壬生狼の戦姫

天羽ヒフミ

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前年に幕府を辞任した日向高鍋藩主・秋月右京亮の元役宅を与えられた新撰組は、二月二十三日釜谷から移転している。
歳三が君菊に言った通り、新撰組は二月十五日から二十五日まで慶喜の警護を務めることになった。
幕府は、一月十七日に新政府への恭順をを決しており、慶喜は二月十二日から上の寛水寺内の大慈院で謹慎生活に入っていた。

大阪城で敵前逃亡をはかった人物であっても、新撰組にとっては畏敬の対象に違いなかった。
新撰組に甲府への出張話が浮上したのは、この慶喜警護の間のことだった。
江戸に向けて前進してくる新政府軍を甲府城で待ち受け、慶喜の恭順の意思を伝えたい。
新政府軍に敵対するものがあればこれを鎮撫する。

「甲陽鎮撫隊」と隊名を改めた新撰組が江戸を出発したのは、三月一日のことだった。
近藤は「大久保剛」、歳三も「内藤隼人」と変名していた。
大久保、内藤は、古の功臣の姓を徳川家から与えられたものだったが、隊名を含めた変名の理由は、新政府軍に無用の警戒を抱かせないためだった。

「ついに新撰組も歳三も変名する時がくるとはね…」

君菊は少し寂しげにそう言った。二人は歳三の部屋に居る。
君菊はなんだかんだと言いつつも、新撰組と歳三というの名の響きが気に入っていた。
その名を呼ぶことが許されない。それが寂しかったのである。

「別にお前は今まで通り呼んでいていいぞ」
「よくないわよ。おかしいと思われるじゃない」
「別に誰も咎めたりしねぇよ」
「今のご時世、誰が何を聞いているかなんてわからないわ」

寂しくとも君菊はわかっていた。
移り行く時代の波に乗っていかなければならないことを。
そうしなければ、新撰組──この人たちに置いて行かれてしまうことを。

「そういえば文が届いてた。勇さんと俺と、それとお前宛だ」
「私宛?誰から?」
「見てみればわかる」

歳三から渡された文の裏には、沖田総司と名が書かれていた。
君菊は慌てて文の中身を見る。
歳三が遠慮なく覗き込みながら彼女は文字を追った。

『お元気ですか、愛しい君菊さん。俺の体調はだいぶよくなりました。日野までの同行が許されたので一緒に向かいます。貴女からの返事を心よりお待ちしております。沖田総司』

甲陽鎮撫隊は江戸を出発してから道中、日野へ向かうことが決まっていた。
沖田も一緒に向かうのだということを知り、君菊は嬉しくなった。
一方、歳三は不機嫌にその文の内容を見ていた。
気に入らなかったのである。
愛しいという文に、返事を待っているという文。
どれも自分には言うことが許されない言葉だ。
それを素直に言えることがとてもうらやましかった。


四日、甲州道中一番の難所である笹子峠を越えた甲陽鎮撫隊は、すでに甲府城に新政府軍が入城してしまっていることを耳にする。
当初の計画が狂ってしまった新撰組は、大久保剛の名で、甲陽鎮撫隊に対する敵対団体でないことを伝えるとともに、援軍を要請するため、歳三を江戸に向かわせた。

歳三日野を通過したのが六日午前七時半ごろのころだったが、新政府軍は大久保剛の言い分は援軍到着までの時間稼ぎと判断し、正午ごろに柏尾に布陣した甲陽鎮撫隊への攻撃を開始したのであった。

甲陽鎮撫隊もやむをえず抗戦したが、わずか二時間ほどで潰走することになる。
君菊もこれに奮戦していたが、力及ばず。
一騎当千の戦姫でも、仲間を守りながら戦うことは難しかった。
これを後に勝沼戦争と呼ばれている。

勝沼戦争に敗れた新撰組は、八日に八王子で隊士を取りまとめている。
そこへ援軍工作に江戸に赴いていた歳三も合流した後、分かれて江戸に向かい、大久保主膳正邸で落ち合うことになった。
永倉、原田も何人かの隊士を任され、十日に大久保邸に到着している。

しかし、すでに到着しているはずの近藤の姿がない。
心当たりを探しても近藤を探し出すことができなかったため、多くの隊士は離隊を口にするようになった。
やむおえず会津に向かうことを決した永倉と原田は、隊士に吉原で遊んで待っていてくれるように伝え、今戸八幡宮(今の今戸神社)に寄居する松本良順の元を訪れた。
軍資金を無心するためである。

するとそこには看病をしている君菊と、府中で療養しているはずの沖田がいた。
甲州道中を前進し府中も通過するだろう新政府軍を避けるために、江戸に向かう近藤によって連れ帰られ、松本の元に預けられていたのだ。
君菊と沖田から近藤が神田の医学所に向かうとの情報を得た永倉と原田は隊士のいる吉原に立ち寄り、翌日に近藤の元に赴くことになった。

沖田の看病をしている君菊のところへ永倉と原田が再びやってきた。

「総司のお見舞いに来て下さったんですか?お二人とも」
「いいや。二人にお別れを言いにきた。でも総司は寝てるか…」
「え?」
「俺たち、新撰組を離脱する。もう、近藤さんの下ではやっていけねぇ」

寂しげに、それでも揺るがぬ決意の声色で永倉は言った。

「…どうしてですか?」
「意見が決定的に合わねぇんだ。守るべき信念も違う。そんな人の下で命張れるほどの精神は持ち合わせてねぇよ」

原田が君菊の疑問に答える。武士らしい答えだった。

「そうですか…寂しいです。お二人とも付き合いは長かったから」
「引き留めないんだな」
「己の誠を曲げさせるほど、落ちぶれていませんよ。私は」

その言葉に二人は息を呑んだ。
そうだ。この女子は、女であるにも関わらず戦っている。
それは己の中に誠があるからなのだと知らされたからであった。

「お二人とも。どうか達者で」

薬で眠っている沖田の代わりに笑顔で別れを告げた。
なんともこの女子らしいと永倉と原田はそう思った。

新撰組史上、最も大きな分裂となった。



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