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第五章
来訪
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ようやく状況が動いたのは定刻の五刻だった。それまでに百通り以上の拒絶の光景を妄想していたナディの元へ従妹のアレクサンドラが訪れたのである。
「いらっしゃいましたよ! ナディ御姉様!」
このお利口でおしゃまな従妹が何故か元気よく部屋に飛び込んできた。何故か可愛いドレスも着せられている。そして何故か以上に上機嫌だった。
「……来たの?」
「ええ、先程、リンツのおじ様と一緒に」
やはりリンツ卿も最初からついてきたか。ナディにとっては嬉しくもない。
「今、お父様お母様に広間で御挨拶をなされておられます。贈り物もいっぱい持ってきて下さって!」
そのプレゼントなどナディにはどうでもいい。
「ど、どんな感じ?」
恐る恐るナディはアレクサンドラに確認してみた。自分に求婚に来た自由騎士である。人物を知りたくないと言えば嘘になる。もちろん断る意思は堅いのだろうけれども。
「東の有名な尼僧院の麦酒を二樽と桃の砂糖漬け三瓶。お義父様が喜びそうな東方の巻物とお母様へは南方の真珠をあしらった首飾り!」
違う。そうじゃない。そんな事を聞きたいんじゃない。いや、中々に裕福な方だとはわかったが。田舎の領主程度の癖に。
「……顔とかは?」
「さあ?」
真剣なナディの問いに聡明な従妹はあっさり答えた。
「さあ、って?」
「わたしそのお客様を見ていませんもの」
胸を張って言う。ああもう、威張る事かしら! とナディは叫びたい。
「アレクサンドラは淑女ですもの。初めて我が家に訪れた男性などに軽々しくお会いなどいたしませんわ」
そうですね。その理屈でナディもこうやってまだ呼ばれずに、ここに控えているのですよね。
「……じゃあ、なんで贈り物の事を知っているの?」
「モルガンが教えてくれました!」
執事ならば来客の挨拶の場に同席するのは不自然ではない。そこで贈り物を受け取って下がったのだろう。その内訳は奥で待ち構えていた従妹達がいつもの様に群がって聞き出したのだろう。大変だったでしょうね、お気の毒とナディは忠実な執事の為に祈った。最近、腰の調子が悪いとか言っていたのに。
「桃の砂糖漬けはわたし達にも頂けますよね? ナディ御姉様」
目を輝かせ、ナディのスカートの端を掴んでおねだりするアレクサンドラ。確かに乙女達にはご馳走だ。ティンベル男爵家でも年に一度食べられるかどうかの貴重品。贈り物としてはとても嬉しい。
一瞬、その御客人は男爵家の家族構成まで調べた上でその選択をしたのだろうかとナディは考えた。家庭内力関係とかも。
「ふうん」
でもそれにあんまりいい気はしない。そこまでするのならば、当然、花嫁候補の外見くらいは絶対に知っているだろうから。あと王宮での評判やご近所での噂とか。
「ナディお嬢様」
やがてメイドのカチャが迎えにきた。ああ、そろそろなのか。
「お客様と旦那様に奥様との御挨拶がそろそろ終わるそうです。参りましょう」
まだナディは公式には御客人には会わない。この後の歓迎の会食の場で男爵家の一員として参加する予定だ。ただその前に偶然に非公式に私的な時間に遭遇すると言う手筈になっている。高貴さとか慎ましさとかの為の貴族社会特有の演出なのだろうが、正直、ナディには面倒臭い事この上ない。
「あの、カチャ」
手を引かれる様にして連れられる途中、ナディはアレクサンドラにした質問をこの仲の良いメイドにもしてみた。
「……御客人を見た?」
「ええ、玄関で最初にいらした時に」
ナディより年上だが小柄なメイドは得意そうに答えた。
「どうだった?」
「なかなかに見事な馬二頭で参られましたわ」
カチャの父親は男爵家の馬丁頭を長年勤めている。
「いや、そう言うのじゃなくて」
「従者はお連れではありませんでした。お一人の様です。さすがは自由騎士様」
何の何処がどういう風に『さすが』なのだろう。いや経済状況を知るには重要な情報かも知れないが。とにかくナディが知りたい事を知るにはもっと具体的に質問しないと駄目なのはわかった。
「あの……お顔とかは?」
「髪は黒でしたね」
一応、見てはくれていたらしい。
「まるで濡れたかのように光沢のある髪で、ああ言うのは初めて見ました。油でも塗っている様ではないですし」
亜大陸には東西南北から様々な人種や民族が流入しているが、そんな特徴的な黒髪は珍しい。ナディはかって読んだ東方の大陸を紹介した地誌にそんな記述があったわねと記憶を確認した。
「で、お顔は?」
「わかりませんでした」
あっさりと小柄なメイドは答えた。
「わ、わからない?」
「顔の下半分に皮布を巻いておられたのです。風が強い中を馬で駆ける時みたいに」
南方の砂漠の民がそうするとかはナディも知っている。しかしここはベルガエで季節は夏の終わりかけの頃だ。
「屋敷の中に入る時には外しておられましたが、わたしのいた位置からは角度が悪くてお顔までは見れずに」
そう言う事情なら仕方ない。事前に頼んでおけば無理にでも見てくれたろうから、これはそこまで気が回らなかった自分が悪いのだとナディは思う事にした。
「それにしても――」
顔を隠しているのかとナディは考える。理由は何か。存在を知られたくないからだ。ではその存在とは?
