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浦島太郎外伝4 名前を呼ばない理由
一話
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実に平和な竜宮城。浦島がのんびりと散歩をしていると、少し珍しい人が庭で休憩をしていた。
「海蛇さん! 鮫さん!」
声をかけると二人はこちらを向いて、それぞれ快く出迎えてくれた。
鮫は浦島の出産で産婆をしたことで竜王の信頼を得て、今では海域の警邏を一族みなで請け負ってくれている。はぐれ者の嫌われ者と自分たちを思っていた彼らにとって竜王直々の任というのは誉れだったらしく、今ではちょっと怖いが案外世話焼きの同心状態だ。
「おう、浦島さん!」
「浦島殿、どうしたんだ?」
「散歩中。公子がお昼寝してるから、その間少しね。運動しないと太るし」
「いやいや、浦島さんはもう少し肉が付いた方が美味そう……じゃなくて! 素敵だと思うっす!」
鮫の言葉に自分の体を見てみるが……やっぱり、ちょっとぷよっとしたのは避けたい。
「ところでお二人は休憩中ですか?」
「あぁ、そんな所」
「うっす。青の旦那にちょっと報告があって来たら、休憩中だと言われちまって」
「休み中までお仕事したくないんだよ、俺は」
少し面倒そうに気の抜けた声で言う海蛇だが、浦島としてはそれよりも鮫の言った「青」というのが気に掛かった。
「青の旦那って……海蛇さんの名前?」
「ん? あぁ、そうだよ。青埜というんだ」
「そうなんだ。鮫さんは?」
「俺っすか! 俺は会兒っていうんだ。兄貴がつけてくれたんだぜ」
「名折れだよな、こいつ」
「? 意味は知らん」
二人のやり取りを聞きながら笑う浦島は、いっそのこと疑問に思っている事を聞いてみようと思った。
「竜王様が名前を呼ばないから、皆がそれに倣っているって聞いたんですけれど。竜王様はどうして名前を呼ばないんですか?」
問うと、海蛇は少し怠そうなまま教えてくれた。
「俺達は竜王様の眷属だからな。これで名まで呼ばれたら、言いなりになっちまう」
「ん?」
「言葉には魂がある。言霊ってやつだ。竜王様が自分の眷属に対して名を呼ぶと、呼ばれた相手の意志に関係なく縛ったり、その通りに動かしたり、時には思考を操作しちまうことがある。だから普段から名前を呼ばないように配慮してくださってるんだ」
そんな事まで可能なのか……。
改めて竜王の力の強さと眷属の関係を知ったが……そうなると。
「え? 俺は呼ばれても平気なんですか?」
竜王は浦島の事を「太郎」と名で呼ぶ。けれど操られているとは感じない。いや、感じないだけで実は操られているのだろうか?
疑問に首を傾げると、海蛇は大いに笑ってくれた。
「浦島殿は平気だ。アンタは眷属じゃなく奥方。竜王様の隣に並ぶ相手なんだから、操られたりしない。何よりアンタの名は竜王様がつけたものじゃないしな」
「そうなんですか? よかった……俺、流されやすいって鯛さんに言われるし心配しました」
「まぁ、確かに流されやすいのは気にしてもらいたいが……でもまぁ、名前を呼ばないのはそういうこった。でも、仲間内で名前を呼ばないという決まりがあるわけじゃないんだぜ? 自然とそうなってるだけだ」
それもなんだか寂しい話だ。折角名前があるのだから呼びたいと思う。何より他に同じ種族の人魚がいたら紛らわしい。竜王達が集まった祝言の時に、そんな事を思ったのだ。
そんな事を話していると、少し離れた所から声がする。見れば食材を運ぶ烏賊と、その烏賊を手伝う蛸がこちらへと向かって歩いてくるところだった。
「あっ、烏賊さん! 蛸さん!」
声をかけると二人は気づいて近づいてきた。
「浦島殿、休憩か?」
穏やかな視線で問う蛸に頷くと、彼も穏やかに頷く。その隣には手ぬぐいを頭にした烏賊が立っている。
烏賊は蛸にも負けない長身で、筋肉質な人だ。がっちりと盛り上がる二の腕、分厚い胸板、逞しい足腰。そして顔立ちは男らしい。肩辺りまでの白髪だが、毛先は少し黒い。切れ長で、少し気怠そうな目元だが料理をしている時はしっかりとしていて、テキパキしている。そして、浦島の食をとても心配している。
「公子殿は昼寝か?」
「はい、沢山遊んだので。今は鯛さんが見てくれています」
