ベルガエ物語 いじけて結婚を拒んだ女司書は優しい騎士に護られ小粋な猫に連れられて美味しい旅をする。

滴酒巧

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第二十一章

宿探し

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 騎士様は約束を守った。拳銃をナディにくれたのだ。
「ありがとうございます!」
 ナディは喜んで受け取る。勝利の証だ。知識以外で誉められたのって人生初じゃないかしら。
「でも貰う訳には参りません」
「いや、しかし」
 遠慮はしたが騎士様もすぐにそうですかとは言わない。
「珍しくて高価なのでしょう?」
 両手持ちの銃ならともかく片手で扱えるこの大きさは貴重なはずだ。実際に見るのも初めてだし。
「まあ作られる者は限られますね」
「それに火薬とか弾丸がうちにはありません」
 その通りであった。剣などと違い、消耗品である火薬などが必要ならしいのだ。ナディの手には余るだろう。案外考えているのだなと騎士様は口に出さずに感心した。
「ですから旅の間だけ貸しておいて下さい」
 実は剣帯に差して歩く騎士様の姿が気に入っていたのだ。誰も知らない武器を自然に備えていてなんかカッコいい。真似してみたかったのだ。
「そう言う事でしたら」
 騎士様も納得してくれた。これでこの件は円満解決である。ナディは張り切って自分の帯に拳銃を差してカーリャに見せる。早合も三つ貸してもらった。
「どうですか? ねえ? ねえ! カーリャ様ぁっ!」
「……実に凛々しくあらせられます」
 きっともっと他の感想がありそうな騎士様であった。
 ナディが仕留めた大鴨の処理は騎士様がした。首から血を、お尻から内臓の一部を抜き取る。急いでこうしないと味が落ちるのだそうだ。高価だそうな尾羽もむしった。相変わらず手際がいい。
「そう言えばラージャは何故取りに行ったのでしょう」
 ご褒美に騎士様から堅焼きパンを貰って食べている猫を見ながらナディが疑問を口にする。
「鴨なんて見えも気配もなかったのに」
 やっぱり偶然命中したんですねとは思っただけで、騎士様は質問への説明をした。
「弾丸が肉に当たる音か血の匂いを感じたのでしょう」
「ラージャが?」
「これは狩猟用に仕込んでありますから」
 以前にもそう聞いた覚えがある。ナディはなる程と納得した。
 処理を終えた鴨は足を白馬の荷にくくりつけて下げた。出発である。二人と二頭と一匹は勾配を下り、街道に戻った。
「いいお天気ですこと」
「はいはい」
 天気以上に上機嫌となったナディを乗せて街道を進んでいく。途中、実に気分がいい。馬にゆったり揺られながら、見える景色やらのあれこれに見入り、聞き、知識を言う。日常生活ではうるさがられるだけだったナディの好き勝手に、騎士様はいつものようにちゃんと受け答えしてくれる。嬉しい。
「なる程。そんな事までナディ様はご存知で」
 しかも本気で感心してくれるのだからたまらない。この方とこの旅に出て良かったと心の底から思う。
 そう言う楽しい時間のままに進む。すぐにも遠くに村らしき集落を見てから、やがて両脇に幾つかの丘が並ぶ地形に入った。街道がまたゆるやかに高下しだす。少し上がって見下ろすと左手に浅い盆地のような風景が広がっていた。
「もう二マイル程でドーツグですね」
 ナディは周辺の地形を見回しながら言った。地名は次の宿場町の事である。
「わかりますか? こちらは初めてなのでしょう?」
「ええ。でも間違いないと思います」
 ナディは断言する。街道は真っ直ぐだ。ならばそれくらいのはず。
「ナディ殿は頭に世界が入っていますね」
 騎士様がしみじみと言う。
「とは?」
 これはまた不思議で大きな表現ねとナディはいぶかる。
「紙にかかれた地図の知識と本物の地形を並べてすぐに認識出来ると言う事ですよ。昨日から気がついていましたが」
 騎士様は真面目に言っている。
「それは稀有な能力です。大事になされませ」
「そうなんですか?」
 今までそんな風に誉められた事は一度もないが。
「図書館では不要かも知れません。ですが戦での指揮官や将軍には垂涎ものの才能ですよ。地図が具体的に読め、知識だけで脳裏に世界を正確に想像出来るのは」
「へえ」
 なんかかっこいい。将軍様かあ。ナディはうへへへと淑女にあるまじき笑顔になる。どうも騎士様の煽にはかなり弱い。
「そんなにすごいんですか」
「少なくとも私の知る限りではまだ五人も知りませんね」
 そうかそうか。わたしはさらにすごいんだとナディはさらに上機嫌で馬に揺られていった。そんなお嬢様を騎士様は優しく連れていく。ある意味とても幸せな光景であった。


