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「次」
鋭い眼光が歳三たちに突き刺さる。無感情な言葉が響き渡る。
その目に感情はない。黒く濁った瞳で相手を見ている。
彦五郎が作った道場には門人全員が床に伏せていた。
全員、とてもではないが立ち上がる事など出来はしなかった。
事の始まりは歳三が君菊に道場に来てほしいという旨を話した事からであった。
「なんで私が行かなくちゃいけないのよ」
「だってお前は俺の許嫁だろ」
「それとなんの関係があるのよ」
「そ、それは…」
言い淀む歳三。まさか、勇に言った君菊への想いを言う訳にはいくまい。
君菊の前では素直になれない歳三。
どうしたものかと考えを巡らせるが、君菊に対してだけはどうも思考が働かない。
他のことには思考は働くというのに君菊のことに関してだけは働かない。
そんな歳三の様子を見兼ねた君菊は、
「どーせ私のことでも喋ったんでしょ。想像できるわ」
呆れた表情で歳三のことを見つめていた。
いつだかの騒動の時のように腕を組んでいる。
君菊はまるでまた余計なことに巻き込まれるのではないか、という雰囲気だ。
察しが良い幼馴染を持ってしまったと頭が痛くなる歳三。
でも自慢したい気持ちが勝ってしまった。
君菊が自分の許嫁なのだと知らしめてやりたい。そんなことを思ってしまったのだ。
思ったからには即行動あるのみである。
「とにかく道場に来い。いいな」
「アンタに命令される覚えはないのだけど」
笑顔で君菊はそう言った。
表情は笑顔そのものである。しかし声色には怒気が含まれている。
昔から彼女は歳三に命令されるのを嫌っているのである。
男尊女卑が厳しい時代であるが君菊は珍しくその考えには従わない女であった。
歳三はそのことを承知済みだ。思い通りにいかぬ女であると頭を悩ませていた。
「頼むから来てくれ」
「……及第点ってところかしら」
君菊から笑顔はなくなり、呆れた視線が歳三を射抜く。
力関係は歴然として差がある。それでも歳三には譲れないものがあった。
──惚れた女を紹介できなくて何が男だ。
男としての譲れぬ矜持を持っていたのである。
「それは行っても良いということでいいか?」
「ええ。粘り強さだけは私より上だからね、歳三は」
話は終わったとばかりに君菊は立ち上がる。
歳三は心の中で心底安心していた。
粘り強さで負けるつもりはなかったが、思っていたよりもあっさりと承諾してくれた事が歳三に安心感を覚えさせていた。
許嫁という立場に昔しておいて良かったとも思う。
橙色の空が格子から見える。腹が空いていると気がつく歳三。
話をしていたせいか夕餉の時間が少し過ぎていた。
数日後。
彦五郎の屋敷から徒歩で約三十分。歳三たちが剣術を習う道場がある。
いつもは彦五郎と一緒か、それか一人で通う道を君菊と一緒に歳三は歩いていた。
じゃりじゃりと砂の音がする。いつもは一人分の音だが、今日は二人分の音が鳴り響いている。
そんな何気ない事が歳三の心を弾ませていた。
道中、他愛のない会話で時間を潰す。目的地に到着すると、勇が出迎えてきた。
「ようトシ!もしかしてそちらの娘さんが…?」
「初めまして近藤さん。歳三さんから話は聞いています。許嫁の君菊と申します。以後お見知り置きを」
たおやかな声色で君菊は自己紹介をする。
歳三は勇が君菊の容姿に顔色を変えたことに気がついた。
自分の目に相違はなかったのだと理解させられる。
君菊という女は美女の部類に入る人間だということだ。
勇の性格は稽古を通してよく知っているつもりだ。心が君菊に傾くということはないだろう。
しかし万が一という事が世の中にはある。
歳三は勇を睨みつけていた。
「怖いぞトシ。まさかこんな美人だとはなあ。さぁ、上がってくれ。お茶くらい出す」
