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十三話 自分がバカだとは知っていたけれど、ここまでとは思わなかった

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 ユーリスさんの屋敷は王子様の家というのに相応しいものだった。
 白い外壁の二階建ての建物は豪華だ。それに青い屋根がある。部屋数だって一体いくつだよ。絶対に使ったことのない部屋沢山あるだろ。とツッコんだほどだ。
 しかも庭がまた。門から屋敷の玄関まで徒歩五分は絶対にかかるよね? という広い前庭に、低い生け垣なんかが丁寧に手入れされている。
 俺と傷ついたユーリスさんを運んでくれた赤いドラゴンはその前庭に降りて、パニックになっている俺の代わりに状況を屋敷の人に伝えてくれた。

 治療されるユーリスさんを、俺は少しだけ見ていた。俺を庇って脇腹が抉れていたのを見て、怖くなってひたすら泣いていたのを屋敷の人に宥められ、赤いドラゴンから赤髪の少年に戻った彼がずっと側で励ましてくれた。
 周囲の人はみんな「大丈夫」と言ってくれたけれど、俺にはそうは見えなかった。だから怖くて心配だったけれど、本当に大丈夫だった。
 魔法って改めて凄い。治療魔法の得意なお婆さんが『ヒール』を唱えただけで、傷ついた体は綺麗になった。

 俺は役立たずだ。色んな人に迷惑をかけるばかりで、何も返せていない。大事だって思っているユーリスさんにあんな深手を負わせてしまったのに、俺はその体を癒やす事もできないんだ。
 俺は屋敷の中に一室を借りて、そこでしばらく生活する事になった。側に居ていいか分からなかったけれど、色んな人が引き留めてくれて、俺もこのままお礼の一つも言わないで去るのはさすがに失礼だと思い直して従った。
 でも本当は、ここにいたかったのかもしれない。

 そして翌日、俺は今庭先にでている。部屋に引きこもっているのも精神的に悪いと、赤髪の少年に連れ出されたのだ。
 この赤髪の少年の名はロシュ。なんと竜人族、赤竜族の王子様だった。ユーリスさんを兄のように慕っているのだという。

「マコト、そんなしょげた顔するなよ。ユーリスなら大丈夫だって」
「そうは言っても」

 あの時の恐怖が拭えない。血が止まらなくて怖かった。このまま死んでしまうと思った。なのに俺は無力で役立たずでどうしようもなくて。どうして俺じゃなくてこの人なんだって、何度も思った。

「お前の方が大変だったんだって? 何度か吐いたって、婆様心配してたよ」
「あぁ、うん」

 そう、昨日はそれが大変だった。気を張っている間は忘れていたっぽいけれど、治療してくれたお婆さんが「もう大丈夫」と言った途端に気が抜けて、途端に廊下で粗相をした。頭が痛いのも、内臓の不快感も全部一緒にきて、俺はへたったまま動けなくなってしまった。
 治療してくれたお婆さんの話では、傷はないが衝撃が大きくて人間の俺の体は悲鳴を上げていたのだという。脳みそが揺れたのもそうだし、体の中にダメージがあった。ある意味見える怪我をしたユーリスさんよりも危険だと言われてしまった。
 治療され、ベッドに横になっても回るような目眩がして、それに酔って何度か吐いた。胃は空っぽで、口の中が酸っぱくなってしまう。当然食べられるわけもなく、今朝ようやくスープを頂いた。

「人間って、やっぱり弱いのな」
「そうみたいだね」
「うんうん。マコトも早く元気にならないと、ユーリスが起きて心配するからさ」

 キラキラ光るお日様みたいな笑顔に、俺は曖昧に笑った。
 ユーリスさんはまだ眠っている。命に別状があるわけではないけれど出血が少し多かったみたいだ。今朝も見に行ったけれど、静かに寝ているばかりだった。
 命を救われたのはこれで三度目。一度目は森で、二度目は売られそうになって、三度目は昨日。なのに俺はされるがままだ。

「マコト?」

 ダメだ、俺の涙腺はこの世界で急に崩壊を始めたらしい。気づけば涙が伝っていた。オロオロしたロシュくんが服の裾で目元を拭ってくれる。見た目は俺よりいくつか下なのに、今は頼もしくて仕方がない。

「大丈夫だって、本当に。ユーリス強いんだからさ。明日には目が覚めるって」
「……うん」

 俺は思っていた。助けてくれたユーリスさんに何を返せるのか。平凡で、ちんけで、なんの役にも立たない俺がこの世界で唯一出来る事は彼の子供を産む事だ。ユーリスさんはそれもあって旅をしていると言った。俺が子供を産めばもう旅をする必要はない。俺にはそれが……それだけしかできない。
 俺は、ユーリスさんの目が覚めたら言うつもりだった。俺のスキルの事。そして、俺を抱いて欲しいということを。

