壬生狼の戦姫

天羽ヒフミ

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「何を不安に思っているの?」

君菊はベッドの上で歳三に問いかけた。
歳三は言い淀む。
もう戦わないでくれ──その言葉をいうべきなのか、迷う。
戦う覚悟を決めている人物にその言葉を言うのは酷なのではないかと迷う。
自分だって危ない身の上のくせにそんな言葉を言おうとしているのだ。
自分勝手な言葉を言おうとしている。

歳三はそのことをよくわかっていたが、それでも喉元までその言葉が出かけた。

「歳三がその表情をする時って、大抵私が怒るようなことを黙っている時なのよ」

言われた歳三は目を見開いた。
君菊は目を細めてじっと歳三のことを見ている。

「大人になってからしなくなったけど、幼い頃は私たちよく喧嘩してたでしょ?その時の表情そっくりよ」
「そ、そうなのか?」
「そうよ。何年の付き合いだと思っているのよ」

いつものように腕を組んで君菊は呆れたようにそう言った。
それは日野に居た頃を思い起こさせるような仕草で。
歳三は懐かしい気持ちになった。

「その、だな…戦って欲しくない、と思って…」

そうぼそぼそと目を下に向けたまま歳三は言うと、君菊は間を置いてから「馬鹿野郎」とそう言った。
恐る恐る目を合わせようと歳三は上を向く。
真っ直ぐな瞳がそこにはあった。

「私は武士じゃない。でもね、貫きたいと思う誠はあるのよ。これは言ったわよね?」
「あ、あぁ」
「それを否定するの。武士よりも武士らしく生きようと足掻いていたあんたが否定するの」

頭を岩で殴られたような衝撃を受けた。
近藤が死に、戦いに明け暮れた中で忘れかけていた、いつか立てた誓い。

武士よりも武士らしく生きたい。

そのために恋を実らせるのを諦めた。
君菊を嫁にとることを諦めた。
それよりも武士になりたいと思ったからだ。
武士よりも武士らしく生きたいとそう思ったからだ。

あぁ、どうして忘れていたのだろう。どうして忘れられたのだろう。

君菊が言ってくれなければ最期まで忘れていたかもしれない誓い。
その遠い誓いを思い出した。

「否定、できないでしょ。私は最後まで戦う。歳三のためじゃなくて、己の誠を貫くために」

真っ直ぐな瞳が歳三を射抜く。

──あぁ。こういう女だから好きになったんだった。

この胸の不安が消えることはないだろう。きっと自分が死んだとしても不安だ。
あの世から不安がることだろう。
それでも、君菊にもう戦うなとは歳三には言えなかった。
歳三の夢を一度も邪魔しなかった君菊。
そんな君菊の戦う意志を邪魔することなんてできなかった。

「そうだな…悪かった」

そう言って君菊を抱きしめた。相変わらず軽くて細い。
至近距離に顔がある。愛しい人の顔がある。
その頬に手を添えた。優しく添えた。
状況がよくわかっていない君菊の顔がそこにはある。

もう我慢出来なかった。

そして──

そのまま君菊の唇に自身の唇を重ねた。
生まれて初めての口付けだった。
初めてした口付けは柔らかくて、このまま食べて自分のものにしてしまいたい欲求に駆られる。
このまま押し倒して、貞操も奪ってしまいたい欲求に駆られた。

でも、それは出来ないと同時に思った。

大切だから。大切だからこそ傷つけるような真似をしたくはなかった。
愛しているという言葉も言わなかった。

唇を離すと、相変わらず状況がわかっていない表情の君菊の顔があった。
その顔が間抜けに思えてしまって、歳三は思わず笑った。
久しぶりに心から笑えた瞬間だった。

一方、口付けをされた君菊は自分に起こった状況を理解できずにいた。
歳三の、唇と触れていたような気がする。
そんな「気がする」と曖昧ながらも自分なりに分析を続けていた。
君菊は口付けされている間、目を開いたままだった。
歳三の顔がやけに至近距離にあった気がする、と曖昧な分析を続ける。

