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旧幕府軍の前線基地となっていた淀城を根拠として形勢の挽回を図ろうとした旧幕府軍だったが、城の様子がどうにもおかしかった。
旧幕府軍を迎え入れる様子がないのである。迎え入れることで賊軍となることを恐れたのだ。
淀城下は、さらに大阪方面に撤退せざるを得なくなった旧幕府軍兵によって火が放たれた。
新政府軍の追撃を阻止する目的だった。
淀城を拠点とした反撃に出られなかった旧幕府軍は、橋本・八幡にかけて防衛戦を張ることになった。
橋本には淀川対岸の高浜に対となった砲台が設けられていた。
外国船の淀川遡行を阻止する目的で築造されたものだったが、設置された四門の大砲全て川上方面の新政府軍に向けられた。
鳥羽・伏見の開戦前は一五〇人ほどの隊士がいたが、六日の防衛戦を張った橋本宿では九十人ほどに数を減らしていた。
伏見・淀堤千両松の戦闘で十数人の戦死者を出していた新撰組は、当然多くの負傷者も出していた。
戦闘不能と判断された隊士に介護者を含めた人数が大阪に下がっていたからだ。
旧幕府軍の最前線として橋本宿の防衛を任された新撰組は、その九十人を三隊にわけている。
五十人は土方歳三がまとめて宿入口に気づいた胸壁の防衛にあたり、残りの四十人は、永倉新八と斎藤一が半数ずつ引き手宿にこ隣接する八幡山に戦うことになった。
歳三は人数が少ない中で苦渋の決断をすることになる。
君菊を永倉と斉藤と共に戦わせるということだった。
自身の離れたところで戦わせるということを自らの口から告げなければならないことに息が詰まった。
君菊はそれを快く了承。堂々たる面構えで踵を返した。
戦闘は午前七時ごろから始まった。
八幡山での君菊の戦闘は永倉から聞いたところによると、それはもう一騎当千だったという。
全てが一撃必殺。鉄砲の弾も難なく避けていたのだと歳三は後から聞かされた。
それでも、旧幕府軍は本宮が置かれている大阪城まで撤退せざるを得なかった。
淀川対岸の高浜砲台で新政府軍に対処しているはずの津藩兵からの砲撃を受けたからだ。
歳三が隊士を励ましたものの、その流れを変えることはできなかった。
淀藩、津藩の裏切りという予想もしない事態の連続に大阪まで退却した新撰組は、八軒屋の京屋忠兵衛方に宿泊することになった。
しかし、その六日夜に旧幕府軍の命運を左右する更なる大事件が待ち受けていた。
旧幕府軍の総指揮権者である慶喜が配下の将兵を戦場に残したまま、江戸に帰還するために大阪城を抜け出したのだ。
総大将自らによる敵前逃亡だった。
慶喜の側には、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬ら旧幕府軍の要人の姿もあった。
指揮官に見放されてしまった旧幕府軍は、天下の名城・大阪城での反撃を断念せざるを得なかった。
江戸、あるいはそれぞれの国許に帰還することになる。
海路を江戸に帰還することになった新撰組は、大阪で療養していた近藤勇、沖田総司を含めて軍艦・富士山、輸送船・順動丸に乗り込んでいる。
順道丸は九日、富士山は十日に天保山沖を出航。
文久三年以来五年近くを過ごした京坂の地を去ることになる。
「山崎さん…おやすみなさい」
君菊は母のような優しい響きでそう別れを告げた。
伏見の戦傷が元で山崎烝は富士山艦中で死亡し、手厚く水葬された。
その後、両艦は一月十二日、十五日と品川に錨を下ろし、新撰組は品川宿の宿泊もできる茶屋で本陣とも称された釜屋に旅装を解いた。
敗戦による突然の、また多人数の旧幕府軍の江戸帰還により、それぞれの宿の手配が間に合わなかったのである。
