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12章:ルシオ・フェルナンデス消失事件

3話:秘密

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 クラウルの様子が変だ。シウスは一人腕を組み、執務室の椅子に背を預ける。その瞳は鋭いものがあった。
 クラウルとシウスは付き合いが長い。騎士団の同期入団で同室。当時は六人部屋だったが、ここは五人で使っていた。狭い部屋で男五人の缶詰だ、最悪だがその分相手の事は密に分かる。気心が知れる。
 クラウルは一人で抱え込む癖がある。深刻な事案であればあるほどに誰にも言おうとしない。部屋に戻らず執務室にこもるのも癖だ。寝室では仕事の事を一切考えないようにしている。そんな奴が執務室にこもり、何やら動けば怪しむのが道理。
 あの男がこれだけ悩むのなら、原因は二つに一つ。陛下の事か幼馴染みの事か。
 冷血冷静冷淡と、冷という字がいくつつくのかと思うようなあの男もある一点においてバカになる。幼馴染みの陛下に関わる事と、同じく幼馴染みのルシオ・フェルナンデスの事だ。問題は、この二つが対立せざるを得ない立場にあることだ。

「今回はおそらく、ルシオ・フェルナンデスじゃの」

 西で起こっている騒ぎは知っている。何より調査に向かったのはラウルだ。そのせいでシウスは忙しい時にラウルを補給できない。心の癒やしがなくなって寂しいやら苛立つやらだが、今はそれも言えない。
 そのラウルから直接、情報をもらっている。西で起こっている異変についてはシウスも把握済みだ。

 この国には五つの巨大テロ組織があり、十の中規模テロ組織がある。小さなものについては面倒で把握もしていない。その二大巨塔と言ってもいいのが、ルシオ・フェルナンデスを頭とするルシオ派と、レンゼール・ブラハムを頭とするレンゼール派。互いに西を拠点とし、場所も近い。しかもこの二人、あまりに性格が合わずいがみあっている。
 なんとか共に食い潰してくれないかと、シウスなどは思ったりもした。
 そもそもあまりに性質が違うのだ。
 ルシオ派は政治テロ。国の悪政や因習を利用して事を起こし、国の根幹を揺るがす。
 対してレンゼール派は武闘派。特に派手な事が好きで、大きな祝賀や催事を狙ったテロが多い。
 故に引っかかっていた。昨年起きたファウストの拉致事件。あれで捕らえた者達は自らをルシオ派と言いながら、その計画はレンゼール派のやり口に酷似している。厳しく問い詰めたが答えが変わる事はなかった。だから、おかしいと思っていたのだ。
 今回、ルシオ派の内部分裂と、分裂した者の一部がレンゼール派に流れた事を知って合点がいった。奴らはルシオ派から分裂したレンゼール派。つまり、今これから聖ユーミル祭を汚そうというのはレンゼール派なのだ。
 そしてクラウルは姿を消したルシオを案じ、探している。いや、もしかしたら既に何かを掴んでいるかもしれない。昨夜出かけ、今朝腹心の部下をどこかにやったのは知っている。

「面倒ぞ」

 まだ事は大きく動いていないだろう。話させるなら今しかない。あの男が関わるとクラウルは冷静ではいられない。きっと先に見つけて逃がそうとするだろう。シウスとしては誰にも知られないならそれでいい。取り逃がしたとしても良いと思っている。人の情があの男にもあるのだと思えるから。
 ただ、誰かに見られた時にはまずい。故意に逃がしたとなればクラウルを庇いきれない。それだけは避けなければ。

「拷問で吐くような奴ではないしの。まったく、面倒を掛ける。それほど私は信用ならぬか。私とて情はある。あやつと幼馴染みの友好の深さは知っておる。個人的にはいけ好かないが、多少の見逃しくらいはしてやろうと言うのに」

 ブツブツと呟きながらも、シウスはひたすら考えた。
 クラウルはファウスト以上に物事を吐かせるのに苦労をする。
 ファウストも拷問や尋問には強い。肉体的な苦痛などあの男にはきかない。自身の事であればたとえ腕を折られようと切られようと吐かないだろう。血みどろになって戦場から這い出したかと思えば両脇に部下を抱えて平然としていた様を思い出し、こやつに痛覚はあるのかと疑問に思った事があった。
 だがファウストは他者の痛みに弱い。親しい者を引き立てて拷問すれば、精神的に耐えられない。犬畜生にも劣る行いだが。
 それに対してクラウルはより難しい。肉体的な拷問や尋問はまず無理だ。目の前で腕を切り落とされようと呻き一つあげないのではないか。それどころか目の前に家族や部下を引っ張って拷問しようと、顔色一つ変えないだろう。
 唯一あいつに効果のある人物は二人。現皇帝カール四世陛下か、ルシオ・フェルナンデスだ。誰が皇帝を拷問する。無茶もありすぎる話だ。故に、あいつの口を割らせる事ができない。

