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第十九章
二日目
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翌朝は早かった。夜明けと共にナディは目を覚ました。
「ん……あぁ……」
正確には起こされた。一晩中添い寝していたラージャが尻尾で毛布にくるまるナディの顔をびしびし叩き出したのだ。
起きろ。酔っぱらい。
「あ……ラージャ?」
事態を認識してすぐにナディはぱっちり目覚めた。猫ちゃん!
「ラージャ!」
抱きつく様に手を伸ばしたがするりと逃げられる。本当に手強い。
「お目覚めですか」
澄んだ声がした。騎士様だ。シャツ姿のすらりとした身体がベッドの向こうに立っていた。机の上の水差しと角杯に手を伸ばしている。中身を注いで渡してくれた。ナディはちょこんと頭を下げて飲む。真水だ。冷たい。美味しい。
「柔らかいでしょう。当地の水だそうです」
あの名水か。生だがこれくらいなら大丈夫なのだろうか。
「昨日はよく眠れました?」
「は、はい」
二杯目を注いで貰いながらナディはええとと思い出す。そうだ。この男装の美女とアルトバインへの旅に出て昨日は宿屋に泊まったのだ。そこで湯浴みして素朴な味の夕食に麦酒をたくさんいただいて……記憶が途中で消えている。酔い潰れたのか。
「今日も良い天気ですよ」
うん、この人が同行者で良かったとナディはほっとする。何であれ外出先で淑女が酒で潰れたなどとはナディにすらわかる醜態である。知られたら執事のモルガンはもちろんメイド達ですら叔母に言いつけに行くだろう。
「そろそろ荷物を下ろしに宿屋のものが来ます。お着替えがあるなら早めに」
飲み終えたナディから角杯を受け取った騎士様は布で拭いてから荷物に戻す。見れば身体に剣帯はすでに締めていた。腰に横に一重、左肩から右腰に斜めの一重である。まだマントは着ていない。
だからその帯に短い筒が並んで装着されている事にナディは気づく。なんだろう。昨日の火種だろうか。二本の剣帯で合わせて二十以上はありそうだが。
「私はちょっと」
そう言って例の拳銃を剣帯の前に差し、二本の剣を手にする。身の回りをするナディの為に席を外すと言うのだろう。そのまま身軽に扉を開けて出ていった。背中を向けたせいで剣帯の後ろの腰の辺りに拳銃がもう一丁差し込まれているのも見えた。
はやくしろよ。
ラージャもそう言っているかの様な一瞥をこっちにくれてから騎士様の後を追う。ナディは一人になった。
「ええと」
出発なら準備をしないといけない。昨日の湯上がりからのくだけた格好である。取り敢えず荷物からシャツと下着を出して替えて、乗馬服姿の旅装になって。宿屋の使用人が来る前にすまさないと。淑女としてはこの緩んだ様を見られる訳には――
「あ……」
そこで思い出した。昨日はよくこんな格好のまま騎士様の前で呑んだくれたものだ。自分でも大胆だったと思う。誓って他人には初めての経験だが、物語だとこう言うのは色々ときっかけとか問題とになるじゃないか。ほら、いろいろと。
「れ……」
もう一つ思い出す。昨日はこのベッドで眠った。少なくともここでさっき起きた。そしてこの部屋のベッドはほぼぴったりくっつけたこの二台だけである。叔母と叔父が使っている二人用とほぼ変わらない。
で、騎士様は昨日、何処で眠られたのだ?
