壬生狼の戦姫

天羽ヒフミ

文字の大きさ
上 下
10 / 46

しおりを挟む
文久三年(一八六三)一月。
幕府は十四代将軍徳川家茂の上洛前に、浪士をもって浪士を取り締まろうと浪士組の結成を決めた。
これは庄内郷士・清川八郎が自分にかけられた指名手配の撤回と、政治犯として獄中にあった同志の大赦を促し、赦免させる目的で計画したことであり、幕府は騙されたのである。
勇たちの間にも浪士組の知らせが飛んだ。もちろん、幕府が騙されたとは知らずに。

「浪士組、ですか」
「そうなんだ。ついに俺たちの番が来たかも知れないんだ」

勇のする話に君菊はついにこの時が来たか、と覚悟を決めていた。
攘夷の話をしている時からこうなる時が来るのではないかと考えていたのだ。
自分は浪士ではない。農家の娘である。
勇たちはこれを機に上京しようと話をしているが、彼女には無理な話だ。
嫁ぐこともせずにずっと世話をしている実家を放っておくことなど出来ぬことであった。

「道場はどうなされるのですか」
「彦五郎殿に守ってもらおうかと思っている」
「そうですか」

当たり前のように通ってきた道場ともお別れ。
そして何より幼馴染とも別れの時が来たのだと君菊は思っていた。
上京の話をそれでも終始穏やかに聞いていた。
あの日、歳三が武士になりたいと夢見ていることを知った時から君菊の中で別れの覚悟は出来ていた。
そんな君菊の様子を歳三は事細かく見つめていた。

道場からの帰り道。
茜色の空になっていた。夕日が二人を照らして影を作っている。
影の二人の間はとても近かった。
君菊は上京の話などなんてことのなかったかのように振る舞っている。
影は近いというのにこんなにも遠くなる。君菊はそう影を見て思った。
その態度が嘘であるくらい、幼馴染である歳三には見抜けていた。
二人の分かれ道。
君菊が背中を見せようとするのを歳三は腕を引っ張って阻止した。

「ど、どうしたの?」
「お前も一緒に京に来い」
「…はい?」
「いいから、そんな顔見せるくらいなら一緒に来いって言ってんだ!」

言っている意味が理解できた君菊は目をまんまるに見開いた。
この幼馴染で許嫁の男は自分の心中を察したらしい。
本当は寂しいと思っていることを、見抜かれたようだ。

歳三の夢の邪魔をしたくない。これは本音だ。そんな女になどなりたくない。
それでも別れは別である。長年一緒に居た。苦楽を共にしてきた。寂しく思わなぬはずがない。

「いいの…?」

滅多に見せぬ弱々しさを歳三の前で見せる。
声に力が入っていない。
それだけ寂しく思っているという証拠であった。
歳三は上目遣いで見てくる許嫁に我慢できす、自分の腕の中に閉じ込めた。
すっぽりと入ってしまうくらい細い体格。
そうだとしても誰よりも強い力を持っている女。

──誰にも渡したくないと思う女。

許嫁という立場だからなのか、君菊は嫌がるということはしなかった。
力は君菊の方が強い。だから拒否することだって出来た。しかしそれを良しとした。
みんみんと虫の音が聞こえる。かぁかぁと烏の声が聞こえる。
そんな中、二人の影が離れることはなかった。

──ずっとずっとこう出来たら良いのに。

初めて歳三の腕の中に包まれて、抱いた感想はそれだった。
許嫁だというのに抱きしめられるのは初めてのことであった。
でもそれは無理な話だと知っている。
君菊は何もかもを捨てる覚悟で、

「仕方ないわね。着いて行くわ」

そういつもの調子で歳三に告げた。歳三が心の中で喜んでいたのは言うまでもない。


「あんたが決めたことなんだから口は出さないさ」

君菊は母に歳三と共に上京する旨を伝えるとそう言われた。
とても優しい面持ちで言われて唖然とする君菊。
早く嫁いでほしいと散々言っていた母。孫が見たいと言っていた父。
父も彼女の決意を否定するようなことはしなかった。
当時にしては珍しい両親である。

「二人ともありがとう」

君菊の兄を除いて上京を認めてくれた。
兄だけは彼女が上京することを反対していた。
何故なら君菊は他にも結婚相手は探せる美貌を持っているからである。
そんなに待たせる男ならば他に嫁いで幸せになって欲しい。
そう兄だけは思っていたのである。
既に兄は嫁を貰っているからというのもあっただろう。妹の幸せを願っていた。

「兄ちゃん。私、兄ちゃんが反対しようとも行くからね」
「…勝手にしろ」

上京当日になっても兄は反対した。姿を見せることはなかった。
両親の見送られ、荷物を持って実家を後にする。
家の守り刀を持って君菊は道を歩いた。
待ち合わせ時刻より早めに出たが、歳三と鉢合わせた。

「おはよう」
「はよう。早いな」
「歳三こそ早いじゃない」

軽口を叩きながら彦五郎の道場を目指す。
道中、京には何があるかという話題で持ちきりであった。
京の町を知らぬ二人にとっては新鮮な話題だった。
そのような会話をしているとすぐに道場に辿り着いた。
既に勇と沖田と永倉が来ていた。
他の試衛館道場で語り合った仲間たちはまだのようだ。

「総司は京には何があると思う?」
「え?えっと…都じゃないっすか?」
「歳三と同じこと言ってる」

ふふふと短く笑う君菊。
その笑顔が見たかったと思う歳三なのであった。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

熾ーおこりー

ようさん
ホラー
【第8回ホラー・ミステリー小説大賞参加予定作品(リライト)】  幕末一の剣客集団、新撰組。  疾風怒濤の時代、徳川幕府への忠誠を頑なに貫き時に鉄の掟の下同志の粛清も辞さない戦闘派治安組織として、倒幕派から庶民にまで恐れられた。  組織の転機となった初代局長・芹澤鴨暗殺事件を、原田左之助の視点で描く。  志と名誉のためなら死をも厭わず、やがて新政府軍との絶望的な戦争に飲み込まれていった彼らを蝕む闇とはーー ※史実をヒントにしたフィクション(心理ホラー)です 【登場人物】(ネタバレを含みます) 原田左之助(二三歳) 伊代松山藩出身で槍の名手。新撰組隊士(試衛館派) 芹澤鴨(三七歳) 新撰組筆頭局長。文武両道の北辰一刀流師範。刀を抜くまでもない戦闘の際には鉄製の軍扇を武器とする。水戸派のリーダー。 沖田総司(二一歳) 江戸出身。新撰組隊士の中では最年少だが剣の腕前は五本の指に入る(試衛館派) 山南敬助(二七歳) 仙台藩出身。土方と共に新撰組副長を務める。温厚な調整役(試衛館派) 土方歳三(二八歳)武州出身。新撰組副長。冷静沈着で自分にも他人にも厳しい。試衛館の弟子筆頭で一本気な男だが、策士の一面も(試衛館派) 近藤勇(二九歳) 新撰組局長。土方とは同郷。江戸に上り天然理心流の名門道場・試衛館を継ぐ。 井上源三郎(三四歳) 新撰組では一番年長の隊士。近藤とは先代の兄弟弟子にあたり、唯一の相談役でもある。 新見錦 芹沢の腹心。頭脳派で水戸派のブレインでもある 平山五郎 芹澤の腹心。直情的な男(水戸派) 平間(水戸派) 野口(水戸派) (画像・速水御舟「炎舞」部分)

【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部

山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。 これからどうかよろしくお願い致します! ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...