 ドーツグが見えてきた。距離はナディの言った通りである。知識ではミスルトよりは小ぶりな宿場町だ。
「すんなり到着ですが」
 町の入口らしき場所に冊はあったが、衛兵らしき人影はない。旅人も住民も勝手に出入りしていた。ナディは相変わらずきょろきょろと周囲の観察に忙しい。
「いささか早かったですね」
 騎士様は考える風である。今日は出発が早かった。ここでまだ七刻くらいだろう。日も高い。
「もう少し足を伸ばしますか」
「この先は街道沿いには村が幾つかありますよ」
 ナディの言うのは知識だけだが、騎士様はもちろん信じる。それにナディは感じていないようだが、この騎士様もアルトバイン迄の地形と道のりは正確に頭に入れていた。事前に入念に調べていたし、天性で地形地理に聡いのは女司書だけではない。
「街道の道なりで十マイル程ですしね」
 ドーツグの先は海へ向けて土地が低くなり、河や湿地の入り交じった地形を抜けて半日でアールグレイ侯爵領に入る。その居城のあるアルトバイン迄なら一日半程度であろうか。
「ナディ殿はお急ぎがよろしんですよね?」
 騎士様が聞いた。ナディはちょっと答えに迷う。早くアルトバインに到着してあの方に会いたいのだが、でも、このままこの方との二人旅も捨てがたく――
「おい」
 その時だった。横合いから野太い声をかけられたのだ。
「わたしか?」
 騎士様が足を止めて声の方に向き直る。考え事をしている内に町の主通りに入っていた。両側にぽつぽつと店らしき建物が並んでいる。目の前のそれには大鍋が描かれた看板とまた箒がぶら下がっていた。
「そう、そこの顔を隠した兄ちゃん」
 髭面の中年男だった。シャツに前掛けをしている。身体も太く、大きくニヤニヤ笑っていた。
「王都からの旅だろ?」
 馴れ馴れしい。ナディは馬上からちょっと睨んだかも知れない。せっかく騎士様と会話を楽しんでいたのに。
「そうだが」
 騎士様は静かに言った。馬とその男の間に歩む。右足を前に出し、右手をだらんと下げた。
「おいおいおい。物騒な兄ちゃんだな」
 男は両掌を向けて振って見せた。敵意はないと言う事だろうか。
「何もしねえよ。役人でもないんだし。俺はただの宿屋の主人だぜ」
 愛想笑いの様だが髭面でわかりにくい。道を行く人達が何だ? と注目している。
「そのご主人が何の御用かな?」
 騎士様の声は淡々としていた。特に気負ってはいない。油断もしてはいない。
「いやあ、あんたを探している奴がいたんで教えてやろうと思ってさ」
 男はニヤニヤ笑いを止めない。騎士様は目しか見せていないが、その中性的な声に怯える気はないらしい。
「探している? このわたしをか?」
 騎士様は不思議そうに言った。首を傾げる。相手の返事を待っている。
「おおよ。半刻程前にここを通って行ったぜ。でかい猫を連れた二人連れを見なかったかってここら中で聞き回ってよ。何でもその二人は顔を隠しているとかも」
 間違いない。騎士様とナディとラージャの事だろう。更に顔を隠しているとなると他にいる偶然も考えにくい。
 騎士様は不思議そうに言った。
「残念ながら旅の途中で探される覚えはない。どの様な人だった?」
「傭兵っぽかったぜ。剣や弓を持っていたし、馬もいた」
「尚更心当たりはない。人違いだな」
 一応、否定はする。男のニヤニヤ笑いは消えない。とぼけていると思われているのだろう。実際にその通りだったし。
「そうかい。だけど気をつけた方がいいぜ。最近、ここら辺も物騒だしな。山賊が出るって話もある」
「ご忠告痛み入る」
 騎士様は礼儀正しく一礼をした。さすが騎士様であるが、それをナディは今一つ納得出来ない顔で見ている。
「どうだい? 今晩はうちに泊まっていかねえかい? 飯は旨いぜ」
 男はニヤニヤ笑いで言った。呼び込みらしい。それが狙いか。
「ありがとう。ただ道を急ぐ。スバインチェルクで約束があるので」
 丁寧に騎士様は言った。おや? とナディはいぶかる。初めて出てきた地名だ。
「そうかい。でもこの先、宿場町は当分無いぜ。村ぐらいで宿屋もない」
「村から外れるが、つてがある。そこに泊めてもらうつもりだ」
 騎士様が懐に手を入れ、抜いた手の指が弾いた。鈍い銀色が飛ぶ。おっと! と声をあげて男が手を伸ばして掴んだ。
「おお、これはこれは」
 男はいっぺんにほくほく顔になった。指には銀貨が二枚挟まれている。
「景気のいい姉ちゃ……旦那様だな。ありがてえ」
「あなたの宿で馬糧は扱ってないか?」
「もちろんあるぜ!」
「それで二頭の一日分を売ってくれ。飼い葉に燕麦と豆を多めに足して。つりはいらない」
「へいへい。まいど。あと麦酒はどうだい? うちの女将さんの腕はドーツグ一だぜ」
「悪いが酒は苦手だ」
「なんだ。もったいねえ」
 これで商談成立である。男はいそいそと店に引っ込んだ。すぐに中で騒ぐ声が聞こえる。使用人に命じているのだろう。
「カーリャ様――」
 言いたくてナディは声をかける。だが騎士様が自分の口元に人差し指を当てた。今は黙ってと言う意味だろうか。珍しい。
「はい……」
だからナディは従う。すごく聞きたい。言いたい。自分の疑問と考えを伝えたいけどここは我慢する。むずむずする口を指で押さてまでして。


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