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浦島太郎外伝5 老いても変わらぬ愛を誓い
二話
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蛸は最近、庭仕事以外にも仕事を請け負った。昔の経験を生かした仕事は意外と楽しく、面倒見のいい蛸には似合いの仕事だった。
道場にドタン、バタンという音がする。畳の床の中央に仁王立ちする蛸の前では鮫の会兒が倒れていた。
「どうした、もう終わりか?」
「仁の旦那、強いっす!」
もう何度も組み手をしては倒されている。鮫もなかなかに強いのだが、蛸の体格と腕力には敵わない。特に彼は若くて、鮫の中ではまだ小さい。これから大きくなるだろうから、いつまでも蛸の圧勝とはいかなくなるだろうが。
疲れたのか床に大の字に倒れた鮫に笑い、蛸は手ぬぐいを投げてやり、水を差しだした。
「お前はよくやっているぞ」
「嬉しいっす! あー、でもまったく通用してないからな。実感ない感じだぁ」
そんな事を言ってジタジタと床を転がる鮫を、蛸は懐かしい思いで見ている。息子の鍛錬に付き合うと、あいつもこんな風になっていた。
「お前はまだ若くて、これから体も大きくなるだろ。そうなったら俺でも苦戦必至だ」
「うっす」
上半身を起こした鮫は竹筒の水を飲み、ジッと蛸を見た。
「それにしても、どうして武官やめちゃったんすか? 今でも十分強いじゃないっすか。青の旦那よりも先輩だってきいてるんだけどよぉ」
「あぁ……」
汗を拭い水を飲みながら、蛸は苦笑した。
「トシに反対されてしまってな」
「俊の旦那に? あー、夫婦でしたっけ?」
「あぁ。夫婦になって直ぐの頃に、仕事で足を一本食われてしまってな」
「げぇ!」
「大げさだ。食われたと言ってもほんの少しで、根元からなくなったわけじゃない。竜王様のおかげで今では綺麗に再生もしてもらった。が……トシとしては辛かったんだろう。泣かれてしまってな」
「愛情深いっすね、俊の旦那」
「あぁ。その後で子供もできたんで、体を考えて危険な仕事からは引退して欲しいと言われてしまってな」
「くっはぁ、いいっすね! やっぱ、子供のためにも父ちゃんは大事ってことで」
「いや、俺が産んだんだが……」
「……マジか。烏賊ぱねぇ……」
ギョッとした顔をする鮫を見ると、やはりこれが普通の反応に思える。海蛇すら、蛸が妊娠したと聞いて眠そうな目を見開いたのだ。
当然の反応、なのだろうな。
「あぁ、でも仁の旦那が母ちゃんってのは羨ましい気もするっすね」
「え?」
思いがけない鮫の言葉に、蛸は驚いて彼を見る。道場の床に胡座をかいたまま、鮫はギザギザの歯をニッカと見せて笑った。
「仁の旦那は面倒見が良くて世話焼きで、すっごく子供好きっすもん。安心して甘えられる感じがして、ちょっといいなと思っちまって」
「そ……そうか?」
「うっす! 俺もガキいるっすけど、旦那みたいな度量のでかさはないんでいっつも喧嘩っすよ。まぁ、もう独り立ちしたっすけど」
「お前、子供いるのか!」
驚いて鮫を見ると、頷きながら笑っている。
「五人くらい産んだっす。俺、これでも兄貴達に可愛がられてるんでさ」
「そんなにか!」
「おっす! 今回頑張ったんで余計に誘われるようになったんすが、次の発情期にはおやっさんが種付けてくれるって約束っす」
「嬉しそう、だな……」
「? 勿論すよ。鮫はそれで無くても縄張り争いやらで早死にが多いんで、ガンガン子供産んでドンドン他へも出て行く。やっぱ、強い雄の子はデカくて強くなるんで、生き残れるっすよ。親として……なんて、立派な愛情があるわけじゃないっすけど、産んだからには生き残ってもらいたいもんす」
「そういう、ものなんだな」
鮫は竜王が治める海域でも端の方にいる事が多かった。その辺りは治安もよくない。さぞ、生きにくかったのだろう。とにかく種を残そうという考えが見える。
やはり、少し考える。烏賊は望んでくれる。愛情も示してくれる。それに応えたいとは思うし、嬉しくもある。こんな中年相手に求めてくれるのだ。あの頃から大分年を取ったのに。
