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三条大橋西詰北側に設けられた制札場には、禁門の変以来、長州藩の罪状を書き記した制札が立てられていた。
しかし、八月二十八日に何者かによって抜き去られ、破棄されるという事件が起こった。
制札は立て直されたが、九月五日にも同様の事件が起こる。
制札の監視を命じられた新撰組は、制札を取り囲むように隊士を配備して犯人が現れるのを待つ。
事件は原田左之助が指揮する三十人ほどが配置についた九月十二日の深夜に発生した。
その中には君菊も助っ人として男装姿で身を潜めていた。
歳三が君菊は必要ないだろう、と話をしたが原田は試衛館の頃から彼女の強さを知っているので生け捕りにしやすいのではと提案したのである。
近藤はその提案を君菊の意志を確認してこれを了承。
君菊も任務につくことになった。
八人の犯人が制札に手をかけると、身を潜めていた君菊と隊士たちは攻撃を開始した。
君菊も隊士に続いて抜刀をする。最速で犯人に斬りかかろうとするが、自身の刀を地面に落とし、相手の刃を上手く避けて一本背負いを決める。
一人、捕縛成功。
その他は隊士たちによって一人は斬り捨てられ、さらに一人には重症を負わせた。
「怪我はないな?」
「あれくらいにやられるほど腕は落ちてません」
帰還後、君菊に尋ねた歳三の心配は杞憂に終わった。戦姫は健在であった。
犯人は土佐範士であることが判明。
近藤と歳三が土佐藩に祇園の料亭に招かれて詫びを入れられた。事件は決着することになる。
長州征伐に失敗した幕府だったが、その後、十二月五日になって、孝明天皇を後ろ盾をする徳川慶喜が十五代将軍に就任することになる。
京都の政局におかえる幕府の力が揺らぐことはない。
しかしその十日後の十五日ににわかに発病した孝明天皇は、二十五日に崩御することになる。
新撰組の幕府支持の尊王論に違和感を持っていた伊東甲子太郎は、新撰組から脱退して尊王活動に従事したいと思い始めていた。
しかし、新撰組には脱走を厳しく咎める隊規がある。
伊東はそんな葛藤の中、解決する方法を思いつく。
孝明天皇の陵墓を守る「御陵衛士」なる役職を新設してもらい、新撰組が否定することのできない尊王論でもって、新撰組から分離するという計画だった。
慶応三年(一八六七)三月十日に朝廷から御陵衛士の許可が下されると、十三日には伊東は近藤、歳三に御陵衛士として形式上は新撰組から分裂する形を取りたい旨を申し出ている。
さらにその目的は、薩長への諜報活動をするためだと説明した。
近藤、歳三が申し出を了承すると、三月二十日に伊東は同志と共に西本願寺の屯所を出て行った。
藤堂平助をはじめ十一人が出て行った。藤堂が尊王に幻滅するのも無理はなかった。
その中に斉藤一も含まれたいたが、彼は新撰組の諜報だった。
ちなみに君菊はこの時、伊東から剣の腕を買われて誘われていた。もちろん、彼女は断った。
新撰組と御陵衛士の間では、分離後はそれぞれの隊への移籍を認めないという合意がなされていた。
四月十日に新撰組から御陵衛士のもとに向かった田中虎三が翌日に切腹させられている。
六月十日。
「幕臣の取立ての内示が出た。皆、異論はないな」
「勇さん、私はもちろん含まれていませんよね」
君菊は慌ててそう問い詰めた。
御陵衛士にも誘われたこともあり、女子である自分が幕臣にまでなるのは御免と思っていたのである。
「ああ。君菊は含まれていない。安心してくれ」
「よかったぁ」
「そんなに幕臣になりたくないのか?」
「私、女じゃないですか。幕臣にまずなれないでしょう。話はそこからです」
「まぁ、そうだな…」
この頃には新入隊士たちも君菊の貞操を狙う不埒な者はいなくなっていた。
剣術の師範をしているからである。強すぎて敵わないと思い知ったのだ。
厳しくもありまた優しいところも備えている指導者だった。
しかし、近藤の意見に反対する者たちもいた。
幕臣取立てが尊王思想に抵触すると佐野七五三之助、中村五郎、茨木司、宮川十郎の四人の他、入隊間もない六人だった。
これを伊東甲子太郎に相談した佐野だったが、伊東はお互いに隊士の行き来はさせないと言う合意を守って、佐野たちを受け入れることはなかった。
佐野たちが新撰組屯所に戻ることを拒むと、会津藩に相談することを伊東は提案している。
会津藩は近藤たちと話し合うことを求めたが、話は平行線を辿った。
翌日に会談が保たれたが、佐野たちは解決の見込みがないことを悟ると、相談があると一間を借り受けている。
長時間が経過し、声をかけても返事がないため中を覗いてみると、四人の切腹自殺を図った姿があった。
佐野、享年三十二歳。富川は二十四歳。茨木は未詳。中村はわずかに十九歳だった。
新撰組は佐野たちの行為を武士の鑑であると評価し、遺された六人は放逐処分とした。
新撰組は、十五日に佐野たちの葬儀を行うと西本願寺から引き揚げ、不動堂村に新設された屯所に移転している。
境内に屯する新撰組をどうしても退去させたいと願う西本願寺が建設したものだった。
「うわぁ…大名屋敷みたいな作りじゃない」