近藤と歳三は、江戸城に登城している。
幕閣に再戦を進言するためである。
佐倉藩士の依田学海が二人のやりとりを記録に残している。
負傷して戦いに参加できなかった近藤に変わって、歳三はこのように語ったという。
「武器、砲あらざれば不可。僕、剣をはき槍をとるも、一に用いるところなし」
鉄砲でなければ戦争にならない。
初めて近代戦を経験し歳三の偽らざる感慨であり、再戦に向けた決意でもあり、死なせてしまった二十数名への追悼の句でもあった。
「おかえりなさい、勇さん、歳三」
「ああ、ただいま」
「ただいま、君菊」
宿にて二人の帰途を待っていた君菊が出迎えた。
歳三は少し疲れた表情をしている。
近藤に君菊は、歳三を労うように言われた。
歳三は君菊が座ると、その膝に遠慮なく頭を乗せた。
君菊は不思議に思うこそ、それを嫌がることはなかった。
「なんだか疲れているわね、歳三」
「お偉いさん方に質問ばかり投げかけられたんだ。あいつら、戦場を知らねぇからあんなことが言える」
「…たくさん死んじゃったものね」
「ああ。なんでそうなったかをさっぱり理解してねぇ」
鉄砲と剣では差がありすぎる。
君菊は鉄砲よりも剣の方が速いため、関係のない話だが普通の人間ならそうはいかない。
空中にいようが彼女は弾を避けることができる。反射神経もとても良かった。
「これから、新撰組はどうなるの。歳三」
浮かない顔をして君菊は歳三にそう尋ねた。
総大将もいなくなってしまった今、新撰組の未来ははっきり言ってお先真っ暗だ。
それでも歳三の瞳に迷いはなかった。
「まず慶喜公を守護することになるだろうな。話はそれからだ」
君菊の頬を触る。
ごつごつとした自分の手のひらとは手触りがまるで違う。
──この温かさを自身の手で守れたら、どんなにいいのに。
戦場で戦姫となっている君菊を見てそう歳三は思った。
旧幕府軍を迎え入れる様子がないのである。迎え入れることで賊軍となることを恐れたのだ。
淀城下は、さらに大阪方面に撤退せざるを得なくなった旧幕府軍兵によって火が放たれた。
新政府軍の追撃を阻止する目的だった。
淀城を拠点とした反撃に出られなかった旧幕府軍は、橋本・八幡にかけて防衛戦を張ることになった。
橋本には淀川対岸の高浜に対となった砲台が設けられていた。
外国船の淀川遡行を阻止する目的で築造されたものだったが、設置された四門の大砲全て川上方面の新政府軍に向けられた。
鳥羽・伏見の開戦前は一五〇人ほどの隊士がいたが、六日の防衛戦を張った橋本宿では九十人ほどに数を減らしていた。
伏見・淀堤千両松の戦闘で十数人の戦死者を出していた新撰組は、当然多くの負傷者も出していた。
戦闘不能と判断された隊士に介護者を含めた人数が大阪に下がっていたからだ。
旧幕府軍の最前線として橋本宿の防衛を任された新撰組は、その九十人を三隊にわけている。
五十人は土方歳三がまとめて宿入口に気づいた胸壁の防衛にあたり、残りの四十人は、永倉新八と斎藤一が半数ずつ引き手宿にこ隣接する八幡山に戦うことになった。
歳三は人数が少ない中で苦渋の決断をすることになる。
君菊を永倉と斉藤と共に戦わせるということだった。
自身の離れたところで戦わせるということを自らの口から告げなければならないことに息が詰まった。
君菊はそれを快く了承。堂々たる面構えで踵を返した。
戦闘は午前七時ごろから始まった。
八幡山での君菊の戦闘は永倉から聞いたところによると、それはもう一騎当千だったという。
全てが一撃必殺。鉄砲の弾も難なく避けていたのだと歳三は後から聞かされた。
それでも、旧幕府軍は本宮が置かれている大阪城まで撤退せざるを得なかった。