「……」
すっごい事に気がついてしまった。うわうわと声が漏れる。まさか、ここで夫婦の様に寝ていたのか。婚約者でもないのにふしだらな。いや婚約者であってもはしたない。いいや女同士だとどうなのだろう。
「……う」
急いで着衣と身体をまさぐる。何かされた形跡はない。だが何をされた事も無いのだからわかるとも限らない。
「お、女の人ですし」
無理矢理自分に言い聞かす。そうとも。あの美貌で男のはずがない。やっぱり女性の姫騎士様なのだ。じゃなければ何もなかったはずがない。何もなくても困るはずもないが、その、ええと。
「……着替え着替え」
何かほっとしたような、何かが納得いかないような不穏な気分でナディは出発の準備を始めたのだった。
早めに出発をした。見送りの番頭と使用人らは昨日前金でしっかり貰っていた上に、最後にまた銀貨一枚を渡されてほくほく顔で見送ってくれた。
「騎士様と奥様に祝福を。お帰りの際には是非また御利用下さいませ」
通りに聞こえるくらいの大声で言われた。ナディは恥ずかしい。なんて事を言うんだ。誰が『奥様』よ。痣のせいで顔は終始隠し気味だったからとは言え、十七歳の乙女に向かって。
「ナディ殿が女性とわかった様ですね」
騎士様も不満そうである。だが気にするのはそこじゃないでしょうとナディは言いたい。自分も男と言われたのよ。そう自称しているから良いのかも知れないけれども。
「その分、早めに出発した意味がありますが」
そう言えば晩夏の日差しはまだ淡く、空気も涼しい。
「今、何刻なのですか?」
「そろそろ四刻ですね」
カーリャはさらりと言う。おかしい。昨日、番頭には五刻に出発すると言っていたはずだが。
「急にご予定でも?」
騎士様はその質問を予測していたのだろう。あっさり答えた。
「自分の予定を正直に他人に口外する必要はありませんよ」
「ええ?」
「道中の安全の為にも」
そう言われてみれば騎士様は出発すぐに顔半分を布で覆った。昨日は王都を出てから出した拳銃を起きた時から腰に差している。
「ましてナディ殿の様な淑女連れでは」
真面目に言っているらしい。そのせいか今朝のナディは牝の白馬のウイッカではなく、牡の黒馬のアンティオに乗せられていた。鞍が一段階程高い。昨日、黒馬に載っていた荷物の半分は白馬に移されている。日替わりなのか、別の意味があるのか。
とにかくナディを乗せた黒馬の口取りをする騎士様はかなりの早足で進み、あっという間にミスルトの町を出たのだった。
街道を北上する。ミスルトの町並みが見えなくなった辺りで騎士様はようやく歩調を普通に戻した。
「……何かあるのですか」
「ないようにしませんと」
ナディが恐る恐る聞いても微妙にはぐらかされる。注意は周辺に向けているかのようだ。今日は白馬の鞍の上に乗っているラージャ迄もが昨日と違って顔をあげているのも気になる。
昨日とは違うのかしらと周囲を見回す。麦畑と草地が広がる風景だ。昨日と変わらない。その中を馬がすれ違える程度の街道が今は北東に向けてずっと続いている。ミスルトからは緩やかな下り坂が続き、ずっと先に日差しを反射するものが見えた。
「池ですよね」
地図を暗記しているナディにはすぐわかった。あの山の北側には幾つかの大きな池があるはずなのだ。
「……ですかね」
騎士様は自信が無さそうである。ナディは続けた。
「と言う事は国王陛下の直轄領を出るのですね」
「今日の予定はそうなっています」
「とするとゼーガース様の御領地になります」
地図上ではそうだ。王都のある直轄領と北のアルトバイン一帯を治めるアールグレイ侯爵領の間はその伯爵の領地になる。
「そうですね。もうすぐですよ。私は初めてですが」
何となくうかない口調の騎士様である。おや珍しいとナディは、会って三日目の癖に思う。
「カーリャ様はゼーガース伯爵様をご存じで?」
「……伯爵様のご友人ならば知っています」
意味ありげな言い方である。言いたくないのかも知れない。それが尚更にナディの好奇心をくすぐった。
「伯爵様は信仰心に厚い方だそうですね」
