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【アフターストーリー】スキル安産 おかわり!
【エッツェル留学日記】9話
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グランと恋人になって一ヶ月、僕は少し緊張しながらお城に入った。
それというのも、今日は家族の食事会にお呼ばれしたからだ。
「緊張する……。ねぇ、おかしな所ない?」
何度も何度も聞いた事をまた繰り返し、僕は傍らのグランを見上げる。柔らかく、ちょっとおかしそうにグランは笑っていた。
「どこもおかしな所はないよ、エッツェル。とても可愛い」
「可愛いって」
甘い視線で、甘い笑顔でそんな事を言われたら照れる。恥ずかしいけれど嬉しくて困ってしまう。僕は赤くなってグランから視線を逸らした。
お城の中は案外落ち着いている。もう夜だから、限られた人しかいないらしい。
用意された場所は小さめで、距離がわりと近い家族用のテーブルだった。グランと一緒に入っていくと、シキ様が見つけて困ったように微笑んだ。
「エッツェル、いらっしゃい」
「シキ様。あの、僕」
なんて言えばいいんだろう。思っていると、シキ様は優しく笑って僕を抱きしめてくれる。母上みたいな優しい腕の中で、僕は沢山甘えていた。
「困った子。グランに捕まってしまったのですね」
「幸せです」
「有り難う、エッツェル」
優しい声、優しい腕の中がとても心地いい。妙に母上を思い出して、ちょっとだけ顔を見たくなった。
けれど、それは後ろから腕を引かれて戻っていく。背中から僕を抱きしめたグランはちょっと情けない顔をした。
「母様にはあげない」
「……ぷっ」
しょぼくれた子供みたいな声で言ったグランの言葉に、僕もシキ様もキョトンとした顔をして、次には盛大に笑ってしまった。
少ししてアルファード様も来て僕に笑いかけてくれた。食事が運ばれる前の少しの時間、僕は何か言わなければとずっと思っている。
だって、グランは僕の両親に挨拶をしようと頑張っているんだ。僕だって挨拶は必要だと思う。この食事会はそういう意味合いもあるんだって思うから、最初のうちに言っておかないと。
緊張したまま進み出た僕に、シキ様もアルファード様も少し驚いている。僕は震えそうなのをグッと堪えて、ありったけの思いを口にした。
「シキ様、アルファード様! 僕はグランの事を愛しています。どうか僕を貰って下さい!」
「「……え?」」
思いきり頭を下げたけれど、固まっているのは分かる。何か間違ったっぽいけれど、何を間違ったのかは分からない。重たい沈黙の中、聞こえてきたのはシキ様の楽しそうな笑い声だった。
「もう、面白いですよエッツェル」
「僕本気です!」
「分かっていますよ。でも、貰って下さいはないでしょ?」
「あの、ここのお家の家族の一員としてですね」
「分かっています」
コロコロと鈴を転がしたように笑うシキ様の隣で、アルファード様も笑っている。そして、大きな手で僕の頭を撫でた。
「こちらこそ、よろしくお願いする。グランを幸せにしてあげてくれ」
「っ! はい!」
嬉しいがこみ上げる。幸せが溢れる。その思いで笑った僕の隣りに並んだグランが、とても優しい顔で頷いてくれた。
食事会はとても和やかだった。アルファード様はあまり多くを語らないけれど、話しかけるととても優しい目で笑って、話をしてくれる。その分シキ様はとても優しくて、ちょっとお茶目な感じもあって話が進んだ。
そして夜、僕は初めてお城の泊めてもらう事になった。
「ここが俺の部屋だよ」
グランが通してくれたのは、城でグランが使っている部屋。天蓋付きのベッドや、彫り込みの綺麗な家具が揃えられている。
「いいのかな、僕。このお城って、部外者は泊められないんでしょ?」
最初の時にそう言われた。だから僕はランス様の屋敷にご厄介になっているんだし。
けれど次に返ってきたのは、とても嬉しい言葉だった。
「何を言ってるんだい、エッツェル? 君はもう、俺の家族だろ?」
「え?」
「家族に、なってくれるんだろ?」
どこか自信のない様子でグランが問いかける。けれど僕の中ではじわじわっと違う感情がこみ上げている。グランの家族として受け入れられたんだっていう、嬉しい気持ちが。
「エッツェルは泣き虫だよね」
少し笑って、グランが優しく僕の頬を撫でてくれる。濡れた頬が、彼の体温で温まっていく。
「うれし涙、だよね?」
「勿論だよ!」
「よかった。後悔とかしてたらどうしようかと思ったよ」
「そんな事絶対ない! 僕、グランの両親にも家族だって思ってもらえたんだよね」
「勿論」
どうしよう、嬉しくて涙が止まらない。笑いながら頬や目元を拭っていると、不意にその手をグランが止める。そして、そっと眦にキスをして優しく唇にも触れた。
「歓迎する、エッツェル。いや、これでは偉そうだね。嬉しいよ、本当に。君とこうして家族になれる」
「僕も嬉しい。グラン、大好き」
思った事を口にする。僕はグランの首に抱きついて、そっと優しくキスをした。
◆◇◆
突然の知らせが舞い込んできたのは、それから数日後の事だった。
「え? 父上が国王就任?」
シキ様に呼び出された僕とグランは互いに顔を見合わせる。僕は少し不安なままシキ様を見た。
「あの、祖父様や祖母様になにか」
「あぁ、違いますよ。現王陛下も妃殿下も元気です。寧ろ元気なうちに退位して、ゆったりと余生を送りたいと思っているようです」
「そっか! よかったぁ」