「そうか。公子殿は毎日庭で遊んで、俺にも声をかけてくれるいい子だ」
「公子もいつも教えてくれます。何か庭に植えたのですよね?」
「あぁ、珊瑚を数種植えている所に来られて、やってみたいと仰られてな」
「この間、俺の所にもきた。面白そうに見ていたが、流石に火や包丁は危ないのでさせられなかった」
「すり鉢を抑えるのを手伝ったと、自慢げでした」
どうやらあちこちに行っては手伝いというか、お仕事体験をしているらしい。那亀も一緒にバタバタ走り回っているらしく、迷惑じゃないかと少し心配もしていたのだが……蛸も烏賊も嫌そうではなくて良かった。
「ところで、何を話していたんだ?」
「あぁ、名前を伺っていたんです。皆さんお名前があるのを知って、できれば呼びたいと思って」
「うっ!」
素直に答えると、何故か蛸は少し引く。どうしたのだろうと首を傾げると、烏賊がニヤリと笑った。
「名か。確かに近頃じゃこいつ以外呼ばない」
「そうなんですか? ちなみに、烏賊さんはなんと仰るんですか?」
「俊造だ」
「なんか、似合ってます!」
「そう。ちなみに蛸は」
「トシ!」
「仁八」
「…………」
蛸が、思い切り恥ずかしそうな顔をして俯く。その隣で烏賊はニヤニヤしていた。
「え? 別に悪い名前じゃないじゃないですか」
「いや……その……蛸だから安易に八をつけられるというのもあまり納得がいっていなくてな。うちの兄弟は皆八がつくんだが、末になればなるほど適当でもあるし。そのうち誰が誰だか分からなくなっていてな」
「ということで、自分の名前が嫌いらしいんだ」
本当に恥ずかしいのか、蛸の顔が赤くなる。その隣で烏賊がニヤニヤ笑っているのを見ると、ここの夫婦の力関係が見える感じだ。どうやら蛸は全面的に烏賊に付き従っている感じらしく、滅多に怒らないらしい。勿論行き過ぎれば止めるが、許せる範囲は許しているとか。
鯛は「相手に手綱を握られて許容しているなんて、耐えられない」と言っていた。平目は「蛸さんは年長で、度量の大きな方です」と言っていた。納得だ。
「覚えている限り一番酷いのが?」
「……蛸八郎」
「……それは、酷いですね」
「だろうな」
苦笑した蛸は珍しく、そしてちょっと可愛くも思えた。
「おや、皆さんお集まりですか?」
「どうしたの?」
人が集まっているのを見て近づいてきたのは亀と平目で、二人は首を傾げる。そこで名前の事を伝えると、平目は少し複雑そうな顔をした。
「この間も、その話になりました」
「はい、鯛さんとですよね?」
「鯛と?」
海蛇の目は途端に険しくなる。それを疑問に思いながらも、浦島は頷いた。
「皆に名前があるのかって話になって、名前を教えていただきました」
「あいつが名乗ったのか?」
「はい」
「……あいつも、自分の名前が嫌いなのにな」
海蛇はとても気遣わしい顔をする。これについて皆が知っているらしく、途端に表情を沈ませる。知らないのは浦島だけのようだ。
「あの、どうして嫌いなんですか? とても綺麗な名前ですよね?」
「名前自体は嫌いではないと思うのですが、辛い事を思い出してしまうので」
「辛い事?」
亀が黙って頷くと、物静かな平目が珍しく声を上げた。
「朱華様には、双子の兄上がおられました。名は、朱貴といいます」
「お兄さん?」
そのような人は今、竜宮にはいない。鯛からもそのような人の話は聞かない。皆が知っているということは、竜宮にいたんじゃないかと思うが。
「……朱貴様は亡くなられた、前の竜王様の番です」
「え……」
聞いた途端、心臓が嫌な感じで音を立てた。そこから不安が広がっていくみたいで、ちょっと怖い。そして、鯛は一体どんな気持ちで今側にいてくれるのか。そんな事を考えてしまった。
「お美しい方でした。姿は似ていましたが、中身はまったく違って淑やかで優しく、大らかな方でした」
「亀と鯛兄弟が最古参だからな。その中でも朱貴は調整役だった。亀は気が弱いし、逆に朱華は気が強すぎる。全体をまとめていたのが朱貴で、竜王様に見初められたんだが」
そこで、皆が口を閉ざした。
浦島もそれについては亀から聞いている。朱貴は、人に捕らわれて食べられた。そう、言っていた。
「そういえば、皆が種族で呼ぶようになったのはその頃か。鯛兄弟が朱華だけになって、呼び分ける事がなくなったのだったな」