と言ってナディにその貴族との面識がある訳ではない。地誌を読んで得た知識で、伯爵領内に教会系の騎士団へ寄進された荘園がある事を思い出したのだ。
「そうなんですか?」
なのに騎士様は意外そうに首を捻った。あれ? 教会勢力に寄進だから信心深いのでは? とナディが今度は不思議に思う。
「その割りにはあまり評判よくありませんね。治安もあれですし、裁判も」
あんまり良い話ではなさそうである。ナディは首をすくめる。騎士様の機嫌が悪くなりそう。話題を変えよう。
「あの、カーリャ様」
「はい?」
怒っている訳ではないので騎士様もちゃんと応える。
「カーリャ様の剣は独特ですね」
ほぼ最初から気づいて気になっていたのだ。腰に吊るさず、剣帯に前後に差しているし、左肩に担いでいる方も柄が珍しい。
「ひょっとして曲がっていません?」
「よくお気づきで」
騎士様は素直に認めた。
「ちなみに剣ではありません。刀です。刃が片方にしかついていません」
やはりかとナディはうなずく。本で見た南方の『三日月刀』みたいなのだろうか。ベルガエでは珍しい。王宮でも見たことがない。
「見せて貰えませんか」
「……」
騎士にこれは図々しいお願いだったかも知れない。騎士様は少し沈黙する。それから馬上のナディをちらと見た。子供が玩具でも欲しがるように両掌を上にして付き出しているお嬢様が見えた。無邪気なものである。
「……まあ、いいでしょう」
これで折れるのだからこの騎士様は甘い。武具を興味本意で求められるなど普通の騎士なら気分を害しても不思議ではない。
「どうぞ」
なのに腰の一刀を鞘ごと外してナディに渡した。渡してから思い出して言う。
「ちなみにナディ殿。刀剣の類いの取り扱いは?」
そんなものある訳はない。ティンベル男爵家は本の家柄なのだから。その分、あまり余った好奇心でナディは刀を受け取り、柄を握る。うん、重い。
「えいっ」
止められる間もなく、ぐいっと抜いた。ぎらりと光が反射される。緩く湾曲した刀身がナディの右手から上に伸びていた。
「うわあ、綺麗ですね」
思わず声を出して賞賛してしまった。本の知識ならば武具には詳しい。この亜大陸で使われているほとんどは過去千年の歴史分も含めてわかると思う。
だが、本物の武器は初めてだった。理由は簡単だ。このお転婆にそんなモノを預けられないと回りが危惧していたからだった。
「振りやすいんですねえ」
止める間もなく、片手で振り回す。重さの割りには確かに扱いやすい。重心の塩梅が良いのだろう。確かに身の片方にしか刃がない。でも意匠としては異国風でいいと思う。柄も手に馴染むし、鍔もしっかりしている。なかなかの高級品の気もする。
「ナディ殿。動かすのは止めて下さい。初心者だと自分の身を斬ってしまいかねません」
騎士様が困った様に言う。慌てていないのはこうなる事が予想できたからであろう。なのに貸してあげるのだから本当に甘い騎士様だった。
執事が知ったら青筋立てて怒りそうである。
「でも騎士に刀は珍しいのでは?」
「確かに教会は剣を推奨していますが」
騎士様がちょっと強めの声で言う。
「馬上から斬り下ろすとか、すれ違い様に撫で斬るとかですと刀の報が有利です。片刃な分、峰を厚くも出来て頑丈ですし」
この麗人でも自分の武具への主張はあるらしい。
「そもそも斬るのに刃は一筋で十分。身の逆に刃をつけても主な刃の斬撃の瞬間はなんの意味もありません。無駄に重くなるだけです」
ちょっと胸を張って言う。自慢しているみたいで可愛いとナディは思ってしまった。
「斬れ味はかなり良いので遊ばないで下さいよ」
「そうなんですか」
ナディの知識では南方や北方の蛮族あたりが刀だった。が、本の図ではあちらは幅広の鉈のお化けみたいな代物だ。対して騎士様のこれは抜きやすく振り回しやすい細身で流麗と言っていい。見栄えも緩い湾曲に鏡のように綺麗な刃。武器と言うには芸術的だった。確かによく斬れそうだ。
「二本持ってらっしゃいますが」
「私は双刀使いなのです」
それも珍しい。是非見たい。
「そろそろよろしいですか」
返して下さいと騎士様が手を上げる。ナディは慎重に刀身を鞘に戻してから渡す。素直だ。