 翌日の夜、俺は執事さんからユーリスさんの目が覚めた事を教えられて彼の部屋を訪ねた。ユーリスさんはベッドに座って、とても柔らかな目で俺を見つめた。

「マコト」
「ユーリスさん」

 俺の涙腺はこの数日で本当に崩壊状態なのかもしれない。目が覚めて、声を聞けて安心した。安心したら涙が溢れてくる。心配そうにユーリスさんが立ち上がろうとするのを止めて、俺は涙を拭いながら側にある椅子に腰掛けた。

「ごめんなさい、安心したらなんか」
「心配かけてしまったんだな」
「いいえ」

 優しい笑みを浮かべてくれる。俺がのろまだからこんな怪我をさせてしまったのに怒ったりしない。どんだけ甘いんだろう。もっと、責めたっていいのに。

「怪我、痛みませんか?」
「あぁ、痛みはない。婆に聞いたが、君の方こそダメージが強かったんだな。体調はいいのか?」
「はい、おかげさまで」

 吐き気とかは完全にないし、ご飯も食べられている。この家の人はみんな俺に優しくて、俺はその優しさが少し痛かった。

「それは良かった。いきなりトラブルに巻き込んで悪かったな。明日には動けるだろうから少し町を……」
「ユーリスさん」

 彼の言葉を遮るようにして、俺は少し強く名を呼んだ。驚いたような黒い瞳を見ながら、俺は必死に考えていた事を口にした。

「ユーリスさん、聞いてください。実は俺、一つだけスキルがあったんです」
「え?」

 疑問そうに、少し驚いた様子でユーリスさんは俺を見ている。その視線が少し痛い。一日かけて決意したのに、舌が鈍りそうだ。
 怖くないなんて言わない。全部が未知なんだから仕方がない。異世界も未知だけど、生活自体は前の世界とそれほど変わらない。まだ受け入れられる。けれど、同性とのセックスや妊娠出産なんてのは明らかに経験のしようがない。痛いって聞くし、出産は命がけなんてのもテレビで聞いた事がある。怖くて足が竦む。
 でもそれ以上に、俺は何かを返したい。ただその一心だった。

「俺の持っているスキルは、『安産 Lv.100』です」

 伝えた途端、ユーリスさんの黒い目が驚きに見開かれ、息を呑んだのが伝わった。彼はちゃんと分かってる。俺の存在は待ち望んだものなんだ。このままでは王家の血筋が絶えてしまうかもしれないと言った彼にとって、俺は希望になれるんだ。

「俺、ユーリスさんの子供を多分産めます」
「マコト」
「経験はないけど、スキル高いから。だから」

 言えよ俺。一番大事なんだよこれが。ユーリスさんは優しいから、自分の要求を俺に押しつけたりはきっとしない。俺が俺の意志で了承しないとダメなんだ。

「だから、薬つかって俺を抱いてもらえませんか?」

 震えながらでも俺は言えた。沢山の勇気を振り絞った。未だに手は震えている。本当に情けない。役立たずで根性無しじゃどうしようもないだろう。
 ユーリスさんは驚きから戻ってこないのか、呆然と俺を見ている。その視線がいたたまれない。俺は立ち上がって、服を脱いだ。

「マコト!」

 一糸まとわぬ姿なんて恥ずかしいなんてもんじゃない。泣けそうだ。でも、決めたから平気だ。お膳立てだって必要かもしれない。こんなの抱くんだから、ちゃんと誘わないと乗ってくれないと思う。
 そのまま側に行って、ベッドに片膝を乗せてみる。でも俺は経験ないからどうやって誘っていいか分からない。気恥ずかしくてAV見るの控えたりしなければよかった。本当に数えるくらいしか見てないし、男友達とネタのように見て盛り上がったくらいでちゃんと覚えてない。年相応の経験しとけば今困らなかったのに。

「抱いてください。俺、ユーリスさんの子供産みますから」

 目頭が熱い。媚薬に頭がふやけた状態とは違う。俺の意識ははっきりしている。だからこそ、どうしていいか分からない。なんて言ったら伝わるのか、誰か教えてくれ。
 そっと、俺の肩にユーリスさんの羽織っていたガウンがかけられた。そしてそっと、俺の体は離された。
 途端に違う痛みに胸が苦しくなる。拒絶を受け取って、俺は何もかもが崩れて行くように思えた。

