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幼なじみ

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『なにすんだよ‼』

 あの日、我を忘れたような大声に振り返ると、諒介が首の後ろを押さえて同級生を怒鳴りつけていた。

『ご、ごめん……。いい匂いだったから、つい』

 恐縮する同級生は、達樹たちの小学校の児童会長だった。

『二度と俺に触るな! 気持ち悪い!』

 叫ぶように声を張り上げて、諒介は走って教室を出て行って。
 そのまま、卒業まで学校に来なかった。

 児童会長はその後すっかり塞ぎ込んでしまい、ほとんど口を開かなくなった。

『思わず、……その、首のとこ、舐めちゃって』

 ただ、諒介になにをしたのかと尋ねた達樹には、そう教えてくれた。

『なんであんなことしちゃったんだろ。自分でも気持ち悪い』

『痴漢みたいだ』と頭を抱えて泣いていた彼は、きっとアルファだったのだろう。諒介からいい匂いがするとよく近くをうろついていたし、運動会では諒介にハチマキの交換を申し出てきっぱりと断られていた。

 激高した諒介を見たのは、あれが最初で最後だ。








 達樹は寮の自室で、当時のことを振り返った。

 諒介は、馳倉中学で唯一達樹と同じ小学校から進学してきた生徒だ。
 それだけでなく、達樹にとっては幼なじみでもある。小学生の頃は親友だとも思っていた。
 そう思っていたのは達樹だけだったのかもしれないが。

 勉強だけが取り柄の達樹と違い、勉強も運動も、音楽や図工まで人並み以上の成績を涼しい顔で叩き出し、見た目もすっきりと整っていて、当時は同級生より身長もあった。
 ただ、その真っ黒な瞳と、整ってはいるがあまり感情が表に出ない顔はなにを考えているかわからないとは言われていた。当時のあだ名は「宇宙人」。小学生は残酷だと今では思う。

 もしもアルファが身近にいるとしたら、それはきっと諒介なのだろうと当時の達樹は内心で思っていた。

 家が裕福ではないからそのまま公立の中学校に進学すると言っていた諒介だが、卒業を控えた小学6年の2月、急に学校に来なくなった。
 自宅から救急車で運ばれ入院したと聞かされただけでそのまま連絡も取れなくなった諒介が心配だったが、彼の家庭はなかなかに複雑で、状況を確認することもできずに達樹は今の学校に進学した。

 そこに、諒介がいたのだ。

 驚いたなんてもんじゃなかった。諒介は金銭的な問題だけじゃなくて、私立の中学校になんの興味もないように見えていたからだ。それに、入学式前に入った寮にもいなかった。

 諒介も驚いていたが、しばし固まった後、ふうと息を吐いて『久しぶり』とぎこちなく笑って見せた。

 その笑みは達樹の知らない他人の笑みで、それからすぐに『じゃあな』と背を向けて行ってしまった背中にはそれまでになかった拒絶を感じた。

 諒介がいなくなった後、自分が彼に『通える範囲内で一番いい学校に行く』と話していたことを思い出した。
 ぎりぎりになって『どうせならいい学校に』という母親の勧めに甘えたことで、交わらなかったはずの道が交わったのだ。

 諒介は、たぶんきっと、達樹との縁を切るつもりだった。

 そのことに気づいて、達樹はショックを受けた。
 そして、中学では今の今まで諒介と一切関わらずにきたのだ。

 諒介はあのあと、その場で診療所に連絡を取り、達樹たちを紹介する旨を告げた。

 耳に馴染みがないと達樹が思った通り、Ω科を標榜する医療機関は相当少なく、オメガの医者はさらに少ないのだそうだ。
 そしてさらに、その大半の患者が番を持つオメガらしい。
 というのも、アルファというのは番に対する独占欲が強く、自分以外の者に番の身体を診せるのを嫌うらしいのだ。
 他に番を持つオメガの医者ならばかろうじて許せると思うアルファは相当数いるのだという。
 諒介の主治医はオメガの医者としても異色で、一般家庭の生まれであることから、自分と同じ、予想だにしなかった第2性を持ってしまったオメガのケアに重きを置いているらしい。まさに達樹にはうってつけだ。
 そして、平然としているように見えるが、やはりきっと諒介も大変だったのだろうと思った。
 できるなら、そばで支えたかったとも。
 なにもできることはないが、話を聞いてもらうだけでも違うのだとわかったから。

(ひとりで聞いたんじゃなくて、よかった)

 あんな酷い言葉、ひとりなら抱えきれなかったかもしれない。
 諒介は達樹の手なんて必要としていないかもしれないけれど、達樹はひたすらに諒介の存在に感謝していた。
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