「こうなれば、責めるは一つか。それもまた、楽ではないのだがの」

 クラウルの様子に変化があったのは、カーライルを連れて密かに東地区の視察をした日から。そして第二の変化が起こった昨日、ランバートも外出届を出している。この二つに絡んでいる可能性はあるし、少なくとも最初の事情は知っているだろう。
 ランバートだって決して楽な相手ではない。苦痛は飲み込むだろうし、信頼に背を向ける事を嫌う。この二点において彼は死んでも口を割らない。
 だが、心を寄せる事であれの口を多少割らせる事はできる。クラウルへの情を見せ、心を偽らずに伝える事で警戒を解くことはできる。クラウルを攻める事が不可能ならば、多少光明の見える道を選ぶしかない。

「私は少し友を見直さねばならぬかの。秘密の多い奴らばかりではないか。ラウルの素直さと純粋さが愛しくてならぬ。早くあの子が戻らねば、私は心がすり切れる」

 呟きながら動くなら今日と決め、シウスは黙々と仕事に打ち込むのであった。

◆◇◆

 その夜、シウスは真っ直ぐに書庫を目指した。奥まった場所にある書庫は多少暗い。夜ともなればランプがないと読み物も不可能だ。
 静かに書庫の前に立ち、開ける。ランバートがここ数日をここで過ごしているのは知っていた。頼りないランプの明かりが揺らめき、金の髪が流れた。

「シウス様?」
「このような時間に、何を読んでおるのかえ?」

 扉を閉め、ゆっくりと近づいていく。ランバートは警戒する様子もなく困ったように笑い、手元の本を見せた。
 古くからある戦記物語。長い話は重厚な表紙と分厚さがある。一冊が十センチはある本が全二十巻。なかなか重いものだ。

「ラウルも仕事でいませんし、寝付けないので少し。好きなんですよね、この話」
「奇遇ぞ、私も好きだ」

 古いばかりの家に生まれた青年が、導かれるように王と出会い、その身を投じて戦場を駆ける。友を得、敵にも情を持ち苦しみ悩み、仲間を思い奮戦し、古き主から新しき主を得て再び立ち上がる。国を守り民を守り、己の心に生きた男の生涯を描いた大作だ。

「シウス様はどの辺がお好きなのですか?」
「友の窮地に単独敵地に踏み込み、傷つきながらも友を救う場面じゃの。あの男気はなかなか良い。そんな主人公を助けに仲間が集まり、九死を救う場面も良いではないか」
「あの場面は痺れますよね。囚われて、命はないと覚悟する友人を救うために孤軍奮戦し、矢を受け剣を受けても立ち上がって進もうとする。思わず応援したくなります」
「結果は分かっておるのにの」
「えぇ」

 そんな話を他愛もなくした。事実でもあり、シウスも笑う。

「シウス様こそ、こんな時間に書庫に何の用ですか?」
「少し調べ物をな。それに、可愛い私のラウルがおらなんだ。癒やしもクソもありはせぬ」

 立ち上がり、シウスは調書の収められた棚の前に立ち、手を触れる。そしてランバートの前にそれを置き、座った。

「明かりを持ってきておらぬ故、ここで読ませてもらう。借りてもよいか」
「どうぞ」

 ほんの少しランバートの眉が上がった事を見逃しはしない。だが直ぐに涼しい顔になった。語る気はない、そういうことだ。

「ランバート」
「はい」
「クラウルの様子がおかしい。お前、なんぞ知ってはおらぬか?」

 ストレートな問いにも、ランバートはただ「さぁ?」と言うのみ。シウスはルシオ・フェルナンデスに関する事件の調書をめくり始めた。

「あやつとルシオ、そして陛下の関係を、お前は知っておるか?」
「関係があるのですか?」

 あくまでとぼけるつもりだ。シウスは溜息をつくしかない。だが、時間がかかるのは想定済みだ。

「幼馴染みなのだそうだ」
「そうですか」
「故に、奴はバカになる。頼ればよいものを一人で抱え込む。悩み苦しみ、話も聞かずに決めつけて解決しようとする。冷静さを失えば動きが大きくなる事を自覚しておらぬ。友が案じている事も、見えなくなる」

 ランバートの視線が僅かに上がった。だがまた直ぐに手元の本へと視線が戻る。

「クラウル様を心配しているのですか?」
「付き合いが長い。かれこれ、十年ほどか」
「そんなに?」
「騎士団の同期入団で、皆同室ぞ。私とクラウル、ファウスト、オスカル、エリオット。六人部屋にこの五人、窮屈であったな」
「天国なのか地獄なのか」