「ご満足いただけた様で何よりです」
「拳銃も見せて下さい」
そちらにも興味は昨日からあったのだ。これを図に乗ると言う。
「駄目です」
これははっきりと騎士様は断った。昨日と同じだ。
「カーリャ様のけち」
昨日と同じ事を言ってナディはふくれる。おいくつですか? と騎士様は言いたげな目を前に逸らした。
「けちなのではありません」
「だって刀は見せてくれましたのに」
馬上のお嬢様とその馬を曳く騎士様との間で言い合いである。白馬の鞍のラージャがつまらなさそうにあくびをした。
「刀は一応刃物ですが、銃は扱いが別です。ナディ殿は触られた事も扱い方もご存じではないでしょう?」
「じゃあ教えて下さい」
しつこい。探求心と言う好奇心が旺盛過ぎるのだ。何せこの調子で王立図書館の本を誰よりも読破しているのだから。
「……習ってどうするのです」
「拳銃を見せてもらう口実にします」
「ですからあ」
口論は延々と続いた。何せ街道を北上しているだけだから二人とも口は暇だ。加えてナディは馬に乗っているだけである。暇人ほどしつこく成れるものはない。
「仕方ないですね」
結局、騎士様が折れた。ナディは得意顔で両手をあげる。なんのかんの言ってもこの騎士様は甘いのだ。
「さあ、カーリャ様。その腰かお尻のものを」
「……と言って馬上で振り回されては危ないです」
このお嬢様にはかなわないなと呆れている声で、でも騎士様はそこははっきり言った。
「わずかな操作で人を殺せる武器ですから」
「じゃあ?」
「落ち着いた場所でお見せしましょう。昼食の時にでも」
「わたしお腹が空きました。ちょうどですが」
「……まだ五刻にもなっていませんが」
賑やかな二人だったが、その辺りで共に納得したらしい。昼食を待つようにして街道の旅を進める。
「道が粗くなってきました。手を入れていませんね」
「でこぼこなんですか?」
「晴れているうちはいいですが、雨が降ると泥濘がひどくなりそうです。馬車だときついでしょう」
なりほど。道を整備していないとそうなるのかとナディには勉強になる。
「ゼーガース様の御領地は地味が豊かだそうですが、税金は重く色々と問題が多いそうです」
何年か前の地誌と最近の王都への裁判訴えの記録からの知識である。
「麦など穀物が豊かに採れるのでしたら、南の王都、北は北海への窓口のアルトバインと売る先はちゃんと隣にありますのに」
考え込む様に騎士様が唸る。世間話で言っている雰囲気ではない。何かつまされるものが感じられた。
「カーリャ様は――」
この頃になるとナディもわかってきた。この騎士様の好みである。ブレイブと言う田舎の出身らしいが、王都の流行とか噂話とかにはとんと興味を示さない。聞きたがるのは、地理や歴史、経済、技術等々諸々のいわゆる学術的知識に偏っていた。成る程、『図書館の魔女』と会話が弾むはずである。
「ご聡明でおられますね」
反応もいい。打てば響く様に言葉が返ってくるし、思慮も深めようと努めているようだ。
「これは過分なお誉めを。ただのしがない田舎者でございます」
何よりもその謙虚に聞く姿勢が素晴らしいと思う。こちらの言うことは全部素直に受けとめてくれる。叔母や屋敷のみんなの様に、自分が聞きたい話しだけとかの我が儘がない。ひょっとしてナディの知識が全部好みにあっているだけかもしれないが、それはそれで素晴らしい。
博識で言いたがりの自慢しいなナディにとっては理想的な聞き役であり、話し相手ではないのだろか。
「カーリャ様にお会いできて良かった」
だからナディは純粋にそう言った。本音だ。こんな都合のいい人は人生で初めてかも知れない。
「……」
返事は無かった。騎士様は黙って馬を曳く。突然のお嬢様の発言の真意が伝わったのだろうか。
困っているのかも知れない。
「ん……あぁ……」
正確には起こされた。一晩中添い寝していたラージャが尻尾で毛布にくるまるナディの顔をびしびし叩き出したのだ。
起きろ。酔っぱらい。
「あ……ラージャ?」
事態を認識してすぐにナディはぱっちり目覚めた。猫ちゃん!
