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第三章 農村防衛編

孤独な命

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 ナガールは目の前の敵——弓の男——が1人減ったにも関わらず、崩しきれずにいた。
 その理由の1つは、人差し指と中指をオーサンに吹き飛ばされたことだろう。予備の杖はあった。だが、右手ではもうまともに杖を持つことはできない。

 杖は魔力増幅器のような役割を担っている。杖がなくても魔法を使うことはできるが、杖を使ったときに比べると威力は数段劣る。
 左手で杖を持てば良いかと言えば、そうとも言えなかった。魔法とは繰り返しの鍛錬の成果として発現する。右手で繰り返してきたことを、突然左手でやれ、となれば、当然精度は大きく落ちる。
 そしてもう1つの理由は吹き飛ばした男——オーサンの存在である。

(弓の男にとどめを刺せなかったのは痛いですね。彼は遠距離攻撃型。動けないからと言って油断はできません)

 ナガールはリラ、エドワードと対峙しながら、オーサンをも警戒していた。それにより、踏み出すべきところで不意打ちを警戒して踏み出せずにいたのだ。
 だが、それでもナガールの優勢は変わらない。それ程に実力差は開いていた。

「おらァァアア!」とエドワードが斧を振りかぶる。大振りな斧攻撃は魔術師にとっては良い的である。斧のような隙が大きい武器は余程の使い手でもない限り、単独で突っ込むのは悪手だ。敵の隙を見極めて、一撃に両断する、というのが本来の斧の戦い方である。仲間の補助ありきなのだ。

 ナガールがエドワードに魔法を打ち込もうとすると、鞭が伸びて来た。ナガールは後ろに跳んで避ける。鞭はエドワードを守ることが目的だったようで、それ以上追っては来なかった。

「無茶しないで! ちゃんと戦況を見極めなさい!」とリラがたしなめると、エドワードが「分かってる!」と余裕のない返事を返す。

 双方の距離が開いたので、ナガールがオーサンに一瞬視線を向けて、様子を覗った。そして目を見張る。

 オーサンは弓を構えていた。
 ナガールに向けられているのであれば、さほど驚くことでもない。瀕死の状態で、それでも戦線に貢献しようということだ。あっぱれではあるが、別に意外なことでもなかった。

 だが、現に起こっているのはそういうことではなかった。オーサンの弓は上空に向けられているのだ。

(狙いは……私ではない?)

 弓が向けられた方角に目を凝らすと、メランが浮遊魔法でこちらに飛んでくるのが見えた。おそらく、戦闘中のナガールを見つけて、獲物を掻っ攫おうと寄って来たのだ、と推察する。

 彼女に危険を知らせなかったのは、その必要がなかったからだ。
 まだメランは遥か遠くにいる。オーサンの力量であの距離まで矢が届くとは思えない。届いたとしても、大きく弧を描く山なりの超遠距離射撃になる。メランをピンポイントで射貫けるはずがない。そう判断してのことである。

 だから、オーサンが矢を放った瞬間、言葉を失った。
 山なりどころではない。直線。恐ろしく速く、正確な弾道だった。矢が放たれた瞬間、メランはそのことに気が付かない。

 もう手遅れの距離まで来て、ようやくメランが「あ」と言うような顔をした。そこには恐怖も悔恨もない。ただ「何か来ていると気付いた」だけの顔だった。そして次の感情が押し寄せる間もなく、彼女の上半身が吹き飛んだ。即死だ。痛みすら感じなかっただろう。血と肉片が霧散するように飛び散った。

 ナガールは「じきにこちらにも、あの矢が来る」という危機感から、後ろに退こうとして顔を正面に向けた時、迫りくる槍を見た。

 メランの方に顔を向けている限り完全に死角の方角から、飛んできていた。速い。

 ——が、まだ間に合う。

 ナガールは横に滑るように槍を躱そうとする。
 しかし、その途中、ガクンと動きが止まった。見ると鞭が右手首に絡まっており、避けようとするナガールを再び引っ張り寄せた。

 その一瞬の僅かな時間に言葉など発せるはずがないのに、ナガールには「逃がさないわよ」とリラが言っているように聞こえた。

 リラからはルイワーツの槍は見えていない。だから、リラがナガールの動きを止めたのは勝負勘が為した結果だった。ナガールが何かを恐れ退こうとしている、ならば退かせない。
 そう判断したリラの選択は正しかった。

 ナガールが身をよじり、なおも槍を躱そうともがく。
 だが、槍の方が一瞬早く、ルイワーツの槍はナガールの左肩を貫通して、地に深く刺さった。ナガールの左腕が宙を舞う。

 痛みに抗う叫びが空気を切り裂くように響いた。
 ナガールは右手の指を欠損し、左手を槍に吹き飛ばされた。もはや魔法を使うことは叶わない。
 

(くっ、だが、まだだ。まだ生きている。一旦退いて——)

 
 ナガールが一歩後ずさり、逃亡しようと踵を返すが、

「もうその厄介な魔法、使えないもんな」

 エドワードが立ちふさがる。
 これまでの戦いで、散々位置取りを誤って、その都度リラに助けられていたエドワードだったが、ここにきて、絶好のポジションで斧を振りかぶっていた。
 斧使いは相手の油断に滑り込み、その一撃で戦いを終わらすものだ。まさに今のエドワードはそれを体現していた。

「終わりだ執事野郎」

 ナガールの胴に斧の刃が食い込み、肉を引き裂くような強引な斬撃で、文字通りナガールの体は両断された。
 ナガールの上半身が地に落ちる。
 彼の死は確定したが、まだ意識は残っていた。

(グラハ様……先に行っております。どうかご武運を)

 目を閉じて安らかな顔で死ぬ資格は自分にはない。
 徐々に重たくなる瞼を押し上げるように、ナガールは最後の世界を見つめた。
 リラとエドワードが、オーサンのもとに駆け寄る後ろ姿を見送る。
 

 私を案じて寄って来る者などいない。それが私の歩んできた——私の選んだ道だ。

 
 グラハ坊ちゃん、と最後に呟く。
 誰も受け取る者のいない最後の言葉は虚しく闇夜に吸い込まれる。
 誰にも看取られずに孤独な命は静かに消失した。

 
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