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しおりを挟む「それで、私に何をさせようって言うんだい?」
君菊は大層不満そうに歳三に尋ねた。
腕を組んで大股で立っている。無理もないだろう。何を言われようが、彼女がやりたいと思うことではないのだから。
そんな君菊の反応は予想済みとばかりに歳三は受け流して告げる。
「俺の許嫁になって欲しい」
あんぐりとだらしなく口を開けて黒曜石のような黒い瞳を見開いて君菊は歳三の顔を見た。
言われたことの意味が理解出来なかったのである。否、理解を拒否した。
組んでいた腕があまりのことに解かれた。
「歳三。あんた何を言っているの」
「だから許嫁になれって言ってんだ」
「馬鹿じゃないの。子供はどうするのよ!」
「だから許嫁が居るから一緒にはなれねぇって言うんだ」
この男、最低かもしれない。
君菊は歳三に軽蔑の眼差しを向けた。その眼差しを真っ直ぐに受け止める歳三。
その眼差しを向けられることすら予想済みだったらしい。流石は幼馴染とでも言うべきか。
しばらくの間、君菊は黙り込んだ。正しくは言うべき言葉が見つからなかった。
君菊は幸いまだ婚姻の話は舞い込んでいない。
だから歳三と許嫁になったとしても問題はないのだ。
しかし、関係を持ってしまった女中と子供はどうするのだろうか。
それが最善なのだろうか。
様々な考えが君菊の中に浮かんでは消える。
「君菊。これが最善だ」
歳三は君菊の心を読んだかのようにそうやけにはっきりと言った。
これ以外方法を取るつもりはないとでもいうかのような、そんな言い方であった。
最初に歳三の頼みを聞いた時と同じように長いため息を君菊はつく。
「分かったわよ。なればいいんでしょなれば」
君菊は半ばやけくそになっていた。この幼馴染は本当に手がかかって仕方がない。
昔からそうだった。
喧嘩から帰ってきて怪我の治療をしてやるのは君菊だった。それ以外の人間は歳三を恐れてしようとしなかった。
「流石幼馴染なだけあるな。分かってくれると思ったぜ」
「あんま調子乗ってると背中と地面がくっつくわよ」
「分かった分かった」
昔から美丈夫であった歳三であったが、年齢を更に重ねて色気も備えつつあった。
そして大きな変化として笑顔が確実に増えていた。
その変化は君菊も気がついており、そのことはバラガキと呼ばれていた頃を考えると喜ぶべきことだと思った。
許嫁の話は両家共々よく知ってる間柄であり、問題なく決まった。
運命の当日。
「よし、作戦通りにやるぞ」
「命令してんじゃないわよ」
笑顔のまま不機嫌な返答を君菊はした。
今日は土方家で一番上等の着物を借りて女中に会いに来ている。
約束の時刻までもう間も無くだ。
歳三の姉ののぶから化粧も軽く施されており、幾分かいつもよりも君菊は美人となっていた。
元々、君菊という少女は美少女の部類に入る女子であった。
ざわざわと町の喧騒の中、待ち合わせ場所に問題の女中がやってきた。時刻丁度であった。
「としぞ・・・さん?」
女中は歳三を見るなりまるで自分の好きな簪でも見つけたかのような嬉しげな表情をしていた。
しかし、その表情は一瞬のうちに曇りに変わる。
隣には歳三と同い年くらいではないかと思われる女が居たからだ。
二人は何処から見ても自分よりもお似合いであった。
もしかして、なんて考えが女中の中に生まれる。
「よう。悪いな。こういうことなんだ。だから、お前と一緒にはなれない」
女は肩を歳三に抱かれていた。
笑顔がとても似合っている女であった。
化粧もほとんどしていないのが同じ女である自分には分かった。
「私、君菊と申します。歳三さんの許嫁です」
絶望とはこのことを指すのではないかと女中は思った。
もしかして、の考えが当たってしまうだなんて。
子供のことで呼び出してくれたのだと最初は思っていたのだ。
名前のことで悩んでくれていたりしたのだと、勝手な妄想を膨らませていた。
なのに、まさか許嫁が居るから諦めてくれと言われるとは思わなかった。
──一緒に入れると思ったのに。
女中はたまらず踵を返した。
もう幸せそうな二人の姿を視界に入れていたくはなかったのだ。
「…最善って何かしらね」
女中が去った後、苦い顔をして君菊はそう言った。目が細まっている。
肩に置かれていた歳三の手は離れている。
君菊は視線を歳三に向けた。
歳三の表情に変化はない。以前言った通り、これが最善なのだと思っているのだろう。
君菊は事は終わったと言わんばかりにゆっくりと腕を伸ばした。
「まぁ、終わったことを言っても仕方がないのだろうけれど」
「流石、切り替えが早いな」
「あんたほどじゃないわよ。もうこんなことさせないで頂戴よ」
さ、帰りましょと君菊は下駄をからんころんと音を立てて踵を返す。
だが歳三はそんな彼女の腕を掴み取った。
「今日は付き合ってもらったし、なんかやる」
「別にいいわよ。お野菜で充分よ」
「いいから行くぞ」
歳三はぐいぐいと遠慮なく力を込めて君菊を引っ張る。
君菊は転ばないようにともつれないように歩く。
こんな歳三は初めてだ、と君菊は思った。
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