ベルガエ物語 いじけて結婚を拒んだ女司書は優しい騎士に護られ小粋な猫に連れられて美味しい旅をする。

滴酒巧

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三十四章

決闘

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 イガゴーの丘。

 日常であれば、良民なら誰も寄り付かぬその禍々しい場所で、カーリャ・リィフェルトは死線上に立っていた。
「く……」
 双刀を抜き、両手に構えている。身体のあちこちが痛い。顔や服に飛んだ血は自分のものでがないが、打撲くらいはしていそうだ。足元にはすでに死体が四つ転がっている。
 だが周囲には武器を構えた傭兵がまだ十人ほど。さらにこちらを見下ろす丘の中腹には騎馬が五騎とその従兵らの一団が控えているのだ。
「いい様だな。小僧」
 敵の主は聖友堂騎士団の修道騎士だった。私服だが間違いない。騎乗して他の修道騎士や従兵に守られている。カーリャの銃の腕前は知らされているのか、容易に近づいてはこない。戦時ではないのでさすがに鎧兜や長槍は装備してないが、全員が剣や戦斧で武装している。容易な戦力ではないだろう。
「降伏しろ。今なら裸にひんむいて慰み者にするくらいで許してやる」
「つくづく下衆だな。貴様らは」
 カーリャの足元にはラージャが四肢をたわめて構えている。この気まぐれな友人は勝手に宿からついてきて、共に戦ってくれたのだ。
「またも『決闘』を騙りおって。卑怯者共が。仕える神の御名に恥ずかしくはないのか?」
 ラージャだけでも逃がしたい。ナディらには大きな猫で押し通したが、本当は雪豹の仔だ。亜大陸で珍しいだけでなく、その毛皮には金貨でも重すぎるくらいの枚数分の価値がある。
 なのにこの友は聞いてくれなくて、すでに傭兵達の目を三つ、喉元を一つ喰いちぎっていた。
「ふん。これは『狩り』よ。生意気な獲物を騙して何が悪い?」
 修道騎士の小賢しい言い訳にカーリャは唾でも吐きそうな顔になった。これだから教会は嫌いなのだ。黒でも白でも勝手に言い逃れ、神の御名を盾に無法で下品な真似を堂々とやる。神のお膝元の教会にこそ天の裁きがない事が不思議でたまらない。
「そもそも貴様をまともな騎士だなどとは認めん。この色情狂のふしだらな男娼めが」
「その色物に二人がかりで挑んで斬り殺されたご立派な騎士団があるそうだが」 
 騎士としては死者へも敗者へも侮辱は控えるべきだが、最も嫌いな罵倒をされてまで礼儀正しいカーリャではない。
「さらに今日はこの人数か。傭兵まで繰り出して修道騎士様はその背に隠れて震えて見ているだけとは情けない。お前らの騎士団は卑劣とか臆病とかが徳目にでもなっているのか?」
「貴様あっ!」
 簡単に激昂してくれてカーリャとしては嬉しいが、この程度の相手の手紙に『決闘』だとまたやすやすと騙されて、一対一どころか部隊に包囲された自分の愚かさにも笑うしかない。『見た目の割には血の気が多い』と師にもよく注意されていたのに。
 あの聡明な令嬢との別れに自棄になっていたのかもとカーリャは自嘲した。本当に未熟者だ。あの方の幸せの為に、この三日間は誠心誠意尽くせたと思っていたが、まだ女々しくも未練があったらしい。情けない。
「その牝餓鬼を絶対に生かして捕まえろ! 金貨ははずんでやる! 手足の一本くらいはいい。たっぷり慰み者にしてやるわ!」
 修道騎士が手を振って喚いた。カーリャを取り囲む傭兵達がじわりと動く。この者共もすでに仲間四人を双刀で斬り殺され、ラージャの分も含めればその倍は負傷している。復讐心はたぎっているが、容易ならざる相手である事はわかっており、かなり慎重だった。
「ふん」
 カーリャからすれば生け捕りを狙われるのは有利だ。殺さない様にすれば攻撃は鈍るし、カーリャを簡単に捕まえられる程に傭兵らは熟練していない。下手に動けば包囲にも隙が出来るだろう。
 そこを突いて包囲網の外に出る。あの偉そうに吠える修道騎士迄何とかたどり着くのだ。あいつさえ倒せば戦況は変わる。
「お前らに怨みはない。道を開けよ」
 問題は修道騎士達の回りにいる従兵の中に弓兵二人、弩兵二人がいる事だ。あれだけは何とかしなければ。乱戦に持ち込む前にこの距離で狙撃されるのは怖い。
 こちらの飛び道具の拳銃は一丁をナディ殿に差し上げてしまったし――とまで考えてカーリャは胸がずきりとした。あの叡知の女神はあの拳銃を大事にしてくれるだろうか。もし形見になった後も、自分の事を思い出してくれるのだろうか。
「おおうっ!」
 一瞬でも惑ったのが隙に見えたのだろうか。横合いから傭兵が突っ込んできた。その分、包囲網がずれる。好機! カーリャは身を反転してその突撃を受け流す。すれ違いざまに右の刀が走って傭兵の首から血飛沫が飛んだ。
「覚悟っ!」