「ラージャ!」
抱きつく様に手を伸ばしたがするりと逃げられる。本当に手強い。
「お目覚めですか」
澄んだ声がした。騎士様だ。シャツ姿のすらりとした身体がベッドの向こうに立っていた。机の上の水差しと角杯に手を伸ばしている。中身を注いで渡してくれた。ナディはちょこんと頭を下げて飲む。真水だ。冷たい。美味しい。
「柔らかいでしょう。当地の水だそうです」
あの名水か。生だがこれくらいなら大丈夫なのだろうか。
「昨日はよく眠れました?」
「は、はい」
二杯目を注いで貰いながらナディはええとと思い出す。そうだ。この男装の美女とアルトバインへの旅に出て昨日は宿屋に泊まったのだ。そこで湯浴みして素朴な味の夕食に麦酒をたくさんいただいて……記憶が途中で消えている。酔い潰れたのか。
「今日も良い天気ですよ」
うん、この人が同行者で良かったとナディはほっとする。何であれ外出先で淑女が酒で潰れたなどとはナディにすらわかる醜態である。知られたら執事のモルガンはもちろんメイド達ですら叔母に言いつけに行くだろう。
「そろそろ荷物を下ろしに宿屋のものが来ます。お着替えがあるなら早めに」
飲み終えたナディから角杯を受け取った騎士様は布で拭いてから荷物に戻す。見れば身体に剣帯はすでに締めていた。腰に横に一重、左肩から右腰に斜めの一重である。まだマントは着ていない。
だからその帯に短い筒が並んで装着されている事にナディは気づく。なんだろう。昨日の火種だろうか。二本の剣帯で合わせて二十以上はありそうだが。
「私はちょっと」
そう言って例の拳銃を剣帯の前に差し、二本の剣を手にする。身の回りをするナディの為に席を外すと言うのだろう。そのまま身軽に扉を開けて出ていった。背中を向けたせいで剣帯の後ろの腰の辺りに拳銃がもう一丁差し込まれているのも見えた。
はやくしろよ。
ラージャもそう言っているかの様な一瞥をこっちにくれてから騎士様の後を追う。ナディは一人になった。
「ええと」
出発なら準備をしないといけない。昨日の湯上がりからのくだけた格好である。取り敢えず荷物からシャツと下着を出して替えて、乗馬服姿の旅装になって。宿屋の使用人が来る前にすまさないと。淑女としてはこの緩んだ様を見られる訳には――
「あ……」
そこで思い出した。昨日はよくこんな格好のまま騎士様の前で呑んだくれたものだ。自分でも大胆だったと思う。誓って他人には初めての経験だが、物語だとこう言うのは色々ときっかけとか問題とになるじゃないか。ほら、いろいろと。
「れ……」
もう一つ思い出す。昨日はこのベッドで眠った。少なくともここでさっき起きた。そしてこの部屋のベッドはほぼぴったりくっつけたこの二台だけである。叔母と叔父が使っている二人用とほぼ変わらない。
で、騎士様は昨日、何処で眠られたのだ?