「稽古はよろしいのですか?」
「客人をもてなす方が大切さ」
人懐っこい笑顔を見せる勇。それを見て意外そうな表情を見せる君菊。
てっきり剣術しか頭にない男ではないかとそう思っていたのである。
だが実際は違った。優先順位を間違えない男だった。
「それではお言葉に甘えます。ありがとうございます」
「トシも上がれ。上手い茶菓子があるんだ」
二人は勇に促され道場に上がる。
そこには沖田やその他大勢が稽古用の棒状のような刀を使い振るっていた。
汗がしっとりと流れている。布で拭いている様が見受けられる。真剣に取り組んでいた証拠であった。
「みんな休憩だ。トシが未来の嫁さん連れてきたぞー!」
勇が声をかけると、門人から一斉に視線を浴びることになる君菊。
「初めまして」と勇に自己紹介した時と同じような穏やかな雰囲気で慌てることなく君菊は言った。
顔を赤らめる者が続出する。慌てて井戸水で水分を補給しようとし、逃亡する者も現れる。
道場は混乱に陥りそうになっていた。
「すまんな、君菊さん。男ばかりな道場なもんだから…」
「いいえ。どうかお気になさらず」
「俺、お茶を淹れてくるから少し外すな」
そう言って勇は道場の奥へと消えて行った。
残されたのは来たばかりの歳三と君菊。そして大勢の門人。
その中でも沖田は冷静に君菊のことを見ていた。
──この女、隙がない。
そう冷静に彼女の喧嘩強さを見極めていたのである。
「初めまして。沖田総司と言います。お名前をお伺いしても?」
「失礼いたしました。君菊と申します。沖田さん。」
「総司で良いですよ。俺、トシさんよりも年下なんで」
「あら、そうなんですか。では総司と呼ばせてもらいますね」
他の門人は遠巻きにその光景を見守る。羨ましいと思う男共。
しかし歳三が連れてきたあの美女に声をかける勇気は持ち合わせていなかった。
鋭い眼光が歳三たちに突き刺さる。無感情な言葉が響き渡る。
その目に感情はない。黒く濁った瞳で相手を見ている。
彦五郎が作った道場には門人全員が床に伏せていた。
全員、とてもではないが立ち上がる事など出来はしなかった。
事の始まりは歳三が君菊に道場に来てほしいという旨を話した事からであった。
「なんで私が行かなくちゃいけないのよ」
「だってお前は俺の許嫁だろ」
「それとなんの関係があるのよ」
「そ、それは…」
言い淀む歳三。まさか、勇に言った君菊への想いを言う訳にはいくまい。
君菊の前では素直になれない歳三。
どうしたものかと考えを巡らせるが、君菊に対してだけはどうも思考が働かない。
他のことには思考は働くというのに君菊のことに関してだけは働かない。
そんな歳三の様子を見兼ねた君菊は、
「どーせ私のことでも喋ったんでしょ。想像できるわ」
呆れた表情で歳三のことを見つめていた。
いつだかの騒動の時のように腕を組んでいる。
君菊はまるでまた余計なことに巻き込まれるのではないか、という雰囲気だ。
察しが良い幼馴染を持ってしまったと頭が痛くなる歳三。
でも自慢したい気持ちが勝ってしまった。
君菊が自分の許嫁なのだと知らしめてやりたい。そんなことを思ってしまったのだ。
思ったからには即行動あるのみである。
「とにかく道場に来い。いいな」
「アンタに命令される覚えはないのだけど」
笑顔で君菊はそう言った。
表情は笑顔そのものである。しかし声色には怒気が含まれている。
昔から彼女は歳三に命令されるのを嫌っているのである。
男尊女卑が厳しい時代であるが君菊は珍しくその考えには従わない女であった。
歳三はそのことを承知済みだ。思い通りにいかぬ女であると頭を悩ませていた。
「頼むから来てくれ」
「……及第点ってところかしら」
君菊から笑顔はなくなり、呆れた視線が歳三を射抜く。
