12 / 46
⑫
しおりを挟む
芹沢鴨は一人の女に釘付けとなっていた。
雪のような白い肌に蒼い絹地の着物を着ている。艶やかな唇に黒曜石のような綺麗な黒い瞳は、芹沢鴨を捉えて離さない。
名は君菊というらしい。芹沢には愛妾のお梅がいるが、その彼女に勝る美貌を持つ女であった。
これから先、この八木邸で同じく住むようだ。
土方歳三と親しげにしている。先ほど男共の会話から聞こえてきた。許嫁の仲なのだという。
──その仲を徹底的に引き裂いてやりたい。
同じ男から見ても美丈夫の男から奪ってやりたい。
どんな顔をするか。
どんな言葉を言うか。
試してみたい気持ちに駆られる。
だが焦りは何事も禁物だ。まずは相手をよく知ってから行動に移すべきだろう。
芹沢の思惑を知らぬ君菊は歳三だけでなく皆に笑顔を振りまいていた。
先ほどの無表情さは何処かへすっかり消えている。
「とりあえず…私は身の回りのことを中心にやりますね」
「君菊だけにやらせるのは申し訳ないよ」
「もちろん一人では無理なので当番制にしましょう。私も休む時は休みます」
「それなら良いかもしれないな。なぁ、トシ」
勇と君菊の会話を黙って聞いていた歳三は「良いんじゃねぇか」とだけ答えた。
本当に話を聞いていたのかどうか側から見れば分からぬ表情である。
何せ無表情に近い。だが君菊は正しく歳三のことを見ていた。聞いてないようできちんと聞いていたようだ。
そんな歳三は話を聞きながら別のことを考えていた。君菊のあの無表情である。
君菊という女はとにかく笑う女である。その女があの表情を見せるなど今まで一度もなかったのだ。
何か君菊のことで未だに知らない一面が自分の中にあるのではないか、と思わずにはいられなかった。
「話もまとまったことだし疲れただろう。君菊、部屋で休むといい」
「ありがとうございます」
勇と君菊の話が終わると、黙ったまま歳三が君菊の荷物を持って部屋へ案内するように歩いた。
部屋までの道のり何か一言、許嫁の仲なら言うべきだろうが二人は沈黙を貫いた。
会話などこの二人には必要なかったのである。
それくらい互いのことをわかり合っていた。ただ恋愛のことを除いては。
「荷物を運んでくれてありがとう」
「別にこれくらい気にするな」
歳三の部屋の隣に部屋は準備されていた。
君菊は気にしていないが、歳三はこの部屋の配置に最初は猛反対したのである。
好きな人が隣に居る──それだけでどれほど心臓がうるさくなることやら。
眠ることさえ出来なくなるのではないかと歳三は自身の体調を心配した。
最初は勇にそう抗議した歳三であったが、何かがあった時に一番に助けになれるのは自分だと言われ、どうにか納得するという経緯があった部屋だ。
「歳三の隣なら寝坊することはないわね」
「なんでだよ」
「情けないところを見せるわけにはいかないもの」
そう言って笑う君菊。部屋に入ると荷物を解き始めた。
歳三は何を言うわけでもなくぼんやりとその姿を眺めている。
「どうしたの歳三」
「なんでもねぇよ」
「夕餉はもう少し待ってちょうだいね。荷物の片付けが終わったら手伝いに行くから」
歳三はまだ腹を空かせているわけではない。
だから君菊の言葉は正しくない。
互いのことは大体はわかり合っているくせに、恋愛のことになるとさっぱり。
この時歳三が思っていたことは一つ。
──俺の部屋の隣で良かった。
そうしみじみと君菊の後ろ姿を見て思っていたのである。
最初は反対意見しかなかったが、こうして実物の人間を見るなり隣に居てくれた方が安心すると思ったのだ。
歳三の案内で、君菊は台所に来た。
既に他の男達が夕餉の支度をし始めている。しかし、何処か手際がおぼつかない。
台所仕事はこの時代では基本的に女がするものである。
男は働くことが中心だった。よって家事は男が苦手とするものになる。
君菊は持ってきた白い紐を襷掛けすると、台所の中心に立った。
「お待たせしてすみません。手伝いますね」
女の君菊が台所仕事に取り掛かると手際よく食事が作られていく。
今日の食事は、お茶漬けに沢庵である。
この頃の食事としては豪華なものだ。そして沢庵は歳三の好物の一つでもあった。
大広間に手分けして食事が運ばれていく。
台所担当をしていた男達は君菊の手際の良さに感心していた。
歳三はその男達が君菊に何かしないかをじっと見張っていた。
何故歳三が台所の入り口にずっと立っていたのか、知らぬのは君菊だけである。
