ベルガエ物語 いじけて結婚を拒んだ女司書は優しい騎士に護られ小粋な猫に連れられて美味しい旅をする。

滴酒巧

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第二十二章

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「どういう事でしたの?」
 ドーツグの町を出てすぐにナディは言った。よくここまで我慢したと自分を誉めたい。
「何者かがわたしどもを探していると言う事ですよ」
 騎士様が返す。あまり楽しそうではない。
「どういう事ですの? モルガンですか?」
 何故ここで執事さんなのかと騎士様は不思議に思う。
「普通に考えれば金目当ての賊でしょう。ミスルトでの金の使い方を見られていたのかも知れません。多少以上に振る舞いましたから」
 連れのお嬢様が御満足頂ける様にだからこれは仕方ない。
「ただ地元の賊なら次の宿で他人に聞きまくるというのはおかしい。我々に何かあったらすぐに役人に証言がいくでしょうから」
 なる程。そう言うものですかとナディはうなずく。
「次はよくある不埒者ですが、一応、私はずっと顔は隠しておりますし、ちゃんと武装もしておりますし」
 どう言う意味ですか? ――と問いかけてナディはああと気づく。そうか。この人の美貌ならそう言う心配もあるわね。
「ナディ殿にも協力して頂いておりますし」
 そう言うのはねえとナディは困る。確かに前髪でずっと隠しているとは言え、この痣だ。初めてでなくても、ぎょっとされるのが普通で、そう言う心配には縁がないと思う。確かに騎士様は初対面できょとんと普通の顔だったが、そっちの方が珍しいのだ。他に思い付かないくらいに。
「あとはまあ――怨恨ですか」
 中々重たい事を言い出した。
「あ、あるんですか?」
「まあなきにしもあらずですが」
「やっぱりモルガン?」
 だから何故ここでも執事さんが。いい人だったのに。
「わたしも騎士のはしくれですから多少はあってもおかしくはないでしょう。相手は傭兵らしいとの事ですし」
 騎士様の口調は少し他人事かの様だった。そうかしらとナディは首を捻る。この麗人が怨恨で暴力沙汰と言うのが実感がわかない。丁寧で優しい人なのに。
「やっぱり痴情のもつれとかですか?」
「……違います」
 下から横目で思いっきり睨まれた。うわ、怒った? そっちなら是非聞いてみたいのに。是非是非具体的に。
「とりあえず今夜は宿はやめておきましょう。ここからは知らない先なので急襲されても安全かどうかがちょっと」
 騎士様が話を進める。ナディのこの場合の好奇心は置き捨てらしい。
「先程の宿にすればよろしかったのでは?」
 向こうもそう勧めていた。そもそも忠告してくれたし、銀貨の御利益で機嫌も良かったし。
「誰に私達の事を売るかもわかりませんしね」
 なのに騎士様は素っ気ない。ナディはまあと思った。
「せっかく危険を教えていただけたのに?」
「主人が昼間からずっと宿屋の前で通る旅人を探していたのですよ? 金ヅルになるかもと待ち受けていたとしてもおかしくありません」
 ああ、それで騎士様は警戒したのかとナディは小さく驚く。
「世の中には悪いのも狡いのもいますからね。油断なされないように」
「勉強になりました」
「この後にその傭兵らにわたし達の行き先を売ったとしても驚きませんよ」
 だからスバインチェルクなどと全然別の地名を言ったのか。方角では北西で、ナディの知識ならばこの先で街道が分かれて左の方だった。カーリャに確認してみたらやっぱりそうだった。確か西に曲がった先の三マイルほどに村がある。あの男が教えたならその傭兵達は今晩そちらに向かうだろう。
「ではわたし達はまっすぐ街道を」
「予定通りに北上します」
「では今夜の宿は?」
「予定とは違いますが、野宿ですね」
「なる程。野宿――」

 のじゅくぅっ!

