林檎の蕾

八木反芻

文字の大きさ
上 下
3 / 82
いち『時は金に換えろ』

3 まるで飛行船

しおりを挟む
 生まれて初めて目にする洒落た光景に、サキの瞳は輝きを取り戻した。
 ホテルの最上階。そこは夜景の綺麗なダイニングバーだった。ご自慢の夜景が映えるように店内は薄暗い。明かりは間接照明と各テーブルに置かれたキャンドルのみで頼りない。
 酒のにおいが少女の鼻をつく。大人の雰囲気漂う空間に緊張が隠せないでいた。
 お酒を提供するバーテンダーの背には、オシャレなラベルの貼られたお酒のビンがたくさん陳列していて、それを嗜む客の年齢層を見ると「お前のような未熟者は来るべきではない」と言われている気になり、一度小さくなったサキの背中はまたさらに小さくなった。
 気品なウェイターに案内され、二人は窓側の奥の席へ。二人は向かい合って座った。
 隣は、天空に浮かんでいると錯覚を起こしてしまうほどの大きな窓ガラス。その向こう側には、夜景が広がっている。街にはぼんやりとした光がたくさん散りばめられていて、その一つ一つが生き物のように揺らめいている。
 キラキラと輝く無機質な光は、穴の空いた少女の瞳を濡らした。
 大きな宇宙船に乗って、人目につかないよう音もなく、外見だけは美しく着飾ったこの夜の大都会を悠々と、他人事のように見物している地球上のものではない、何か別の生命体であるかのような気にさせられる。
 物珍しそうに夜景を眺める少女に、ハルは声をかけた。
 サキは差し出されたメニュー表へ視線を移す。
「好きなもの頼んで」
 困った。好きなものといわれても、メニュー名だけではいったいどんな食材をどう調理されているのか、全く把握出来ない。名前の響きからして恐らくフランス料理だろう。
(こんなことなら少しくらい勉強すればよかった……)
 ならばと、一番安い料理を選ぼうとメニューを睨む。しかし値段が載っていない。いくら探してもそれらしき数字が見当たらない。
 サキは頭を抱えた。
「酒は?」
「いえ、私は、結構です……」
 冷や汗をかく少女のことなど気にもせず、ハルはウェイターを呼びつけ、さっさと適当に頼んだ。
「……遠慮せずどうぞ」
「えっと……オススメを、ください……」
 明らかに挙動不審な少女にもウェイターは無条件に笑顔で答えた。
 サキは恥ずかしくなってテーブルに視線を落とした。
 キャンドルの淡い光が火照った顔を優しく照らす。そのジェルの中に閉じ込められた花。花の種類は各テーブルによって異なる。二人の席に置かれた花はスターチスの花だった。
 燃え続ける火は、花を巻き込むことなく蝋だけをじわりじわりと溶かしていく。内側が溶けると、外側の花びらが炎の灯りによって透けてみえてくる。
 夜景の輝きよりもキャンドルの輝きの方がよっぽど生きていると感じた。
 炎に見惚れる夢見心地な少女に対し、男は夜景にもキャンドルにも一切目もくれず、ただシャンパンを飲むだけだった。
 この空気に飲み込まれたサキは、一人の女性になれたような気分に浸っていた。
「お待たせいたしました」
 ウェイターの呼び掛けでふと我に返る。
 目の前に置かれた料理はどれも高級そうでまためまいがした。お洒落にドレスアップされた食材たちはみな美味しそうに輝いている。こんな素敵な料理とは二度とお目にかかることもないであろう。……なのに食欲が湧かない。朝から何も食べてないのに、お腹がいっこうに減らない。
 自分のような者が、こんな贅沢をしても良いのだろうか。知識も経験も努力も足りないこんな未熟者が口にすれば、バチがあたるに違いない。そう感じた。
 運ばれてきた料理に手を付けず、睨み付けるようにじっと見つめるサキは、飼い主に「待て」と命令された犬の様だった。
 見兼ねたのか、ハルは「どうぞ」とすすめた。
 サキは、ハルに「いやしい」と思われたのではないかと小っ恥ずかしくなった。
「……いただきます」
 ナイフとフォークを取ろうと伸ばした手がふと止まる。
(……あれ?これ内側と外側どっち使えばいいんだろう?右がナイフで左がフォーク?このまま持てばいいのかな……?)
 初めてのフランス料理に、普段使うことのないナイフとフォーク。迷いながらも手に取り、いざ、出陣。
 意気込んで構えるも、ナイフとフォークを持つその手が震えてうまく切れやしない。しかも、皿に当たってカチカチと鳴らしてしまう。その金属音がさらに焦らせる。
 あまりの緊迫感にサキは心の中で悲鳴を上げていた。
 少女がそんな心中とは知らず、ハルは軽く手を上げウェイターを呼んだ。
「いかがなさいました?」
「箸を一膳いただけますか?」
「かしこまりました。ただいまお持ちいたしますので、少々お待ちくださいませ」
 なんとか一口大に切り、持ち上げた。落とさないうちに素早く口を近づけパクリと食べる。
 何回か噛んで、サキは不思議そうに首をかしげた。
「お待たせいたしました」
「彼女へ」と、ハルは手を差し出す。
「……へ?」
 顔を上げると、ウェイターは爽やかな笑顔で箸を差し出した。
「どうぞお使いください」
「あっ、ありがとうございます……」
 慌てて箸を受けとる。
「ごゆっくりどうぞ」
 フランス料理に対し箸を使ってもいいのか気になったが、ウェイターは嫌な顔ひとつせず対応してくれた。
 それにしても、夢中で料理と格闘していた時に、その不慣れさを見透かされていたと思うと、サキはとてもいたたまれなくなった。でも、その気遣いが嬉しくて思わず口元がほころんだ。
「あの、ありがとうございます」
 しかし、ハルからは返事も会釈も視線も何も返ってこない。聞こえていないはずもないし、何かしらのリアクションがないと、やっぱり不安で怖かった。一度感じた優しさは勘違いだったのだろうか。
(でも、質問したわけじゃないし、返事なんて別にいらないよね……)
 気を取り直して、もう一度、今度は箸で一口大に切ってハムリと入れる。今度は口の中で転がして味わってみるも、やっぱり美味しいのか美味しくないのかなんだかわからない。洒落たお店なのだから美味しくないはずはないんだと思う。
 せっかく箸を持ってきてもらったのに……と、なんだか申し訳ない気持ちになった。
 そんなサキにとっては、ハルに味の感想を聞かれなかったのが幸いだった。「どうだ」と聞かれても「美味しい」とは答える。でもそのあとの言葉が続かない。取り繕おうものなら絶対にボロが出てしまうだろう。
 サキは口に残った固形物を細かくなるまで噛んで飲み込んだ。
 愛想話もなく食事の時間は淡々と過ぎていく。
 サキはチラリとハルへ目を向けた。
 ハルは静かに食事をしている。そのナイフフォークの扱い方、食べ方、咀嚼する口元も上品で綺麗だと見惚れた。
 親に厳しく躾けられた良いとこの坊っちゃんという印象を受けたが、彼の表情からは何も読み取れない。
 何度か顔を拝見するも、初めに声をかけられた時以来、一度も目が合わないし、表情も変わらない。笑顔の一つでも返してくれたなら、この不快感は和らぐであろうに、なんて素っ気ない態度だろうか。
(何を考えているんだろう……)
 正直怖い。無愛想なこの人とのこの後のことを考えると、サキはとにかく不安で不安で怖くてしかたがなかった。
 できるだけ時間を稼ごうと、不信に思われない程度でゆっくり食べ進めた。でも緊張で喉が通らないし、せっかくの料理の味もわからない。
 サキは静かに箸を置いた。

