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歳三はまるで子供の頃に戻ったかのように心臓を高鳴らせていた。
太鼓のようにうるさい。治って欲しいのに治ってはくれない。
今日の君菊の姿を見て気がついてしまったのだ。
乳白色の肌色に桜の柄が入った着物姿。その姿を見て石で頭を殴られたような衝撃を覚えた。
気がついていなかったのである。自分は女中と君菊を重ねて見ていたということを。
そのようなことはあり得ないと思っていた歳三。
馬鹿力の女に惚れるなど、見知った相手に惚れるど、あり得ないと思っていたのだ。
歳三は悔しい気持ちになる。
君菊に負けてしまったような気がしたのだ。惚れた方が負けとは言ったものである。
「ちょっと歳三!歩くの速いわよ」
「あ、あぁ…悪い」
君菊の文句に歩調を緩める。
顔を合わせられない。
気がついてしまった気持ちを元に戻す事はできない。
──あぁ。どうしようもなくコイツが好きだ。
土方歳三、齢十七の時の話であった。
自身の気持ちを認めた歳三はどうにか落ち着きを取り戻し、君菊を簪屋に連れて行くことにした。
「いらっしゃい」と男の声がする。どうやらこの男が主人のようだ。
君菊は未だ遠慮をしていた。実家が農家のためこのように着飾る事はほとんどないのだ。
だから簪など、母のお下がりで良いと考えていた。
しかし歳三はそれを良しとしないらしい。曲なりにも許嫁という立場だからだろうか。
歳三の表情を君菊は盗み見る。頬がほんのり赤く染まっているのに気がついた。
どうしたのだろうと思案するが、彼女には思い当たる節がない。
歳三のことが分からない君菊は視線を簪に移すことにした。
どれも可愛らしいものばかり。自分には似合わないのではないかと思えてくる君菊。
そんな君菊の思考を読み取ったのか、歳三は彼女の頭に簪を刺した。
「痛い」
「迷いすぎなんだよ。これが似合ってる。旦那、これをくれ」
「はいよ。毎度あり!」
頭に無理やり刺された簪を取って君菊は見てみる。
目を見開いた。「菊」の花の形をした簪だったのである。
自分の名前にちなんだものをわざと選んだのか、それとも本当に似合っているからなのかは分からない。
それでも君菊はこの簪が気に入った。
たまには自分を喜ばせるようなことをするのだと君菊は歳三のことを見直した。
歳三が顔を真っ赤に染めて彼女を見ていた事実を君菊だけは知らない。
自分らしくないことをしてしまったと歳三はつい思ってしまったのである。
実家への帰り道、歳三は君菊に告げた。
「俺、日野に帰ろうと思う」
「それがいいでしょうね。これ以上彦五郎さんを困らせちゃ駄目よ」
「んな事は言われなくても分かってる」
「へぇ。どの口が言ってるんだか」
冷たい視線が突き刺さる。実際、今回のことで多大なる迷惑がかかったのは君菊と彦五郎である。
特に君菊は許嫁にもされてしまった。
歳三もそのことについては自覚しているらしく、言い返せない。
事実、顔を背けて歩いている。
君菊はそんな歳三の様子を見てそれ以上追求するのをやめることにした。
あのバラガキだった男が珍しくもきちんと反省をしているらしい。
それだけでも成長したものかとまるで姉のような気持ちになったのである。
君菊の頭には菊の花に形を宿した簪が刺さっていた。
一連の騒動が片付き、約一月が経った。
歳三は「石田散薬」の行商をすることになり、忙しく働いている。
石田散薬とは打身や接骨に良い薬とされていた。
一方、この頃彦五郎はある剣術の流派の門を潜るようになっていた。
嘉永二年正月に佐藤家が類焼し、祖母が殺されるという事件が発生してしまったのである。
彦五郎はこの事件をきっかけに武術を習得する必要性を感じ、事件の翌年に門を潜ったのだ。
ちなみに道場を作ったのは日野宿名主である彦五郎本人である。
それからその流派は発展していったとされている。
その流派の名を「天然理心流」と言う。
為五郎が習うようになったきっかけで歳三もまた仮入門することに相なった。
よく石田散薬を道場に届けに行っていたのである。
「天然理心流。…どんな剣術なの?」
許嫁となった君菊は為五郎の屋敷によく出入りするようになっていた。
姉ののぶとも相も変わらず関係は良好である。
歳三はそんな三人から天然理心流について聞かれていた。
「多分、お前ならできるかも知れねぇな。なにしろ馬鹿力だ」
「ちょっと。剣術に力は関係ないんじゃないの」
「天然理心流じゃ大いにいある。お前は昔から喧嘩が強いからな」
女であり剣術には滅法疎い君菊には歳三の言っている意味が理解できなかった。
天然理心流は剣術、柔術、棒術などを扱う総合武術の流派のことを言う。
開祖は近藤内蔵之助である。彦五郎や歳三の指導をしているのは近藤周助だ。
君菊が喧嘩が男の歳三よりも強い事は周知の事実であるが、剣術となれば話は別である。
理屈は分かっているはずなのに歳三は君菊も天然理心流が出来ると言う。
刀を触った事がない君菊は首を傾げるしか出来なかった。この許嫁の言う事はおかしい時がある。
太鼓のようにうるさい。治って欲しいのに治ってはくれない。
今日の君菊の姿を見て気がついてしまったのだ。
乳白色の肌色に桜の柄が入った着物姿。その姿を見て石で頭を殴られたような衝撃を覚えた。
気がついていなかったのである。自分は女中と君菊を重ねて見ていたということを。
そのようなことはあり得ないと思っていた歳三。
馬鹿力の女に惚れるなど、見知った相手に惚れるど、あり得ないと思っていたのだ。
歳三は悔しい気持ちになる。
君菊に負けてしまったような気がしたのだ。惚れた方が負けとは言ったものである。
「ちょっと歳三!歩くの速いわよ」
「あ、あぁ…悪い」
君菊の文句に歩調を緩める。
顔を合わせられない。
気がついてしまった気持ちを元に戻す事はできない。
──あぁ。どうしようもなくコイツが好きだ。
土方歳三、齢十七の時の話であった。
自身の気持ちを認めた歳三はどうにか落ち着きを取り戻し、君菊を簪屋に連れて行くことにした。
「いらっしゃい」と男の声がする。どうやらこの男が主人のようだ。
君菊は未だ遠慮をしていた。実家が農家のためこのように着飾る事はほとんどないのだ。
だから簪など、母のお下がりで良いと考えていた。
しかし歳三はそれを良しとしないらしい。曲なりにも許嫁という立場だからだろうか。
歳三の表情を君菊は盗み見る。頬がほんのり赤く染まっているのに気がついた。
どうしたのだろうと思案するが、彼女には思い当たる節がない。
歳三のことが分からない君菊は視線を簪に移すことにした。
どれも可愛らしいものばかり。自分には似合わないのではないかと思えてくる君菊。
そんな君菊の思考を読み取ったのか、歳三は彼女の頭に簪を刺した。
「痛い」
「迷いすぎなんだよ。これが似合ってる。旦那、これをくれ」
「はいよ。毎度あり!」
頭に無理やり刺された簪を取って君菊は見てみる。
目を見開いた。「菊」の花の形をした簪だったのである。
自分の名前にちなんだものをわざと選んだのか、それとも本当に似合っているからなのかは分からない。
それでも君菊はこの簪が気に入った。
たまには自分を喜ばせるようなことをするのだと君菊は歳三のことを見直した。
歳三が顔を真っ赤に染めて彼女を見ていた事実を君菊だけは知らない。
自分らしくないことをしてしまったと歳三はつい思ってしまったのである。
実家への帰り道、歳三は君菊に告げた。
「俺、日野に帰ろうと思う」
「それがいいでしょうね。これ以上彦五郎さんを困らせちゃ駄目よ」
「んな事は言われなくても分かってる」
「へぇ。どの口が言ってるんだか」
冷たい視線が突き刺さる。実際、今回のことで多大なる迷惑がかかったのは君菊と彦五郎である。
特に君菊は許嫁にもされてしまった。
歳三もそのことについては自覚しているらしく、言い返せない。
事実、顔を背けて歩いている。
君菊はそんな歳三の様子を見てそれ以上追求するのをやめることにした。
あのバラガキだった男が珍しくもきちんと反省をしているらしい。
それだけでも成長したものかとまるで姉のような気持ちになったのである。
君菊の頭には菊の花に形を宿した簪が刺さっていた。
一連の騒動が片付き、約一月が経った。
歳三は「石田散薬」の行商をすることになり、忙しく働いている。
石田散薬とは打身や接骨に良い薬とされていた。
一方、この頃彦五郎はある剣術の流派の門を潜るようになっていた。
嘉永二年正月に佐藤家が類焼し、祖母が殺されるという事件が発生してしまったのである。
彦五郎はこの事件をきっかけに武術を習得する必要性を感じ、事件の翌年に門を潜ったのだ。
ちなみに道場を作ったのは日野宿名主である彦五郎本人である。
それからその流派は発展していったとされている。
その流派の名を「天然理心流」と言う。
為五郎が習うようになったきっかけで歳三もまた仮入門することに相なった。
よく石田散薬を道場に届けに行っていたのである。
「天然理心流。…どんな剣術なの?」
許嫁となった君菊は為五郎の屋敷によく出入りするようになっていた。
姉ののぶとも相も変わらず関係は良好である。
歳三はそんな三人から天然理心流について聞かれていた。
「多分、お前ならできるかも知れねぇな。なにしろ馬鹿力だ」
「ちょっと。剣術に力は関係ないんじゃないの」
「天然理心流じゃ大いにいある。お前は昔から喧嘩が強いからな」
女であり剣術には滅法疎い君菊には歳三の言っている意味が理解できなかった。
天然理心流は剣術、柔術、棒術などを扱う総合武術の流派のことを言う。
開祖は近藤内蔵之助である。彦五郎や歳三の指導をしているのは近藤周助だ。
君菊が喧嘩が男の歳三よりも強い事は周知の事実であるが、剣術となれば話は別である。
理屈は分かっているはずなのに歳三は君菊も天然理心流が出来ると言う。
刀を触った事がない君菊は首を傾げるしか出来なかった。この許嫁の言う事はおかしい時がある。
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