「鮫は年取って体が大きくなったら、今度は種付けする側にまわるっすよ。それまではじゃんじゃん産むっす。兄貴達の中には若い頃に二〇~三〇も産んだ強者もいるっすよ!」
「そんなにか!」
「尋常じゃないっすよね。しかもそっちのが気持ちいいとか言って、未だに産む方なんで周囲じゃ『姉御』って呼ばれてて」
「そういえば、鮫は番にはならないのか?」
「ないっす。縄張り全部が家族というか、仲間なんで。発情の季節になるとその中から相手探してガキ作って別れて、次がきたらまた違う相手っすね」
「それも凄いな」
「ガキの面倒は全体で。縄張りを仕切ってるおやっさんには逆らわない。これが鮫っす」
「な、なるほど……」
それもまた、すさまじい世界な気がする。
だが、鮫との話は少しばかり蛸を考えさせた。種を残そうと言うのは確かに生物の本能だ。そして蛸は、烏賊の事を愛している。愛した相手と夫婦となり、子を設けて……大分時間が経って、今になってまた確かめ合うように。
「でも、ちょっとばかり決まった相手と添い遂げるってのも、憧れてきちゃうっすよ」
「ん?」
「それくらい好きな相手とちちくりあって生きてくってのも、悪かないような気がしてるっていうか。竜王様と浦島さん、すっごく幸せそうで羨ましい!」
「それは、確かに分かるな」
あの二人のように、睦まじく愛し合って……。
少しずつ揺れ始める気持ちに、蛸はまるで迷子のような心許ない気分になったのだった。
鮫との手合わせを終えて汗を流し着替えた蛸が歩いていると、縁側でおやつを食べている公子と那亀、そして浦島を見つけた。
公子が真っ先に蛸を見つけて声をかけ、浦島も振り向いてにっこりと微笑んでくれた。
「仁さん、お疲れ様です。お稽古ですか?」
「あぁ。まさかこの年で指南役なんて事をするとは思わなかったよ」
苦笑して返す蛸に、浦島はおっとりと笑った。
浦島の膝の上でおやつを食べる公子と、その隣で同じように笑っている那亀。自分にもこんな時があったように思うと懐かしく思う。この時を、取り戻したいと烏賊は思ってくれたのだろうか。
「仁さん?」
「え?」
「何か、悩み事ですか?」
心配そうに浦島が問いかける。その鋭さに少し驚いた。
浦島は案外人を見ているのだと最近気づいた。元気がない、何か隠し事、不安そう。わりと気安く話をするが、彼はその辺をよく見ている。鯛のように観察眼が鋭いというのとは少し違う。人を思いやれる人だからこそ、ほんの少しの機微に気づけるのだと思う。
膝の上の公子をおろし、那亀と遊んでくるようにと言って出してしまう。公子は素直に那亀と庭先で遊び始める。そうして改めて蛸を見上げ、にっこりと笑った。
この人にも敵わない。蛸は苦笑し、大人しく隣に座った。
「子供達は毎日元気ですよね。あんなに動き回ったら俺、きっと次の日起きられませんよ」
「浦島殿はまだまだ若い。そんな事にはならないでしょう」
「そんな! 俺は仁さんみたいに鍛えていませんから、ついて行くのもやっとです。これから大きくなってますますすばしっこくなるのかと思うと、ちょっとぐったりしますよ」
明るい笑みを浮かべてそんな事を言う浦島に、蛸も笑う。この人と一緒にいると気持ちが軽くなるのが不思議だ。あの鯛ですら毒を抜かれるのだから、凄い人だ。
「俺こそ、いつまでついていけるか。指南役など始めたものの、抜かれそうで怖いですよ。寄る年波には勝てません」
「弱気ですね、仁さんらしくない」
「らしくない……か」
そうかもしれない。ここ最近、考え事をしている事が多い。それに比例して手が止まる事が多く、亀や鯛にも首を傾げられた。
「俺でよければ、悩み事聞きますよ」
「……浦島殿は、御子を授かった時に戸惑われなかったか?」
人間もまた、生まれ持った性が変わることがない。その常識の中で生きてきた浦島は、竜王の御子を授かった時に戸惑わなかったのだろうか。ふと出てきた疑問を蛸は口にした。
浦島は曖昧に笑うが、俯いて自らの腹を撫でる。今はそこに子などいないが、思い出しているようだった。
「戸惑いました」
「……そうか」
「驚いたし、頭の中が真っ白になりました」
「……そう、だろうな」
浦島がここに来て長いような気がするが、案外こういう事は聞いたことがない。だが言わないだけなんだろうとは思っていた。今でこそ受け入れているが、普通は受け入れなど出来ない事なんだろう。