(意味のない抵抗だとしても、それでも今は、できるだけ、できるだけ現実から離れたい……)

 このひとときを楽しめる余裕など端から持ち合わせていない。苦痛の時間は息を詰まらせるだけだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

死神はリーゼント~奇跡のスーパーヒーロー~

さぶれ@5作コミカライズ配信・原作家
ライト文芸
宮野大祐、十七歳。職業・死神。特徴・特攻服を着た赤毛のリーゼント。特技・キセキを呼ぶ事。 飛び出して来た小さな子供を庇い、バイクに撥ねられ、この世を僅か十七歳で去ることになった不良・暴走族のリーダー、宮野大祐。(みやのだいすけ) そこに、死神と名乗る男が現れた。 『他の人間の魂を  7個集めれば、  お前はもう一度  生き返る事ができる。  なあ、  死神の仕事をやらないか?』 冗談じゃない! こんな所で 死ねるかチキショー!! 3ヵ月後に控えた 大ファンのアイドル、 今井江里のコンサートに行く為に、 生き返ることを決意する大祐。 不良、暴走グループ 『神風』のリーダー・宮野大祐。 時代遅れの長い特攻服をなびかせた、 赤毛のリーゼント死神・・・・いや、ヒーローが、 今、誕生する―― ライト文芸に投稿しようと思い、別サイトで連載、優秀賞を頂いた作品をリメイク、連載していきます。 こちらも是非、応援して下さい。

あなたのやり方で抱きしめて!