「でも見えた目はすっごく綺麗でしたよ」
カチャの声が聞こえないくらいにナディは深刻に考えている。やはり凶状持ちで他人に恨みを買っているのか、縁談の申し込みが恥ずかしいくらいに御高齢なのか。顔がばれたら追っかけられるくらい女性問題がひどいとか。
それとも顔に見られたくない印でもあるのか――わたしの様に。
「まるで見上げた夜空の様に――吸い込まれる程の闇色の瞳でしたわ」
そうやって考え込み過ぎたせいでカチャが教えてくれた重要な情報もナディの右の耳から左の耳へ通り過ぎただけだった。
ティンベル男爵家の屋敷にも庭園はある。『一応、貴族だから』と言う都合からだが、なのに「……これ?」と気恥ずかしいくらいに慎ましいものだが。
「ではナディ様。こちらでお待ちを」
その庭園に東屋……石造りのテーブルに木製の椅子が数脚。頭上には陽射しと雨避けの屋根だけが拵えられた一角があって、そこにナディは座らせられた。
「こちらの鈴を鳴らしていただければお飲み物とお菓子をお持ちします」
カチャが銀の鈴をテーブルに置いてくれる。あ、とナディは声を出しそうになる。その鈴は亡き母親の愛用していたものだった。メイド達も気を使ってくれたのだろう。
「ではもうそろそろですので」
カチャはそう言って一礼する。下げて上がった気合の入った顔に『お嬢様 頑張って!』と書いてあった。
「ああ」
きっと本気で応援してくれているのであろうメイドの後ろ姿を見送りながら、ナディはため息をつく。ああ、もう本当に、ああぁだ。
どうも叔母もそうだが従妹もメイドもみんなお祭り気分なのではないだろうか。さらに今日の祭典が幸せにいくと信じている風もある。真逆なのは自分だけ? とナディは頭でも抱えたい。
「わたしはねえ」
醜いのよともう一度言いたい。生まれた時から顔の半分にあるこの痣。化粧でも何でも隠しようがない。『取り替えっ子』なんて不気味がられて、屋敷の外では奇異の目でじろじろ見られ、笑われ、蔑づまれ。
亡き父が優しく、亡き母が愛してくれたからここまで生きてこれたと思う。さらに今の叔父と叔母も優しかった。従妹達もなついてくれる。使用人達も受け入れてくれた。本当に感謝している。
そして外見とは関係ない能力を評価してくれた王立図書館。そこを治める人。そこで学ぶ人。みんな認めてくれた。大人達だけではない。数少ない同性の友人もあそこにしかいない。ナディのこれまでの人生の半分はこの庶民的な男爵家とあの王立図書館にこそあるのだ。それ以外はない。そのはずだった。
なのに急に今になって、それ以外との婚姻などとは。
「駄目なの」
こうして待っている最後の時間に、感情が色々と入り交じっているのが自分でもわかる。嫌なのだ。この醜い顔を見られる事が。受け入れてくれる数少ない身内以外と会う事が。それでもその程度の自分でいいと言ってきた他の男を受け入れる事が。
正直、嫌がっているのか、怖いのか、怒っているかは自分でもわからない。分析したくもない。不快だ。不安だ。だからこそ――
「絶対に断ってあげる」
改めてそう思う。それでこの茶番は終わりだ。関係各位に多大なるご迷惑と失望をもたらすであろう事は予想がつくが、そこは勘弁してもらおう。自分が望むのは亡き両親と暮らしたこの屋敷と、女だてらに正式に司書となれた図書館を往復するだけの人生だ。静寂と知識に埋もれるだけの一生だけでいいのだから。
いいよね? お母様。
ナディは卓上の銀の鈴を見る。久しぶりだ。母親が存命の頃はここに二人でよく来てくつろいでいた。ナディが図書館から持ち出した本にかじりつくのを編み物でもしながら静かに見守っていてくれた。まだ数年前なのに、もうとても懐かしい風景。
「お母様……」
そう言えば何故これが急に出てきたのだろうか。母の形見は父が大きな皮張りの箱にまとめて何処かに仕舞っていたはずなのに。娘にすら幾つかの品しかくれなかったのに。
それをあのメイドの姉さん達はちゃんとわかってくれたのだろうか。
「見ていて」