「でも」
「?」
「今はとても幸せです。公子を産んで良かった」
そう、ふわりと花が咲くように微笑む浦島を、蛸は驚いて見てしまう。いや、この答えも分かっていたんだが。
「……実は、トシに迫られていてな」
「トシさん?」
「二人目、作らないかと」
「!」
浦島は驚いて、その後で顔を赤くしながら蛸の手を握る。ゴツゴツした無骨な手に、華奢な手で握ってくる。そうして何度も頷いた。
「いいと思います!」
「おかしくないか? こんな……おっさんが」
「そんな事ないです! 素敵な事だと思います!」
「……他に、何か言われそうだ」
「そんなの放っておけばいいし、竜宮の人はそんな事言いません! 仁さんと俊さんがそういう気持ちでいるのなら、それが正しいんだと俺は思います」
真っ直ぐな言葉、真っ直ぐな気持ち。皆が浦島を好ましく思うのは心根の優しさや素直さばかりではない。真っ直ぐに、誰かを心から応援してくれる。柔軟に受け止めてくれる。全てを包み込む竜王の器の大きさとは別種の包容力が、この人にもあるのだ。
まるで、慈母だろうか。
「嫌、なんですか?」
「……いいや。ただ、悩みはしていた。この年で子供を作って、年甲斐も無くみっともないと思っていた。見た目が若ければまだ恥ずかしくはないのだろうが、見た目もおっさんだからな。他人にどう思われるかを、考えてしまった」
一番考えてやらなければならないのは、烏賊の事なんだろうに。
「みっともないなんて俺は思いません。お二人の気持ちがそちらに向いているなら、いいことだと思います。竜王様も子作り推奨していますし」
「申し訳なさそうだったな、竜王様は」
「自分の事で皆が気を使っていたのに気づいて、凄く小さくなっていましたね。竜宮の城下にも自由に行けるし、求めるなら子作りの薬も出すと言っていましたから」
「大盤振る舞いだな」
そう、今はそういう風が吹いている。これに乗じて少し浮かれたふりをしても、罰は当たらないのかもしれない。
蛸は立ち上がり、浦島に笑いかける。その笑顔はどこか吹っ切れて、晴れ晴れとして見えた。
「大丈夫そうですね」
「あぁ。今日、烏賊と話してみる」
「はい」
にっこりと微笑む浦島に手を振って、蛸は今日の夜を少しだけ、楽しみにするのだった。
道場にドタン、バタンという音がする。畳の床の中央に仁王立ちする蛸の前では鮫の会兒が倒れていた。
「どうした、もう終わりか?」
「仁の旦那、強いっす!」
もう何度も組み手をしては倒されている。鮫もなかなかに強いのだが、蛸の体格と腕力には敵わない。特に彼は若くて、鮫の中ではまだ小さい。これから大きくなるだろうから、いつまでも蛸の圧勝とはいかなくなるだろうが。
疲れたのか床に大の字に倒れた鮫に笑い、蛸は手ぬぐいを投げてやり、水を差しだした。
「お前はよくやっているぞ」
「嬉しいっす! あー、でもまったく通用してないからな。実感ない感じだぁ」
そんな事を言ってジタジタと床を転がる鮫を、蛸は懐かしい思いで見ている。息子の鍛錬に付き合うと、あいつもこんな風になっていた。
「お前はまだ若くて、これから体も大きくなるだろ。そうなったら俺でも苦戦必至だ」
「うっす」
上半身を起こした鮫は竹筒の水を飲み、ジッと蛸を見た。
「それにしても、どうして武官やめちゃったんすか? 今でも十分強いじゃないっすか。青の旦那よりも先輩だってきいてるんだけどよぉ」
「あぁ……」
汗を拭い水を飲みながら、蛸は苦笑した。
「トシに反対されてしまってな」
「俊の旦那に? あー、夫婦でしたっけ?」
「あぁ。夫婦になって直ぐの頃に、仕事で足を一本食われてしまってな」
「げぇ!」
「大げさだ。食われたと言ってもほんの少しで、根元からなくなったわけじゃない。竜王様のおかげで今では綺麗に再生もしてもらった。が……トシとしては辛かったんだろう。泣かれてしまってな」
「愛情深いっすね、俊の旦那」
「あぁ。その後で子供もできたんで、体を考えて危険な仕事からは引退して欲しいと言われてしまってな」
「くっはぁ、いいっすね! やっぱ、子供のためにも父ちゃんは大事ってことで」
「いや、俺が産んだんだが……」
「……マジか。烏賊ぱねぇ……」