食事が終わると後片付けに追われた。
君菊の台所仕事の動きを見て育った歳三。男にしては手際よくこなしていた。
当番制で台所仕事も行っている為、歳三と同じ当番である勇が意外そうにその動きを見ていた。
「手際がいいな、トシ」
「…まぁな」
「やはり君菊のおかげか?」
「あいつの動きを見てたからな。自然とこうなった」
「良いことじゃねぇか」
暖かな空気が、男苦しい屋敷の中でも流れていた。
就寝時。
「女ということを忘れないでくれよ」
「わかってます。貞操は大丈夫よ。自分でも守れるわ」
君菊の部屋で襦袢だけの姿になっている彼女を見ながら歳三は言った。
幼い頃はそれを見てもなんとも思わなかったが、今は違う。色気というものを持ち合わせている。
歳三には刺激が強かった。
「他の男にも見せるなよ」
「はいはい、わかってます。ほら、明日も早いんだから寝ましょう?」
歳三の心配は君菊も承知しているらしく、会話では軽くあしらっているが守り刀を布団のすぐ側に置いていた。
「また明日ね」
「ああ。またな」
こうして慌ただしい一日が終わった。
雪のような白い肌に蒼い絹地の着物を着ている。艶やかな唇に黒曜石のような綺麗な黒い瞳は、芹沢鴨を捉えて離さない。
名は君菊というらしい。芹沢には愛妾のお梅がいるが、その彼女に勝る美貌を持つ女であった。
これから先、この八木邸で同じく住むようだ。
土方歳三と親しげにしている。先ほど男共の会話から聞こえてきた。許嫁の仲なのだという。
──その仲を徹底的に引き裂いてやりたい。
同じ男から見ても美丈夫の男から奪ってやりたい。
どんな顔をするか。
どんな言葉を言うか。
試してみたい気持ちに駆られる。
だが焦りは何事も禁物だ。まずは相手をよく知ってから行動に移すべきだろう。
芹沢の思惑を知らぬ君菊は歳三だけでなく皆に笑顔を振りまいていた。
先ほどの無表情さは何処かへすっかり消えている。
「とりあえず…私は身の回りのことを中心にやりますね」
「君菊だけにやらせるのは申し訳ないよ」
「もちろん一人では無理なので当番制にしましょう。私も休む時は休みます」
「それなら良いかもしれないな。なぁ、トシ」
勇と君菊の会話を黙って聞いていた歳三は「良いんじゃねぇか」とだけ答えた。
本当に話を聞いていたのかどうか側から見れば分からぬ表情である。
何せ無表情に近い。だが君菊は正しく歳三のことを見ていた。聞いてないようできちんと聞いていたようだ。
そんな歳三は話を聞きながら別のことを考えていた。君菊のあの無表情である。
君菊という女はとにかく笑う女である。その女があの表情を見せるなど今まで一度もなかったのだ。
何か君菊のことで未だに知らない一面が自分の中にあるのではないか、と思わずにはいられなかった。
「話もまとまったことだし疲れただろう。君菊、部屋で休むといい」
「ありがとうございます」
勇と君菊の話が終わると、黙ったまま歳三が君菊の荷物を持って部屋へ案内するように歩いた。
部屋までの道のり何か一言、許嫁の仲なら言うべきだろうが二人は沈黙を貫いた。
会話などこの二人には必要なかったのである。
それくらい互いのことをわかり合っていた。ただ恋愛のことを除いては。
「荷物を運んでくれてありがとう」
「別にこれくらい気にするな」
歳三の部屋の隣に部屋は準備されていた。
君菊は気にしていないが、歳三はこの部屋の配置に最初は猛反対したのである。
好きな人が隣に居る──それだけでどれほど心臓がうるさくなることやら。
眠ることさえ出来なくなるのではないかと歳三は自身の体調を心配した。
最初は勇にそう抗議した歳三であったが、何かがあった時に一番に助けになれるのは自分だと言われ、どうにか納得するという経緯があった部屋だ。
「歳三の隣なら寝坊することはないわね」
「なんでだよ」
「情けないところを見せるわけにはいかないもの」
そう言って笑う君菊。部屋に入ると荷物を解き始めた。
歳三は何を言うわけでもなくぼんやりとその姿を眺めている。
「どうしたの歳三」
「なんでもねぇよ」
「夕餉はもう少し待ってちょうだいね。荷物の片付けが終わったら手伝いに行くから」
歳三はまだ腹を空かせているわけではない。
だから君菊の言葉は正しくない。
互いのことは大体はわかり合っているくせに、恋愛のことになるとさっぱり。
この時歳三が思っていたことは一つ。
──俺の部屋の隣で良かった。