安心した。祖父様も祖母様も僕を可愛がってくれたから、その二人に何かあったのかと思った。元気なら良かった。
でも、そうなると国を挙げての祝祭が行われる。父上が王太子から王になるなら、きっとシーグル兄上が王太子になるんだ。その式典もある。
僕は手を握って考えていた。問題を起こして他国に留学させられている僕は、その式典に出席していいのか。そもそも帰る事を許されていないし。
「エッツェル、マコトさんとユーリスから伝言と手紙を預かっています」
「母上と、父上から?」
「戻っていらっしゃいと」
その言葉に強ばった顔をしたのは、僕じゃなくてグランだった。痛いくらいに手を握っている。耐えるように俯くのを見て、僕はちょっと考えて首を横に振った。
「気持ちだけで」
「勿論、式典の間だけですけれどね」
「え?」
グランが顔を上げ、僕もシキ様を見る。ちょっと意地悪に笑ったシキ様が僕に招待状を渡した。
招待状には式典の日取りが書いてある。そして出席者の名前には僕とグランの名前があった。
「あ!」
「予定よりも早いですが、いい機会です。グラン、エッツェルの両親にしっかりと挨拶してきなさい」
僕とグランは顔を見合わせ、突然の事に期待やら不安やらを抱える事となった。
あれよあれよと時間が過ぎ、とうとう出発の日になった。僕は特別に竜化の許可をもらい、黄昏の都を少し出た森の中にいる。側にはグラン、ランス様、シキ様、そして何故かヴィーがいる。
「どうしてヴィーがいるの?」
「ここは俺の仕事場なぁの。夜はここ、闇属性のモンスターがわんさか出るんだよぉ。そいつらを狩るのが俺のし・ご・と」
勿体ぶったゆるーい声で言うのは夜勤明けだから。それでもついでにと見送りをしてくれるあたり、結構いい人だ。
「母様、行ってきます」
「気負わず、しっかりやってきなさい。エッツェルも、マコトさんによろしく」
「はい!」
僕は皆から少し距離を取って竜化する。久しぶりで、ちょっと気持ちがいい。一気に視界が高くなって、魔力が全身を隅々まで巡る感じがする。
「わぁお、美人だねぇ」
「本当に、綺麗な黒龍だ」
そんな風に言われるとちょっと照れる。僕はまだ完全な成体ではないからわりと小柄だ。これが体の大きなロアール兄上や父上なら、もっと大きくて雄大な黒龍になるんだけれど。
グランが僕を見て驚いた顔をする。ほんの少し心配だった。人身から竜化するのは竜人のみで、その大きさはかなり違う。小柄な僕だって竜化すると3メートルくらいあるんだ。怖がる人だって多い。
「綺麗だ」
蕩ける様な視線でグランが言うから、僕はとても恥ずかしくて、とても嬉しかった。
かくして僕たちは森を飛び発って黒龍の国を目指す。そんなに時間はかからないはずだ。時間にして一時間程度で、見慣れた景色が見えてくる。
『もうすぐだよ』
嬉しさのあまり、僕は手の中のグランにあれこれ説明をした。あの森で剣の修行をしていたとか、あっちの町ではよく遊んだとか。
手の中で、グランは楽しそうに笑っている。
『ごめん、煩かった?』
「いや、楽しそうだから。沢山、思い出があるんだな」
『うん』
ちょっと恥ずかしいけれど、知ってもらいたい。グランには僕の事を沢山知ってもらいたいし、グランの事を知りたい。そんな気持ちがムクムクとわき上がってきた。
王都が見えてくる。僕は王都手前の森で降りて竜化を解いた。そして、グランと一緒に町の中を歩いた。
「賑やかだな」
「うん。今日はきっとお祭り騒ぎだよ」
何せ王の戴冠だ。町ではあちこちで祝い酒と料理が振る舞われ、小さな楽団が音楽を奏でている。どこもここもお祭り状態だ。
「黄昏の都では、こんな騒ぎは起こらないだろうな」
「魔人族の人って、落ち着いた人が多いよね」
「寿命が長いからな」
確かに、平均千歳だから長いだろうけれど。
グランは少し羨ましそうだった。だから、僕は手を引いて笑った。
「じゃあ、僕たちの結婚式は盛大にやろう」
「エッツェル?」
「竜人族の僕がお嫁入りするんだもん、竜人式もいいでしょ?」
こんな風に沢山の人にお祝いしてほしい。グランのトラウマを考えると大変かもしれないけれど、だからって小さくやるのはきっとつまらない。それに、グランだって沢山の人に祝ってもらいたいはずだ。
隣のグランはちょっと驚いて、次には頬を染めて頷いてくれた。
城に行くと直ぐに城の人が出てきて、僕たちを迎えてくれた。通されたのは戴冠の為に用意された席。そこには、兄上や姉上も着席していた。
「エッツェル!」
「ロアール兄上! エヴァ姉上! フランシェ姉上!」
懐かしいなんて言ったら大げさだけど、色んな事があって懐かしく思って、僕は兄上達に突進する。逞しいロアール兄上が僕を受け止めて、嬉しそうに背中を叩いた。
「見ないうちにしっかりしたじゃないか」
「ほんと!」
「あぁ、本当に。元気にしてたか?」
「勿論だよ!」
甘えている僕を少し離れてシエル様が見ている。シエル様はガロン様の子で、ロアール兄上とはいい感じだ。
「ほんと、いい顔になったわね。エッツィ、久しぶりね」
「エヴァ姉上が帰ってこないんじゃん」
「ごめんなさい。お店、面白くって」
笑いながら近づいてきたエヴァ姉上は、小さな頃の愛称のまま僕を呼ぶ。今「エッツィ」なんて僕を呼ぶ人はこの人以外にいない。
そんな姉上の側には知らないエルフの男の人がいる。とても優しい穏やかな顔をしていて、姉上を見守っている。だから分かった。姉上も今、とても幸せだって。
「エッツェル」
「フランシェ姉上」
「ネタ、ちょうだい」
「……」
直ぐ上の姉上はちょっと変わっている。職業は作家。母上と父上の馴れ初めや、他の兄弟達や屋敷の人達の話を聞いて、それを小説にしている。これが売れているのだ。そして、取材以外では外出をあまりしない引きこもりでもある。
「ネタって」
「あんた、今魔人族の都にいるんでしょ。それにそちらの彼も魔人族のイケメンじゃない」
フランシェ姉上がグランを指して言う。それに、他の兄弟もグランを見た。
グランが少し引いた。僕にとっては兄弟だけれど、グランにしたら初対面の人。怖いのかもしれないし、緊張しているのかもしれない。
僕はグランの横に並んで、その手を引いて兄弟達の所に向かった。
「エッツェル、そちらは?」
ロアール兄上がグランを見る。兄上は僕の兄だけれど、母上似の僕とは違って父上の精悍さを持っている。ちょっと印象が違うし、長身で軍人だから威圧感もあるかもしれない。
僕が間を取り持たないと。思っていたけれど、それよりも前にグランが落ち着いた声を発した。
「魔人族の王、アルファードの子でグランレイと申します。エッツェルとは、仲良くさせてもらっています。どうぞ、お見知りおき下さい」
声は硬かった。ほんの少し、手が震えていた。けれど言えたのだ。厳格な雰囲気に緊張していたグランが、ちゃんと。
僕は嬉しくて笑った。大丈夫、やっぱりグランは強いんだ。トラウマなんかに負けはしない。今までしてきた練習や訓練は、ちゃんと実ったんだ。
グランもほっとした顔をしている。そして僕を見て、嬉しそうに笑った。
「こちらこそ、弟が世話になっている。黒竜王ユーリスが子、ロアールと申します。こちらは妹のエヴァと、フランシェ。この度はようこそお越し下さいました」
珍しくロアール兄上も王子の顔をして挨拶している。わりと自由な人だけれど、これでも国の王子なんだって今更ながら思う。
僕は、出来るだろうか。黒龍王家の王子として、そしてグランの隣りに並ぶ者としての振る舞いが。
少し不安になる。けれど、出来ると信じていないと出来ない気がする。僕も、ちゃんと変わらないといけないんだ。
その後、戴冠の儀式は厳かに行われた。
祖父殿から王の冠と杖を受け取る父上と、その隣で祖母殿からティアラを受ける母上。その二人が前に出て挨拶をする。
次に王太子の任命式で、シーグル兄上が父上から冠を受けた。
その後のパーティーで、僕はシーグル兄上にグランを紹介し、グランも少し話せた。少し自信がついたのか、案外穏やかな表情に安心した。
けれど父上と母上にはなかなか近づけなくて困っていると、今夜家族だけ親睦会があると伝えられた。ちゃんと分かってくれていたみたいで、僕もグランも安心した。
その夜、少し疲れた様子のシーグル兄上は先に休むと僕に挨拶をして、グランには「また来てくれ。歓迎する」と伝えて引っ込んだ。やっぱり、とても悩んでいるっぽかった。
家族用の談話室には姉上二人とロアール兄上、そしてシエル様と母上、父上がいた。
「エッツェル」
「母上!」
立ち上がって駆けてくる母上を僕は抱きしめる。人族の母上は今では僕よりも小さい。でもいつまでも、綺麗で可愛い大好きな母上だ。
「留学中の話、シキさんから聞いてる。頑張ってるんだね」
「うん、母上」
「ハロルドさんも心配していたよ。ちゃんと、謝りに行ったんだって?」
「あの、それは……」
完全に言いつけを破ったのがバレていた。僕の目は泳いでいたけれど、次に母上は僕の頭を撫でて優しく微笑んでくれていた。
「頑張ったんだね」
「……うん、母上」
母上はいつも、僕の頑張りを見てくれる。僕の事を褒めてくれる。僕の大好きな母上だ。
父上も隣りに並んで僕を見て頷き、隣のグランをしっかりと見た。
「グランレイ、エッツェルが世話になっている。君の母君であるシキとは俺も面識がある。彼から君の話も聞いている。歓迎しよう」
「感謝いたします、陛下」
「陛下は止めてくれ、まだ慣れない。それに、他人行儀にしなくてもいいんだ」
柔らかく笑う父上が僕の頭を撫でる。大きな手に、僕はとても心地よかった。
「さて、家族の場だが二人紹介しなければならない。一人はシエル、おいで」
父上に呼ばれて、黄金竜ガロン様の子、シエルベート様が進み出る。隣にはロアール兄上も並んでいる。
ロアール兄上はずっとシエル様の事が好きだった。小さな頃に一目惚れして、それからだって。僕も応援していた。なんか、人事じゃなかったから。
「この度、ロアールが黄金竜の所に嫁ぐこととなった。今日はいい機会だからな、紹介しておこう」
驚いた僕はロアール兄上を見た。兄上は少し恥ずかしそうにしている。そしてシエル様も色の白い頬を染めている。
「良かったじゃない、ロアール兄上」
「有り難う、エヴァ」
「ネタください、兄上」
「お前は本当にいつもそれだよな、フランシェ」
呆れたように言うロアール兄上はそれでも幸せそうに笑っている。
すると僕たちの所に向かってシエル様が進み出る。そして、僕の前に来てにっこりと笑った。
「有り難う、エッツェル君」
「え?」
「君のおかげで、僕はロアールと結ばれたんだ」
「どういうこと?」
まったくそんな話し知らない。僕はロアール兄上を見つめてしまう。それに、ロアール兄上は困った様に笑った。
「お前がガロン様の所で騒ぎを起こしただろ。あれが切っ掛けで、シエルと付き合う事になったんだよ」
「えぇぇ!!」
「何が幸いするか、分からないものだな」
父上が困った様に笑うけれど、怒ってはいない。僕の方は困るやら恥ずかしいやらで、なんだか目が泳いでしまった。
シエル様はコロコロと笑っている。そして、僕の手をギュッと握った。
「有り難う、エッツェル君。父上をあげる事は出来ないけれど、幸せを願っているから」