「……」
すっごい事に気がついてしまった。うわうわと声が漏れる。まさか、ここで夫婦の様に寝ていたのか。婚約者でもないのにふしだらな。いや婚約者であってもはしたない。いいや女同士だとどうなのだろう。
「……う」
急いで着衣と身体をまさぐる。何かされた形跡はない。だが何をされた事も無いのだからわかるとも限らない。
「お、女の人ですし」
無理矢理自分に言い聞かす。そうとも。あの美貌で男のはずがない。やっぱり女性の姫騎士様なのだ。じゃなければ何もなかったはずがない。何もなくても困るはずもないが、その、ええと。
「……着替え着替え」
何かほっとしたような、何かが納得いかないような不穏な気分でナディは出発の準備を始めたのだった。
早めに出発をした。見送りの番頭と使用人らは昨日前金でしっかり貰っていた上に、最後にまた銀貨一枚を渡されてほくほく顔で見送ってくれた。
「騎士様と奥様に祝福を。お帰りの際には是非また御利用下さいませ」
通りに聞こえるくらいの大声で言われた。ナディは恥ずかしい。なんて事を言うんだ。誰が『奥様』よ。痣のせいで顔は終始隠し気味だったからとは言え、十七歳の乙女に向かって。
「ナディ殿が女性とわかった様ですね」
騎士様も不満そうである。だが気にするのはそこじゃないでしょうとナディは言いたい。自分も男と言われたのよ。そう自称しているから良いのかも知れないけれども。
「その分、早めに出発した意味がありますが」
そう言えば晩夏の日差しはまだ淡く、空気も涼しい。
「今、何刻なのですか?」
「そろそろ四刻ですね」
カーリャはさらりと言う。おかしい。昨日、番頭には五刻に出発すると言っていたはずだが。
「急にご予定でも?」
騎士様はその質問を予測していたのだろう。あっさり答えた。
「自分の予定を正直に他人に口外する必要はありませんよ」
「ええ?」
「道中の安全の為にも」
そう言われてみれば騎士様は出発すぐに顔半分を布で覆った。昨日は王都を出てから出した拳銃を起きた時から腰に差している。
「ましてナディ殿の様な淑女連れでは」
真面目に言っているらしい。そのせいか今朝のナディは牝の白馬のウイッカではなく、牡の黒馬のアンティオに乗せられていた。鞍が一段階程高い。昨日、黒馬に載っていた荷物の半分は白馬に移されている。日替わりなのか、別の意味があるのか。
とにかくナディを乗せた黒馬の口取りをする騎士様はかなりの早足で進み、あっという間にミスルトの町を出たのだった。
街道を北上する。ミスルトの町並みが見えなくなった辺りで騎士様はようやく歩調を普通に戻した。
「……何かあるのですか」
「ないようにしませんと」
ナディが恐る恐る聞いても微妙にはぐらかされる。注意は周辺に向けているかのようだ。今日は白馬の鞍の上に乗っているラージャ迄もが昨日と違って顔をあげているのも気になる。
昨日とは違うのかしらと周囲を見回す。麦畑と草地が広がる風景だ。昨日と変わらない。その中を馬がすれ違える程度の街道が今は北東に向けてずっと続いている。ミスルトからは緩やかな下り坂が続き、ずっと先に日差しを反射するものが見えた。
「池ですよね」
地図を暗記しているナディにはすぐわかった。あの山の北側には幾つかの大きな池があるはずなのだ。
「……ですかね」
騎士様は自信が無さそうである。ナディは続けた。
「と言う事は国王陛下の直轄領を出るのですね」
「今日の予定はそうなっています」
「とするとゼーガース様の御領地になります」
地図上ではそうだ。王都のある直轄領と北のアルトバイン一帯を治めるアールグレイ侯爵領の間はその伯爵の領地になる。
「そうですね。もうすぐですよ。私は初めてですが」
何となくうかない口調の騎士様である。おや珍しいとナディは、会って三日目の癖に思う。
「カーリャ様はゼーガース伯爵様をご存じで?」
「……伯爵様のご友人ならば知っています」
意味ありげな言い方である。言いたくないのかも知れない。それが尚更にナディの好奇心をくすぐった。
「伯爵様は信仰心に厚い方だそうですね」