 少々眉根を寄せて言った顔は、警戒を解いていないも僅かにほぐれた。

「楽しかったぞ。オスカルのバカをファウストやクラウルがもみ消し、私とエリオットがフォローして。奴め、気に入らぬ上官の赤っ恥を暴露しまくっての」
「やりかねませんね」
「終いには手元が滑ったと言ってその上官のカツラをすっ飛ばしよった。あの瞬間は胸がスッとした」

 ランバートが笑い、シウスも笑う。明らかに、場の空気が柔らかくなった。

「そんな愉快な時を過ごした仲間を、助けたい。視野が狭くなった奴を放っておけば、普段上手く出来ている事もし損じる。知らねばフォローもできぬ。何より、私に動きを悟られている事が既に奴の失態ぞ。焦っておるのか、苦しんでおるのか」
「クラウル様を案じているのは分かりました。俺を疑っているのも分かりました。でも、俺は話しませんよ」
「ルシオ・フェルナンデスを逃がす。クラウルの考えそうな事は、これであろう?」

 ランバートの手が僅かに止まり、視線が上がる。やはり全て知っていたかと、シウスは溜息が出た。

「お前を責めるつもりも、罰するつもりもない。クラウルの話を聞き、頭を下げて頼み込まれればお前が断れぬのも分かっておる」
「シウス様は、ルシオ・フェルナンデスがクラウル様や陛下を憎み、袂を分かったと思いますか?」

 問いかける瞳は強い。宰相府の長をこのような目で見る者は例え敵とていない。伺い、探る瞳。これに応えられねば、情報は引き出せない。

「……私は宰相府の全てを知る者アルヴィースじゃ。心を殺し全てを客観的に捉え、何が良いかを決断する。怒りを飲み下し、憎しみを捨て、悲しみを沈め、過信を捨てる。事件において私は心を持たぬ事を努力せねばならぬ。本来感情的な私にとって、これは何よりも苦労する事じゃ」

 本当にそうなのだ。自分は感情的だと思っている。怒りの沸点は本来低いし、悲しみに心が痛む。友を思い必死になる事も理解でき、憎しみに人の心が悪魔となるのも理解できる。全てを飲み込んできたのだから。
 だが、それでも仲間を守るために必要な努力は惜しまない。冷静に全てを見る、その為の精神修行はしているのだ。

「これを踏まえた上で、お前の心に留めおけ。これは私の個人的な意見であり、感情じゃ。本来あってはならぬ。これを私が語ったとなれば、宰相府団長は不公平なのかと言われる。誰ぞ裁き、時に切り捨てるような行いをせねばならぬ私が公平でなければ、信頼が崩れるでな」

 前置きに、ランバートは頷いた。本を閉じ、少し身を寄せる。真剣な瞳を見てシウスは頷いた。大丈夫だと思える目だった。

「ルシオ・フェルナンデスが行っておるのは、テロではない。これは全て、奴なりの改革ぞ」

 何度も調書を読み、実際に事案を解決してきたシウスのこれは確かな思いだ。それは、ルシオという男の強い意志とジレンマ、そして扱う案件が物語っている。

「奴が槍玉に挙げる事は全て、民を苦しめている悪政と悪習。これを長期放置などすれば、民の心が国から離れる。蜂起の芽となり得る。新王即位に民の期待があるうちにこれらをどうにかできれば、民が王に寄せる信頼は強固となる」

 合法に見せた人身売買、平民の子への過度の労働、低賃金と劣悪な労働環境、独占売買。これらは長年見逃されてきた。まるで奴隷のような扱いに泣く貧しい人々がいた。これを見かねたのが誰でもない、ルシオだ。カール四世が掲げる民を第一に思う国政は、元を正せばルシオの目指すものだったのだ。

「ルシオ・フェルナンデスは希代の政治家。そんな奴がまさに今からという治世から叩き出され、それでも国と友を憂えるのなら、無謀な手に出るであろう」
「政治を動かす為にテロを行っている。そう、感じるのですね?」

 問いに、シウスは素直に頷いた。

「民を思い、力をつけすぎ横暴となった貴族の力を削ぐ。これらを強く掲げたのはルシオじゃ。そして、既存の路線を守りたかったのがルシオの父じゃ。カール四世はルシオの思想に添うておる。結果が、五年前の戴冠式での騒動じゃ」
「貴族社会の根深さと腐敗を感じますね」
「頭の痛い事を言う。未だ完全には脱しておらぬのじゃぞ」

