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慶応三年(一八六七)十月十四日、将軍・慶喜は土佐藩から建白された大政奉還を受け入れ、朝廷に上奏することになった。
翌日十五日に朝廷がこれを勅許し、幕府は消滅することになる。
武力討幕を望む薩摩藩を牽制する慶喜の政治戦略であったが、「討幕」を成功させたことは坂本龍馬ら尊皇活動家の大成果であった。
その尊王活動に加わるために、御陵衛士を結成して新撰組を去った伊東甲子太郎だったが、新撰組に在籍していたという過去が足枷となっていた。
焦る伊東は新撰組幹部の暗殺を計画するようになる。
新撰組を乗っ取り、それを手土産に尊王活動に合流しようと考えたのだ。
しかし、この計画はすぐに新撰組の知るところになった。伊東らの分裂後、新撰組の諜報員として御陵衛士に参加していた斉藤が、帰隊して告げたからだ。
「まさか諜報員をしていたなんて気がつかなった…おかえりなさい、斉藤さん」
「ああ。ただいま帰った」
歳三が牽制していたために君菊は斉藤とあまり話をしたことはなかったが、付き合いそのものは長い。
彼女の艶やかな唇から発せられた言葉に斉藤は少し動揺してしまった。
人は慣れてないことをされると動揺するものである。
「伊東さんのこと、どうするんです勇さん」
「殺すしかないだろうな…御陵衛士も。そして剣術の師範でもある君の力が必要となるだろう」
「なっ」
伊東のことを尋ねる君菊に対し、冷静に近藤はそう答えた。
君菊の力が必要となることに歳三は驚きを隠せなかった。
彼女はそのことになんら驚くことはなかった。むしろ自然な展開であると納得していた。
「そしてトシ。すまんな。君菊の色気、また借りるぞ」
「またかよ!」
「色気ってなに」
「君菊はいつも通りにしていればいいんだ」
自身の色気についてはさっぱりな君菊は近藤の言っている意味がわからずにいる。
近藤はただ君菊に笑みを浮かべているだけだ。
歳三は自分以外に色気を向けて欲しくないので、反対したい気持ちをどうにか抑えていた。
だが、伊東の殺害を確実に成功させるためには君菊の色気は必要だ。
歳三は副長としての考えを優先し、我慢した。
国事について意見を交換したいと近藤勇の休息所に招いた。
伊東は自分が殺されるとも知らず、十一月十八日夕方に従者一人を伴っただけで、用意された和やかな宴席で杯を重ねた。
君菊はいつも着ている着物よりも上等なものを着せられており、伊東にお酌をしていた。
酔いが回ってきた伊東は君菊に寄りかかろうとする。
君菊が自然と出している色気に当てられたのだ。
「伊東さん、駄目ですよ」
「許嫁なんて名ばかりなのでしょう。いいではありませんか」
「よくありません」
自分が名ばかりの許嫁なんてことはそれは一番自分がよくわかっていることだ。
他人に言われるまでもない。
それでも、その名ばかりを歳三のために貫き通すと決めたのだ。
例え独り身で生涯が終わることになったとしても。決めたのだ。
「歳三が捻くれますからだめです。お触り禁止です」
そう言って席を立った。
君菊の「色気」の役割は本人に自覚はないものの大方終わった。
伊東を酩酊状態にさせるのが目的だったからだ。
次は剣の腕が試される。別室にて君菊は男装に着替えた。
店の人に預けていた脇差と打刀を帯刀し、店を出た。
君菊は潜んでいる隊士たちと合流。
伊東の到着を待った。
午後八時ごろになって座は開かれ、酩酊した伊東は酔いを醒ますために徒歩で帰途についた。
本津屋橋通を西に進んだ伊東が油小路通に差し掛かった時、刺客が姿を現した。
四人の新撰組隊士と男装した君菊だった。
隊士の斬り込みをかわしつつ、油小路通を北に後ずさった伊東だったが、取り囲まれ、背後から繰り出された君菊の突きの技により、本光寺門前で絶命した。享年三十二歳だった。
伊東の殺害に成功した新撰組は、すぐに御陵衛士壊滅に向けて動き出した。
彼らをおびき出すために、うち倒れる伊東の遺体を百五十メートル北の七条通の辻まで引きずって放置。
人を雇って、御陵衛士屯所に伊東の受難を通報させ、さらに永倉新八、原田左之助が三十四、五人を率いて、辻の南側と西側に身を潜めた。
君菊もこれに参戦。同じく身を潜めている。
冬の寒さに、息を吐けば白く染まる。
「なかなか来ませんね」
「大仕事したばかりだってのに気が早いな」
「他の隊士も居たことだし、大した仕事はしてないですよ」
永倉の言葉にそう返す君菊。
永倉は、当たり前のように君菊を戦場に駆り出していることも近藤に不満を募らせていた。
屯所に居合わせた藤堂平助ら八人が伊東を収容する駕籠を伴って姿を現したのは、午前零時をまわった頃だった。
辻の中央に倒れている伊東を駕籠に収容し、藤堂平助がカゴの垂れ幕に手をかけた時であった。
一発の銃声が凍てつく冬空に轟いた。新撰組の攻撃の合図だった。
同時に駕籠前に跪いていた藤堂は、背後から一刀を浴びる。
それは最速で駆けつけた君菊の刀であった。
背中から横腹にかけて断ち割れた藤堂は、振り向きざま顔面に二の太刀を受けて絶命した。