ギョッとした顔をする鮫を見ると、やはりこれが普通の反応に思える。海蛇すら、蛸が妊娠したと聞いて眠そうな目を見開いたのだ。
当然の反応、なのだろうな。
「あぁ、でも仁の旦那が母ちゃんってのは羨ましい気もするっすね」
「え?」
思いがけない鮫の言葉に、蛸は驚いて彼を見る。道場の床に胡座をかいたまま、鮫はギザギザの歯をニッカと見せて笑った。
「仁の旦那は面倒見が良くて世話焼きで、すっごく子供好きっすもん。安心して甘えられる感じがして、ちょっといいなと思っちまって」
「そ……そうか?」
「うっす! 俺もガキいるっすけど、旦那みたいな度量のでかさはないんでいっつも喧嘩っすよ。まぁ、もう独り立ちしたっすけど」
「お前、子供いるのか!」
驚いて鮫を見ると、頷きながら笑っている。
「五人くらい産んだっす。俺、これでも兄貴達に可愛がられてるんでさ」
「そんなにか!」
「おっす! 今回頑張ったんで余計に誘われるようになったんすが、次の発情期にはおやっさんが種付けてくれるって約束っす」
「嬉しそう、だな……」
「? 勿論すよ。鮫はそれで無くても縄張り争いやらで早死にが多いんで、ガンガン子供産んでドンドン他へも出て行く。やっぱ、強い雄の子はデカくて強くなるんで、生き残れるっすよ。親として……なんて、立派な愛情があるわけじゃないっすけど、産んだからには生き残ってもらいたいもんす」
「そういう、ものなんだな」
鮫は竜王が治める海域でも端の方にいる事が多かった。その辺りは治安もよくない。さぞ、生きにくかったのだろう。とにかく種を残そうという考えが見える。
やはり、少し考える。烏賊は望んでくれる。愛情も示してくれる。それに応えたいとは思うし、嬉しくもある。こんな中年相手に求めてくれるのだ。あの頃から大分年を取ったのに。
「鮫は年取って体が大きくなったら、今度は種付けする側にまわるっすよ。それまではじゃんじゃん産むっす。兄貴達の中には若い頃に二〇~三〇も産んだ強者もいるっすよ!」
「そんなにか!」
「尋常じゃないっすよね。しかもそっちのが気持ちいいとか言って、未だに産む方なんで周囲じゃ『姉御』って呼ばれてて」
「そういえば、鮫は番にはならないのか?」
「ないっす。縄張り全部が家族というか、仲間なんで。発情の季節になるとその中から相手探してガキ作って別れて、次がきたらまた違う相手っすね」
「それも凄いな」
「ガキの面倒は全体で。縄張りを仕切ってるおやっさんには逆らわない。これが鮫っす」
「な、なるほど……」
それもまた、すさまじい世界な気がする。
だが、鮫との話は少しばかり蛸を考えさせた。種を残そうと言うのは確かに生物の本能だ。そして蛸は、烏賊の事を愛している。愛した相手と夫婦となり、子を設けて……大分時間が経って、今になってまた確かめ合うように。
「でも、ちょっとばかり決まった相手と添い遂げるってのも、憧れてきちゃうっすよ」
「ん?」
「それくらい好きな相手とちちくりあって生きてくってのも、悪かないような気がしてるっていうか。竜王様と浦島さん、すっごく幸せそうで羨ましい!」
「それは、確かに分かるな」
あの二人のように、睦まじく愛し合って……。
少しずつ揺れ始める気持ちに、蛸はまるで迷子のような心許ない気分になったのだった。
鮫との手合わせを終えて汗を流し着替えた蛸が歩いていると、縁側でおやつを食べている公子と那亀、そして浦島を見つけた。
公子が真っ先に蛸を見つけて声をかけ、浦島も振り向いてにっこりと微笑んでくれた。
「仁さん、お疲れ様です。お稽古ですか?」
「あぁ。まさかこの年で指南役なんて事をするとは思わなかったよ」
苦笑して返す蛸に、浦島はおっとりと笑った。
浦島の膝の上でおやつを食べる公子と、その隣で同じように笑っている那亀。自分にもこんな時があったように思うと懐かしく思う。この時を、取り戻したいと烏賊は思ってくれたのだろうか。
「仁さん?」
「え?」
「何か、悩み事ですか?」
心配そうに浦島が問いかける。その鋭さに少し驚いた。
浦島は案外人を見ているのだと最近気づいた。元気がない、何か隠し事、不安そう。わりと気安く話をするが、彼はその辺をよく見ている。鯛のように観察眼が鋭いというのとは少し違う。人を思いやれる人だからこそ、ほんの少しの機微に気づけるのだと思う。