君菊は新しい屯所の大きさに驚いていた。
歳三はまたうまいこと部屋割りをしなければならないと少しの下心を持って考えていた。
しかし、八月二十八日に何者かによって抜き去られ、破棄されるという事件が起こった。
制札は立て直されたが、九月五日にも同様の事件が起こる。
制札の監視を命じられた新撰組は、制札を取り囲むように隊士を配備して犯人が現れるのを待つ。
事件は原田左之助が指揮する三十人ほどが配置についた九月十二日の深夜に発生した。
その中には君菊も助っ人として男装姿で身を潜めていた。
歳三が君菊は必要ないだろう、と話をしたが原田は試衛館の頃から彼女の強さを知っているので生け捕りにしやすいのではと提案したのである。
近藤はその提案を君菊の意志を確認してこれを了承。
君菊も任務につくことになった。
八人の犯人が制札に手をかけると、身を潜めていた君菊と隊士たちは攻撃を開始した。
君菊も隊士に続いて抜刀をする。最速で犯人に斬りかかろうとするが、自身の刀を地面に落とし、相手の刃を上手く避けて一本背負いを決める。
一人、捕縛成功。
その他は隊士たちによって一人は斬り捨てられ、さらに一人には重症を負わせた。
「怪我はないな?」
「あれくらいにやられるほど腕は落ちてません」
帰還後、君菊に尋ねた歳三の心配は杞憂に終わった。戦姫は健在であった。
犯人は土佐範士であることが判明。
近藤と歳三が土佐藩に祇園の料亭に招かれて詫びを入れられた。事件は決着することになる。
長州征伐に失敗した幕府だったが、その後、十二月五日になって、孝明天皇を後ろ盾をする徳川慶喜が十五代将軍に就任することになる。
京都の政局におかえる幕府の力が揺らぐことはない。
しかしその十日後の十五日ににわかに発病した孝明天皇は、二十五日に崩御することになる。
新撰組の幕府支持の尊王論に違和感を持っていた伊東甲子太郎は、新撰組から脱退して尊王活動に従事したいと思い始めていた。
しかし、新撰組には脱走を厳しく咎める隊規がある。
伊東はそんな葛藤の中、解決する方法を思いつく。
孝明天皇の陵墓を守る「御陵衛士」なる役職を新設してもらい、新撰組が否定することのできない尊王論でもって、新撰組から分離するという計画だった。
慶応三年(一八六七)三月十日に朝廷から御陵衛士の許可が下されると、十三日には伊東は近藤、歳三に御陵衛士として形式上は新撰組から分裂する形を取りたい旨を申し出ている。
さらにその目的は、薩長への諜報活動をするためだと説明した。
近藤、歳三が申し出を了承すると、三月二十日に伊東は同志と共に西本願寺の屯所を出て行った。
藤堂平助をはじめ十一人が出て行った。藤堂が尊王に幻滅するのも無理はなかった。
その中に斉藤一も含まれたいたが、彼は新撰組の諜報だった。
ちなみに君菊はこの時、伊東から剣の腕を買われて誘われていた。もちろん、彼女は断った。
新撰組と御陵衛士の間では、分離後はそれぞれの隊への移籍を認めないという合意がなされていた。
四月十日に新撰組から御陵衛士のもとに向かった田中虎三が翌日に切腹させられている。
六月十日。
「幕臣の取立ての内示が出た。皆、異論はないな」
「勇さん、私はもちろん含まれていませんよね」
君菊は慌ててそう問い詰めた。
御陵衛士にも誘われたこともあり、女子である自分が幕臣にまでなるのは御免と思っていたのである。
「ああ。君菊は含まれていない。安心してくれ」
「よかったぁ」
「そんなに幕臣になりたくないのか?」
「私、女じゃないですか。幕臣にまずなれないでしょう。話はそこからです」
「まぁ、そうだな…」
この頃には新入隊士たちも君菊の貞操を狙う不埒な者はいなくなっていた。
剣術の師範をしているからである。強すぎて敵わないと思い知ったのだ。
厳しくもありまた優しいところも備えている指導者だった。
しかし、近藤の意見に反対する者たちもいた。
幕臣取立てが尊王思想に抵触すると佐野七五三之助、中村五郎、茨木司、宮川十郎の四人の他、入隊間もない六人だった。
これを伊東甲子太郎に相談した佐野だったが、伊東はお互いに隊士の行き来はさせないと言う合意を守って、佐野たちを受け入れることはなかった。
佐野たちが新撰組屯所に戻ることを拒むと、会津藩に相談することを伊東は提案している。
会津藩は近藤たちと話し合うことを求めたが、話は平行線を辿った。
翌日に会談が保たれたが、佐野たちは解決の見込みがないことを悟ると、相談があると一間を借り受けている。
長時間が経過し、声をかけても返事がないため中を覗いてみると、四人の切腹自殺を図った姿があった。
佐野、享年三十二歳。富川は二十四歳。茨木は未詳。中村はわずかに十九歳だった。
新撰組は佐野たちの行為を武士の鑑であると評価し、遺された六人は放逐処分とした。
新撰組は、十五日に佐野たちの葬儀を行うと西本願寺から引き揚げ、不動堂村に新設された屯所に移転している。
境内に屯する新撰組をどうしても退去させたいと願う西本願寺が建設したものだった。
「うわぁ…大名屋敷みたいな作りじゃない」
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