力関係は歴然として差がある。それでも歳三には譲れないものがあった。
──惚れた女を紹介できなくて何が男だ。
男としての譲れぬ矜持を持っていたのである。
「それは行っても良いということでいいか?」
「ええ。粘り強さだけは私より上だからね、歳三は」
話は終わったとばかりに君菊は立ち上がる。
歳三は心の中で心底安心していた。
粘り強さで負けるつもりはなかったが、思っていたよりもあっさりと承諾してくれた事が歳三に安心感を覚えさせていた。
許嫁という立場に昔しておいて良かったとも思う。
橙色の空が格子から見える。腹が空いていると気がつく歳三。
話をしていたせいか夕餉の時間が少し過ぎていた。
数日後。
彦五郎の屋敷から徒歩で約三十分。歳三たちが剣術を習う道場がある。
いつもは彦五郎と一緒か、それか一人で通う道を君菊と一緒に歳三は歩いていた。
じゃりじゃりと砂の音がする。いつもは一人分の音だが、今日は二人分の音が鳴り響いている。
そんな何気ない事が歳三の心を弾ませていた。
道中、他愛のない会話で時間を潰す。目的地に到着すると、勇が出迎えてきた。
「ようトシ!もしかしてそちらの娘さんが…?」
「初めまして近藤さん。歳三さんから話は聞いています。許嫁の君菊と申します。以後お見知り置きを」
たおやかな声色で君菊は自己紹介をする。
歳三は勇が君菊の容姿に顔色を変えたことに気がついた。
自分の目に相違はなかったのだと理解させられる。
君菊という女は美女の部類に入る人間だということだ。
勇の性格は稽古を通してよく知っているつもりだ。心が君菊に傾くということはないだろう。
しかし万が一という事が世の中にはある。
歳三は勇を睨みつけていた。
「怖いぞトシ。まさかこんな美人だとはなあ。さぁ、上がってくれ。お茶くらい出す」
「稽古はよろしいのですか?」
「客人をもてなす方が大切さ」
人懐っこい笑顔を見せる勇。それを見て意外そうな表情を見せる君菊。
てっきり剣術しか頭にない男ではないかとそう思っていたのである。
だが実際は違った。優先順位を間違えない男だった。
「それではお言葉に甘えます。ありがとうございます」
「トシも上がれ。上手い茶菓子があるんだ」
二人は勇に促され道場に上がる。
そこには沖田やその他大勢が稽古用の棒状のような刀を使い振るっていた。
汗がしっとりと流れている。布で拭いている様が見受けられる。真剣に取り組んでいた証拠であった。
「みんな休憩だ。トシが未来の嫁さん連れてきたぞー!」
勇が声をかけると、門人から一斉に視線を浴びることになる君菊。
「初めまして」と勇に自己紹介した時と同じような穏やかな雰囲気で慌てることなく君菊は言った。
顔を赤らめる者が続出する。慌てて井戸水で水分を補給しようとし、逃亡する者も現れる。
道場は混乱に陥りそうになっていた。
「すまんな、君菊さん。男ばかりな道場なもんだから…」
「いいえ。どうかお気になさらず」
「俺、お茶を淹れてくるから少し外すな」
そう言って勇は道場の奥へと消えて行った。
残されたのは来たばかりの歳三と君菊。そして大勢の門人。
その中でも沖田は冷静に君菊のことを見ていた。
──この女、隙がない。
そう冷静に彼女の喧嘩強さを見極めていたのである。
「初めまして。沖田総司と言います。お名前をお伺いしても?」
「失礼いたしました。君菊と申します。沖田さん。」
「総司で良いですよ。俺、トシさんよりも年下なんで」
「あら、そうなんですか。では総司と呼ばせてもらいますね」
他の門人は遠巻きにその光景を見守る。羨ましいと思う男共。
しかし歳三が連れてきたあの美女に声をかける勇気は持ち合わせていなかった。
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