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第三章 農村防衛編

想い

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【マリア視点】

 あの夜から数日が経った。
 スモッグスパイダーは1匹残らず駆除したが、村の家屋の多くは損壊した。残っている家屋も今は使われていない。いつ崩れるかも分からないためだ。

 村人は私が土魔法で建てた簡易住居に寝泊まりしている。森に避難した村人達が食糧を節約して消費してくれていたため、しばらくは生きていけるだろうが、近いうちに新たに食料調達方法を安定させなければならない。問題は山積みだ。

 私は領主用の簡易住居の出入口をくぐった。土魔法で作るため、扉なんてものはない。人が通れる穴の開いたただの入れ物だ。
 ハルトくんが椅子に座っていた。窓——の形に開いた穴——から外を眺めている。私に気付いていないのか、あるいは気付いてはいるが話しをする元気がないのか。ハルトくんは微動だにせず、外を見ていた。

「ハルトくん。果物、少しもらってきたよ。食べる?」

 私はあえて少し明るい声を出すが、ハルトくんは濃いくまがのった顔をゆっくりこちらに向けて、かぶりを振った。
 あの日からハルトくんは生きる屍のようになってしまった。
 ルイワーツから、ハルトくんがモリフを追って行ったことは聞いたが、モリフと何があったのか、ハルトくんは話そうとしない。ただ、モリフの姿がないことは確かな事実だ。ハルトくんはモリフを連れ戻すことに失敗し、そして村をも失った。私のせいで。

 私はハルトくんに頭を下げた。「ごめんなさい。私があの時、村から離れたから……」
 ハルトくんはまたゆっくりこちらに顔を向けて、左右に首を振る。「……マリアさんのせいじゃない」
 それだけ言うとハルトくんはまた視線を窓の外に戻した。
 私は「果物、置いておくね」と言い残して立ち上がり、また出口に向かう。建物を出る前にもう一度ハルトくんに振り返った。「オーサンの葬式、これからだから。来れそうならハルトくんも顔出して。オーサンも喜ぶから」

 ハルトくんはか細い声で何か言ったように思えたが、なんて言ったのかまでは聞き取れなかった。

 
 ♦︎
 

 教会堂の裏の墓地は更地となり、焦土と化していた。
 村のご先祖様が眠っている地を焼くのは私も心苦しかった。だけど、この墓地にスモッグスパイダーが集結するように溢れかえっていたため、焼かざるを得なかったのだ。
 ハルトくんの話では、メスのスモッグスパイダーの死骸がどこかに埋まっているということだったので、墓地の地下数メートル程まで処理できる大魔法を使い、教会堂ごと吹き飛ばすことになった。
 村の中心に聳え立っていた教会堂は今はない。教会堂と同じ色をした瓦礫の山が、確かにそこに教会堂があったのだと主張するように敷かれていた。

 教会堂が建っていたこの場所でオーサンを眠らせたい、とは、村の総意だった。だから、今は何もないこの更地に皆が集まったのだ。

 まずオーサンの家族から挨拶があった。
 オーサンの息子さん。その嫁。2人は泣きはらした顔を伏せて、何度も頭を下げていた。どうして一番悲しくて、一番ぼろぼろの家族が、この上、頭まで下げて気を張らなければならないのだろう。誰が悪いでもない。ただ理不尽なこの世界に腹が立った。

 それからエドワードが、オーサンの最後を皆に伝えた。顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、エドワードはオーサンの闘いを話す。最初に涙することほど罪深いことはない。皆がエドワードの涙を見て、張り詰めた糸が切れるように、涙をこぼした。

 ただただ辛い。
 冒険者仲間の死には慣れているはずなのに。今回はいつもとは何かが違った。痛い。まるで心臓に釘でも刺されているかのようだ。
 この胸の痛みは、これからも私たちが——オーサンを救えなかった私が、背負うべきものなんだ。そう飲み込もうとした矢先だった。
 誰かが突然「さて」と言った。

「それじゃ、そろそろ始めるか」村人の1人が赤い目で、笑った。
「そうだな。そうこなくっちゃな」別の男が涙を拭って応じた。
「こんなしみったれた葬式してたらオーサンがキレるぞ」
「ははは、ちげぇねぇ」

 1人が立ち上がると、5人、10人とそれに続く。「よし、持ってこい」と各々動き出した。何かの準備をしているようだ。

「ちょ、ちょちょちょ! どこ行くのよ! 葬式は?!」私が呼びかけると、村人の一人が煩わしそうに振り返り、「葬式っつーのは、死んだ奴が笑顔であの世に行けるようにするもんだろぉが」と言った。

 はぁ? と眉間に皺をよせ、目を細めて、『何が言いたいのよ』と暗に示すと、逆に彼がマリアに問いを投げかけた。

「オーサンが大口開けてばか笑いするのはどんな時だよ」

 そんなの考えるまでもなかった。
 せわしなく動いていた野郎共の全員が、くっく、と笑いをこらえるような顔で同時に答える。

「宴会だ!」

 どこから持ってきたのか、大量の酒豪の実が積まれた台車を村人が押して来た。
 何考えてんだ、このバカ共。少しは遺族の気持ちを考えろ。そう思い、私は恐る恐るオーサンの息子さんと、その嫁さんに目を向けた。