「……鯛さんは、実は俺の事嫌っていたりするんでしょうか」
普通に考えて嫌だろう、自分の兄が座るはずだった場所に他人が立つなんて。
思わず呟いた言葉。だが平目は首を横に振って否定した。
「鯛は、浦島様をとても慕っています」
「そうでしょうか?」
「そうでなければ名など教えません。呼ばれてもいいと思うから、名乗るのです」
平目に言われ、他の面々も頷く。それは少し意外で、とても嬉しい事だった。
「……僕の名は、五平です。兄弟で五番目に産まれました」
「なっ! 俺と似たような境遇だったとは、平目」
「呼びやすいし分かりやすいので構いません」
思わぬ事に蛸が仲間意識を持ったが、平目の方は平然と受け入れている。というよりも、平目はあまりこだわりがないのかもしれない。
「平時もお呼びください。折角あっても呼ばれなければ無駄なものです」
「確かにな。浦島殿なら呼ばれたって平気だしな」
「だとよ、仁八」
「トシ……まぁ、浦島殿なら構わんが」
「はい! 僕も呼んでほしいです! 僕の名前は亀寿と申します!」
「無駄にめでたいよな、亀も」
「いいんです! 亀は長寿の縁起物。いい名前です!」
「ベタだけどね」
賑やかにワイワイと名前を言い合っていると、足音が聞こえてくる。見れば竜王と鯛で、竜王の腕にはお昼寝から覚めた公子もいた。
「おや、どうしました? 皆おそろいで」
「あ、えっと……」
名前の事を話していたと言えば、鯛は嫌がるだろうか。悲しそうな顔をするだろうか。
だが平目が側で頷くので、浦島も勇気を出して声をあげた。
「何でもないんです、その……朱華さん」
「!」
凄く驚いた顔をした鯛だが、次には恥ずかしそうに瞳を緩める。その様子に、竜王も見守るような優しい笑みを浮かべた。
「ずるいー ははーえ、私も名前!」
「え?」
「藍善!」
公子がぶすくれた顔をするので、浦島は笑って抱き上げ名を呼んであげる。途端に嬉しそうに笑う子が可愛くて、浦島は満面の笑みを浮かべた。
「海蛇さん! 鮫さん!」
声をかけると二人はこちらを向いて、それぞれ快く出迎えてくれた。
鮫は浦島の出産で産婆をしたことで竜王の信頼を得て、今では海域の警邏を一族みなで請け負ってくれている。はぐれ者の嫌われ者と自分たちを思っていた彼らにとって竜王直々の任というのは誉れだったらしく、今ではちょっと怖いが案外世話焼きの同心状態だ。
「おう、浦島さん!」
「浦島殿、どうしたんだ?」
「散歩中。公子がお昼寝してるから、その間少しね。運動しないと太るし」
「いやいや、浦島さんはもう少し肉が付いた方が美味そう……じゃなくて! 素敵だと思うっす!」
鮫の言葉に自分の体を見てみるが……やっぱり、ちょっとぷよっとしたのは避けたい。
「ところでお二人は休憩中ですか?」
「あぁ、そんな所」
「うっす。青の旦那にちょっと報告があって来たら、休憩中だと言われちまって」
「休み中までお仕事したくないんだよ、俺は」
少し面倒そうに気の抜けた声で言う海蛇だが、浦島としてはそれよりも鮫の言った「青」というのが気に掛かった。
「青の旦那って……海蛇さんの名前?」
「ん? あぁ、そうだよ。青埜というんだ」
「そうなんだ。鮫さんは?」
「俺っすか! 俺は会兒っていうんだ。兄貴がつけてくれたんだぜ」
「名折れだよな、こいつ」
「? 意味は知らん」
二人のやり取りを聞きながら笑う浦島は、いっそのこと疑問に思っている事を聞いてみようと思った。
「竜王様が名前を呼ばないから、皆がそれに倣っているって聞いたんですけれど。竜王様はどうして名前を呼ばないんですか?」
問うと、海蛇は少し怠そうなまま教えてくれた。
「俺達は竜王様の眷属だからな。これで名まで呼ばれたら、言いなりになっちまう」
「ん?」
「言葉には魂がある。言霊ってやつだ。竜王様が自分の眷属に対して名を呼ぶと、呼ばれた相手の意志に関係なく縛ったり、その通りに動かしたり、時には思考を操作しちまうことがある。だから普段から名前を呼ばないように配慮してくださってるんだ」
そんな事まで可能なのか……。
改めて竜王の力の強さと眷属の関係を知ったが……そうなると。
「え? 俺は呼ばれても平気なんですか?」
竜王は浦島の事を「太郎」と名で呼ぶ。けれど操られているとは感じない。いや、感じないだけで実は操られているのだろうか?