 なりを潜めてはいるが、前までの貴族第一主義を望む者はまだ多い。そうした者がテロリストと結びついて事を起こしているのは分かっている。確固たる証拠がなければ踏み込めない部分ではあるのだが。

「こうした者達が即位直後は大半だ。当然、民に利があり貴族に利のない政策など簡単には通らぬ。それどころか議題に挙げるのも一苦労。王一人の思いで国は動かぬ。それは、ルシオも分かっておったじゃろう。故に強制的に事を動かさねばならなかった。事件を起こし、直近の脅威となって政治を動かす。法や政策を整えざるを得ない事象を起こしておる。それが何を意味しておるか、分かっていても」

 話をしたことはない。だが、平和な時代にクラウルから何度も話を聞いた。友を誇り、素直に認め、未来に希望を抱いていた時代の話だ。奴の話を聞いているだけで十分に人となりは分かる。頭のいいバカは、時々決定的なしくじりをするのだ。

「我が身を賭して友の未来を願う。なんとも献身的でバカな決断じゃ。信じきる事をせず、自らの犠牲で事を動かす。その決断がどれだけの者を悲しませるのか分からぬ頭でっかちじゃ。分からぬはずがなかろう? 国に弓を引けば間違いなく極刑。そしてそれを決断し、実行せねばならぬのは大切な友じゃ。残酷な事とは思わぬものか」
「シウス様……」
「故に私はこやつに腹が立つ。なぜこのような酷な事ができようか。若い時には情のあったクラウルが、あやつの事件の後で冷酷になった。情など捨てたと言わんばかりじゃ。私は腹立たしいのだよ、ランバート。奴が二人に再会出来た時には首一つぞ。それを前にして、お優しいカール陛下は絶望せずにいられるか。自らを責めずにいられるか。クラウルは……奴は正気でいられるか」

 感情のままにドンと机を叩いてしまう。物に当たるなどみっともない事なのに、抑えられない。これもラウルがいない弊害だ。普段抑えている感情が、許しを得て溢れて激流のようだ。
 ランバートは全てを聞いて、飲み下している。腹に溜めて出さない、そういう決意の目だ。

「ランバート、何を知っておる。私はクラウルを……友を失うのは嫌じゃ。得た者を守れず何が団長じゃ。見過ごせば事態が深刻化するかもしれぬと感じ、動けぬ事はこんなにも腹立たしい。私が己を呪うような事をしてくれるな」

 人の動きをある程度制限する事もできる。覆い隠す事だって難しくはない。見過ごす事も、取り逃がしたとする事もできる。クラウルが下手に動かなければどうにでもしてやれる。だから、頼むと思うのだ。

「……俺が下町に行った時に、知り合いの娼婦が面白い客が来ることを教えてくれました」

 ランバートは思案顔のまま話し出した。それを、シウスも真剣に聞いた。

「彼女に色々話すだけの客に違和感を感じました。俺とファウスト様の拉致事件がレンゼール派の仕業だと断言していたそうです。だからもしや、知人がテロリストに騙されて利用されているのではと疑い、昨夜その客に会いに行きました」
「一人かえ?」
「はい」

 瞳は揺らがない。だが、あえて責めはしない。ランバートが話してもいい、そのギリギリの事だ。

「彼女を指名する客に俺が会いに行ったとき、部屋にいたはずの客は既に姿を消していました。ただそこに、不審な書き付けがありましたのでクラウル様に昨夜のうちに届けました」
「なぜクラウルに届けた」
「俺にはそれが何を意味しているか分かりませんし、情報収集や監視は暗府の仕事。決定的なものが何もない時点でファウスト様やシウス様に届けるのは気が引けました。何よりその不審な客が何者か、俺には判断ができません。なので、事情を説明して預けたのです」
「そうか」

 あくまでクラウルとルシオは切り離す。そういう事なのだろう。これがランバートなりの誠意と、心配なのだ。

「それが良くないものであれば、懸念されるユーミル祭のテロにも関わりかねん。お前の言葉を信じ、明日クラウルに問うてみよう。今はまだ調査結果が来ていないだけじゃろうて」
「そうですね」

 シウスもこれで手を打った。通らない話ではない。なおかつ、クラウルへの逃げ道も出来た。昨夜の今日ではこちらに話を挙げる前の調査中。事が分かれば報告するつもりだった。そういう話だ。

「なかなか有意義な話であった。ランバート、世話をかけるな」
「たいしたことは出来ませんが、俺に出来る事は協力します。どうか、クラウル様をお願いします」
「お前は良い子じゃの」

 やんわりと笑い、シウスは立ち上がる。出した調書をしまい、そのまま書庫を出て行った。
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