小林汐希
ライト文芸
2年2組の生徒:原田結花(16歳 高校2年生) 2年2組の担任:小島陽人(25歳 教師歴3年目)  小さな頃から自分に自信を持つことができなかった原田結花。  周囲が恋愛話に盛り上がっていても自分には関係がないといつも蚊帳の外。学級委員という肩書も、それは他に立候補する人がいないから、自分が引き受ければ事が進むという消極的な理由。  そんな彼女が高校2年生の始業式の日の放課後、偶然に教室に忘れものを取りに来た陽人を人生で初めて意識してしまう。一方の陽人も結花には他の生徒とはどこか一線を越えたもの感じていた。  そんな毎日を送る結花に、高校2年生の冬に治療をしなければ命にかかわってしまう病気を告げられてしまう。  手術は成功するものの、根拠もない噂を流された結花は孤立して追い詰められてしまう。  そんな彼女の味方でいたのは一人の親友と、担任の陽人だった。  陽人は結花を絶対に自らの手で卒業させると決意をするも、周囲の環境に耐えきれなくなった結花は自らの学生としての道を閉ざし、その事実を知った陽人も彼女を追うように教職を辞めた。  そんな二人が再会したのは、結花の母親の友人が開いているカフェレストラン。  お互いの気持ちは同じ。言葉には出ないけれど「今度こそ失敗したくない」。  「教師と生徒」というタブーとも言われてしまう関係を、互いに身を引くことで結果的に突き破った。  それでも、二人の前には乗り越えなくてはいけない問題がいくつも立ちはだかる。  初めての恋心に何度も自信を失いかけた結花の手を陽人は引き続ける一方、陽人にも誰にも話していない過去を持っており、唯一それを話せたのは彼女だけ。  それでも、結花は「中卒では先生の隣に立つには申し訳ない」と奮起。  陽人の海外転勤を機に、二人は一時の寂しさを抱えながらも一つの約束を交わした……。  途切れそうな儚い赤い糸を何度も必死に守り抜いた不器用な二人の物語です。 (表紙画像はCanva様よりフリー素材を使用しております)

阿漕の浦奇談

多谷昇太
ライト文芸
 平安時代後期の宮中でめったに起きないことが出来しました。北面の武士佐藤義清と、彼とは身分違いにあたる、さる上臈の女房との間に立った噂話です。上臈の女房が誰であったかは史書に記されていませんが、一説ではそれが中宮璋子であったことが根強く論じられています。もし事実であったならまさにそれはあり得べからざる事態となるわけで、それを称して阿漕の浦の事態という代名詞までもが付けられているようです。本来阿漕の浦とは伊勢の国の漁師で阿漕という名の男が、御所ご用達の漁場で禁漁を犯したことを云うのです。空前絶後とも云うべきそれは大それた事、罪でしたので、以後めったに起きないことの例えとして阿漕の浦が使われるようになりました。さてでは話を戻して冒頭の、こちらの阿漕の浦の方ですが仮にこれが事実であったとしたら、そこから推考し論ずべき点が多々あるようにも私の目には写りました。もの書き、小説家としての目からということですが、ではそれはなぜかと云うに、中宮璋子の置かれた数奇な運命と方やの佐藤義清、のちの西行法師の生き様からして、単に御法度の恋と云うだけでは済まされない、万人にとって大事で普遍的な課題があると、そう着目したからです。さらにはこの身分違いの恋を神仏と人間との間のそれにさえ類推してみました。ですから、もちろんこの物語は史実ではなく想像の、架空のものであることを始めに言明しておかねばなりません。具体的な展開、あらすじについてはどうぞ本編へとそのままお入りください。筋を云うにはあまりにも推論的な要素が多いからですが、その正誤についてはどうぞ各々でなさってみてください。ただ異世界における、あたかも歌舞伎の舞台に見るような大仕掛けがあることは申し添えておきます。