膝の上の公子をおろし、那亀と遊んでくるようにと言って出してしまう。公子は素直に那亀と庭先で遊び始める。そうして改めて蛸を見上げ、にっこりと笑った。
この人にも敵わない。蛸は苦笑し、大人しく隣に座った。
「子供達は毎日元気ですよね。あんなに動き回ったら俺、きっと次の日起きられませんよ」
「浦島殿はまだまだ若い。そんな事にはならないでしょう」
「そんな! 俺は仁さんみたいに鍛えていませんから、ついて行くのもやっとです。これから大きくなってますますすばしっこくなるのかと思うと、ちょっとぐったりしますよ」
明るい笑みを浮かべてそんな事を言う浦島に、蛸も笑う。この人と一緒にいると気持ちが軽くなるのが不思議だ。あの鯛ですら毒を抜かれるのだから、凄い人だ。
「俺こそ、いつまでついていけるか。指南役など始めたものの、抜かれそうで怖いですよ。寄る年波には勝てません」
「弱気ですね、仁さんらしくない」
「らしくない……か」
そうかもしれない。ここ最近、考え事をしている事が多い。それに比例して手が止まる事が多く、亀や鯛にも首を傾げられた。
「俺でよければ、悩み事聞きますよ」
「……浦島殿は、御子を授かった時に戸惑われなかったか?」
人間もまた、生まれ持った性が変わることがない。その常識の中で生きてきた浦島は、竜王の御子を授かった時に戸惑わなかったのだろうか。ふと出てきた疑問を蛸は口にした。
浦島は曖昧に笑うが、俯いて自らの腹を撫でる。今はそこに子などいないが、思い出しているようだった。
「戸惑いました」
「……そうか」
「驚いたし、頭の中が真っ白になりました」
「……そう、だろうな」
浦島がここに来て長いような気がするが、案外こういう事は聞いたことがない。だが言わないだけなんだろうとは思っていた。今でこそ受け入れているが、普通は受け入れなど出来ない事なんだろう。
「でも」
「?」
「今はとても幸せです。公子を産んで良かった」
そう、ふわりと花が咲くように微笑む浦島を、蛸は驚いて見てしまう。いや、この答えも分かっていたんだが。
「……実は、トシに迫られていてな」
「トシさん?」
「二人目、作らないかと」
「!」
浦島は驚いて、その後で顔を赤くしながら蛸の手を握る。ゴツゴツした無骨な手に、華奢な手で握ってくる。そうして何度も頷いた。
「いいと思います!」
「おかしくないか? こんな……おっさんが」
「そんな事ないです! 素敵な事だと思います!」
「……他に、何か言われそうだ」
「そんなの放っておけばいいし、竜宮の人はそんな事言いません! 仁さんと俊さんがそういう気持ちでいるのなら、それが正しいんだと俺は思います」
真っ直ぐな言葉、真っ直ぐな気持ち。皆が浦島を好ましく思うのは心根の優しさや素直さばかりではない。真っ直ぐに、誰かを心から応援してくれる。柔軟に受け止めてくれる。全てを包み込む竜王の器の大きさとは別種の包容力が、この人にもあるのだ。
まるで、慈母だろうか。
「嫌、なんですか?」
「……いいや。ただ、悩みはしていた。この年で子供を作って、年甲斐も無くみっともないと思っていた。見た目が若ければまだ恥ずかしくはないのだろうが、見た目もおっさんだからな。他人にどう思われるかを、考えてしまった」
一番考えてやらなければならないのは、烏賊の事なんだろうに。
「みっともないなんて俺は思いません。お二人の気持ちがそちらに向いているなら、いいことだと思います。竜王様も子作り推奨していますし」
「申し訳なさそうだったな、竜王様は」
「自分の事で皆が気を使っていたのに気づいて、凄く小さくなっていましたね。竜宮の城下にも自由に行けるし、求めるなら子作りの薬も出すと言っていましたから」
「大盤振る舞いだな」
そう、今はそういう風が吹いている。これに乗じて少し浮かれたふりをしても、罰は当たらないのかもしれない。
蛸は立ち上がり、浦島に笑いかける。その笑顔はどこか吹っ切れて、晴れ晴れとして見えた。
「大丈夫そうですね」
「あぁ。今日、烏賊と話してみる」
「はい」
にっこりと微笑む浦島に手を振って、蛸は今日の夜を少しだけ、楽しみにするのだった。
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