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13章:君が欲しいと言える喜び

2話:いざ、シュトライザー家へ

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 お見合い当日、ランバートはファウストと一緒にシュトライザー家へと向かった。先に馬車を降りたファウストが手を差し伸べ、それにランバートも従った。
 下りて見上げた屋敷は、ヒッテルスバッハにはない厳格さがある。華やかな装飾はなく、ただ威厳だけを漂わせるそこは他者を拒むようにも見える。これにくらべ、代々屋敷を女性達の好きにさせてきたヒッテルスバッハは華やか過ぎる。

「ランバート」
「あぁ、うん」

 手を引かれ、中に入る。するとどこででもある光景が広がる。赤い絨毯を敷いたその両脇に立つメイドや執事、従者といった人々が一斉に頭を下げる。その光景はヒッテルスバッハでもある。特にこうした人々と繋がりの深いランバートのお出迎えは、それは熱が籠もっていて時にいたたまれないくらいだ。
 だが、随分様子が違う。こうしていても、冷たさを感じる。温かく迎え入れられたのではなく、儀礼的にそのようにしているのだと分かる様子だ。
 ファウストも特に何があるわけでもなく、その中を真っ直ぐに進んでいく。ランバートも合わせて進んだ。気にはなるし、嫌なものを感じるがそこは表に出したりはしない。二人は真っ直ぐ赤い絨毯の導きのまま階段を上がり、二階の執務室を目指した。

 大きな両開きの扉には、騎士の守護聖人のレリーフがある。そこを押し開けると、真正面にその人は座っていた。
 薄いグレーの髪を撫でつけ、青い瞳を向ける厳格そうな人物。ファウストに負けない美丈夫で、年齢も父と同じ五十代だろうが実に勇ましい。切れ長の、どこかファウストに似た視線がランバートを見つけ、明らかにすがめられた。

「ファウスト、そちらは?」
「俺の恋人だ」
「恋人?」

 実に不快。そういう視線にランバートは苦笑する。ファウストの一歩前に出たランバートは、とても丁寧に頭を下げた。

「ランバートと申します」
「……ヒッテルスバッハの末の息子か」

 不快だと、やはり分かる声。だが、不思議と拒絶ではないのだ。こうしたものを敏感に感じてきたランバートにはどこか不思議な感覚だ。不快だが、受け入れられている。もっと簡単に言うと、「気に入らないが仕方がない」だろうか。

「容姿は母だが、中身は父親にそっくりだ。実に不愉快だ」
「父上!」

 怒気を見せるファウストを、ランバートは軽く手で制する。ランバートは不思議とこの人を嫌いになれなかった。思うところと表情が微妙にずれているが、この感覚は知っている。側にいる人がまさに、このような空気感を作る時がある。

「よく言われます。シュトライザー公爵は、父をご存じなのですか?」
「あぁ、嫌と言うほどな」

 そのままそっぽを向いたシュトライザー公爵は、二人に背を向けた。

「ファウスト、そいつをパーティーに出席させる事を許可する。だが、欠席は許可しない。いいな」
「……はい」

 ピリピリと肌に感じる険悪な雰囲気に、ランバートは苦笑だ。ルカの言っていた事が分かる。この二人、中身がとても似ているのだ。


 程なくして退出したランバートは、側を歩くファウストを見て心配になる。さっきからまったく笑みがない。緊張と不快感しか見えていないのだ。
 まぁ、なんとなくは分かった。おそらくシュトライザー公爵はファウストを受け入れている。だが、屋敷全体としてはファウストを拒んでいる。ということは、ここを預かる人物が拒んでいるのだ。つまり、シュトライザー公爵夫人か、あるいはそれに近い人物だろう。

「あの」

 言いかけたその時、少し先を行くファウストが立ち止まり、ランバートを背に庇った。見れば対面から誰かが歩いてくる。
 赤に近いブラウンの髪に、緑色の瞳をした青年は実に不快なもののようにファウストを見る。加虐と同時に、卑屈。プライドの高さだけはよく分かる印象だ。