金色の光が僕の手を包んで消えていく。これは黄金竜の力。願う相手に幸福をもたらす祝福の竜なのだ。
「ところでエッツェル。二人は話があってここに来たんじゃないの?」
母上が僕たちを促す。
僕はグランを見上げた。不安そうではある。けれど、震えてはいない。大丈夫、手を握って、僕は笑った。
「大丈夫、僕がいる。グラン、いい?」
「……あぁ、大丈夫だ」
覚悟を決めた強い目は逃げていない。僕はそれがとても嬉しい。前に出た僕たちは、父上と母上を前にしてしっかりと立った。
「ユーリス様、マコト様。本日はお願いがあって参りました」
力の入った様子のグランは真っ直ぐに父上と母上を見る。二人もそれに姿勢を正した。皆の視線もこちらを見て、どこか緊張した空気になる。
途端、グランは少し震えていた。この視線が苦手なんだって分かった。注目の視線が小さなグランを責めた人々の視線と似ているんだってランス様がこっそり教えてくれた。
けれどグランの目は死んでいない。負けないように踏ん張るグランの手を、僕は握って頷いた。
「俺は、エッツェルの事を愛しています。留学が明けた後、彼を妻としてもらい受けたいのです」
周囲の息を飲むような空気の中、静かに見つめる父上の前でグランは頭を下げた。
「僕も、グランを愛しています。父上、母上、許してください」
僕も頭を下げた。許して欲しい、その思いばかりだった。
父上は少し難しい顔をしている。こんな目をする父上は僕の記憶にない。不安がこみ上げてくるけれど、逃げたくもなかった。
「エッツェル、魔人族に嫁ぐ事のリスクを、考えているか?」
「リスク?」
僕はグランを見る。グランも僕を見て首を傾げた。
「魔人族は数多いる種族の中でも最も長寿。しかもグランは地の神アルファード様の子だ。その寿命は、普通の魔人族よりもきっと長い。お前は、多くの死を見なければならない」
「あ……」
僕の胸に、小さな痛みが走った。大好きな父上や母上、兄上や姉上が僕よりも先に死んでしまう。その後もずっと、僕は生きていかなければいけない。そういう事は考えていなかった。
グランも落ち込んだ顔をしている。僕を見て、僕を気にしているんだと分かった。
「……それでも」
僕は顔を上げる。勢いや、気持ちばかりじゃいけないのは分かった。父上は意地悪をしたいんじゃない。僕を思うからこそ、僕の覚悟を聞いているんだ。
「それでも僕は、グランと生きていく」
「エッツェル」
「皆を見送るのは悲しい。思いだしたら悲しくなるかもしれない。でも、それはまだずっと先だと思うし、この気持ちは本物だって言える。僕は、グランと生きていきたい」
考えたんだ、グランとここで別れてしまう事を。怖がって逃げて、違う誰かが僕を同じように愛してくれるかもしれない。けれどきっと僕は、グランの事を忘れられない。ふとした瞬間に思いだして、苦しく悲しく会いたくなるに違いない。
隣のグランが僕の手を握る。強い目が、僕を見て嬉しそうにしている。
「ユーリス様、俺はまだ王太子としても、人としても半人前です。ですが、エッツェルが側にいてくれるのならば頑張れる。俺には、彼が必要なのです」
「父上、母上、僕も同じだよ。僕はグランの側で頑張っていきたい」
伝わってくれるだろうか。ううん、伝わらないなら伝わるまで僕は言うつもりだ。
けれど、そんなの杞憂だった。ふわっと僕を抱きしめる母上の腕の中で、僕は許されたんだって疑わなかった。
「いいんだね、エッツェル」
「うん、母上」
母上、泣いてるのかもしれない。見たらやっぱり泣いていた。黒い瞳が優しく、少し寂しそうに笑っていた。
「グラン」
「はい」
「エッツェルを頼む。日取りは後にとなるが、歓迎しよう」
「有り難うございます!」
緊張が解けたグランが嬉しそうな笑みを見せる。兄上や姉上達からも祝福の拍手が起こって、僕は少し照れくさく、でも幸せに笑っていた。
その夜、僕の部屋にグランは泊まった。久しぶりに帰ってきた自分の部屋は落ち着いたけれど、少しだけ浮き足だってもいた。旅行に来たみたいだ。
「良かった、受け入れてもらえて」
凄くドキドキしていたんだって、今なら分かる。気が楽になって、僕はテンションが上がっている。
そっと後ろからグランが僕を抱きしめた。その腕が、震えていた。
「どうしたの、グラン?」
「ごめん、俺は配慮が足りなくて。エッツェルを家族から離すばかりか、沢山を見送らなければならないなんて、考えてもいなくて」
「あぁ……」
グランはあの後も少し複雑そうだったけれど、それを考えてくれていたんだ。
僕も、少しだけ気持ちを落ち着ける。そしてそっと、抱きとめてくれる手に触れた。
「確かにね、悲しい」
「エッツェル」
「でもその分、新しい大切を増やして行こうと思ったんだ。別れよりも沢山、悲しいもあっという間に消えてしまう程に」
僕だって考えた。別れる悲しさは胸を締め付けるようにある。けれどグランが隣りに居て、もっと沢山の幸せが側にあればきっと、僕はまた笑える。友達も、勿論家族も増やして、賑やかに、幸せに。それを作るのは僕でありグランだって思えた。
「僕、母上に似てるんだって。母上は異世界人で、この世界で独りぼっちだったけれど、父上と出会って今はとても幸せなんだって。僕もね、これからの悲しみよりも幸せを拾いたい。それに、怖くないよ。一緒にいてくれるでしょ、グラン?」
独りぼっちになっても前向きに笑う母上の強さを僕も持ちたい。母上に父上がいたように、僕にはグランがいる。だから母上と同じように、僕はきっと笑っていられる。
グランがギュッと僕を抱きしめる。少し強くて痛いくらいだった。
「大切にする」
「うん」