「親父なら『なんだよ酒はねぇのかよ』って言いそうだよな」
「ええ。お義父さんなら、間違いなく言うわね」

 2人は呆れた顔で笑っていた。昔を懐かしむような呆れ顔で。
 もォ、と声が漏れた。私は立場上、楽しんだりはしちゃダメだ。こっそり飲んで、それからしんみりとオーサンの死を偲ぶべきだ。そうしよう。まったくアイツらは……。静かにオーサンを眠らせてあげようとは思わな——

「領主様飲まねーのか? まさか下戸?」狩猟班の男がにやにやした挑発的な笑みを私に向けてきた。

 はぁ、と吐息が一つ零れた。それから私は「ごめん、オーサン」と呟くと、大きく息を吸い込んで叫んだ。

「なんだとォ、やんのかこらぁ! 酒豪の実ストレート以外、認めないかんね! 早く持ってこォい!」とオーサンを偲ぶ宴会に加わった。
 

 ♦︎
 

 夜が更ける頃、情けない男共は酔いつぶれて、その辺に転がっていた。
 墓地で転がっていると、まるで屍のようだが、全員ちゃんと生きている。ただ酒臭くて、ゲロ臭いだけだ。

 私は、ボーッとする頭で、また酒をあおると、美味そうに酒を飲むオーサンが脳裏に思い起こされた。
「何勝手に死んでんのよ」とオーサンに文句を垂れてみる。だが、あのふてぶてしいオッサンの反論はもはや返ってはこない。オーサンはどこにもいない。数日前まで当たり前にいた仲間が今は——。
 意識せず、はぁ、と疲れた吐息が漏れた。それを打ち消そうと、酒をくらおうとして、コップが空であることに気が付き、また手酌する。


 
 私の隣に腰掛けようとする者がいた。次なる挑戦者か、と顔を向けると、そこにいたのは苦笑したオーサンの息子さんだった。
 私はぎょっとしてのけぞり、椅子から転げ落ちそうになる。

(行かねば、とは思っていたけど、まさか向こうからやって来るとは……)

 慌てて心の準備を整えようと、手に持っていた酒を一気にあおった。酒の力を借りても尚、準備など完了しそうもない。

「そんなに飲んで大丈夫ですか?」と却って遺族に心配される始末だった。私は姿勢を正して「大丈夫であります!」と何故か兵士みたいな変な言葉が勝手に出てきた。
 大丈夫でありますって何だ。元から酔いで燃えるように熱かった顔が恥かしさでさらに熱くなる。

 息子さんは、静かにチビチビ酒を飲んでは、こちらを見て、また視線を逸らせて酒を飲み、と繰り返していた。
 私に用がある、というのは明らかだった。でも、それを口にする勇気がでない。そういうことだろうか。
 それならば、と先に私が口を開く。私も彼に言わなければならないことがある。

「あの……オーサンを守れずにごめんなさい」

 私は伏せそうになる視線を無理やり彼に向けて言った。目を逸らして言うのは何か卑怯な気がしたからだ。オーサンを死なせたのは領主である私。それは変えようのない事実だ。彼からの厳しい罵倒に備えるように、両肩が無意識に少し上がった。
 彼は微笑んで「実を言うと」と言った。
 
「実を言うと、親父を戦士に選んだことを恨んでました。最初は」

 なんて答えていいか分からず、私は頭下げ、もう一度「ごめんなさい」と言った。せめて彼の憎しみは、全て私が受け止める。それが私にできる唯一のことだった。しかし彼は、違います、と笑った。

「そんな顔しないでください。『最初は』と言ったじゃないですか。今は恨んでなんかいません」

 頭を上げると、彼は穏やかな微笑みを浮かべていた。

「俺、反対したんです。親父が戦線に立つことに。いくら狩猟が得意だからって、ただの村人に命をかけた戦いなんて無理だと思いましたから。だけど——」

 彼は村の家屋の方に顔を向けた。
 誰も住まうことのできない廃墟となった家屋たちは、私には戦争の象徴のように思えた。彼も同じことを思ったのか、寂しげ顔でどこともなくその建物たちを見つめていた。

「——だけど、結局、親父が正しかった」

 息子さんは目をつむり苦しそうに顔を歪める。私は黙って聞いた。

「俺らが動かなくても、誰かが助けてくれる。勇敢な誰かが、なんとかしてくれる。そう思ってたんですよ俺は。いや、楽観視していたというよりは、自分らに被害がでるのを恐れてたのかな」自嘲するように彼が言う。
「大切な人が亡くなるのは誰だって怖いよ」私は無意識のうちに、口をついて言葉が出ていた。
 ハルトくんが死んでしまうことを考えると、私は心が壊れそうになる。おそらく実際そうなったら、ハルトくんが死ぬ原因を作った人物を片っ端から殺して、最後にハルトくんを守れなかった自分を殺すと思う。

「でも親父は戦場を選んだ。親父は——」彼は目頭を押さえるように手を添えた。それでも尚、涙は零れ落ちる。

「オーサンも怖かったんだと思うよ。大切な人の死が。だから、オーサンは戦ったんだよ」

 そして守り切った。村は確かに滅びたけど、村人は無事だ。誰一人として死んでいない。オーサンを除いて。
 息子さんは赤い目で頷いた。

「今度は俺が守ります。大切な家族を。親父が愛したこの村の奴ら全員。俺が守る」

 彼とオーサンの姿がダブった。私は頬を緩めて、なんだ、と小さく呟く。

「ちゃんとそこにいるんじゃない。オーサン」

 親から子へ。子から孫へ。オーサンの想いは、きっとこれからも続いていく。

 
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