と言ってナディにその貴族との面識がある訳ではない。地誌を読んで得た知識で、伯爵領内に教会系の騎士団へ寄進された荘園がある事を思い出したのだ。
「そうなんですか?」
なのに騎士様は意外そうに首を捻った。あれ? 教会勢力に寄進だから信心深いのでは? とナディが今度は不思議に思う。
「その割りにはあまり評判よくありませんね。治安もあれですし、裁判も」
あんまり良い話ではなさそうである。ナディは首をすくめる。騎士様の機嫌が悪くなりそう。話題を変えよう。
「あの、カーリャ様」
「はい?」
怒っている訳ではないので騎士様もちゃんと応える。
「カーリャ様の剣は独特ですね」
ほぼ最初から気づいて気になっていたのだ。腰に吊るさず、剣帯に前後に差しているし、左肩に担いでいる方も柄が珍しい。
「ひょっとして曲がっていません?」
「よくお気づきで」
騎士様は素直に認めた。
「ちなみに剣ではありません。刀です。刃が片方にしかついていません」
やはりかとナディはうなずく。本で見た南方の『三日月刀』みたいなのだろうか。ベルガエでは珍しい。王宮でも見たことがない。
「見せて貰えませんか」
「……」
騎士にこれは図々しいお願いだったかも知れない。騎士様は少し沈黙する。それから馬上のナディをちらと見た。子供が玩具でも欲しがるように両掌を上にして付き出しているお嬢様が見えた。無邪気なものである。
「……まあ、いいでしょう」
これで折れるのだからこの騎士様は甘い。武具を興味本意で求められるなど普通の騎士なら気分を害しても不思議ではない。
「どうぞ」
なのに腰の一刀を鞘ごと外してナディに渡した。渡してから思い出して言う。
「ちなみにナディ殿。刀剣の類いの取り扱いは?」
そんなものある訳はない。ティンベル男爵家は本の家柄なのだから。その分、あまり余った好奇心でナディは刀を受け取り、柄を握る。うん、重い。
「えいっ」
止められる間もなく、ぐいっと抜いた。ぎらりと光が反射される。緩く湾曲した刀身がナディの右手から上に伸びていた。
「うわあ、綺麗ですね」
思わず声を出して賞賛してしまった。本の知識ならば武具には詳しい。この亜大陸で使われているほとんどは過去千年の歴史分も含めてわかると思う。
だが、本物の武器は初めてだった。理由は簡単だ。このお転婆にそんなモノを預けられないと回りが危惧していたからだった。
「振りやすいんですねえ」
止める間もなく、片手で振り回す。重さの割りには確かに扱いやすい。重心の塩梅が良いのだろう。確かに身の片方にしか刃がない。でも意匠としては異国風でいいと思う。柄も手に馴染むし、鍔もしっかりしている。なかなかの高級品の気もする。
「ナディ殿。動かすのは止めて下さい。初心者だと自分の身を斬ってしまいかねません」
騎士様が困った様に言う。慌てていないのはこうなる事が予想できたからであろう。なのに貸してあげるのだから本当に甘い騎士様だった。
執事が知ったら青筋立てて怒りそうである。
「でも騎士に刀は珍しいのでは?」
「確かに教会は剣を推奨していますが」
騎士様がちょっと強めの声で言う。
「馬上から斬り下ろすとか、すれ違い様に撫で斬るとかですと刀の報が有利です。片刃な分、峰を厚くも出来て頑丈ですし」
この麗人でも自分の武具への主張はあるらしい。
「そもそも斬るのに刃は一筋で十分。身の逆に刃をつけても主な刃の斬撃の瞬間はなんの意味もありません。無駄に重くなるだけです」
ちょっと胸を張って言う。自慢しているみたいで可愛いとナディは思ってしまった。
「斬れ味はかなり良いので遊ばないで下さいよ」
「そうなんですか」
ナディの知識では南方や北方の蛮族あたりが刀だった。が、本の図ではあちらは幅広の鉈のお化けみたいな代物だ。対して騎士様のこれは抜きやすく振り回しやすい細身で流麗と言っていい。見栄えも緩い湾曲に鏡のように綺麗な刃。武器と言うには芸術的だった。確かによく斬れそうだ。
「二本持ってらっしゃいますが」
「私は双刀使いなのです」
それも珍しい。是非見たい。