疑問に首を傾げると、海蛇は大いに笑ってくれた。
「浦島殿は平気だ。アンタは眷属じゃなく奥方。竜王様の隣に並ぶ相手なんだから、操られたりしない。何よりアンタの名は竜王様がつけたものじゃないしな」
「そうなんですか? よかった……俺、流されやすいって鯛さんに言われるし心配しました」
「まぁ、確かに流されやすいのは気にしてもらいたいが……でもまぁ、名前を呼ばないのはそういうこった。でも、仲間内で名前を呼ばないという決まりがあるわけじゃないんだぜ? 自然とそうなってるだけだ」
それもなんだか寂しい話だ。折角名前があるのだから呼びたいと思う。何より他に同じ種族の人魚がいたら紛らわしい。竜王達が集まった祝言の時に、そんな事を思ったのだ。
そんな事を話していると、少し離れた所から声がする。見れば食材を運ぶ烏賊と、その烏賊を手伝う蛸がこちらへと向かって歩いてくるところだった。
「あっ、烏賊さん! 蛸さん!」
声をかけると二人は気づいて近づいてきた。
「浦島殿、休憩か?」
穏やかな視線で問う蛸に頷くと、彼も穏やかに頷く。その隣には手ぬぐいを頭にした烏賊が立っている。
烏賊は蛸にも負けない長身で、筋肉質な人だ。がっちりと盛り上がる二の腕、分厚い胸板、逞しい足腰。そして顔立ちは男らしい。肩辺りまでの白髪だが、毛先は少し黒い。切れ長で、少し気怠そうな目元だが料理をしている時はしっかりとしていて、テキパキしている。そして、浦島の食をとても心配している。
「公子殿は昼寝か?」
「はい、沢山遊んだので。今は鯛さんが見てくれています」
「そうか。公子殿は毎日庭で遊んで、俺にも声をかけてくれるいい子だ」
「公子もいつも教えてくれます。何か庭に植えたのですよね?」
「あぁ、珊瑚を数種植えている所に来られて、やってみたいと仰られてな」
「この間、俺の所にもきた。面白そうに見ていたが、流石に火や包丁は危ないのでさせられなかった」
「すり鉢を抑えるのを手伝ったと、自慢げでした」
どうやらあちこちに行っては手伝いというか、お仕事体験をしているらしい。那亀も一緒にバタバタ走り回っているらしく、迷惑じゃないかと少し心配もしていたのだが……蛸も烏賊も嫌そうではなくて良かった。
「ところで、何を話していたんだ?」
「あぁ、名前を伺っていたんです。皆さんお名前があるのを知って、できれば呼びたいと思って」
「うっ!」
素直に答えると、何故か蛸は少し引く。どうしたのだろうと首を傾げると、烏賊がニヤリと笑った。
「名か。確かに近頃じゃこいつ以外呼ばない」
「そうなんですか? ちなみに、烏賊さんはなんと仰るんですか?」
「俊造だ」
「なんか、似合ってます!」
「そう。ちなみに蛸は」
「トシ!」
「仁八」
「…………」
蛸が、思い切り恥ずかしそうな顔をして俯く。その隣で烏賊はニヤニヤしていた。
「え? 別に悪い名前じゃないじゃないですか」
「いや……その……蛸だから安易に八をつけられるというのもあまり納得がいっていなくてな。うちの兄弟は皆八がつくんだが、末になればなるほど適当でもあるし。そのうち誰が誰だか分からなくなっていてな」
「ということで、自分の名前が嫌いらしいんだ」
本当に恥ずかしいのか、蛸の顔が赤くなる。その隣で烏賊がニヤニヤ笑っているのを見ると、ここの夫婦の力関係が見える感じだ。どうやら蛸は全面的に烏賊に付き従っている感じらしく、滅多に怒らないらしい。勿論行き過ぎれば止めるが、許せる範囲は許しているとか。
鯛は「相手に手綱を握られて許容しているなんて、耐えられない」と言っていた。平目は「蛸さんは年長で、度量の大きな方です」と言っていた。納得だ。
「覚えている限り一番酷いのが?」
「……蛸八郎」
「……それは、酷いですね」
「だろうな」
苦笑した蛸は珍しく、そしてちょっと可愛くも思えた。
「おや、皆さんお集まりですか?」
「どうしたの?」
人が集まっているのを見て近づいてきたのは亀と平目で、二人は首を傾げる。そこで名前の事を伝えると、平目は少し複雑そうな顔をした。