そうしみじみと君菊の後ろ姿を見て思っていたのである。
最初は反対意見しかなかったが、こうして実物の人間を見るなり隣に居てくれた方が安心すると思ったのだ。
歳三の案内で、君菊は台所に来た。
既に他の男達が夕餉の支度をし始めている。しかし、何処か手際がおぼつかない。
台所仕事はこの時代では基本的に女がするものである。
男は働くことが中心だった。よって家事は男が苦手とするものになる。
君菊は持ってきた白い紐を襷掛けすると、台所の中心に立った。
「お待たせしてすみません。手伝いますね」
女の君菊が台所仕事に取り掛かると手際よく食事が作られていく。
今日の食事は、お茶漬けに沢庵である。
この頃の食事としては豪華なものだ。そして沢庵は歳三の好物の一つでもあった。
大広間に手分けして食事が運ばれていく。
台所担当をしていた男達は君菊の手際の良さに感心していた。
歳三はその男達が君菊に何かしないかをじっと見張っていた。
何故歳三が台所の入り口にずっと立っていたのか、知らぬのは君菊だけである。
食事が終わると後片付けに追われた。
君菊の台所仕事の動きを見て育った歳三。男にしては手際よくこなしていた。
当番制で台所仕事も行っている為、歳三と同じ当番である勇が意外そうにその動きを見ていた。
「手際がいいな、トシ」
「…まぁな」
「やはり君菊のおかげか?」
「あいつの動きを見てたからな。自然とこうなった」
「良いことじゃねぇか」
暖かな空気が、男苦しい屋敷の中でも流れていた。
就寝時。
「女ということを忘れないでくれよ」
「わかってます。貞操は大丈夫よ。自分でも守れるわ」
君菊の部屋で襦袢だけの姿になっている彼女を見ながら歳三は言った。
幼い頃はそれを見てもなんとも思わなかったが、今は違う。色気というものを持ち合わせている。
歳三には刺激が強かった。
「他の男にも見せるなよ」
「はいはい、わかってます。ほら、明日も早いんだから寝ましょう?」
歳三の心配は君菊も承知しているらしく、会話では軽くあしらっているが守り刀を布団のすぐ側に置いていた。
「また明日ね」
「ああ。またな」
こうして慌ただしい一日が終わった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
熾ーおこりー
ようさん
ホラー
【第8回ホラー・ミステリー小説大賞参加予定作品(リライト)】
幕末一の剣客集団、新撰組。
疾風怒濤の時代、徳川幕府への忠誠を頑なに貫き時に鉄の掟の下同志の粛清も辞さない戦闘派治安組織として、倒幕派から庶民にまで恐れられた。
組織の転機となった初代局長・芹澤鴨暗殺事件を、原田左之助の視点で描く。
志と名誉のためなら死をも厭わず、やがて新政府軍との絶望的な戦争に飲み込まれていった彼らを蝕む闇とはーー
※史実をヒントにしたフィクション(心理ホラー)です
【登場人物】(ネタバレを含みます)
原田左之助(二三歳) 伊代松山藩出身で槍の名手。新撰組隊士(試衛館派)
芹澤鴨(三七歳) 新撰組筆頭局長。文武両道の北辰一刀流師範。刀を抜くまでもない戦闘の際には鉄製の軍扇を武器とする。水戸派のリーダー。
沖田総司(二一歳) 江戸出身。新撰組隊士の中では最年少だが剣の腕前は五本の指に入る(試衛館派)
山南敬助(二七歳) 仙台藩出身。土方と共に新撰組副長を務める。温厚な調整役(試衛館派)
土方歳三(二八歳)武州出身。新撰組副長。冷静沈着で自分にも他人にも厳しい。試衛館の弟子筆頭で一本気な男だが、策士の一面も(試衛館派)
近藤勇(二九歳) 新撰組局長。土方とは同郷。江戸に上り天然理心流の名門道場・試衛館を継ぐ。
井上源三郎(三四歳) 新撰組では一番年長の隊士。近藤とは先代の兄弟弟子にあたり、唯一の相談役でもある。
新見錦 芹沢の腹心。頭脳派で水戸派のブレインでもある
平山五郎 芹澤の腹心。直情的な男(水戸派)
平間(水戸派)
野口(水戸派)
(画像・速水御舟「炎舞」部分)
【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部
山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。
これからどうかよろしくお願い致します!
ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる