ベルガエ物語 いじけて結婚を拒んだ女司書は優しい騎士に護られ小粋な猫に連れられて美味しい旅をする。

滴酒巧

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第三十章

城内

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「ナディージュ・ティンベル様でいらっしゃいますね」

 茫然とカーリャが見えなくなるまで立ち尽くしていたナディに女の声がかけられた。
「ティンベル男爵家の御令嬢で王立図書館の司書をなさっている?」
 そこまで言われたら無視も出来ない。ナディはようやく意識を回りに戻して振り向いた。
「は、はい。わたしがナディージュ・ティンベルです」
 目の前にすらりとした長身が立っていた。黒系の長いスカートに白いエプロン姿。長い黒髪の上にホワイトプリム。普通ならメイドだろう。
「初めてお目にかかります」
 その女はきりりとした強い目元のかなりの美人だった。丁寧にナディへ一礼をする。
「わたくし、当家のメイド長の一人であるノーラ・バッケル。お見知りおきの程を願います」
 やはりメイドらしく、それも偉いらしい。上げられた顔の表情がぴくりとも動かない。
「ティンベル様のご案内に参りました。お嬢様。どうぞこちらへ」
 それだけ言ってくるりと反転する。え? とつい漏らしたナディの反応など確認すらせずに、そのまますたすたと歩き出した。ついてこいと言うのだろう。
「は、はい」
 とりあえずナディも早足で追いかける。厳かに敬礼している衛兵達の前を通って二人の女は城内に入った。
「うわああ」
 城内もなかなかに立派だった。広さも作りも余裕があり、あちこちの装飾も手がこんでいる。王都の貴族の館も王城すらも見慣れているナディでも感心する程で、アーレグレイ侯爵家の裕福さがうかがえる。
「あ、あの」
 その中をノーラと名乗ったメイドは背筋を立てて歩いていく。ナディがついてきて当然と思っている様で目もくれない。追い付いたナディもその雰囲気にどうにも並ぶ気にもなれず、ただメイドの長身の背中を見ながらついていく。
「お連れの方は騎士ですか」
 だから顔も向けずにノーラが発言してきて、ナディは半分飛び上がった。
「あの見目麗しい少年の事です」
 カーリャの事を聞いているのだろう。とにかくナディはうんうんとうなずいた。
「はい。騎士様です」
「ティンベル男爵家にお仕えする?」
 疑問形で聞かれたのはノーラがナディの実家を知っている証かも知れない。代々の王立図書館長と言う家柄であるのだから忠誠を誓う騎士がいるのは不自然だった。
「いいえ。自由騎士だとうかがっておりますが」
「自由?」
 ノーラの声が微妙に変わった。不審とか軽侮とかをナディは感じる。
「主君も無しとは珍しい。それであの若さで騎士ですか」
「カーリャ様は御立派なお方です!」
 むっときたナディは思わず声に力が入ってしまい、それに気づいて慌てて口を押さえる。ここはもめて良い場所でも相手でもないのだ。
 でもカーリャの事を軽く言われるのは許せなかった。
「お嬢様がそうおっしゃるのならそうなのでしょう」
 しかしノーラの返事は落ち着いたものだった。気分を害した風はない。あれ? とナディは肩透かしの気分である。
 そこでまた会話が途切れる。ノーラは迷いもなく進んでいく。城門から通路を通り、建物と庭園を抜け、どんどん城の奥に入っていく。
 途中、何人もの使用人やらメイドやら官吏やらとすれ違ったが、たいていはノーラに道を譲り、丁寧に礼をしていた。まだ若い、ナディより一回りも違わなく見えるこの美女はなかなかに偉いらしい。
 王家でも上級の貴族でもそうだが、下級貴族や騎士の子弟や子女が臣下としてお仕えする事はよくある事である。ノーラの若さでメイド長と言っていたから、貴族としてナディより上だとしてもおかしくないし、そう考えればこの毅然とした態度も納得出来る。
「あ、あのすみません」
 だがそうなると不自然でもある。たかが図書館勤めの司書の友人をわざわざそんなメイド長が案内してくれるものだろうか。
「友人のアンジェラはお元気でしょうか?」
 ナディとしてもまだ気まずかったが聞いてみた。人違いされているんじゃないかと思ったのだ。
「この城に『アンジェラ』と言う名の女性は複数います」
 ノーラは顔を前に向けたままで答えた。
「ですが、あの蝋印を使う女性は一人しかおりません。その方でしたらお元気ですよ」
 声も淡々だ。表情もきっと動いていないに違いない。実に厳かである。同じメイドでもティンベル男爵家とは大違いだ。うちの執事に会わせたら気が合いそうで嫌だった。
「お嬢様のご訪問を心から喜んでもおられます」
 それはナディも同じだし、アンジェラがそう思ってくれているのなら、なお嬉しい。
「図書館ではないのですか?」
 なのにどうやらノーラは本館の方に向かっている。アンジェラの手紙では侯爵家の図書館は城壁越しに海が見えるとかだったから方向が違うと思う。
「アンジェラは司書を目指していたんですが」
「アーレグレイ侯爵家に女性の司書はおりません」
 残念な説明だった。ノーラは本館に入る。ナディは遅れずについていく。
「ですがお嬢様の友人は図書館に勤めてはおりますわ」
 それは嬉しい。なんだろう。会計とか修復師とか。とにかく本の事で語れる親友は元気で頑張っているのだろう。
 だが、何故、その程度への役職者への案内をわざわざこのメイド長が?
「こちらです」
 ノーラはナディを本館の二階に連れていった。ちょうど窓から庭園が見える位置の部屋につく。豪奢な意匠の扉の前には二人のメイドが衛兵の様に立っていた。
「……は?」
 いや、メイドだろうか。確かに服装はノーラと似た意匠だったが、長身のノーラ以上に背が高い。肩幅も広い。顔が整った美人でなければ男性かと疑うところだ。いや、男にもカーリャ様みたいなお方はおられるが。
「わたしの部下です」
 何故かこの二人は紹介された。
「右がオクタビア・ガリンド。左がブリッタ・ランゲルフェルトです」
 右と言われた方は褐色の肌と茶色の髪に黒い瞳だった。南方系だろうか。ベルガエでは珍しい。異国風の外見をナディは素敵だと思ったが、何故か顔の右に大きな傷が幾つもある。
 左と呼ばれた方は白すぎる肌と灰色の髪であり、おそらく北方系だろう。瞳は薄い青で、こちらも何故か左目の回りに刺青を入れていた。
「こちらに滞在中はこの二人もお嬢様のお世話をさせていただきますので、どうぞお見知りおきの程を」
 長身のメイド二人が深々と礼をする。「は? はいはい!」と慌てて礼を返してからナディにもわかった。
 絶対におかしい。図書館で働く友人へ訪問に来ただけなのに。何故、メイド長に対応されて、何故、二人もメイドがお世話につくのだ。誰かが何かを間違っている。
「あの、メイド長さん」
「『ノーラ』とお呼び下さいませ。お嬢様」
「あ、いえ。ですからわたしは文通相手のアンジェラに会いに来ただけで、アーレグレイ侯爵様とかは無関係で」
 一応、男爵家と知られているから勘違いされているのではないのだろうか。とにかく誤解を正そうとするナディには構わず、ノーラはそこの扉に手をかける。
「こんな大袈裟な事をしていただく客じゃないんです。わたしはただのアンジェラの図書館友達の本仲間の文通相手でして」
「そのご友人とはアンジェラ・キティプル?」
 扉を押し開けながらノーラが言ったのはアンジェラの正式名だった。うんうんとナディはうなずく。
「そう、その『アンジェラ・キティプル』です。わたしより七つ上の赤毛の」
 ナディの説明を聞き終えてからノーラは言った。

「それはうちの姫様の偽名です」
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