「この間も、その話になりました」
「はい、鯛さんとですよね?」
「鯛と?」
海蛇の目は途端に険しくなる。それを疑問に思いながらも、浦島は頷いた。
「皆に名前があるのかって話になって、名前を教えていただきました」
「あいつが名乗ったのか?」
「はい」
「……あいつも、自分の名前が嫌いなのにな」
海蛇はとても気遣わしい顔をする。これについて皆が知っているらしく、途端に表情を沈ませる。知らないのは浦島だけのようだ。
「あの、どうして嫌いなんですか? とても綺麗な名前ですよね?」
「名前自体は嫌いではないと思うのですが、辛い事を思い出してしまうので」
「辛い事?」
亀が黙って頷くと、物静かな平目が珍しく声を上げた。
「朱華様には、双子の兄上がおられました。名は、朱貴といいます」
「お兄さん?」
そのような人は今、竜宮にはいない。鯛からもそのような人の話は聞かない。皆が知っているということは、竜宮にいたんじゃないかと思うが。
「……朱貴様は亡くなられた、前の竜王様の番です」
「え……」
聞いた途端、心臓が嫌な感じで音を立てた。そこから不安が広がっていくみたいで、ちょっと怖い。そして、鯛は一体どんな気持ちで今側にいてくれるのか。そんな事を考えてしまった。
「お美しい方でした。姿は似ていましたが、中身はまったく違って淑やかで優しく、大らかな方でした」
「亀と鯛兄弟が最古参だからな。その中でも朱貴は調整役だった。亀は気が弱いし、逆に朱華は気が強すぎる。全体をまとめていたのが朱貴で、竜王様に見初められたんだが」
そこで、皆が口を閉ざした。
浦島もそれについては亀から聞いている。朱貴は、人に捕らわれて食べられた。そう、言っていた。
「そういえば、皆が種族で呼ぶようになったのはその頃か。鯛兄弟が朱華だけになって、呼び分ける事がなくなったのだったな」
「……鯛さんは、実は俺の事嫌っていたりするんでしょうか」
普通に考えて嫌だろう、自分の兄が座るはずだった場所に他人が立つなんて。
思わず呟いた言葉。だが平目は首を横に振って否定した。
「鯛は、浦島様をとても慕っています」
「そうでしょうか?」
「そうでなければ名など教えません。呼ばれてもいいと思うから、名乗るのです」
平目に言われ、他の面々も頷く。それは少し意外で、とても嬉しい事だった。
「……僕の名は、五平です。兄弟で五番目に産まれました」
「なっ! 俺と似たような境遇だったとは、平目」
「呼びやすいし分かりやすいので構いません」
思わぬ事に蛸が仲間意識を持ったが、平目の方は平然と受け入れている。というよりも、平目はあまりこだわりがないのかもしれない。
「平時もお呼びください。折角あっても呼ばれなければ無駄なものです」
「確かにな。浦島殿なら呼ばれたって平気だしな」
「だとよ、仁八」
「トシ……まぁ、浦島殿なら構わんが」
「はい! 僕も呼んでほしいです! 僕の名前は亀寿と申します!」
「無駄にめでたいよな、亀も」
「いいんです! 亀は長寿の縁起物。いい名前です!」
「ベタだけどね」
賑やかにワイワイと名前を言い合っていると、足音が聞こえてくる。見れば竜王と鯛で、竜王の腕にはお昼寝から覚めた公子もいた。
「おや、どうしました? 皆おそろいで」
「あ、えっと……」
名前の事を話していたと言えば、鯛は嫌がるだろうか。悲しそうな顔をするだろうか。
だが平目が側で頷くので、浦島も勇気を出して声をあげた。
「何でもないんです、その……朱華さん」
「!」
凄く驚いた顔をした鯛だが、次には恥ずかしそうに瞳を緩める。その様子に、竜王も見守るような優しい笑みを浮かべた。
「ずるいー ははーえ、私も名前!」
「え?」
「藍善!」
公子がぶすくれた顔をするので、浦島は笑って抱き上げ名を呼んであげる。途端に嬉しそうに笑う子が可愛くて、浦島は満面の笑みを浮かべた。
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