「帰っていたのか、ファウスト」

 馬鹿にしたような笑みが口元に浮かぶ。陰湿なその笑みは見るだけで不快だった。だが、ファウストは軽く頭を下げるのみだ。

「父上が呼んだらしいが、よく戻ってこられるものだ」
「兄上」

 嫌そうな表情を伏せたまま、ファウストは小さく言う。だが、このたった一言で男は激昂したように目を見開き、ファウストの胸を押した。

「誰が兄だ、愛人腹のゴミが! お前のような奴がシュトライザーの名を名乗る事すら不快なのに、私を兄と呼ぶ事は許さない!」

 突然の大きな声にランバートは驚いてしまう。あまりに突然だった。そして後には、腹の底から沸くような怒りと不快感が残る。
 ファウストが何をしたわけでもない。シュトライザーの名を貶めたことなんてないだろう。今や誰もが認める国の軍神だ。彼がいなければ他国からの侵略やテロはもっと数を増すだろう。そうなっていないのは、その輝かしい戦歴が他国にまで届いているからだ。
 思わず前に出そうになるが、ファウストがスッと手で制してしまう。男の目が一瞬、ランバートへと向いた。ニヤリと笑うその笑みの冷たさ。苦手なタイプを相手にランバートも臨戦態勢を整える。

「男連れなんて、やっぱりゴミだな。爺、あとで塩撒いとけ」

 男はそう言うと後ろに控える老人を連れて先へと行ってしまった。

「行こう」

 静かに言われるその言葉が、こんなにも悔しく思える事はなかった。

 ファウストの部屋はあまり掃除がされていなかったのか、開けた途端に空気の淀みがあった。窓を開け放ち、空気を入れ換える。物がない、ここに人が暮らしていたのかさえ疑わしい室内だった。

「悪かったな、居心地が悪くて」

 気遣わしい目をした人が申し訳なさそうに謝ってくる。ランバートは首を横に振り、そっと背に腕を回した。

「貴方は、我慢しすぎです」

 こんな場所で、こんなに息苦しい雰囲気の中で生きてきた人があまりに不憫だった。苦しかっただろうと思うと、たまらなかった。
 ファウストはそっと頭を撫でてくれる。ただ無言で、優しく。

「何もないが、この部屋なら平気だ。悪いな、お前まであんな目で見られて」
「俺はいいです。問題は貴方でしょ。こんなの、おかしいじゃないですか!」
「ランバート」
「だって、貴方だってこの家の息子でしょ。迎え入れられたんでしょ? それなのに、誰一人貴方を受け入れないという態度で。こんな」

 この中で、十歳の子が一人でいたのは苦痛だろう。愛情溢れる場所で育って、突然ここに放り込まれて味方がいなかったら、どんなに辛いのだろう。
 頬に手が触れる。額に、唇が触れる。親愛は柔らかくランバートを包んでくれる。

「過ぎた事だからいいんだ。それに、今日が終わればそれでいい。お前にまで不快な思いをさせてしまったのは申し訳ないが、俺の家は宿舎だからいいんだ」

 実家に帰らないファウストの理由は、大変に分かった。ランバートが面倒がって実家に帰らないのとは訳が違う。ここに、ファウストの居場所はないんだ。

「今年の年末、どこか行きますか?」
「ん?」
「毎年宿舎もつまらないでしょ? 温泉とか、行きますか?」

 思わず聞いていた。なにか、元気になってもらいたかった。
 見下ろす黒い瞳は柔らかく笑い、たった一言「気にするな」とだけ返ってきた。


 その後は、他愛ない話をした。主にランバートの口数が多かった。ファウストは気が休まらないのか、落ち着かない様子でいる。だが、あまりに話すので逆に気を使わせてしまい、苦笑されてしまった。
 お手洗いを理由に、ランバートは一時的に外に出た。教えられたように行き、戻る途中に影を見た。小さな庭園には温かさがある。その中にその人はいた。撫でつけたグレーの髪が僅かに風に揺れている。
 自然と、ランバートはそこへ踏み出していた。その音に、シュトライザー公爵も気づいたようだった。