そう言えば図書館にそんな叙事詩があった。亡き父の魂が剣に宿って騎士の息子を助ける武勲のお話が。きっとこれもそんな巡り合わせに違いない。そう無理矢理に信じ込もうとしてナディは拳を握り締める。
そして決戦を宣言する騎士団長の様に力を込めて言った。
「せっかく来てくれた御客様には悪いけど、ここに現れた最初に一気に――」
みゃあ
「……え」
何か聞こえた。音? 声?
みゃるう
「あ」
こっちかとナディは見る。座っている隣の椅子だ。何かいる。目があった。
「ひやああぁっ!」
ナディは飛び上がった。がきんと膝が卓にあたる。衝撃。激痛。痛い!
「あ、あがががが」
その痛みに身体が反射的に屈んだ。卓に突っ伏す形になる。額をぶつけなかっただけまだマシだったのかも知れない。
みゃうう?
その耳元で鳴き声が聞こえた。確かに声だ。意思あるものが鳴いている。ナディは両手で痛む膝を押さえながら何とか顔をあげた。
「な、何でこんな処に――」
猫? いや、そう見えた。そいつは椅子からいつの間にか卓に飛び移っており、今は膝を抱えて涙目になっている人間の少女を覗き込んでいた。
大丈夫?
まるでそう言っているかの様な態度のそいつは確かに猫に似ていた。白地に灰色の斑模様と言う珍しい毛皮だった。ただ知っている猫よりもかなり大きく、さらに骨格ががっちりしていた。尻尾も身体に負けずに長く太い。ナディの知っている猫とはかなり違うようである。
「何処からきたの?」
でも動物は好きなナディである。痛む膝を左手で庇いつつ、右手をその猫に差し出す。なんの抵抗もなく撫でられてくれた。初対面なのに人懐っこい。飼われているのは間違いないようだが。
「よしよし。良い子ね」
頭から喉の下まで撫でる。猫は気持ち良さそうに目を細めてごろごろと喉を鳴らした。知っている他の猫に比べると低音な気もする。そう言う猫種なのだろうか。
「とりあえずそこは下りなさい」
猫を抱くようにして引こうとする。その石卓には今から御客人用の飲み物なり何なりが並ぶかも知れないのだ。ナディは構わないが、食卓に獣だと嫌がる人もいるだろう。
ぐるぅ
だが、猫はナディの手をするりとすり抜けた。あ、と言う間もなく、一飛びに跳ねる。東屋のすぐ傍の庭木に飛び移り、手頃な枝の上にその身を乗せる。
「あ、あの、猫ちゃん?」
そのしなやかな動きと妙な行動にちょっと驚いたナディだが、だからってどうしようもない。猫の居座った枝には、年頃にしても背の高いナディでも届きそうもないし、木登りは小さい頃から得意だけれど、まさかこのドレス姿でやる訳にもいけないだろうし。元より初対面の猫が呼んで来るはずもないし。
おかまいなく
まるでそう言っているかの様に猫は落ち着いてナディを見下している。どうしよう。このままでいいのか。いや、そもそも何処の飼い猫だろう。あんな珍しい毛色と立派な体格の子は初めて見たはずだ。
「いや、あの猫ちゃあん」
どうしよう。このままで良いのかしら。でも自分一人ではどうしようもないし。ここはお母様の鈴を振って誰かを呼んで一緒に――とナディが考えたその時だった。
「いらっしゃいましたよ! ナディ御姉様!」
このお利口でおしゃまな従妹が何故か元気よく部屋に飛び込んできた。何故か可愛いドレスも着せられている。そして何故か以上に上機嫌だった。
「……来たの?」
「ええ、先程、リンツのおじ様と一緒に」
やはりリンツ卿も最初からついてきたか。ナディにとっては嬉しくもない。
「今、お父様お母様に広間で御挨拶をなされておられます。贈り物もいっぱい持ってきて下さって!」
そのプレゼントなどナディにはどうでもいい。
「ど、どんな感じ?」
恐る恐るナディはアレクサンドラに確認してみた。自分に求婚に来た自由騎士である。人物を知りたくないと言えば嘘になる。もちろん断る意思は堅いのだろうけれども。
「東の有名な尼僧院の麦酒を二樽と桃の砂糖漬け三瓶。お義父様が喜びそうな東方の巻物とお母様へは南方の真珠をあしらった首飾り!」
