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浦島太郎外伝6 鯛は昔の夢を見て

六話

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 それから、一ヶ月ほどが経った。
 鯛は完全に仕事復帰をし、体も綺麗に戻った。壊死していた部分も肉ができて皮膚も綺麗に元通り。
 これを機に、鯛は浦島に謝罪した。貶めたこと、騙したこと、全て自分の画策あっての事だった事。
 正直、少しだけ心臓が痛かった。してしまったことの大きさは計り知れないだろう。荷物をまとめてここを去る覚悟もしていた。だが、浦島は笑って全部を許してくれた。そしてこれからも変わらず、側にいて欲しいと言ってくれた。
 寛大すぎる主にどれだけ感謝したか知れない。そして誠心誠意、竜王ではなくこの人にお仕えしようと心に決めた。
 周囲は鯛に「変わった」と言う。空気が柔らかいと言うのだ。正直自覚はないが、もしそれが事実ならきっと呪縛が解けたことともう一つ、大事な事を知ったからだろう。

 心地よい、温かな日。今日は朝から大いに悩んでめかし込んでいる。朱色に黒の着物に、白の帯を締めて簪を差して。普段は派手になりすぎるからと差さない紅も差してみて鏡の前に立つ。部屋にはここに辿り着くまでに試着した着物が何着も広がっていて酷い有様だ。

「ようやく決まりましたね、朱華様」
「綺麗だよ、朱華さん」

 鯛の後ろでは散らばった着物や帯、小物を拾い集めてくれている平目と浦島が笑っている。

「あぁ、そのような事をなさらないで下さい浦島様! 平目もいいのですよ、後でしますから!」
「いえ。このような高価な着物を投げっぱなしにしておく方が気がかりですのでお気になさらず」
「こんなに決められない朱華さんも珍しいので、見ている分には楽しかったですよ」
「そんな、からかわないで下さい」

 自分がこんなに優柔不断だとは思わず、鯛自身も驚いているのだ。ここに落ち着いたのも平目や浦島の助言あってのことだった。

「ふふっ、朱華さん可愛いです」
「浦島様……」
「恋は人を変えるといいますが、こうまで変わると別人かと。まぁ、仕事場では鬼のままですが」
「平目まで。もう……誰にも言わないでくださいよ」

 こればかりは言われても仕方がない。鯛は溜息をついて苦笑し、すっくと立ち上がった。

「それでは、行って参ります。浦島様、お暇を下さり有り難うございます。平目、今日はお願いしますね」
「うん、楽しんできてね」
「行ってらっしゃいませ」

 二人に送り出され、一礼した鯛は待ち合わせの場所へと心持ち急いで向かった。
 竜宮を抜けた町の入口に彼はいた。きっちりと衿を正し、柄物の羽織を羽織った姿なんて想像していなかった。更に長い髪を一本に束ねて。見慣れなくて誰かと思う。

「お待たせしました」

 側へとゆくと、海蛇はふと目元を緩める。並べば鯛よりは頭一つは大きい。手は武官だけあって大きくてごつい。その手が擽るように頬に触れた。

「めかし込んできたのか?」
「一応、逢瀬でしょ」

 さわさわと触れる手がくすぐったいが、その奥に隠れる感覚も知っている。だからこそ、こんな日の高いうちは遠慮願う。ぱっといつもの調子で手を払ってしまった鯛はハッとして彼を見たが、気分を悪くした様子はなく逆にニッと笑う。
 だから調子が狂うんだ。普通こんな扱いをされたら嫌な顔をするものだ。

「それで?」
「ん?」
「どこ、行くんですか?」

 問うと、海蛇はまた表情を変える。明るく先を見る目は楽しそうだ。その顔に見入っていると、不意に視線が合ってまたニッと笑われる。見ていたの、気づいただろう。
 だがそんな事はあえて言わない。手を取って、町の方へと促してきた。

「表を軽く流して、飯にしよう」
「そう、ですね」

 思えば久しぶりの町だった。
 門を入ると大きな通りがあり、大店や小間物屋が並ぶ。そこを覗きながら、ふとお土産を買おうかと思い至る。竜宮に入ってくる小物は一級品だが可愛くはない。小間物屋に並ぶのは安いが可愛らしくて色が鮮やかな物が多い。
 浦島に匂い袋などどうだろう。綺麗な布の小袋はさりげなく袂や胸元に忍ばせても良さそうだ。平目には櫛がいい。時々寝癖がついている。公子には……。