「愛している、エッツェル」
「僕もだよ、グラン」
確かめるようにキスをしたグランは、ようやくいつもみたいに優しく笑ってくれた。
それというのも、今日は家族の食事会にお呼ばれしたからだ。
「緊張する……。ねぇ、おかしな所ない?」
何度も何度も聞いた事をまた繰り返し、僕は傍らのグランを見上げる。柔らかく、ちょっとおかしそうにグランは笑っていた。
「どこもおかしな所はないよ、エッツェル。とても可愛い」
「可愛いって」
甘い視線で、甘い笑顔でそんな事を言われたら照れる。恥ずかしいけれど嬉しくて困ってしまう。僕は赤くなってグランから視線を逸らした。
お城の中は案外落ち着いている。もう夜だから、限られた人しかいないらしい。
用意された場所は小さめで、距離がわりと近い家族用のテーブルだった。グランと一緒に入っていくと、シキ様が見つけて困ったように微笑んだ。
「エッツェル、いらっしゃい」
「シキ様。あの、僕」
なんて言えばいいんだろう。思っていると、シキ様は優しく笑って僕を抱きしめてくれる。母上みたいな優しい腕の中で、僕は沢山甘えていた。
「困った子。グランに捕まってしまったのですね」
「幸せです」
「有り難う、エッツェル」
優しい声、優しい腕の中がとても心地いい。妙に母上を思い出して、ちょっとだけ顔を見たくなった。
けれど、それは後ろから腕を引かれて戻っていく。背中から僕を抱きしめたグランはちょっと情けない顔をした。
「母様にはあげない」
「……ぷっ」
しょぼくれた子供みたいな声で言ったグランの言葉に、僕もシキ様もキョトンとした顔をして、次には盛大に笑ってしまった。
少ししてアルファード様も来て僕に笑いかけてくれた。食事が運ばれる前の少しの時間、僕は何か言わなければとずっと思っている。
だって、グランは僕の両親に挨拶をしようと頑張っているんだ。僕だって挨拶は必要だと思う。この食事会はそういう意味合いもあるんだって思うから、最初のうちに言っておかないと。
緊張したまま進み出た僕に、シキ様もアルファード様も少し驚いている。僕は震えそうなのをグッと堪えて、ありったけの思いを口にした。
「シキ様、アルファード様! 僕はグランの事を愛しています。どうか僕を貰って下さい!」
「「……え?」」
思いきり頭を下げたけれど、固まっているのは分かる。何か間違ったっぽいけれど、何を間違ったのかは分からない。重たい沈黙の中、聞こえてきたのはシキ様の楽しそうな笑い声だった。
「もう、面白いですよエッツェル」
「僕本気です!」
「分かっていますよ。でも、貰って下さいはないでしょ?」
「あの、ここのお家の家族の一員としてですね」
「分かっています」
コロコロと鈴を転がしたように笑うシキ様の隣で、アルファード様も笑っている。そして、大きな手で僕の頭を撫でた。
「こちらこそ、よろしくお願いする。グランを幸せにしてあげてくれ」
「っ! はい!」
嬉しいがこみ上げる。幸せが溢れる。その思いで笑った僕の隣りに並んだグランが、とても優しい顔で頷いてくれた。
食事会はとても和やかだった。アルファード様はあまり多くを語らないけれど、話しかけるととても優しい目で笑って、話をしてくれる。その分シキ様はとても優しくて、ちょっとお茶目な感じもあって話が進んだ。
そして夜、僕は初めてお城の泊めてもらう事になった。
「ここが俺の部屋だよ」
グランが通してくれたのは、城でグランが使っている部屋。天蓋付きのベッドや、彫り込みの綺麗な家具が揃えられている。
「いいのかな、僕。このお城って、部外者は泊められないんでしょ?」
最初の時にそう言われた。だから僕はランス様の屋敷にご厄介になっているんだし。
けれど次に返ってきたのは、とても嬉しい言葉だった。
「何を言ってるんだい、エッツェル? 君はもう、俺の家族だろ?」
「え?」
「家族に、なってくれるんだろ?」
どこか自信のない様子でグランが問いかける。けれど僕の中ではじわじわっと違う感情がこみ上げている。グランの家族として受け入れられたんだっていう、嬉しい気持ちが。
「エッツェルは泣き虫だよね」
少し笑って、グランが優しく僕の頬を撫でてくれる。濡れた頬が、彼の体温で温まっていく。
「うれし涙、だよね?」
「勿論だよ!」
「よかった。後悔とかしてたらどうしようかと思ったよ」
「そんな事絶対ない! 僕、グランの両親にも家族だって思ってもらえたんだよね」
「勿論」
どうしよう、嬉しくて涙が止まらない。笑いながら頬や目元を拭っていると、不意にその手をグランが止める。そして、そっと眦にキスをして優しく唇にも触れた。
「歓迎する、エッツェル。いや、これでは偉そうだね。嬉しいよ、本当に。君とこうして家族になれる」
「僕も嬉しい。グラン、大好き」
思った事を口にする。僕はグランの首に抱きついて、そっと優しくキスをした。
◆◇◆
突然の知らせが舞い込んできたのは、それから数日後の事だった。
「え? 父上が国王就任?」
シキ様に呼び出された僕とグランは互いに顔を見合わせる。僕は少し不安なままシキ様を見た。
「あの、祖父様や祖母様になにか」
「あぁ、違いますよ。現王陛下も妃殿下も元気です。寧ろ元気なうちに退位して、ゆったりと余生を送りたいと思っているようです」
「そっか! よかったぁ」
安心した。祖父様も祖母様も僕を可愛がってくれたから、その二人に何かあったのかと思った。元気なら良かった。
でも、そうなると国を挙げての祝祭が行われる。父上が王太子から王になるなら、きっとシーグル兄上が王太子になるんだ。その式典もある。