「気持ちは有り難い。でもマコト、もっと自分を大事にしてくれ。俺は」
「俺の貧相な体じゃ、ダメですよね」
「え?」

 苦しくて、悲しくて、涙が止まらない。息が上手く吸えていない。俺は震えながら後ろに下がった。この場所にいる事ができない。もう、ユーリスさんの側にいられない。俺じゃダメだった。スキルがあるからって思い上がってた。ユーリスさんにも相手を選ぶ権利はあって、俺じゃ全然ダメだったんだ。

「ごめんなさい」

 消え入るような声で言って、俺は脱ぎ捨てた衣服を掴んで部屋を走り出た。後ろで慌てたように名前を呼ばれた気がするけれど振り向く事なんてできなかった。俺は本当に、バカだった。

◆◇◆

 一晩泣きはらして、少し過呼吸っぽくなりながらも俺は冷静になった。冷静になったら、本当に救いようがなくなった。
 スキルを聞いた時に俺は思ったはずなんだ。ユーリスさんに商売人のような目で見られるのは嫌だ。子供を産む道具のように扱われるのは嫌だって。なのに昨日の俺は自分からそうなろうとした。
 俺は何でも良かったんだ。ユーリスさんの側に居続ける為には有益でないといけないって思ったんだ。その為にスキルを利用しようとした。俺にとっての武器はそれしかないから。
 バカだ。ユーリスさんにだって気持ちってものがある。相手に求める条件がある。俺みたいな役立たず、好みのはずがない。
 前に一度触れてくれたのは、俺が媚薬に犯されてどうにもならない状態だったから。憐れんでくれたのに、勘違いした俺が悪い。自分にそんな価値なんてない。親にすら捨てられた奴が誰かの特別になりたいなんておこがましいんだ。

 俺は、ユーリスさんの事が好きなんだ。

 これが一晩泣きはらして出た、俺の中の純粋な気持ちだった。

「マコト」

 扉の外で声がする。俺の肩はビクリと震えた。コンコンとノックをする音にも俺は震えた。どんな顔で合えばいいか分からない。どんなふうに言い訳したらいいか分からない。何でもないように笑って「なんですか?」なんてきっと言えない。
 何度かノックされたけれど、俺は動けないままベッドの中で丸くなった。そのうちに気配が消える。それに安堵するなんて、俺は恩知らずだ。
 夕方、俺は一つ決心をして着替えて屋敷の厨房に向かった。中ではコックさんが料理を作り終えていた。

「おや、マコトさん」
「あの、厨房お借りしてもいいですか?」

 俺の申し出に、コックさんは不思議そうな顔で首を傾げた。

「旅の間、ユーリスさん俺の料理気に入ってくれたみたいなので、何か作れたらいいなって。俺に返せる事って、このくらいしか思いつかなくて」
「そりゃいい。ユーリス様も喜びますよ」

 コックさんは嫌な顔一つしないで俺に厨房を貸してくれた。何を作ろうか考えて、厚焼き卵と唐揚げと金平ごぼうを作った。

「手慣れてますね」
「好きなんです、料理」

 作り上げて、それを皿に乗せて渡す。お礼を言った俺は部屋に戻ってマジックバッグの中を確かめた。作り置きの料理はまだ残っている。買ってもらった服や、念のためにと渡されたお金。それらがちゃんとあることを確かめて、テーブルの上に置いた。そして預かっていた黒い水晶の笛をその脇に置いた。

「ごめんなさい」

 俺に出来るのって結局料理しかなかった。純粋な俺の力で出来る事でせめて喜んでもらいたい。俺に返せるせめてもの事だった。
 俺は少し散歩したいと言って屋敷から出て、戻らなかった。一本道を下っていけば町に辿り着くのは聞いていたし、ロシュくんから国の中にはモンスターはいないって教えてもらった。だからただ歩いていけばどこかに行けるんだ。
 屋敷が遠くなっていく。俺の心はひび割れたみたいに痛んだし、涙が溢れてきたけれど、振り返ったり足を止めたりする事はなかった。
 甘えすぎていたんだ、やっぱり。ちゃんと自分で生きられないとダメなんだ。仕事のえり好みなんてしないで、辛くてもやればよかった。喜んで就活するって言えば、ユーリスさんだって頷いてくれたはずだ。
 それに、側にいる事が辛い。今までのようになんて無理だ。体つかって迫って、拒絶されて好きだと気づくなんて間抜けすぎるけれど、だからこそ側にはいられない。今までの惰性でお世話になることだけはしたくない。
 諦めろ、俺には不相応な相手だ。身の程知らずなんだ。何の魅力もないんだ。思ったって辛いだけだ。失恋なんて過去何回かあったじゃないか。その度に、ちゃんと浮上できただろ。
 でも俺の気持ちはなかなか浮上しなくて、苦しさは重しのように足を鈍らせて、捨てられた犬みたいにトボトボと歩きながらいつしか屋敷は見えなくなった。
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