壬生狼の戦姫

天羽ヒフミ

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話は少し遡る。

勇は君菊に暗殺の話し合いの前、あることを頼んでいた。

芹沢鴨を誘惑して自分の思い通りにして欲しい──と。
それが一つ目の頼み。これは歳三との仲を狙われている女の彼女にしかできぬことであった。
そして二つ目。これは会合直前に言われた言葉。

「もし、可能なら芹沢さんを殺して欲しい」

そう頼まれていたのである。
これは勇が彼女の実家の家系を調べていたことから言われたことであった。
君菊の家系は古くは暗殺を生業としていた闇に生きる家系だった。
今でこそただの農家ではあるが、教えとして「誰であろうと人を殺す覚悟」だけは代々受け継がれている。
それは君菊も例外ではなかった。
主人格から別人格へ切り替えられるように訓練するのである。
君菊の無表情さは主人格から別人格に切り替わっていた時の表情であった。

なんてことのないように君菊は全て話す。
歳三は驚愕こそしたものの、君菊のことを嫌いになることなど出来はしなかった。
むしろそこまで強くなってしまった事実を悲しく思った。
人殺しができる人間が剣術を習えば、こうなることは必然だった。
血まみれになっている君菊。
その君菊を歳三は強く正面から抱きしめた。突然のことに彼女は持っていた刀を落とす。

「血まみれになるよ、歳三も」
「構わねぇ。むしろ歓迎だ」
「変な歳三」

乾いた声で君菊は話す。それでも瞳には暖かさが戻りつつあった。
歳三からの温もりが感じられる。人を殺したことは何とも思っていないが、その暖かさは心に沁みた。

「後処理は私たちに任せてトシさんは君菊さんの傍にいてあげてください」

山南がそう言った。沖田と井上も頷いている。
ひょいと軽々と荷物でも持つかのように歳三は君菊を横抱きにして抱き上げた。

「歩けるよ」
「大仕事したんだから無茶すんな」

歳三は言われた通りに山南達に後処理を任せ、部屋に戻った。
運ばれた部屋は君菊の部屋であった。

「襦袢、他に持ってるか?」
「持ってるよ。私も休むから歳三も自分の部屋で休みなよ」
「嫌だ」
「ここでわがまま言わないで」
「嫌なもんは嫌なんだよ」

居座る気満々の歳三。ため息を漏らす君菊。粘り強さだけは君菊に負けない歳三。
早々に諦めた彼女は、纏めている荷物の中から新たな襦袢を出した。

「着替えるから。見たら目が潰れるからね」
「見ねーよ」

しゅるしゅると紐が解かれる音が歳三の耳に届いた。
振り向いたらあられのない姿の君菊を見ることが出来るのだろう。
でもそうしたくはなかった。何故か君菊に対してはそのような不埒なことを考えなかった。
大切過ぎて、そのようなことをしたいと思えないのである。
少しすると、「終わったよ」と声がした。
振り向くとすっかり血が取れている普段の君菊がそこには居た。

「血まみれの襦袢どうしようか」
「焼いちまえばいいんじゃねぇか」
「そうしよう」

朝餉の支度の時に火を起こす際に燃やしてしまえばいい。
寝坊はできないなと君菊は早速寝る支度を始めた。
布団を敷き終わると、布団の中に入る。
歳三はそれを見てるだけだ。寝るつもりがないのだろうか、と君菊は思った。

「寝ないの?」
「ああ。今日は元々起きてるつもりだったからな」
「…別に隣で寝てもいいよ。この前も寝たし」
「え」
「もう私は寝るね。おやすみ」

言うなり君菊は背中を向けて目を閉じた。
歳三は君菊に言われた言葉を反芻する。
以前、同衾した時はただの歳三のわがままだった。
だが今回は違う。君菊から歩み寄ってくれているような言葉だった。
…こんな機会、逃したら一生後悔するかもしれない。
そう歳三は思い、着流しの姿になると君菊の布団の中に入った。
既に寝息が聞こえる。どうやら疲れていたらしい。
無理もない。君菊にとって初めての人殺しだったのだから。
精神の疲労の方が本人が思っているよりもしているだろう。

君菊の背中を抱きしめて歳三も眠りについた。
ここに自分は居る、一人じゃない。という意味を君菊に込めて。



翌日。

「おはよう。朝稽古、遅刻するよ」

先に起きていたのは君菊だった。君菊がいた場所は冷たい。
既に普段着の着物に着替えていた。捨て置いていた血まみれの襦袢はもうない。
寝ている間に燃やしたようだ。
歳三は目を擦りながら起きる。寝坊はしない方の人間だ。
ドタドタと廊下を乱暴に歩く音が聞こえてくる。
隣の歳三の部屋で足音は止まった。

「トシさん!やべぇぞ!!」
「なんだ、永倉。朝からうるせーぞ」

君菊の部屋から顔を覗かせる歳三。
すると永倉は顔を真っ赤にさせて、

「こんな時にお楽しみだったのかよ!余裕だな!」

と怒鳴りつけた。

「なんのことだ?」
「だって君菊の部屋から顔を出してるってことはそういうことだろ?」
「生憎、何もしてねーよ。残念だったな。…ところで朝から騒いでどうした」
「あ、あぁ!芹沢さんと平山さんが長州藩の奴に殺されたらしいんだ!」
「…本当か?」
「本当だよ。今、隊士たちが騒いで大変なことになってんだ」
「分かった。先に行っててくれ。俺もすぐに行く」
「頼んだぜ、トシさん!」

永倉がその場を後にする。
君菊はその様子を黙って見ていた。

「歳三。そこまで計画してたんだ」
「まぁな。自分の部屋で支度してくる」
「うん」

騒がしい一日が始まろうとしていた。



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