僕は手を握って考えていた。問題を起こして他国に留学させられている僕は、その式典に出席していいのか。そもそも帰る事を許されていないし。
「エッツェル、マコトさんとユーリスから伝言と手紙を預かっています」
「母上と、父上から?」
「戻っていらっしゃいと」
その言葉に強ばった顔をしたのは、僕じゃなくてグランだった。痛いくらいに手を握っている。耐えるように俯くのを見て、僕はちょっと考えて首を横に振った。
「気持ちだけで」
「勿論、式典の間だけですけれどね」
「え?」
グランが顔を上げ、僕もシキ様を見る。ちょっと意地悪に笑ったシキ様が僕に招待状を渡した。
招待状には式典の日取りが書いてある。そして出席者の名前には僕とグランの名前があった。
「あ!」
「予定よりも早いですが、いい機会です。グラン、エッツェルの両親にしっかりと挨拶してきなさい」
僕とグランは顔を見合わせ、突然の事に期待やら不安やらを抱える事となった。
あれよあれよと時間が過ぎ、とうとう出発の日になった。僕は特別に竜化の許可をもらい、黄昏の都を少し出た森の中にいる。側にはグラン、ランス様、シキ様、そして何故かヴィーがいる。
「どうしてヴィーがいるの?」
「ここは俺の仕事場なぁの。夜はここ、闇属性のモンスターがわんさか出るんだよぉ。そいつらを狩るのが俺のし・ご・と」
勿体ぶったゆるーい声で言うのは夜勤明けだから。それでもついでにと見送りをしてくれるあたり、結構いい人だ。
「母様、行ってきます」
「気負わず、しっかりやってきなさい。エッツェルも、マコトさんによろしく」
「はい!」
僕は皆から少し距離を取って竜化する。久しぶりで、ちょっと気持ちがいい。一気に視界が高くなって、魔力が全身を隅々まで巡る感じがする。
「わぁお、美人だねぇ」
「本当に、綺麗な黒龍だ」
そんな風に言われるとちょっと照れる。僕はまだ完全な成体ではないからわりと小柄だ。これが体の大きなロアール兄上や父上なら、もっと大きくて雄大な黒龍になるんだけれど。
グランが僕を見て驚いた顔をする。ほんの少し心配だった。人身から竜化するのは竜人のみで、その大きさはかなり違う。小柄な僕だって竜化すると3メートルくらいあるんだ。怖がる人だって多い。
「綺麗だ」
蕩ける様な視線でグランが言うから、僕はとても恥ずかしくて、とても嬉しかった。
かくして僕たちは森を飛び発って黒龍の国を目指す。そんなに時間はかからないはずだ。時間にして一時間程度で、見慣れた景色が見えてくる。
『もうすぐだよ』
嬉しさのあまり、僕は手の中のグランにあれこれ説明をした。あの森で剣の修行をしていたとか、あっちの町ではよく遊んだとか。
手の中で、グランは楽しそうに笑っている。
『ごめん、煩かった?』
「いや、楽しそうだから。沢山、思い出があるんだな」
『うん』
ちょっと恥ずかしいけれど、知ってもらいたい。グランには僕の事を沢山知ってもらいたいし、グランの事を知りたい。そんな気持ちがムクムクとわき上がってきた。
王都が見えてくる。僕は王都手前の森で降りて竜化を解いた。そして、グランと一緒に町の中を歩いた。
「賑やかだな」
「うん。今日はきっとお祭り騒ぎだよ」
何せ王の戴冠だ。町ではあちこちで祝い酒と料理が振る舞われ、小さな楽団が音楽を奏でている。どこもここもお祭り状態だ。
「黄昏の都では、こんな騒ぎは起こらないだろうな」
「魔人族の人って、落ち着いた人が多いよね」
「寿命が長いからな」
確かに、平均千歳だから長いだろうけれど。
グランは少し羨ましそうだった。だから、僕は手を引いて笑った。
「じゃあ、僕たちの結婚式は盛大にやろう」
「エッツェル?」
「竜人族の僕がお嫁入りするんだもん、竜人式もいいでしょ?」
こんな風に沢山の人にお祝いしてほしい。グランのトラウマを考えると大変かもしれないけれど、だからって小さくやるのはきっとつまらない。それに、グランだって沢山の人に祝ってもらいたいはずだ。
隣のグランはちょっと驚いて、次には頬を染めて頷いてくれた。
城に行くと直ぐに城の人が出てきて、僕たちを迎えてくれた。通されたのは戴冠の為に用意された席。そこには、兄上や姉上も着席していた。
「エッツェル!」
「ロアール兄上! エヴァ姉上! フランシェ姉上!」
懐かしいなんて言ったら大げさだけど、色んな事があって懐かしく思って、僕は兄上達に突進する。逞しいロアール兄上が僕を受け止めて、嬉しそうに背中を叩いた。
「見ないうちにしっかりしたじゃないか」
「ほんと!」
「あぁ、本当に。元気にしてたか?」
「勿論だよ!」
甘えている僕を少し離れてシエル様が見ている。シエル様はガロン様の子で、ロアール兄上とはいい感じだ。
「ほんと、いい顔になったわね。エッツィ、久しぶりね」
「エヴァ姉上が帰ってこないんじゃん」
「ごめんなさい。お店、面白くって」
笑いながら近づいてきたエヴァ姉上は、小さな頃の愛称のまま僕を呼ぶ。今「エッツィ」なんて僕を呼ぶ人はこの人以外にいない。
そんな姉上の側には知らないエルフの男の人がいる。とても優しい穏やかな顔をしていて、姉上を見守っている。だから分かった。姉上も今、とても幸せだって。
「エッツェル」
「フランシェ姉上」
「ネタ、ちょうだい」
「……」
直ぐ上の姉上はちょっと変わっている。職業は作家。母上と父上の馴れ初めや、他の兄弟達や屋敷の人達の話を聞いて、それを小説にしている。これが売れているのだ。そして、取材以外では外出をあまりしない引きこもりでもある。
「ネタって」
「あんた、今魔人族の都にいるんでしょ。それにそちらの彼も魔人族のイケメンじゃない」
フランシェ姉上がグランを指して言う。それに、他の兄弟もグランを見た。
グランが少し引いた。僕にとっては兄弟だけれど、グランにしたら初対面の人。怖いのかもしれないし、緊張しているのかもしれない。
僕はグランの横に並んで、その手を引いて兄弟達の所に向かった。
「エッツェル、そちらは?」
ロアール兄上がグランを見る。兄上は僕の兄だけれど、母上似の僕とは違って父上の精悍さを持っている。ちょっと印象が違うし、長身で軍人だから威圧感もあるかもしれない。
僕が間を取り持たないと。思っていたけれど、それよりも前にグランが落ち着いた声を発した。
「魔人族の王、アルファードの子でグランレイと申します。エッツェルとは、仲良くさせてもらっています。どうぞ、お見知りおき下さい」
声は硬かった。ほんの少し、手が震えていた。けれど言えたのだ。厳格な雰囲気に緊張していたグランが、ちゃんと。
僕は嬉しくて笑った。大丈夫、やっぱりグランは強いんだ。トラウマなんかに負けはしない。今までしてきた練習や訓練は、ちゃんと実ったんだ。
グランもほっとした顔をしている。そして僕を見て、嬉しそうに笑った。
「こちらこそ、弟が世話になっている。黒竜王ユーリスが子、ロアールと申します。こちらは妹のエヴァと、フランシェ。この度はようこそお越し下さいました」
珍しくロアール兄上も王子の顔をして挨拶している。わりと自由な人だけれど、これでも国の王子なんだって今更ながら思う。
僕は、出来るだろうか。黒龍王家の王子として、そしてグランの隣りに並ぶ者としての振る舞いが。
少し不安になる。けれど、出来ると信じていないと出来ない気がする。僕も、ちゃんと変わらないといけないんだ。
その後、戴冠の儀式は厳かに行われた。
祖父殿から王の冠と杖を受け取る父上と、その隣で祖母殿からティアラを受ける母上。その二人が前に出て挨拶をする。
次に王太子の任命式で、シーグル兄上が父上から冠を受けた。
その後のパーティーで、僕はシーグル兄上にグランを紹介し、グランも少し話せた。少し自信がついたのか、案外穏やかな表情に安心した。
けれど父上と母上にはなかなか近づけなくて困っていると、今夜家族だけ親睦会があると伝えられた。ちゃんと分かってくれていたみたいで、僕もグランも安心した。
その夜、少し疲れた様子のシーグル兄上は先に休むと僕に挨拶をして、グランには「また来てくれ。歓迎する」と伝えて引っ込んだ。やっぱり、とても悩んでいるっぽかった。
家族用の談話室には姉上二人とロアール兄上、そしてシエル様と母上、父上がいた。
「エッツェル」
「母上!」
立ち上がって駆けてくる母上を僕は抱きしめる。人族の母上は今では僕よりも小さい。でもいつまでも、綺麗で可愛い大好きな母上だ。
「留学中の話、シキさんから聞いてる。頑張ってるんだね」
「うん、母上」
「ハロルドさんも心配していたよ。ちゃんと、謝りに行ったんだって?」
「あの、それは……」
完全に言いつけを破ったのがバレていた。僕の目は泳いでいたけれど、次に母上は僕の頭を撫でて優しく微笑んでくれていた。
「頑張ったんだね」
「……うん、母上」
母上はいつも、僕の頑張りを見てくれる。僕の事を褒めてくれる。僕の大好きな母上だ。
父上も隣りに並んで僕を見て頷き、隣のグランをしっかりと見た。
「グランレイ、エッツェルが世話になっている。君の母君であるシキとは俺も面識がある。彼から君の話も聞いている。歓迎しよう」
「感謝いたします、陛下」
「陛下は止めてくれ、まだ慣れない。それに、他人行儀にしなくてもいいんだ」
柔らかく笑う父上が僕の頭を撫でる。大きな手に、僕はとても心地よかった。
「さて、家族の場だが二人紹介しなければならない。一人はシエル、おいで」
父上に呼ばれて、黄金竜ガロン様の子、シエルベート様が進み出る。隣にはロアール兄上も並んでいる。
ロアール兄上はずっとシエル様の事が好きだった。小さな頃に一目惚れして、それからだって。僕も応援していた。なんか、人事じゃなかったから。
「この度、ロアールが黄金竜の所に嫁ぐこととなった。今日はいい機会だからな、紹介しておこう」
驚いた僕はロアール兄上を見た。兄上は少し恥ずかしそうにしている。そしてシエル様も色の白い頬を染めている。
「良かったじゃない、ロアール兄上」
「有り難う、エヴァ」
「ネタください、兄上」
「お前は本当にいつもそれだよな、フランシェ」
呆れたように言うロアール兄上はそれでも幸せそうに笑っている。
すると僕たちの所に向かってシエル様が進み出る。そして、僕の前に来てにっこりと笑った。
「有り難う、エッツェル君」
「え?」
「君のおかげで、僕はロアールと結ばれたんだ」
「どういうこと?」
まったくそんな話し知らない。僕はロアール兄上を見つめてしまう。それに、ロアール兄上は困った様に笑った。
「お前がガロン様の所で騒ぎを起こしただろ。あれが切っ掛けで、シエルと付き合う事になったんだよ」
「えぇぇ!!」
「何が幸いするか、分からないものだな」
父上が困った様に笑うけれど、怒ってはいない。僕の方は困るやら恥ずかしいやらで、なんだか目が泳いでしまった。
シエル様はコロコロと笑っている。そして、僕の手をギュッと握った。
「有り難う、エッツェル君。父上をあげる事は出来ないけれど、幸せを願っているから」
金色の光が僕の手を包んで消えていく。これは黄金竜の力。願う相手に幸福をもたらす祝福の竜なのだ。
「ところでエッツェル。二人は話があってここに来たんじゃないの?」
母上が僕たちを促す。
僕はグランを見上げた。不安そうではある。けれど、震えてはいない。大丈夫、手を握って、僕は笑った。