自身の唇に触れてみる。
今は自身の唇の感覚が指にする。でも先ほどは明らか違う感触がした。
すごく柔らかい感覚がした気がする、とここまで考えてようやく現実が見えてきた。

「どうしたのよ、歳三…今、口付け、したよね?私の勘違い?」
「さぁ、どうだかな」

そう言って笑う歳三。
君菊には歳三の意図がまるでわからなかった。
それでも久しぶりに見れた歳三の笑顔に良かったと思う君菊なのであった。

──それが、君菊の最初で最後の口付けとなった。


それから数日後。

「お呼びでしょうか、副長」

そう言って歳三の元に姿を現したのは若い一人の少年だった。
名を市村鉄之介という。歳三の小姓の一人である。
歳三は戦闘の合間を縫って箱館に戻っていたのは、この少年にある命令を下すためだった。

「鉄之介。俺の代わりにこれを日野の彦五郎さんの家に届けて欲しい」

歳三が市村鉄之介に渡したのは、辞世の和歌、数本の紙、そして肖像写真だった。
鉄之介はそれを見て目を見開く。

「このことを、君菊さんはご存知なのですか」
「あいつには言わなくともすぐわかっちまう。そういう女だ」

鉄之介はまだ幼い。
だから、君菊と歳三のことをよく知らないのである。
ただ許嫁という仲だということ、そして君菊が壬生狼の戦姫と呼ばれるほど強い女子であるということくらいしか知識としてはなかった。

「俺もここで戦いたいです、副長」
「だめだ。お前にはまだ先がある。ここで死なれたら困るんだよ」

優しく諭す歳三。
普段の戦いの中では見ることの出来ない優しい顔がそこにはあった。

「船に乗れるように手配をしておく。鉄之介、これが最後の命令だ。これを俺の故郷に送り届けてくれ」

毅然とした態度で歳三は鉄之介にそう言った。
最期の覚悟を決めている者の瞳であった。
鉄之介は涙を流しながら、

「命令、確かに遂行して参ります」

そう言った。歳三は鉄之介の頭を優しく撫でた。
まるで兄弟のようにその光景は見えた。


それから少しの時間が経ったあと、君菊が書類を持って歳三の元にやってきた。

「歳三、入るわよ」
「ああ」

二股口の再戦のための資料である。
それを歳三の元に小姓として持ってきたのだ。
大鳥から渡されたものであった。

「これ、作戦の資料」
「ありがとな」
「これくらい、鉄之介だけで足りるでしょうに」

文句を言いながらも君菊は歳三にその書類を渡した。
そうして少しの間を置いたのちに君菊は言った。

「鉄之介が赤い目をしてた。…泣かせるようなことを言ったんでしょう。歳三」
「鋭いな」
「そうね、多分…自分はここで死ぬみたいなことを言ったのでしょう?」

やはりばれてしまったかと歳三は嬉しくもあり、また切なくもあった。
自分のことをよくわかってくれる嬉しさと、わかってほしくなかった切なさが混じった気持ちになっていた。
こんな時くらい、鈍くてもいいのにと歳三は思ってしまう。
でもこういう時にこそ鈍くないのが君菊という人間なのだ。
長い付き合いゆえ、わかっていることだった。

「よくわかったな」
「長い付き合いだもの。わかるわ」

静かな物言いだった。
てっきり怒られると歳三は思っていたのだ。
でも、君菊は怒るようなことはしなかった。
むしろ最初からわかっていたかのような静けさだった。

「怒らないんだな。お前、こういうこと嫌いだろ」
「そうね、嫌いよ」
「じゃあ、なんで怒らない?」
「…武士の決めたことだもの。それを曲げるような性根の腐った人間ではないわ」

歳三は思う。
何度この女は惚れなおさせられるのだろうかと。
君菊はきっと、武士じゃないと否定するだろうが、その心の在り方は、紛れもなく武士そのものだった。

「君菊。──ありがとうな」

いつものように抱きしめてそう言う歳三。
こんなにも気持ちを汲み取ってくれる人間に出会えたことに歳三は感謝していた。

そして己の最期の覚悟を改めて決めていた。


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