藤堂の最期の瞳に映ったのは、試衛館の頃から知る戰姫だった。
翌日十五日に朝廷がこれを勅許し、幕府は消滅することになる。
武力討幕を望む薩摩藩を牽制する慶喜の政治戦略であったが、「討幕」を成功させたことは坂本龍馬ら尊皇活動家の大成果であった。
その尊王活動に加わるために、御陵衛士を結成して新撰組を去った伊東甲子太郎だったが、新撰組に在籍していたという過去が足枷となっていた。
焦る伊東は新撰組幹部の暗殺を計画するようになる。
新撰組を乗っ取り、それを手土産に尊王活動に合流しようと考えたのだ。
しかし、この計画はすぐに新撰組の知るところになった。伊東らの分裂後、新撰組の諜報員として御陵衛士に参加していた斉藤が、帰隊して告げたからだ。
「まさか諜報員をしていたなんて気がつかなった…おかえりなさい、斉藤さん」
「ああ。ただいま帰った」
歳三が牽制していたために君菊は斉藤とあまり話をしたことはなかったが、付き合いそのものは長い。
彼女の艶やかな唇から発せられた言葉に斉藤は少し動揺してしまった。
人は慣れてないことをされると動揺するものである。
「伊東さんのこと、どうするんです勇さん」
「殺すしかないだろうな…御陵衛士も。そして剣術の師範でもある君の力が必要となるだろう」
「なっ」
伊東のことを尋ねる君菊に対し、冷静に近藤はそう答えた。
君菊の力が必要となることに歳三は驚きを隠せなかった。
彼女はそのことになんら驚くことはなかった。むしろ自然な展開であると納得していた。
「そしてトシ。すまんな。君菊の色気、また借りるぞ」
「またかよ!」
「色気ってなに」
「君菊はいつも通りにしていればいいんだ」
自身の色気についてはさっぱりな君菊は近藤の言っている意味がわからずにいる。
近藤はただ君菊に笑みを浮かべているだけだ。
歳三は自分以外に色気を向けて欲しくないので、反対したい気持ちをどうにか抑えていた。
だが、伊東の殺害を確実に成功させるためには君菊の色気は必要だ。
歳三は副長としての考えを優先し、我慢した。
国事について意見を交換したいと近藤勇の休息所に招いた。
伊東は自分が殺されるとも知らず、十一月十八日夕方に従者一人を伴っただけで、用意された和やかな宴席で杯を重ねた。
君菊はいつも着ている着物よりも上等なものを着せられており、伊東にお酌をしていた。
酔いが回ってきた伊東は君菊に寄りかかろうとする。
君菊が自然と出している色気に当てられたのだ。
「伊東さん、駄目ですよ」
「許嫁なんて名ばかりなのでしょう。いいではありませんか」
「よくありません」
自分が名ばかりの許嫁なんてことはそれは一番自分がよくわかっていることだ。
他人に言われるまでもない。
それでも、その名ばかりを歳三のために貫き通すと決めたのだ。
例え独り身で生涯が終わることになったとしても。決めたのだ。
「歳三が捻くれますからだめです。お触り禁止です」
そう言って席を立った。
君菊の「色気」の役割は本人に自覚はないものの大方終わった。
伊東を酩酊状態にさせるのが目的だったからだ。
次は剣の腕が試される。別室にて君菊は男装に着替えた。
店の人に預けていた脇差と打刀を帯刀し、店を出た。
君菊は潜んでいる隊士たちと合流。
伊東の到着を待った。
午後八時ごろになって座は開かれ、酩酊した伊東は酔いを醒ますために徒歩で帰途についた。
本津屋橋通を西に進んだ伊東が油小路通に差し掛かった時、刺客が姿を現した。
四人の新撰組隊士と男装した君菊だった。
隊士の斬り込みをかわしつつ、油小路通を北に後ずさった伊東だったが、取り囲まれ、背後から繰り出された君菊の突きの技により、本光寺門前で絶命した。享年三十二歳だった。
伊東の殺害に成功した新撰組は、すぐに御陵衛士壊滅に向けて動き出した。
彼らをおびき出すために、うち倒れる伊東の遺体を百五十メートル北の七条通の辻まで引きずって放置。
人を雇って、御陵衛士屯所に伊東の受難を通報させ、さらに永倉新八、原田左之助が三十四、五人を率いて、辻の南側と西側に身を潜めた。
君菊もこれに参戦。同じく身を潜めている。
冬の寒さに、息を吐けば白く染まる。
「なかなか来ませんね」
「大仕事したばかりだってのに気が早いな」
「他の隊士も居たことだし、大した仕事はしてないですよ」
永倉の言葉にそう返す君菊。
永倉は、当たり前のように君菊を戦場に駆り出していることも近藤に不満を募らせていた。
屯所に居合わせた藤堂平助ら八人が伊東を収容する駕籠を伴って姿を現したのは、午前零時をまわった頃だった。
辻の中央に倒れている伊東を駕籠に収容し、藤堂平助がカゴの垂れ幕に手をかけた時であった。
一発の銃声が凍てつく冬空に轟いた。新撰組の攻撃の合図だった。
同時に駕籠前に跪いていた藤堂は、背後から一刀を浴びる。
それは最速で駆けつけた君菊の刀であった。
背中から横腹にかけて断ち割れた藤堂は、振り向きざま顔面に二の太刀を受けて絶命した。
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