 それも見もせずにカーリャが飛ぶ。修道騎士まで五十歩くらいか? 一気に詰めて――
「あっ!」
 だが駆け出した脚に衝撃が走った。さらに横合いから棍棒を投げつけられたのだ。脚にからまり体勢が崩れる。双刀使いなので手もつけない。カーリャはわざと前転して地に背中から落ち、その勢いのままに立ち上がろうと――まずい。一瞬、無防備になる。二人の傭兵がそれを見逃さずに同時に飛びかかった。
「無礼者!」
 雷鳴の如き鋭い一喝。同時に飛びかかった傭兵の身体が横殴りに吹っ飛ぶ。カーリャではない。カーリャは今の一撃の隙に辛うじて転がりながらもう一人の傭兵から逃れ、何とか立つ事に成功した。
「あなたは……」
 立ったカーリャの背中に誰かが立っていた。背中合わせになる。ラージャが音も立てずにその足元に駆け込んできた。
「お城のメイドさん?」
「お会いするのは三度目ですね。自由騎士殿」
 カーリャは思い出した。取次をしてくれた女性だ。間違いない。会った時と同じメイド姿。だが手には長剣と盾を構えている。
「え、えっとノーラ……殿?」
 姓は忘れていた。二度と会うとも思わなかったから。今は背中を守ってくれている。すぐ近くに肩からばっさり斬られた新しい死体があるが、これはまさかこの無表情な美女が……
 そのノーラが修道騎士らの方に身体を向ける。カーリャは急いで向きを変え、今度はノーラの背中を守る形になった。
「わたくしはアーレグレイ侯爵家のアンジェラ姫にお仕えする姫騎士ノーラ・バッケル。主命と義によってカーリャ・リィフェルト卿に助太刀を致します」
 淡々とした宣言だった。それを背中合わせに聞きながらカーリャは、この女性は強いと直感する。背も姫騎士の方が高いし、何よりも多数に包囲されたこの状況で声が見事な迄に落ち着いていた。
「あ、アーレグレイ……」
 同時にこの宣言にも意味があった。修道騎士達が明らかに動揺したのだ。どんな屁理屈を並べようと無許可での決闘騒ぎなのは事実だし、騎士道にもとる集団での卑怯な攻撃なのも否定しようがない。
「そこの騎士の方々。聞きましたね? わたしは侯爵家の命によりこのいさかいを止めに参りました。この戦いが無申請の不法なものである事はわかっています。すぐに武器を捨てて従いなさい」
 響き渡る声だった。傭兵らも怯む。彼らにもまずい事態とわかるのだろう。このメイド姿の女の言っている事が事実ならば、最悪、彼らも犯罪者として侯爵家から追われる事になる。
「やかましい! 教友の仇を成敗しているだけだ! 我らは聖友堂騎士団だぞ! 下がれ、この下女風情が!」
 主である修道騎士は喚き返した。騎士団の権威で押し通す気らしい。だがこれに慌てた仲間もいる。脅したつもりだろうが、同時に聖友堂騎士団だと自分達の口で認めてしまった。この戦いが違法で罪だとなったら、累は騎士団にもおよぶ事になりかねない。
「自己申告ありがとうございます。聖友堂騎士団の皆様」
 ノーラはもちろん聞き逃さなかった。唇だけでにんまりと笑う。その笑みに言った修道騎士もその意味に気づいた。
「もう一度言いましょう。わたしはアンジェラ姫のメイド長にして姫騎士かつ護衛官であります。この騒ぎの処理を姫様より一任されております。その権限により命じます。全員武器を捨てなさい」 
 ノーラの堂々とした命令にカーリャは構え直した。こいつらが従うか? それとも――
「き、貴様の様な女ごときが聖友堂騎士団に逆らうかあっ!」
「ここはアーレグレイ侯爵領である事をお忘れか。そこの修道騎士。法と正義はどちらにあると思う⁉」
 この姫騎士様の言う通りなのだが、とカーリャは苦笑する。だけど法も正義も通用しない屑共なんですよ。メイド長殿。
「お前ら殺れ! 幸い来たのはたった一人だ! 殺してしまえ! 口さえ封じれば後はなんとでもなる!」
 修道騎士がカーリャの予想通りの事を喚いた。やれやれと思う。戦争再開だ。幸い戦力は五割増しの様だが。
「巻き込んでしまったようで申し訳ない。ノーラ殿とやら」
 カーリャの目の前で傭兵達も武器を構え直す。修道騎士から貰う褒美の為か、口さえ封じればいいと思ったかは不明だが、残りの傭兵は負傷者を入れて八人。
「義と主命による助太刀ですのでお気遣いなく。カーリャ殿」
 背中合わせのノーラの落ち着いた声が頼もしい。無表情な美人だが経験も積んだ相当な手練れらしい。
「とにかく乱戦に持ち込みましょう」
 敵の騎士は五騎。従兵が十二名。まず何とかしなくてはならないのはその中の弓兵二人と弩兵二人だ。あれを潰さねば数の差以上に不利である。
「時間稼ぎは出来ました。ようやく準備も整ったようです」
 なのにノーラは意味不明な事を呟いた。カーリャがわずかに首を捻る。時間稼ぎ? 準備? 何の事だろうか。
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