 日が傾きかけた頃合いに二人は街道を外れ、脇の茂みの中に入った。
「運良く今宵は新月です。一晩潜むにはちょうどいい」
 カーリャはそう言う。でもだから日が落ちる前に準備はすませないといけないのだそうだ。確かに程なく行くと水の綺麗な泉がある。これは先程、高い所を通った際に遠望して場所を確認していたのだ。さすが抜け目がない。
「大丈夫ですの?」
「これでも騎士です」
 帽子を脱いで布を取って顔を全部晒したカーリャが自信ありげに言う。ナディは はあ と呟くしかない。
 どうも本や舞台に出てくる知識や伝聞で想像していた騎士像と目の前の騎士様は違うようだ。今までもそうだったが、これほどの綺麗な顔と優雅な姿でありながら、実に勤勉で便利なお方である。
 やっぱりこの人には執事として側にいてずっと甘やかして欲しい――
「ナディ殿はそこでごゆっくりなされて下さい」
 きっと邪魔になりますからと言わないのが騎士様の優しさである。己れを知らないナディがありがたくお言葉に甘えたのでこの場は平和ですんだのだった。
 騎士様は手際よく作業を行った。荷物から手斧を取るとそれで付近の木や枝を伐り、長い棒状を何本も作る。それを合わせ、紐で各所を結んで組み立て、さらに荷から下ろした布を張って易々と三角垂の天幕を組み立ててしまった。中はナディが丸まれば二人分くらいは寝れる広さがある。
「はい」
 帽子も上着も脱いでゆったりしているナディをそこに置いとかれる。
まず騎士様は馬の荷と鞍を下ろした。次に馬の前に馬糧を山積みする。二頭が食べている間に天幕の前に浅い穴を掘り、大きめの石で囲む。そこに拾い集めた大小の枝を入れ、飼い葉をいく程か加えた。炉だろうか。その回りにまた棒状の枝を組み、荷物から黒い鍋を大小二つ出して各々吊るした。
「あら、そんなものまで」
「鋳物ですが便利ですよ。これさえあれば食べるに困りません」
 なんか手慣れた猟師みたいな言いぶりである。こう言うのがお好きなのかしらとナディは見ている。
 次に騎士様は馬を近くの泉に連れていった。二頭ともわかっている様でがぶがぶと水を飲む。
乾燥させた飼い葉や栄養価の高い燕麦や豆は馬の飼育には便利だが、その代わりに水をたっぷり飲ませないと腹痛を起こすとナディは本で読んだ事がある。それだろうか。
 その後も騎士様はナディが蛭間町に射ち落とした鴨の羽や毛をむしり、肉を切り分け、荷から取り出した玉葱を剥いて刻み、豆を洗い、脂身が半分くらいの塩付け豚ばら肉の切り身を大きい方の鍋に落とす。その内に日が陰ってきた。
「そろそろですね」
 そしてあの火種を出して炉に火を点ける。白い煙が上がり、やや時間がかかったが、何とか炎は安定した。
「枯れ木より生木が多いのですみません」
 煙がいぶる事を恐縮して騎士様は言うがナディにはどうでもいい。きらきらした目で騎士様の作業を見つめている。こう言うのは屋敷の台所などを小さい頃によく覗いていた。ある年齢からはしたないと許されなくなったから久しぶりである。
 騎士様はその炎で鍋を温める。落とした豚脂が緩くなってから刻んだ玉葱を入れて炒めた。その傍らで鴨の脚や大きめの肉に鉄串をだして通す。それに塩を振ってから炎で炙る為に鉄串を土に刺した。切れっぱしの肉やまだ残っていた内蔵はさらに刻んで小さい方の鍋に入れた。
 最後に大小の鍋に水を注ぎ、豆ともう一種類の野菜か何かも入れた。これで煮込むのだろう。
「後はしばらくお待ち下さい」
 ここまでが調理なのだろう。騎士様は炉の前に胡座をかいて座り、火の番をし始めた。ナディも天幕から出てきて隣に座ろうとする。気をきかせてか、騎士様は荷から厚めの布を持ってきて敷いてくれた。その上にちょこんと座る。
「お上手ですね」
 ナディは真面目に言った。料理を含めて家事など全く自信はないが、騎士様の手際の良さはわかる。屋敷の使用人よりもてきぱきしていると思えた。
「騎士ですからね」
 またそう言って騎士様は微笑む。
「騎士様ってこんな事までなさるのですか?」
 歌劇団の舞台で騎士役は何度も見たが、ナディ並みに家事などはしなかったはずだがとナディは首を捻る。物語の中でも調理の描写などなかったし。
「騎士になる為の修行として師である騎士に侍童として仕えねばなりません。そこで身の回りのお世話から何から一通りの事はさせられます」
 そうなのか。物語ではなかった。なんか図書館の司書の修行より大変そうだ。
「特にわたしの家は代々騎士になっているというだけで爵位までありませんからね。小さい頃は忙しいものでしたよ」
 つまり男爵家令嬢だったナディとはそこら辺が違うのかも知れない。
「さらにその上の従騎士の頃は何度も国境の小競り合いや山賊退治に行かされていましたから。料理番は毎度でしたねえ」
 やはり女だからだろうか。ナディは小競り合いとか山賊とか実感はないが、何処であれどうせ料理してもらうのなら、騎士達もこの綺麗な人にしてもらいたいのだろうと思う。むさ苦しい男が作るより絶対に美味しそうだし。
「それに戦場では料理は大切です。味も量も滋養も、兵の士気や体力に直接関わります」
 確かに美味しいものを沢山食べるのは大好きだとナディも納得する。
「ろくな材料がない時もそもそも材料がない時もありますからね。私の知っている優れた騎士や将軍は必ず兵の食事を気にかけておられました」
 重々しく言う。ナディは素直に聞いている。他人のお話を聞くのもまあまあ心地好いとこの旅行で思うようになっていた。