「大丈夫、僕がいる。グラン、いい?」
「……あぁ、大丈夫だ」
覚悟を決めた強い目は逃げていない。僕はそれがとても嬉しい。前に出た僕たちは、父上と母上を前にしてしっかりと立った。
「ユーリス様、マコト様。本日はお願いがあって参りました」
力の入った様子のグランは真っ直ぐに父上と母上を見る。二人もそれに姿勢を正した。皆の視線もこちらを見て、どこか緊張した空気になる。
途端、グランは少し震えていた。この視線が苦手なんだって分かった。注目の視線が小さなグランを責めた人々の視線と似ているんだってランス様がこっそり教えてくれた。
けれどグランの目は死んでいない。負けないように踏ん張るグランの手を、僕は握って頷いた。
「俺は、エッツェルの事を愛しています。留学が明けた後、彼を妻としてもらい受けたいのです」
周囲の息を飲むような空気の中、静かに見つめる父上の前でグランは頭を下げた。
「僕も、グランを愛しています。父上、母上、許してください」
僕も頭を下げた。許して欲しい、その思いばかりだった。
父上は少し難しい顔をしている。こんな目をする父上は僕の記憶にない。不安がこみ上げてくるけれど、逃げたくもなかった。
「エッツェル、魔人族に嫁ぐ事のリスクを、考えているか?」
「リスク?」
僕はグランを見る。グランも僕を見て首を傾げた。
「魔人族は数多いる種族の中でも最も長寿。しかもグランは地の神アルファード様の子だ。その寿命は、普通の魔人族よりもきっと長い。お前は、多くの死を見なければならない」
「あ……」
僕の胸に、小さな痛みが走った。大好きな父上や母上、兄上や姉上が僕よりも先に死んでしまう。その後もずっと、僕は生きていかなければいけない。そういう事は考えていなかった。
グランも落ち込んだ顔をしている。僕を見て、僕を気にしているんだと分かった。
「……それでも」
僕は顔を上げる。勢いや、気持ちばかりじゃいけないのは分かった。父上は意地悪をしたいんじゃない。僕を思うからこそ、僕の覚悟を聞いているんだ。
「それでも僕は、グランと生きていく」
「エッツェル」
「皆を見送るのは悲しい。思いだしたら悲しくなるかもしれない。でも、それはまだずっと先だと思うし、この気持ちは本物だって言える。僕は、グランと生きていきたい」
考えたんだ、グランとここで別れてしまう事を。怖がって逃げて、違う誰かが僕を同じように愛してくれるかもしれない。けれどきっと僕は、グランの事を忘れられない。ふとした瞬間に思いだして、苦しく悲しく会いたくなるに違いない。
隣のグランが僕の手を握る。強い目が、僕を見て嬉しそうにしている。
「ユーリス様、俺はまだ王太子としても、人としても半人前です。ですが、エッツェルが側にいてくれるのならば頑張れる。俺には、彼が必要なのです」
「父上、母上、僕も同じだよ。僕はグランの側で頑張っていきたい」
伝わってくれるだろうか。ううん、伝わらないなら伝わるまで僕は言うつもりだ。
けれど、そんなの杞憂だった。ふわっと僕を抱きしめる母上の腕の中で、僕は許されたんだって疑わなかった。
「いいんだね、エッツェル」
「うん、母上」
母上、泣いてるのかもしれない。見たらやっぱり泣いていた。黒い瞳が優しく、少し寂しそうに笑っていた。
「グラン」
「はい」
「エッツェルを頼む。日取りは後にとなるが、歓迎しよう」
「有り難うございます!」
緊張が解けたグランが嬉しそうな笑みを見せる。兄上や姉上達からも祝福の拍手が起こって、僕は少し照れくさく、でも幸せに笑っていた。
その夜、僕の部屋にグランは泊まった。久しぶりに帰ってきた自分の部屋は落ち着いたけれど、少しだけ浮き足だってもいた。旅行に来たみたいだ。
「良かった、受け入れてもらえて」
凄くドキドキしていたんだって、今なら分かる。気が楽になって、僕はテンションが上がっている。
そっと後ろからグランが僕を抱きしめた。その腕が、震えていた。
「どうしたの、グラン?」
「ごめん、俺は配慮が足りなくて。エッツェルを家族から離すばかりか、沢山を見送らなければならないなんて、考えてもいなくて」
「あぁ……」
グランはあの後も少し複雑そうだったけれど、それを考えてくれていたんだ。
僕も、少しだけ気持ちを落ち着ける。そしてそっと、抱きとめてくれる手に触れた。
「確かにね、悲しい」
「エッツェル」
「でもその分、新しい大切を増やして行こうと思ったんだ。別れよりも沢山、悲しいもあっという間に消えてしまう程に」
僕だって考えた。別れる悲しさは胸を締め付けるようにある。けれどグランが隣りに居て、もっと沢山の幸せが側にあればきっと、僕はまた笑える。友達も、勿論家族も増やして、賑やかに、幸せに。それを作るのは僕でありグランだって思えた。
「僕、母上に似てるんだって。母上は異世界人で、この世界で独りぼっちだったけれど、父上と出会って今はとても幸せなんだって。僕もね、これからの悲しみよりも幸せを拾いたい。それに、怖くないよ。一緒にいてくれるでしょ、グラン?」
独りぼっちになっても前向きに笑う母上の強さを僕も持ちたい。母上に父上がいたように、僕にはグランがいる。だから母上と同じように、僕はきっと笑っていられる。
グランがギュッと僕を抱きしめる。少し強くて痛いくらいだった。
「大切にする」
「うん」
「愛している、エッツェル」
「僕もだよ、グラン」
確かめるようにキスをしたグランは、ようやくいつもみたいに優しく笑ってくれた。
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