」
「場所は……山の中で、詳しくはわからないけど……」
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