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閑話・天使がふたりとロボの俺2

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 その日の昼、中庭にレジャーシートを広げて、諒介と光は昼食を摂った。

 達樹がああ言っていたから役に立つとは思っていなかったが、使うあてもないレジャーシートをどうしようかと学校に置いていたら光が「人に聞かれたくない話があるから食堂はちょっと」と言い出したのだ。

 結果、用務員さんに許可をもらって見通しのいい中庭の芝生にレジャーシートを広げることにした。この環境なら人目にはつくが盗み聞きはまず無理だ。

 遠くから視線が突き刺さるような気はするが、諒介は無表情に定評があるし、話さえ聞かれなければいいのだ。たぶん。


 光が最近、昼食に購買のパン1個しか持参しないのを気にしていた諒介は、ふたり分の弁当をレジャーシートに広げた。
 校舎の方から『おお~っ⁈』といううねりにも近い音が聞こえたが気にしない。

「タッちゃんのいぬ間に、りょーちゃんに訊きたいことがあります」

 レジャーシートに上がると、光はちょこんとその場に正座した。どうやら食べる前に話したいらしい。

「なに?」

「たいへん訊きづらいことなので、パスの権利を与えます」

 前置きして、光は急に真顔になった。


「……番がいるって、どんな感じ?」


「――――」

 一瞬、返事に詰まった。

「……気づいてたのか」

 質問に質問で返す形になったが、光は気にせず真顔のまま頷いた。

「原田が、りょーちゃんはオメガじゃないだろって言ってた」

 原田というのは光のクラスの級長だ。学業成績は常に3~5位あたりをキープ、スポーツテストでは諒介に次ぐ2位だったという噂で、文武両道だと言われている。
 そして、達樹のことを「いい匂いがする」と言っていたことが確かにあった。

「りょーちゃんの匂いがわからないってことだと思って」
「あいつ、アルファなのか」
「みたいだね。なんかシトラスみたいな香りするしね」
「シトラス?」
「みかん系」

 言いながらもなんだか嫌そうな顔だ。思わず首を傾げると、嫌々教えてくれた。

「オレ、『薔薇の香水みたいな香りがする』……って言われた」
「…………」

 薔薇の香水がわからないからコメントしようがなくて、諒介はただ「そっか」とだけ返した。

 そういえば、諒介の匂いはりんごっぽいらしい。ぽいだけで、カモミールという植物により近いらしいが。
 そう言う行哉の匂いもりんごっぽいので、もしかしたら似ているのかもしれない。

 兄の顔と匂いを思い浮かべて、諒介は心を決めた。

 なにを訊かれても、大丈夫。

「『どんな感じ』っていうのがフワっとしててわかりづらいから、具体的に言って」

 促すと、光は真顔のままずずいっとにじり寄ってきた。

「……今、幸せ? 相手の人のこと、好き?」

「⁈」

 頭の中が真っ白になって、諒介はしばらく完全にフリーズした。

 やがて、光の質問に答えねばとギギギ…と動き出す。



「………………うん」



 頷いて、そのままうつむいた。

 顔が熱い。耳まで熱い。自分の心臓の音が聴こえる。
 ただ頷くだけのことが、どうしてこんなに恥ずかしいのか。

「えっろ……」

 光のつぶやきにはっとなって顔を背けたが、遅かった。

「マジか、りょーちゃんどんだけ持ってんの‼ もっかい顔見せて」

 詰め寄られたが、行哉から『他人に見せるなと』と言われている。

「嫌だからちょっと待て」

 正直に告げると、光はあっさりと正座の姿勢に戻った。

「……じゃーそのままで次の質問」
「まだあるのか」
「相手のことは訊かないよ。うっすら想像つくから」
「…………」

 あまり恥ずかしいことは勘弁してほしいという思いは、どうやら伝わっていたらしい。先手を打たれた。
 想像がつくというより、他にいない。
 ただ、光はそれでも平気なのだと思ったとき、ふと肩の力が抜けた。