想ひ出のアヂサヰ亭

七海美桜
ライト文芸
令和の大学生、平塚恭志は突然明治時代の少年の蕗谷恭介となってしまう。彼の双子の妹柊乃と母のそよを、何よりも自分の身を護る為この知らぬ明治時代の地で暮らす事になる。 歴史を変えないように、動き始める恭介。生活のため、アルバイトをしていた洋食屋の経験を生かして店を開こうと、先祖代々語られていた『宝の場所』を捜索すると、そこには―― 近所の陸軍駐屯地にいる、華族の薬研尊とその取り巻き達や常連たちとの、『アヂサヰ亭』での日々。恭介になった恭志は、現代に戻れるのか。その日を願いながら、恭介は柊乃と共に明治時代と大正時代に生きて『アヂサヰ亭』で料理を作る。 どこか懐かしく、愛おしい日々。思い出の、あの料理を―― この物語はフィクションです。時代考証など、調べられる範囲できちんと調べています。ですが、「当時生きてないと分からない事情」を「こうだ」と指摘するのはご遠慮ください。また主人公目線なので、主人公が分からない事は分からない。そう理解の上読んで下さるようお願いします。 表紙イラスト:カリカリ様 背景:黒獅様(pixiv) タイトルフレーム:きっち様(pixiv) 参考文献 日本陸軍の基礎知識(昭和生活編):藤田昌雄 写真で見る日本陸軍兵舎の生活:藤田昌雄 日本陸軍基礎知識 昭和の戦場編:藤田昌雄 値段の明治・大正・昭和風俗史(上・下):週刊朝日 三百六十五日毎日のお惣菜:桜井ちか子 洋食のおけいこ:メェリー・エム・ウヰルソン、大町禎子 明治大正史 世相篇:柳田 国男 鬼滅の刃をもっと楽しむための大正時代便覧:大正はいから同人会 食道楽:村井弦斎、村井米子

想い出に変わるまで

篠原 皐月
ライト文芸
学生時代の恋人と若くして結婚し、若くして未亡人になってしまった玲。代わり映えしない彼女の日常に、思わぬ方向から転機が訪れる。カクヨム、小説家になろうからの転載作品です。

群青の時~ロックな人々すべてに捧ぐ!!

大前田善
ライト文芸
 いまいち売れない正統派ロックバンド、「ダラス」の四人組。  バンドリーダーでベースを担当する高梨遊行、可憐な女性ギタリストの片山翼、そのあだ名の通り大男であるドラマーのジャンボ、そして天才的なカリスマ・ボーカリストの秀丸。  彼らはいつの日か自分たちのことが世に認められ、その奏でる音楽が広く愛されることを心から願い、またひたすら夢に見つつ、日々、苦闘のバンド活動に明け暮れている。  ある時、「ダラス」のメンバーはバンドマネージャーのふとした発案で応募した大手レコード会社主催のオーディションに合格し、武道館という大きな舞台に立つと共に、メジャーデビューを飾るチャンスを手に入れる。  しかしながら、辣腕プロデューサーMによって、その音楽性をことごとく否定された秀丸は、Mに対するやり場のない不満と苛立ちを募らせながら、しだいにバンド内でも孤立しはじめる。  そんな折、それまでずっと彼のことを陰ながら支えてきた恋人の鷲尾朝美が、病気を苦に自殺同然の不慮の死を遂げてしまう。  恋人を喪くして、悲しみに暮れる秀丸。さらには「ダラス」のバンド活動にも方向性を見失った彼が、最後に臨んだ日比谷・野外音楽堂のライブで、果たしていかなる異常行動に出るのか?  かつて、本気でロック音楽に夢と希望を託した少年、少女たちに捧げる青春の挽歌……。  

フツウな日々―ぼくとあいつの夏休み―

神光寺かをり
ライト文芸
【完結しました】 ごくフツウな小学生「龍」には親友がいる。 何でも知っている、ちょっと嫌なヤツだけど、先生に質問するよりずっと解りやすく答えてくれる。 だから「龍」はそいつに遭いに行く。 学校の外、曲がりくねった川の畔。雨が降った翌々日。石ころだらけの川原。 そいつに逢えるのはその日、その場所でだけ……のハズだった。 ある暑い日、そいつと学校で逢った。 会話するまもなく、そいつは救急車にさらわれた。 小学生「龍」と、学校の外だけで会える友人『トラ』の、何か起きそうで、何事もなさそうな、昭和の日常。

百々五十六の小問集合

百々 五十六
ライト文芸
不定期に短編を上げるよ ランキング頑張りたい!!! 作品内で、章分けが必要ないような作品は全て、ここに入れていきます。 毎日投稿頑張るのでぜひぜひ、いいね、しおり、お気に入り登録、よろしくお願いします。

処理中です...