壬生狼の戦姫

天羽ヒフミ

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芹沢鴨はその風景を壊してしまいたくて仕方がなかった。
女の押しに弱い君菊は、歳三を囲もうとする遊女たちに除け者にされてしまう。
一瞬の夢のような出来事で終わってしまった。歳三は焦るがどうしようもできない。
その隙を逃すことなく芹沢は君菊の名を呼ぶ。

「はい。どうされましたか?」
「俺にもお酌してくれ」
「……まぁ、あっちは足りてるようですし大丈夫かな。良いですよ」

君菊は歳三の方向を向いてから芹沢に向き直る。
芹沢はの隣に座り、君菊は頼まれた通りにお酌をする。
笑顔を浮かべてはいるものの、作り笑いであった。
本当ならば歳三の隣でゆっくりしたいというのが君菊の願いだった。
歳三が注意しろと言ったこの男の隣ではゆっくりも出来まい。
芹沢は歳三が遊女に囲まれていることをいいことに、君菊の耳元で囁いた。

「今夜一緒に寝ないか?」

君菊は笑顔を浮かべたまま今言われた言葉を頭で反芻する。
普段の彼女ならすぐさま拒否をしただろう。
君菊は歳三の婚約者だ。しかし、今夜だけは違った。

「私、寝相悪いですよ」
「構わない」

傾国の笑みがそこにはあった。
捕らえて獲物を逃さぬ笑みがそこにはあった。
その笑みにすっかり虜になる芹沢。妖艶に映る彼女は芹沢を捕らえて離さなかった。
山南が芹沢に声をかける。

「八木邸で飲み直しませんか」
「いいだろう」

現代時刻で午後六時。気を良くしていた芹沢はすぐ様了承した。
君菊を連れて平山と平間と共に席を立つ。それぞれ馴染みの女を壬生に待たせていたのだ。
外は土砂降りの雨。バケツをひっくり返したかのような雨だった。四人は駕籠を雇って八木邸に帰った。
歳三は遊女に囲まれていた為、その一部始終を見ることができなかった。
君菊の瞳に感情は一切なかった。

「はい、ちょっと失礼しますよ姉様方。…トシさん」
「ああ。分かってる」

沖田の掛け声に歳三は頷く。
機は熟した。今こそ決行の時である。

土砂降りの雨の中、ほとんどの隊士が遊郭に泊まることになった。
そんな中、外に出たのは土方歳三、山南敬助、沖田総司、井上源三郎の四人。
芹沢達の後を追い、駕籠を雇って八木邸へ戻った。




「芹沢さん。この方が?」
「初めまして、君菊と申します。以後お見知り置きを」

壬生ではお梅達が男達を待っていた。
君菊の瞳には先ほどとは違い感情が宿っていた。
女が相手となると君菊でも厳しいのである。
先のことを考えると普段の自分に戻っていた方が都合が良かった。
一方、お梅はこの美貌なら芹沢を夢中にさせて当然だと納得せざるを得なかった。
自分にはないものを君菊は持っている。正直、羨ましいとさえ思った。

「早く屋敷に入りましょう。雨が止みそうにありません」

いつも通りの笑顔を見せて君菊はお梅にも入るように促した。
屋敷に入るなり先に飲み直している芹沢達。
君菊とお梅の二人がかりで芹沢鴨にお酌をしていた。
それを気に食わぬ顔で見ている歳三。だが、暗殺には絶好の機会である。自らの嫉妬心はどうにか封じた。
芹沢達が酩酊状態となるまでそう時間は掛からなかった。君菊が酒に細工をしていたからである。
現代でいう睡眠薬を含ませた酒を飲ませていたのだ。
布団を敷いていくると言ってその場から消え失せる君菊。
芹沢は部屋で布団に入るなり、

「君菊…お前もこっちで寝ろ…どうせ、土方とは、同衾もしていないのだろう…?」

いやらしい笑みを浮かべながら眠気に耐えてそう言う。
お梅は既に隣で眠っている。
君菊は今だ、と持っていた短刀を抜き、芹沢を乱暴に床に倒し、思い切り喉に突き刺した。
その瞳に感情はない。無感情で人を刺している。血で床が真っ赤に染まる。

「ぐ…お…前……!!」
「歳三とは既に同衾してますよ。あと、あんたなんかと寝るわけないじゃない」

その僅かな芹沢の叫びに気がついた平山が駆けつける。
お梅も起きていた。

「君菊さん…!」
「お前!」

君菊の手には芹沢が所持していた刀が握られていた。
彼女は素早く抜刀し、平山の首に迷うことなく斬りかかった。

「ぐっあぁぁぁぁぁぁ!!!」
「きゃあああああああああ!!!」

戦力差は圧倒的。君菊が平山の首を打ち落とす。
これが天然理心流指南免許を持てるほどの資格を持つ女の実力である。
君菊という女は、人を殺すことのできる人間であった。

「お梅さん。このことを黙ってるのならあんたを殺さない。でも言うつもりなら殺す」

感情のこもっていない声で言われる。まるで人形が話しているかのようだ。
お梅は震え上がる。こんな恐怖を知らない。今、誰が話しているかもわからなくなる。

「君菊…?」

遅れてやってきた歳三達に名を呼ばれ、君菊の瞳に感情が宿る。
手は血まみれ。床も同じく。そして打ち落とされている平山の首。
君菊が持っている刀にも血が付着している。
誰がやったのかは見るだけで明白だった。

「遅かったじゃない。あんまりにも遅いから私が殺したわ」

あくまでも冷静に君菊はそう言った。
その声には感情が宿ってはいなかった。

──今日は酷い夢を見ているんじゃないだろうか。

歳三は血まみれの許嫁を見てそう思った。


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