淀川対岸の高浜砲台で新政府軍に対処しているはずの津藩兵からの砲撃を受けたからだ。
歳三が隊士を励ましたものの、その流れを変えることはできなかった。
淀藩、津藩の裏切りという予想もしない事態の連続に大阪まで退却した新撰組は、八軒屋の京屋忠兵衛方に宿泊することになった。
しかし、その六日夜に旧幕府軍の命運を左右する更なる大事件が待ち受けていた。
旧幕府軍の総指揮権者である慶喜が配下の将兵を戦場に残したまま、江戸に帰還するために大阪城を抜け出したのだ。
総大将自らによる敵前逃亡だった。
慶喜の側には、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬ら旧幕府軍の要人の姿もあった。
指揮官に見放されてしまった旧幕府軍は、天下の名城・大阪城での反撃を断念せざるを得なかった。
江戸、あるいはそれぞれの国許に帰還することになる。
海路を江戸に帰還することになった新撰組は、大阪で療養していた近藤勇、沖田総司を含めて軍艦・富士山、輸送船・順動丸に乗り込んでいる。
順道丸は九日、富士山は十日に天保山沖を出航。
文久三年以来五年近くを過ごした京坂の地を去ることになる。
「山崎さん…おやすみなさい」
君菊は母のような優しい響きでそう別れを告げた。
伏見の戦傷が元で山崎烝は富士山艦中で死亡し、手厚く水葬された。
その後、両艦は一月十二日、十五日と品川に錨を下ろし、新撰組は品川宿の宿泊もできる茶屋で本陣とも称された釜屋に旅装を解いた。
敗戦による突然の、また多人数の旧幕府軍の江戸帰還により、それぞれの宿の手配が間に合わなかったのである。
近藤と歳三は、江戸城に登城している。
幕閣に再戦を進言するためである。
佐倉藩士の依田学海が二人のやりとりを記録に残している。
負傷して戦いに参加できなかった近藤に変わって、歳三はこのように語ったという。
「武器、砲あらざれば不可。僕、剣をはき槍をとるも、一に用いるところなし」
鉄砲でなければ戦争にならない。
初めて近代戦を経験し歳三の偽らざる感慨であり、再戦に向けた決意でもあり、死なせてしまった二十数名への追悼の句でもあった。
「おかえりなさい、勇さん、歳三」
「ああ、ただいま」
「ただいま、君菊」
宿にて二人の帰途を待っていた君菊が出迎えた。
歳三は少し疲れた表情をしている。
近藤に君菊は、歳三を労うように言われた。
歳三は君菊が座ると、その膝に遠慮なく頭を乗せた。
君菊は不思議に思うこそ、それを嫌がることはなかった。
「なんだか疲れているわね、歳三」
「お偉いさん方に質問ばかり投げかけられたんだ。あいつら、戦場を知らねぇからあんなことが言える」
「…たくさん死んじゃったものね」
「ああ。なんでそうなったかをさっぱり理解してねぇ」
鉄砲と剣では差がありすぎる。
君菊は鉄砲よりも剣の方が速いため、関係のない話だが普通の人間ならそうはいかない。
空中にいようが彼女は弾を避けることができる。反射神経もとても良かった。
「これから、新撰組はどうなるの。歳三」
浮かない顔をして君菊は歳三にそう尋ねた。
総大将もいなくなってしまった今、新撰組の未来ははっきり言ってお先真っ暗だ。
それでも歳三の瞳に迷いはなかった。
「まず慶喜公を守護することになるだろうな。話はそれからだ」
君菊の頬を触る。
ごつごつとした自分の手のひらとは手触りがまるで違う。
──この温かさを自身の手で守れたら、どんなにいいのに。
戦場で戦姫となっている君菊を見てそう歳三は思った。
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