違う。そうじゃない。そんな事を聞きたいんじゃない。いや、中々に裕福な方だとはわかったが。田舎の領主程度の癖に。
「……顔とかは?」
「さあ?」
真剣なナディの問いに聡明な従妹はあっさり答えた。
「さあ、って?」
「わたしそのお客様を見ていませんもの」
胸を張って言う。ああもう、威張る事かしら! とナディは叫びたい。
「アレクサンドラは淑女ですもの。初めて我が家に訪れた男性などに軽々しくお会いなどいたしませんわ」
そうですね。その理屈でナディもこうやってまだ呼ばれずに、ここに控えているのですよね。
「……じゃあ、なんで贈り物の事を知っているの?」
「モルガンが教えてくれました!」
執事ならば来客の挨拶の場に同席するのは不自然ではない。そこで贈り物を受け取って下がったのだろう。その内訳は奥で待ち構えていた従妹達がいつもの様に群がって聞き出したのだろう。大変だったでしょうね、お気の毒とナディは忠実な執事の為に祈った。最近、腰の調子が悪いとか言っていたのに。
「桃の砂糖漬けはわたし達にも頂けますよね? ナディ御姉様」
目を輝かせ、ナディのスカートの端を掴んでおねだりするアレクサンドラ。確かに乙女達にはご馳走だ。ティンベル男爵家でも年に一度食べられるかどうかの貴重品。贈り物としてはとても嬉しい。
一瞬、その御客人は男爵家の家族構成まで調べた上でその選択をしたのだろうかとナディは考えた。家庭内力関係とかも。
「ふうん」
でもそれにあんまりいい気はしない。そこまでするのならば、当然、花嫁候補の外見くらいは絶対に知っているだろうから。あと王宮での評判やご近所での噂とか。
「ナディお嬢様」
やがてメイドのカチャが迎えにきた。ああ、そろそろなのか。
「お客様と旦那様に奥様との御挨拶がそろそろ終わるそうです。参りましょう」
まだナディは公式には御客人には会わない。この後の歓迎の会食の場で男爵家の一員として参加する予定だ。ただその前に偶然に非公式に私的な時間に遭遇すると言う手筈になっている。高貴さとか慎ましさとかの為の貴族社会特有の演出なのだろうが、正直、ナディには面倒臭い事この上ない。
「あの、カチャ」
手を引かれる様にして連れられる途中、ナディはアレクサンドラにした質問をこの仲の良いメイドにもしてみた。
「……御客人を見た?」
「ええ、玄関で最初にいらした時に」
ナディより年上だが小柄なメイドは得意そうに答えた。
「どうだった?」
「なかなかに見事な馬二頭で参られましたわ」
カチャの父親は男爵家の馬丁頭を長年勤めている。
「いや、そう言うのじゃなくて」
「従者はお連れではありませんでした。お一人の様です。さすがは自由騎士様」
何の何処がどういう風に『さすが』なのだろう。いや経済状況を知るには重要な情報かも知れないが。とにかくナディが知りたい事を知るにはもっと具体的に質問しないと駄目なのはわかった。
「あの……お顔とかは?」
「髪は黒でしたね」
一応、見てはくれていたらしい。
「まるで濡れたかのように光沢のある髪で、ああ言うのは初めて見ました。油でも塗っている様ではないですし」
亜大陸には東西南北から様々な人種や民族が流入しているが、そんな特徴的な黒髪は珍しい。ナディはかって読んだ東方の大陸を紹介した地誌にそんな記述があったわねと記憶を確認した。
「で、お顔は?」
「わかりませんでした」
あっさりと小柄なメイドは答えた。
「わ、わからない?」
「顔の下半分に皮布を巻いておられたのです。風が強い中を馬で駆ける時みたいに」
南方の砂漠の民がそうするとかはナディも知っている。しかしここはベルガエで季節は夏の終わりかけの頃だ。
「屋敷の中に入る時には外しておられましたが、わたしのいた位置からは角度が悪くてお顔までは見れずに」
そう言う事情なら仕方ない。事前に頼んでおけば無理にでも見てくれたろうから、これはそこまで気が回らなかった自分が悪いのだとナディは思う事にした。
「それにしても――」
顔を隠しているのかとナディは考える。理由は何か。存在を知られたくないからだ。ではその存在とは?