「そろそろよろしいですか」
返して下さいと騎士様が手を上げる。ナディは慎重に刀身を鞘に戻してから渡す。素直だ。
「ご満足いただけた様で何よりです」
「拳銃も見せて下さい」
そちらにも興味は昨日からあったのだ。これを図に乗ると言う。
「駄目です」
これははっきりと騎士様は断った。昨日と同じだ。
「カーリャ様のけち」
昨日と同じ事を言ってナディはふくれる。おいくつですか? と騎士様は言いたげな目を前に逸らした。
「けちなのではありません」
「だって刀は見せてくれましたのに」
馬上のお嬢様とその馬を曳く騎士様との間で言い合いである。白馬の鞍のラージャがつまらなさそうにあくびをした。
「刀は一応刃物ですが、銃は扱いが別です。ナディ殿は触られた事も扱い方もご存じではないでしょう?」
「じゃあ教えて下さい」
しつこい。探求心と言う好奇心が旺盛過ぎるのだ。何せこの調子で王立図書館の本を誰よりも読破しているのだから。
「……習ってどうするのです」
「拳銃を見せてもらう口実にします」
「ですからあ」
口論は延々と続いた。何せ街道を北上しているだけだから二人とも口は暇だ。加えてナディは馬に乗っているだけである。暇人ほどしつこく成れるものはない。
「仕方ないですね」
結局、騎士様が折れた。ナディは得意顔で両手をあげる。なんのかんの言ってもこの騎士様は甘いのだ。
「さあ、カーリャ様。その腰かお尻のものを」
「……と言って馬上で振り回されては危ないです」
このお嬢様にはかなわないなと呆れている声で、でも騎士様はそこははっきり言った。
「わずかな操作で人を殺せる武器ですから」
「じゃあ?」
「落ち着いた場所でお見せしましょう。昼食の時にでも」
「わたしお腹が空きました。ちょうどですが」
「……まだ五刻にもなっていませんが」
賑やかな二人だったが、その辺りで共に納得したらしい。昼食を待つようにして街道の旅を進める。
「道が粗くなってきました。手を入れていませんね」
「でこぼこなんですか?」
「晴れているうちはいいですが、雨が降ると泥濘がひどくなりそうです。馬車だときついでしょう」
なりほど。道を整備していないとそうなるのかとナディには勉強になる。
「ゼーガース様の御領地は地味が豊かだそうですが、税金は重く色々と問題が多いそうです」
何年か前の地誌と最近の王都への裁判訴えの記録からの知識である。
「麦など穀物が豊かに採れるのでしたら、南の王都、北は北海への窓口のアルトバインと売る先はちゃんと隣にありますのに」
考え込む様に騎士様が唸る。世間話で言っている雰囲気ではない。何かつまされるものが感じられた。
「カーリャ様は――」
この頃になるとナディもわかってきた。この騎士様の好みである。ブレイブと言う田舎の出身らしいが、王都の流行とか噂話とかにはとんと興味を示さない。聞きたがるのは、地理や歴史、経済、技術等々諸々のいわゆる学術的知識に偏っていた。成る程、『図書館の魔女』と会話が弾むはずである。
「ご聡明でおられますね」
反応もいい。打てば響く様に言葉が返ってくるし、思慮も深めようと努めているようだ。
「これは過分なお誉めを。ただのしがない田舎者でございます」
何よりもその謙虚に聞く姿勢が素晴らしいと思う。こちらの言うことは全部素直に受けとめてくれる。叔母や屋敷のみんなの様に、自分が聞きたい話しだけとかの我が儘がない。ひょっとしてナディの知識が全部好みにあっているだけかもしれないが、それはそれで素晴らしい。
博識で言いたがりの自慢しいなナディにとっては理想的な聞き役であり、話し相手ではないのだろか。
「カーリャ様にお会いできて良かった」
だからナディは純粋にそう言った。本音だ。こんな都合のいい人は人生で初めてかも知れない。
「……」
返事は無かった。騎士様は黙って馬を曳く。突然のお嬢様の発言の真意が伝わったのだろうか。
困っているのかも知れない。
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