 諒介が平常心を取り戻したのがわかったのだろう。光が、本題であろう話を切り出した。

「国に保護してもらうのって、妊娠出産するの前提?」
「――――」

 あまりに重い内容に、別の意味で言葉がなくなる。
 諒介の混乱が伝わるのだろう。光が苦笑いした。

「……オレ、家から出たいんだよね」
「…………」

「うちのハハオヤの話、聞いたことある?」

 諒介は頷いた。

「入学式のときの話なら」
「そう……」

 光の事情は、諒介の知らない世界の話だった。

 なんでも、光の母親は自分が産んだ子供に好きなキャラクターの名前をつけようとしていたらしい。
 諒介でも知っているネズミを模したキャラクターの名前を挙げられた。

 ただ、父親と父方母方双方の祖父母が猛反対して『その名前をつけるなら縁を切る』と言ったため現在の名前に落ち着いたそうだ。
 だが、母親は諦められずに身内でひとりだけ今も光をそのキャラクターの名前で呼んでいるという。

「ハハオヤ、オレがオメガ判定受けて大喜びしてさ、大量の服買ってきたの。女みたいなヤツ」
「……判定を受けただけで趣味嗜好が変わるわけじゃないだろ」

 つい口を挟むと、光が笑った。
 光に似合わない、痛みを堪えるような顔で。

「だよなー。でも、言っても言っても納得しねえの。『オメガらしい可愛らしい服装をしないと』って。『かっこいい旦那さんを見つけないと』って。『ビカちゃんの産む孫が楽しみ』って」

 敢えて軽い口調で言うその手が、震えていた。
 オメガらしい服装とはなんなのだ。すべて偏見ではないのか。

「服買う金とか減らされちゃって、勝手に送ってくんだよね」

 それで、購買に前日の残りがあれば安く売ってほしいと頼んだりしているが、なかなか節約も難しいようだ。

「……ぜってー逃げ切ってやる」

 低い、絞り出すような声だった。

「アイツと縁切らないと、一生オモチャだ」

「……タツの面談が終わる頃を見計らって、橋本さんに連絡取って相談しろ。早い方がいいだろ」

 橋本とは、諒介の担当だった縁で達樹や光も担当することになった相談員だ。

「……うん」
「あの人は信用できる。大丈夫だ」

 実のところ、相談員は信頼できる者ばかりではない。少なくとも諒介はそう思う。
 橋本は諒介というレアケースを押し付け合いの末に担当することになった相談員で、当時は新人だった。
『何事も経験』と言われても、大半の相談員が経験したことのないレアケースで、『年齢も近いし……』などと言われても大学を卒業しているのだから十歳以上離れているのだが。
 そんな押しつけの言葉を諒介の目の前で吐いたのも紛れもない相談員のひとりだというのだから、橋本を引いた自分は幸運だったと諒介は思っている。
 諒介の環境に思うところがあったらしい橋本は、安積と連携してそれはそれは頑張った。
 現在では、自身も不本意な形で番を得た安積が信頼を寄せる数少ない相談員だ。
 もちろん、諒介もだが。

 病院に押しかけてきた、父親から金をもらった連中を追い返し、諒介を安積の診療所に転院させてくれた。
 家にほぼ監禁状態で閉じ込められていた兄を解放し、諒介に会わせてくれた。
 今の環境を整えてくれた。

 あの『事故』が起こり、兄が自分を訪れるまでは、番を失ったオメガのための施設に行くつもりだった諒介には、どれだけ感謝してもしきれない相手だった。







 諒介の信頼が伝わったらしい光は、早速橋本に連絡を取り、翌日の夕方には面談を行ったという。
 すぐさま動いた……というより、別件ですでに動いていたらしい橋本は、それから間もなく結果を出してくることになる。
 それによってすぐには解決しない問題も発生するのだが、まだ、誰にも予想できないことだった。
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