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13章:君が欲しいと言える喜び

5話:嫉妬と葛藤

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 結局、ろくに眠れなかった。目を閉じても苦しそうなランバートの表情が浮かぶ。重く、僅かに痛む頭を振って水を飲み込み、ソファーに腰を下ろす。

「失う……」

 その言葉を口にした途端に溢れる苦しさが胸を満たす。
 それでもファウストはどうにかなると思っていた。じっくりと話をしようと思っていたのだ。

 だが、その思いはいきなり砕けた。朝の賑わう食堂で、ランバートはアシュレーと二人きりだった。隣り合い、親しげに何かを話し、時々赤い顔をして何か反論している。
 これが他の師団長もいればいいのだ。だが、他の師団長はそれよりも少し離れて食べている。二人だけなのだ。
 ズキッと、胸の奥に鋭い剣がつき立つ。不愉快……というよりは、もっと生々しい感情。それを見て、動けないままだ。
 不意にアシュレーがこちらを見て、ニヤリと笑いランバートの髪に触れる。指先に絡めるその姿を見て、ファウストは背を向けた。
 執務室に逃げ込むように入った。そして、自分の中に浮かんだ感情に戸惑い、同時に震えた。抱いたものは、憎しみだろうか。勝ち誇ったように笑い、所有するように指に髪を絡めたアシュレーを見た途端に、炎が溢れるように沸き起こったように思った。
 殺気を出さずにいたのが精々だ。あれは、間違いなくアシュレーの牽制だ。近づくことを拒んだんだろう。

「っ!」

 どうにかして沸き起こった感情を鎮める。そうじゃなければ今日の執務などできない。何度も深呼吸をして、それでも心臓の加速はなかなかおさまらなかった。

 この日は何度も、二人の睦まじい姿を見た。昼も一緒にいたし、夜の終業時間にはランバートがアシュレーを待っていたのだろう。当然のようにアシュレーは隣に立つ。そしてその耳元に何かを囁きかけ、ランバートは耳まで赤くなっていた。
 その度に燃え上がるような感情が胸を焼く。見ている事ができなくて、夕食は抜いた。同じ場所にいられなかった。
 自室に戻って、部屋を見回す。とても殺風景な室内には残像が多すぎる。ここで、一緒に飲んでいた。ソファーで寝るなと言うのに、ソファーをベッドに眠っていた。ベッドでも時々。
 思えば、この部屋に人を入れたのはあいつくらいだ。ここに人を泊めたのは、あいつくらいだ。他には言えないような相談をしたのは、あいつだけだった。
 共に蘇るのはアシュレーの隣にいた姿。アシュレーの終業を待っていたのなら、アシュレーが一方的に迫ったのではないのだろう。ランバートも受け入れている。

「……」

 距離が近かった。触れる距離。あそこにいたのはファウストだった。香を感じる距離にいたのは、確かにファウストだったのだ。それが、どうしてこんなにも……。
 「好きだ」と言ったあの言葉に返してやれなかったからか。あいつを受け入れていたのに、頑なにそこだけを拒んだからか。これは、自分を欺しあいつを傷つけた自分へ返った切っ先なのだろうか。

 当然のように眠りは浅かった。それでも、不思議と空腹は感じていない。それ以上につかえるものが重たくて何も入っていかない。
 引きずるように起き上がって、食堂に行こうとして足を止めた。ほんの僅か見えた二人を見つけたからだ。

「なぁ、昨日のあれって見間違いじゃないんだよな?」
「あぁ、あれだろ? ランバートがアシュレー様の部屋に泊まったって」
「!」

 呟くような他の隊員の言葉に、足がすくむ。聞いた言葉を全て否定してしまいたい。

「ラウンジでなんか深刻そうな顔で相談してたけど、そのうちに二人でアシュレー様の部屋に行ったって」
「朝帰り見たって奴いたから、間違いないんじゃないか?」
「あーぁ、ランバートはアシュレー様のものかー。そんな様子全然なかったのになー」

 言葉が出ず、息ができず、ファウストはそのまま食堂に背を向けた。執務室にこもり、鍵をかける。そのまま、ズルズルと床に座り込んで膝を抱えた。

 失う。

 それは別に、命がというだけじゃないんだと今更知った。側を離れ、そこに再び触れる事ができなければ結局失ったのと変わらないんだ。いや、より残酷だ。ファウストは手を取れなかった。取れるチャンスはいつでもあったのに、そうはしなかった。結果がこれだ。これから毎日、睦まじい二人の姿を見る事になるだろう。遠く、離れて……。
 鼻の奥が痛むように思う。けれど、流れるものは出てこない。痛みは脳を刻むように響く。それでも涙の一つも出てこない。
 ファウストは一人、蹲ったまま自らを抱いた。

◆◇◆

 あれから、ファウストの姿を見なくなった。一週間が過ぎている。もう一週間、こんなにも離れた事はなかっただろう。
 食堂で見る事がないかと見回す事もある。どこかで会う事はないかと、修練場に足を向けた事もあった。安息日の早朝、彼はいないかと。でも、姿を見る事はなかった。
 遠くにたまに見るその背は、全てを拒むように感じた。そして、やつれたように見えた。顔色が悪くて、明らかに疲れてもいて、瞳は厳しくて。

「……」

 夜、机のランプを灯してランバートはペンを走らせる。あの顔を見ると、そうさせたのが自分じゃないかと思うと書く物がある。いつも途中まで書いて、そのうちに苦しくなって書く手を止めてしまうもの。
 それは、書きかけの『退団届』だった。