「でも見えた目はすっごく綺麗でしたよ」
カチャの声が聞こえないくらいにナディは深刻に考えている。やはり凶状持ちで他人に恨みを買っているのか、縁談の申し込みが恥ずかしいくらいに御高齢なのか。顔がばれたら追っかけられるくらい女性問題がひどいとか。
それとも顔に見られたくない印でもあるのか――わたしの様に。
「まるで見上げた夜空の様に――吸い込まれる程の闇色の瞳でしたわ」
そうやって考え込み過ぎたせいでカチャが教えてくれた重要な情報もナディの右の耳から左の耳へ通り過ぎただけだった。
ティンベル男爵家の屋敷にも庭園はある。『一応、貴族だから』と言う都合からだが、なのに「……これ?」と気恥ずかしいくらいに慎ましいものだが。
「ではナディ様。こちらでお待ちを」
その庭園に東屋……石造りのテーブルに木製の椅子が数脚。頭上には陽射しと雨避けの屋根だけが拵えられた一角があって、そこにナディは座らせられた。
「こちらの鈴を鳴らしていただければお飲み物とお菓子をお持ちします」
カチャが銀の鈴をテーブルに置いてくれる。あ、とナディは声を出しそうになる。その鈴は亡き母親の愛用していたものだった。メイド達も気を使ってくれたのだろう。
「ではもうそろそろですので」
カチャはそう言って一礼する。下げて上がった気合の入った顔に『お嬢様 頑張って!』と書いてあった。
「ああ」
きっと本気で応援してくれているのであろうメイドの後ろ姿を見送りながら、ナディはため息をつく。ああ、もう本当に、ああぁだ。
どうも叔母もそうだが従妹もメイドもみんなお祭り気分なのではないだろうか。さらに今日の祭典が幸せにいくと信じている風もある。真逆なのは自分だけ? とナディは頭でも抱えたい。
「わたしはねえ」
醜いのよともう一度言いたい。生まれた時から顔の半分にあるこの痣。化粧でも何でも隠しようがない。『取り替えっ子』なんて不気味がられて、屋敷の外では奇異の目でじろじろ見られ、笑われ、蔑づまれ。
亡き父が優しく、亡き母が愛してくれたからここまで生きてこれたと思う。さらに今の叔父と叔母も優しかった。従妹達もなついてくれる。使用人達も受け入れてくれた。本当に感謝している。
そして外見とは関係ない能力を評価してくれた王立図書館。そこを治める人。そこで学ぶ人。みんな認めてくれた。大人達だけではない。数少ない同性の友人もあそこにしかいない。ナディのこれまでの人生の半分はこの庶民的な男爵家とあの王立図書館にこそあるのだ。それ以外はない。そのはずだった。
なのに急に今になって、それ以外との婚姻などとは。
「駄目なの」
こうして待っている最後の時間に、感情が色々と入り交じっているのが自分でもわかる。嫌なのだ。この醜い顔を見られる事が。受け入れてくれる数少ない身内以外と会う事が。それでもその程度の自分でいいと言ってきた他の男を受け入れる事が。
正直、嫌がっているのか、怖いのか、怒っているかは自分でもわからない。分析したくもない。不快だ。不安だ。だからこそ――
「絶対に断ってあげる」
改めてそう思う。それでこの茶番は終わりだ。関係各位に多大なるご迷惑と失望をもたらすであろう事は予想がつくが、そこは勘弁してもらおう。自分が望むのは亡き両親と暮らしたこの屋敷と、女だてらに正式に司書となれた図書館を往復するだけの人生だ。静寂と知識に埋もれるだけの一生だけでいいのだから。
いいよね? お母様。
ナディは卓上の銀の鈴を見る。久しぶりだ。母親が存命の頃はここに二人でよく来てくつろいでいた。ナディが図書館から持ち出した本にかじりつくのを編み物でもしながら静かに見守っていてくれた。まだ数年前なのに、もうとても懐かしい風景。