 やがてはぜる音にいい匂いが混じってきた。日はとうに暮れている。
「こっちは」
 小さい鍋は水を注してからラージャに与えられた。鴨の内蔵と肉のスープである。今日の殊勲の半分くらいを稼いだ猫は堂々と鍋に顔を入れて夕食を食べ始めた。
「こちらももういいですね」
 騎士様が土に立てた鉄串を抜く。手元を小さい布で巻いてからナディに手渡した。
「どうぞ。ナディ殿の獲物です」
「いいんですか?」
 もちろん自慢の鴨肉である。謙虚にして見せながらも顔は輝いている。
「ええ。まずは狩主に正当な権利がありますから」
 炉の焚き火の赤みを受けてカーリャの顔が微笑んでいる。
「堅いとは思いますが」
「いただきます」
 はしたないくらいに口を開けてがぶりと噛りついた。熱さと肉汁が口に流れ込んでくる。美味しい。
「美味しい!」
「ようございました」
 騎士様が笑いながら言い、手は手元にさっき置いた荷を探っていた。
「本当は狩ってからもっと置いた方が肉が熟成するのですが」
「カーリャ様も、カーリャ様も食べて下さい!」
 はしゃいでナディが騒ぐ。自分が刈った肉だと思うと誇らしい。まぐれで獲れたとか、調理は何もしてないとかは忘れている。
「ではありがたく」
 騎士様も鉄串を取って口に持っていく。噛る。美味しいでしょう! とナディは待ち構えて言った。
「いや、確かに。大鴨は初めてですが、夏の終わりなのに脂がのっていますね」
 手も口元も汚さずに三口程食べ、一旦、鉄串を土に刺し直す。それからもう一度荷に手を入れ、何かを掴んで引っ張り出す。革の水筒と何かの瓶だった。
「飲み物はこれとこれです」
 もう馴染みの角杯をナディに渡し、水筒から注ぐ。すぐにも飲みたいが、騎士様が自分の角杯を満たすまでは待った。騎士様が角杯を掲げる。
「乾杯」
「乾杯!」
 仲良く唱和し、角杯を同時に傾ける。ワインの薄い水割りだ。冷たい。美味しい。
「ひんやりしますね」
「この水筒が特別なんです」
 騎士様がちょっと得意そうに水筒をかざす。
「入れて時間がたつと中身が徐々に減る代わりに中の温度が下がるのです。理屈はわかりませんが」
「大内海の向こうの砂漠の国のものではありませんか?」 
 ナディはすぐに思い当たった。騎士様はおおと声をあげて驚く。嬉しそうだ。まるで昼間と同じように。
「さすがはナディ様。確かに兄が送ってきた南方の水筒です」
「悪魔が盗み飲みする代わりに冷やしてくれるのだとか」
 確かに本にはそう書いていた。ナディはこれっぽちも信じてはいないが。
「ではこちらはご存じですか?」
 もう一つ取り出した瓶をナディに手渡す。木の蓋は取ってある。一昨日たっぷり飲んだワインの瓶くらいはあるだろうか。
「これは?」
「どうぞ」
 驚かせるつもりらしい。教えてくれない。ナディは瓶の口をかいでみた。濃いい、でもお酒っぽい匂いがする。
「でも少しづつ飲んで下さい」
 怯えさせる気だろうか。怪しい。でもまさか毒でもあるまい。ナディは口をつけ――ぐいと傾けた。

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