◆◇◆

 最近この部屋には客人が多い。楽しげならばよいが、皆が沈んだ顔をしている。その理由も、分かるのだが。

「最近、嫌」

 ふて腐れたような顔をしたオスカルが、要領を得ない事を言う。こいつはいつも不満を文句にしてまき散らす。そうする事でストレスを発散するのだろうが、聞く方もどうしようもない。

「ねぇ、なんでこうなるの? 普通さ、両思いってもっと素敵じゃない? 『貴方の事が好き』『俺もお前が好きだ』『チューッ』って、セオリーじゃないの? ねぇ、なんなの」
「知らぬ。私やお前の様な円満バカップルには難題じゃ」

 オスカルが文句を言いたくなるのは分かる。シウスはこの言いようのない怒りを主にファウストに向けていた。
 あいつがもう少し素直であれば何の問題もないことなのだ。受け入れる、不安なら守ってやる。そういう気持ちがあればそれで良いことなのだ。それを、こんなにも拗らせる。

「エリオットも心配してた。あいつ、食べてる?」
「知らぬ。最近見ておらぬ」
「僕もなんだよね。クラウルに聞いても、一緒になることないって」
「いかな化け物とて、一週間も食わなければ死ぬな。いっそ死ねばいい」
「シウス、お言葉が厳しい」

 何を手をこまねいている。ランバートの方は何やら師団長連中に遊ばれている。まぁ、魂胆は直ぐにわかった。ファウストが痺れを切らしてランバートを攫いにくるのを待っているのだろう。ランバートを知らぬ奴ならば分からぬだろうが、知っているなら容易に分かる。冷静ならばファウストだって分かる事なのだ。

「ねぇ、このままなんてならないよね?」
「知らぬ」
「嫌なんだけど、それ。収まるところに収まらないとさ、僕たち友達二人を失う事になるんだよ」
「知らぬ!」

 腹が立つのだ、本当に。煮え切らないあいつが今何を考えているか分からない。シウスだって、このままなんて耐えられない。このままでいいはずはないのだ。
 だが、どうしようという。他人の心を決めてやる方法などない。結局は多少の助言くらいしかないのだ。自分で解決出来ない事がこんなにも苛立つ。
 その時、遠慮がちにドアがノックされた。重い腰を上げて扉を開けてみれば、ラウルが大きな瞳にたっぷりの涙を溜めて佇んでいた。

「ラウル! どうしたのじゃ、何事じゃ! なんぞ、辛い事でもあるのかえ?」

 オロオロと抱きしめると、ラウルは素直に肩口に顔を押し当てる。そして、声もなく泣いている。背を柔らかく抱きしめて撫でていくと、ゆるゆると顔が上がった。

「どうしたのじゃ、ラウル?」
「シウス様、これ……どうしよう」

 隠しから出してきたのは、グチャグチャに丸められた形跡のある便箋だ。騎士団のエンブレムの入ったそれを見たシウスは、その場で固まった。

「部屋に戻ったら、ランバートいなくて……これがゴミ箱の側に落ちてて……どうしよう」

 見た事のある字で途中まで書かれた退団届。途中、文字が震えている。流暢な文字を書くあいつが、躊躇いながら、震えながら。

「シウス、こんなのダメだよ! こんな」

 隣で盗み見たオスカルまでもが顔色をなくして叫ぶように言う。シウスはそれを手にしたまま立ち上がり、猛然と走り出した。
 この時間、あいつが私室に戻らない事は知っている。楽しい記憶の多い私室に戻れないのだろう。執務室で寝泊まりしている事は知っていた。
 執務室の扉を開け放つと、ファウストは驚いたように顔を上げた。やつれたし、顔色も悪い。だが、そんな事どうでもいい。シウスはソファーから上半身だけを上げたファウストにズンズンと歩み寄り、その胸ぐらを掴んで引き倒した。

「お前は何をしている! バカか! えぇい、女々しい奴め! いらぬなら今すぐ下についた邪魔なもの切り落としてくれる!」
「シウス?」
「お前はどこまでクズじゃ! 大事なもの一つ守れず何が騎士じゃ! どんなヘタレた男でも、大事な人くらい受け止めて守るものぞ!」

 怒りがこみ上げるのだ、こいつに。今のこいつを見ると、どうにもならないのだ。
 シウスは手にしていたものをファウストの前に広げた。見る間に見開かれた黒い瞳には、深い驚きと苦しみが滲み出ている。

「お前、あの子が好きであろう。もう、心の大半を許しているであろう。触れたくて、愛しくてたまらぬのであろう。なのに、どうして今手を出そうとしないのだ」
「……ランバートは、アシュレーを選んだのだろ?」
「っ! あれが分からぬほどにお前の目は腐ったか!」

 二人の様子はそれほどの親しみはない。見た目の距離は近くても、心がそうかと言えば違う。浮かべる表情がまったく違うのだ。

「お前は、怖くないのかシウス。ラウルに何かあったら……思って、躊躇わないのか」
「怖いさ。あの子が遠出するとき、生きた心地がせぬ事もある。だが、必ず助けに行くと決めている。間に合わぬなら、その最後も全て自らに刻む。あの子の全てを、私はこの身に焼き付けていくと決めて共にいる。覚悟の問題ぞ」
「覚悟、か」

 静かに、ファウストは呟いた。

「早う引き留めよ。私はこのままなど許さぬ。どうしてもお前が側に置けぬというなら、ちゃんと終わらせてやるがよい。答えを出さぬままではどこにも行けぬ。期待もさせるな、触れるな。拒んだのは、お前なのだから」

 胸ぐらを離したシウスは、そのまま背を向けた。そして、このままでは埒が明かない事を確信する。動かすならば、大きく叩いたこの機会しかないだろう。
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