「おいおい、いきなり荷物だらけになるぞ」
「はっ!」

 少し後ろから言われてハッとした。いきなり土産では確かに両手に荷物。今日はここだけで終わらないのだから邪魔になってしまう。
 なくなく身を引くと、海蛇が可笑しそうに笑った。

「アンタ、案外抜けた所もあるんだな」
「五月蠅いですね。久しぶりで少し浮かれたんですよ」
「へー、浮かれてくれたのか」
「っ!」

 墓穴を掘りまくりで恥ずかしい。その髪に、海蛇が店頭の簪を一つ差した。小さな桜貝を連ねた牡丹の簪は、動きに合わせて音を立てて揺れた。

「似合うじゃん」
「え?」

 売り物なのにと慌てて返そうとするが、店主もにっこり笑って手を振っている。そこでようやく、既にお代を払った後なんだと知った。

「ちょっと、いつの間に」
「アンタが夢中になりすぎるんだよ」

 可笑しそうに笑う海蛇が手を差し伸べる。戸惑いながらもその手を取ると、ぐっと引き寄せられる。思わず前のめりになる体を支える手の大きさを改めて知らされて、鯛は顔が熱くなるのを誤魔化すようにそっぽを向いた。
 海蛇が鯛を食事に連れてきたのは、ごく普通の食堂だった。空いている席に座ると店主が出てきて水を出す。そして親しげに海蛇に話しかけた。

「青の旦那、今日は随分なべっぴんさんを連れてるじゃないか」
「だろ?」

 べっぴんなんて。少し気恥ずかしくて俯くが、海蛇はニッと笑う。

「俺のご主人様だ」
「ちょ! ご主人様はないでしょ!」

 言いようがあんまりで思わず顔を上げて声を上げると、海蛇は楽しそうに、店主は驚いた顔で鯛を見た。

「こら驚いた、雄かい」
「あ、えっと……」
「竜王様とお妃様の世話係だ」
「はー、そらべっぴんな訳だ。雄同士の夫婦も割と見るが、こんな美人はそうそうないからな。青さん、やったな畜生!」

 楽しそうにする店主に注文をすると、何故か熱燗が一本ついてくる。見れば「青さんにつけとくよ」なんて言うが……きっと、店主の気持ちだろう。
 店の中を見回すと、ごく普通の町人達が思い思いに食事を楽しんでいる。活気のある声も響くそこはちょっと懐かしくも思えた。

「良くこの店に来るのですか?」
「ん? たまにな。昼は警邏とかで町に出ている事も多いし、良く食う後輩なら量が多い方が喜ばれる。ここは味も美味いぜ」
「そうなんですね」

 知らなかった。思えばここ何百年もろくに竜宮から出ていない。自分が知っている頃から随分と変わっただろう。
 程なく料理が大皿で運ばれてくる。これも店主の心付けかと思ったが、常時この量らしかった。それで価格も抑えているとは感心だ。
 味はとてもはっきりとしている。甘い辛いがしっかりで、竜宮とはまったく味付けが違う。竜宮はもっと薄味で出汁が利いている。

「美味いか?」
「はい、美味しいですよ」
「なら良かった」

 ほっとした様子の海蛇が美味しそうに食べている。実はこの姿も珍しい。彼は普段兵隊用の宿舎にいるから、本殿には用事がないと来ない。必然的に食事も別になりがちだ。
 美味しそうに、そして豪快に食べるものだ。細いのに案外大食漢だ。そういえば、倒れたあの日はどうして本殿にいたのだろうか。

「青埜」
「ん?」
「私が倒れた日、どうしてお前は本殿にいたのですか? 普段は宿舎で食べるか、町に出るでしょ?」

 問うと、彼は「あ……」とばつの悪い顔をして額をかいた。

「日中、たまたまアンタを見かけた時いつもの元気がなかったように思ったんだよ。それで気になって、だな……」
「!」

 全然気づいていなかった。というか、もしかしたら普段もさりげなく見られていたりしたのだろうか。こちらが気づいていないだけで。

「いや、たまたまだ! 宿舎の二階から見えただけで」
「別に監視されているとか思っていませんよ! その……ご心配、おかけしました」

 海蛇は時々、不意に声を掛けてくることがあったが……もしかして見られていて、気を遣わせていたのかもしれない。ちょっと恥ずかしい感じだった。

 食堂を出て、また少し歩き出す。その間の話題はさっきの食事の事だった。

「美味かったか?」
「えぇ。竜宮とは違う感じで好きです。たまにはですけれど」
「気の利いた店じゃなくて悪かった」
「おや、気にするのですか?」
「そりゃ、多少はな。だが、そういう店はあまり行かないから分からないし、それで失敗するのもかっこ悪いだろ。それなら、普段食ってる確かな店の方がいいと思ったんだ」

 彼なりに気を遣った結果だと知って、鯛は笑う。これまで高い店に誘われる事はあったが、竜宮より美味しい所はあまりない。それなら、大衆食堂のほうが珍しい。
 いや、懐かしいだろうか。

「やっぱ、気にするか?」
「いいえ、ちっとも。懐かしいですよ」
「懐かしい?」
「おや、知りませんか? 私は元々この辺りの出ですよ。すっかり様変わりしていますが」

 見回すとけっこう子供が走り回っている。かつて鯛も、この子供達と同じだった。

「私も朱貴も、この子供達と同じ。気づけば親はなく、長屋の一室でなんとか生活していた状態です。長屋の住人達に面倒を見てもらっていました」
「親がいないって……どうしたんだよ」
「分かりません。周囲の大人によれば商売に出て、帰ってこなかったらしいのですが。何も覚えていなかったので」
「案外、苦労してたんだな。俺はてっきりお嬢様育ちかと思っていた」
「案外、根性逞しいのですよ」

 にっこりと笑う鯛は、不意に海蛇を見る。そして改めて首を傾げた。

「お前は?」
「ん?」
「青埜はどうして、東の海に残ったのですか? 南に帰る事も出来たと聞いていますが」
「あぁ」

 改めて考えると知らない事も多い。小さな海蛇が蛸の厄介になっていることは聞いた。少し大きくなってから顔を合わせたが、どうして彼がここに残ったのか。それについては知らなかった。

「俺も親なしだ。というか、俺達は産まれたらもう頼るものがない。沢山いた兄弟も何人生き残ったか。南に帰っても寄る辺もないから、こっちに残ったんだ。少なくとも蛸は面倒見てくれそうだったし、仕事してれば飯にありつけたからな。少し寒いくらいは我慢できるし、今は慣れた」
「海蛇もまた、厳しいのですね」

 彼らは強力な毒を持っている。生き残るのも容易に思えたが、どうやらそう簡単ではないようだ。
 海蛇は苦笑しながら頷いた。

「まぁ、幼体ってのはそういうもんだ。竜王の加護があって早々に人化できただけ運が良かったのさ。人化できるかそのままか、これが竜宮やその城下に住めるか、ただの魚で終わるのかの分岐点だしな」
「確かに、産まれてすぐに運命が分かれますね。人魚の両親から必ずしも人魚が産まれるわけではない。竜王様の加護が現れるかどうかが人化への分かれ目ですね」

 幼い頃から加護が強く人化出来る者もいれば、成体になるにつれて人化出来る者もいる。そして当然、死ぬまで人化せず魚のままでいる者が大半なわけだ。これは産まれた時にある程度決まっているし、竜王が故意に行っているわけでもない。運なのだろう。

「その点で、俺はまだ運が良かった。そして、より安全を目指して竜宮への食い物に蛇のまま潜り込み、たまたま吸い込まれた先が今の竜王様の所で、なおかつ人情のある蛸に見つかったのもな」
「偶然にしてはできすぎな気もしますね」
「こういうのを、運命っていうんじゃないのか?」

 ニッと笑う海蛇に、鯛はそっぽを向く。本当は、自分もそう思ったのだ。それを悟られるのが少し恥ずかしくて、鯛は少し前を行く。

「おい、朱華」
「たまたま運が良かっただけですよ。それで全部使い果たしたんじゃありません?」
「そういうこと言うなよ。俺はアンタと所帯を持つまで頑張るんだからな」
「……所帯を持つまでで、いいんですか?」
「ん?」

 その言い振りでは、所帯を持ったら終わりに聞こえる。その先を、鯛は見ているのに。

「……公子様、最近浦島様や那亀もいて徐々に私の手を離れてきているので少し、寂しいのですよね」
「え?」
「子供、可愛いなと思うんですが……貴方は嫌いですか?」
「え……それって!」

 少し赤くなった海蛇を、鯛は綺麗な笑顔で見ていた。
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