「お母様……」
そう言えば何故これが急に出てきたのだろうか。母の形見は父が大きな皮張りの箱にまとめて何処かに仕舞っていたはずなのに。娘にすら幾つかの品しかくれなかったのに。
それをあのメイドの姉さん達はちゃんとわかってくれたのだろうか。
「見ていて」
そう言えば図書館にそんな叙事詩があった。亡き父の魂が剣に宿って騎士の息子を助ける武勲のお話が。きっとこれもそんな巡り合わせに違いない。そう無理矢理に信じ込もうとしてナディは拳を握り締める。
そして決戦を宣言する騎士団長の様に力を込めて言った。
「せっかく来てくれた御客様には悪いけど、ここに現れた最初に一気に――」
みゃあ
「……え」
何か聞こえた。音? 声?
みゃるう
「あ」
こっちかとナディは見る。座っている隣の椅子だ。何かいる。目があった。
「ひやああぁっ!」
ナディは飛び上がった。がきんと膝が卓にあたる。衝撃。激痛。痛い!
「あ、あがががが」
その痛みに身体が反射的に屈んだ。卓に突っ伏す形になる。額をぶつけなかっただけまだマシだったのかも知れない。
みゃうう?
その耳元で鳴き声が聞こえた。確かに声だ。意思あるものが鳴いている。ナディは両手で痛む膝を押さえながら何とか顔をあげた。
「な、何でこんな処に――」
猫? いや、そう見えた。そいつは椅子からいつの間にか卓に飛び移っており、今は膝を抱えて涙目になっている人間の少女を覗き込んでいた。
大丈夫?
まるでそう言っているかの様な態度のそいつは確かに猫に似ていた。白地に灰色の斑模様と言う珍しい毛皮だった。ただ知っている猫よりもかなり大きく、さらに骨格ががっちりしていた。尻尾も身体に負けずに長く太い。ナディの知っている猫とはかなり違うようである。
「何処からきたの?」
でも動物は好きなナディである。痛む膝を左手で庇いつつ、右手をその猫に差し出す。なんの抵抗もなく撫でられてくれた。初対面なのに人懐っこい。飼われているのは間違いないようだが。
「よしよし。良い子ね」
頭から喉の下まで撫でる。猫は気持ち良さそうに目を細めてごろごろと喉を鳴らした。知っている他の猫に比べると低音な気もする。そう言う猫種なのだろうか。
「とりあえずそこは下りなさい」
猫を抱くようにして引こうとする。その石卓には今から御客人用の飲み物なり何なりが並ぶかも知れないのだ。ナディは構わないが、食卓に獣だと嫌がる人もいるだろう。
ぐるぅ
だが、猫はナディの手をするりとすり抜けた。あ、と言う間もなく、一飛びに跳ねる。東屋のすぐ傍の庭木に飛び移り、手頃な枝の上にその身を乗せる。
「あ、あの、猫ちゃん?」
そのしなやかな動きと妙な行動にちょっと驚いたナディだが、だからってどうしようもない。猫の居座った枝には、年頃にしても背の高いナディでも届きそうもないし、木登りは小さい頃から得意だけれど、まさかこのドレス姿でやる訳にもいけないだろうし。元より初対面の猫が呼んで来るはずもないし。
おかまいなく
まるでそう言っているかの様に猫は落ち着いてナディを見下している。どうしよう。このままでいいのか。いや、そもそも何処の飼い猫だろう。あんな珍しい毛色と立派な体格の子は初めて見たはずだ。
「いや、あの猫ちゃあん」
どうしよう。このままで良いのかしら。でも自分一人ではどうしようもないし。ここはお母様の鈴を振って誰かを呼んで一緒に――とナディが考えたその時だった。
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