壬生狼の戦姫

天羽ヒフミ

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血まみれになっている近藤を前にしても君菊は冷静だった。
自分にできることをしようとしている。

やがて医者が来ると、処置を任せた。
君菊の対処は正しかったらしい。褒められていた。

二十日には、労咳を患っている沖田総司と共に隊を離れて、大阪で療養することになる。
新撰組は副長の土方歳三が指揮することになった。

「しっかりしなさいよ、歳三」
「わかってる」

背中を君菊に叩かれる歳三。君菊に勇気を貰えたような気がした。

薩摩藩は武力討伐を諦めることはなかった。
狙いを旧幕府の本拠地である江戸に浪士を雇い入れ、江戸市中で強盗、放火を繰り返させたのだ。
そしてその浪士たちは悠々と薩摩藩邸に引き揚げていく。
その正体を隠さないのは、その目的があくまで挑発のためだからだ。

ついに我慢も限界に達した江戸の老中・稲葉正邦(淀藩主)ら旧幕府は、薩摩藩邸を焼き討ちすることを決した。
十二月二十五日朝、江戸市中警備を担当していた庄内藩を中心とした攻撃に薩摩藩邸は炎上し、藩邸内から逃れ出た浪士たちは、品川沖に停泊する薩摩藩籍・翔鳳丸を旧幕艦・回天が追跡し、砲撃する。
こうして旧幕府と薩摩藩は事実上の交戦状態となったのだった。

薩摩藩邸焼き討ち事件の報が大阪城に到着したのは、二十八日のことだった。

伏見奉行所を守備していた新撰組が遠く鳥羽方面に砲声を聞いたのは、三日午後五時ごろだった。
京都を目指して鳥羽街道を北上する旧幕府軍に対し、小技橋付近でこれを阻止していた薩摩藩が砲撃を加えたのだ。

戦闘を想定していなかった旧幕府軍は一時、崩れるがすぐに態勢を立て直して戦闘態勢に入った。
鳥羽・伏見の戦い、ひいては戊辰戦争の始まりだった。

鳥羽で始まった戦闘は、一気に伏見にも波及した。
新撰組も数少ない大砲で反撃に出たが、土方歳三は「砲戦にて勝負、決せず」として、二番隊に敵陣への斬り込みを命じた。
組長の永倉新八は土塀を乗り越え出撃したが、民家に潜んだ敵兵に銃撃を受けてしまう。

それでも決死の覚悟で斬り込み敵を追い払ったが、配下に重症者が出てしまった。

「永倉さん、首を打ってください」、その隊士は足手纏いになることを嫌い、組長である永倉に介錯を懇願したという。
永倉も容態を見て、仕方なく首を打った。永倉はふと戦いの中で君菊のことを思い出す。
女子である君菊は山南の首を打った。どんな思いだったのだろうかと思うと胸が痛くなった。

一旦、奉行所に引き揚げ二番隊だったが、この時、先に奉行所内に入った伍長の島田魁が塀の上から永倉を軽々と引き上げたという話が残っている。

「永倉さん!無事ですか」

君菊が慌てた様子で言う。駆け寄ってくる君菊に永倉は無事であることを伝えると彼女は安心した顔をした。
奉行所はすでに薩摩軍による砲撃で火災が発生していた。
新撰組隊士たちは再び会津兵と共に斬り込みに出撃したが、好地を占め、鉄砲戦を駆使する敵を攻撃するのは容易ではない。
君菊は一発も当たらずに全てかわして斬り込んでいたが、それでもまだ力及ばずであった。
新撰組をはじめ旧幕府軍は、伏見からの戦略的撤退を決定することになった。午後二時ごろだった。

新撰組が鳥羽街道方面で小戦を行った四日、この戦いの行く末を暗示させるある事件が起こっていた。
薩摩藩の本宮が置かれた東寺に新たに征夷大将軍に任命された仁和寺宮嘉明親王が入り、さらに「錦の御旗」をが立ち上げられたのだ。
御旗は日・月を象徴した天皇の軍(官軍)であることを示すものである。
薩摩藩が官軍(新政府軍)となった証であった。

実はこの御旗も薩摩藩の策略によるものであったが、当時の武士の教養としてあった「太平記」の中で、後醍醐天皇の正当性を示すものとしてしばしば登場するものである。
そして誰もがこの官軍と交戦する者は「賊軍」となることを知っていた。
旧幕府軍の戦意を喪失させるには十分な効果があった。

「そんな…私たちが賊軍……?」
「……」

君菊が口を抑えてその知らせを歳三と共に聞く。
歳三は何も言わなかった。
賊軍と言われようがなんと言われようが、今こそ己の誠を貫くべき時だと考えていたからである。
そううすることこそ武士よりも武士らしくいられるのだと信じていた。


五日、伏見から旧幕府軍が本宮を置く大阪に向けて進撃する新政府軍を迎え撃つべく、新撰組はじめ旧幕府軍が布陣したのが淀堤千両末だ。
淀堤といっても南側に流れるのは宇治川、北側は湿地帯となっている天然の要塞だった。
午前十時ごろから始まった戦闘は白兵戦をともなう大激戦となったが、伏見の戦闘と同様に所持する鉄砲の差が現れ、正午ごろには旧幕府軍は千両末を撤退せざるを得なくなっていた。

最前線で戦った新撰組と君菊。君菊は再び無傷で撤退できたものの、井上源三郎をはじめ十四人もの隊士を失うことになる。

「ごめん、歳三。私、みんなを守れなかった。井上さんが…」
「お前のせいじゃない。自分を責めるな。君菊、お前はよくやってくれた」

歳三の腕の中で弱気に話す君菊。彼女にしては珍しいことだった。
力があっても誰かを守れないとはこんなにも悔しく、悲しいことだと知らなかったのだ。





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