「綺麗な庭園ですね。暖かみがあって、穏やかな」

 貴族の屋敷の庭園とは少し違う。本当に小さなその庭には、小さな草花が揺れている。適当に種を蒔き、育つに任せた。そんな雑さと、だからこその自然さがある。

「……妻が好きだったからな」
「そうですか」

 この『妻』がどちらを指すのか、ランバートは分かった。ファウストの家の前には、野の花が咲いていたと聞いた。これはまさに、そのような景色なのだ。
 貴族では政略結婚は当たり前だ。恋愛は愛人とというのがある種常識のようになっている。だからこの人の中で妻は、ファウスト達の母親なのだろう。

「ファウストは、普段どのようにしている」

 ランバートに背を向けたまま問うシュトライザー公爵は、だが感情が丸わかりだった。ほんの少し耳が赤い。素直ではない。それに、ランバートは笑う。

「皆に慕われています。上官として部下を厳しく指導し、時に気にかけて。軍神としては、立派に」
「恋人としての姿ではないのだな」
「恋人である前に上官です。信頼すべき、尊敬すべき上官です」

 青い瞳がこちらを見る。堂々ランバートは立ち、笑った。偽らない心に、シュトライザー公爵は眉根を寄せる。

「付き合わせたようだな。まったく、バカな息子だ。お前も、こんな茶番に付き合う必要はないぞ」
「そのようにお思いでしたら、どうかあの人を悩ませないでください。本当に、気の毒になるほどにやつれていました。あの人が精神的にあまり強くない事は、ご存じじゃありませんか?」

 どうやらこちらの思惑はバレている様子だった。だからこそ、開き直って言ってみた。気遣わしい、どこか寂しい視線。都合の悪い感じで視線が下へと落ちていく。

「愛人でも何でも囲って、子をもうけて貰いたいと思うのは本心だ」
「期待していないのにですか?」
「……そうだな。無理を通せばあれも苦しむ。私がそれをしては、妻が悲しむ」

 そう言いながら、風にそよぐ花々を見つめる人の目は知っている。どこか寂しげな表情も。

「公爵は、ファウスト様によく似ていますね」

 呟いた言葉に、シュトライザー公爵は顔を上げる。ジッとこちらを見るその目も知っている。色も姿も違うが、浮かべるそれは親子なのだ。

「ファウスト様と同じ表情をします。困った様に笑う姿や、都合の悪い時の仕草、素直じゃない態度も」
「お前も父親に似ているぞ。全て知ったように笑うあの男の目によく似ている」
「まぁ、親子なので。俺もそれは自覚をしていますし、父も言います。性質を一番継いだのはお前だ。損な役割で悪いなと」

 実に申し訳なく、でもどこか嬉しそうに笑った父が頭を撫でて言った言葉を、ランバートはある種誇らしく思う。確かに損かもしれないが、悪くないと思っているのだ。
 シュトライザー公爵は気遣わしい目をしてランバートを見る。見れば見るほどあの人の表情に重なって、本当に可笑しくなってきてしまう。そして同時に、やっぱりこの人の事は嫌いにはなれないのだ。

「お願いですので、あの方にお見合いなんてこれっきりでお願いします。お会いになりたければ食事などに誘われてはいかがでしょう? ルカさんを通せばきっと、応じてくれますよ」
「どこまでも見透かしたように、やはり気に食わん。あの男が目の前にいるようだ」

 そう言って再び背を向けた人に笑い、一礼したランバートは今度こそファウストが待つ部屋へと戻っていった。
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