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7章:ネクロフィリアの葬送

1話:悪夢

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 首筋にヒヤリとした怖気を感じて目が覚めた。そこは色のない世界で、見えるのは薄ぼんやりとした蝋燭の揺らめきと灰色の天井ばかりだった。
 体を動かそうとしても動かない。足の一つ、腕の一つも動かない。体を捩ろうにも動きもしない。ただ目だけが自由だった。

「目が覚めたかね、リフ」

 地を這うような温度のない声が呼ぶのに、ビクリと体を震わせる。感じる嫌悪は計り知れない。この声を知っている。この抑揚も温かさも感じない声を知っている。会いたくない、見たくない、できる事ならこの世から消えてもらいたい男のものだ。
 ヌッと、男が顔を覗き込む。血の気を感じない青白い顔に、こけた頬。眼鏡の奥の瞳は薄青くて気持ちが悪い。パサパサの茶の髪を後ろで一括りにした男は、口元だけにニヤリと笑みを浮かべた。

「この時を待っていたんだよ、リフ。あぁ、やっぱり君はいつ見ても美しい」
「やめろ……」

 男がペロリと舌なめずりする。そこだけが毒々しく赤い気がした。

「さぁ、綺麗にしてあげよう。大丈夫、痛みなど感じはしない。丁寧に丁寧に扱ってあげるよ」
「やめろ……嫌だ!」
「君は美しいままに保存されるんだ。眠るように、ね」

 男の手から何かが伸びる。男の手がそのまま、毒々しい蛇に変わった。暴れて体を捩り手足をばたつかせようとしても敵わない。冷たい何かが逃がさないよう、体を締め付けているようだった。

「さぁ、愛してあげよう」

 蛇が大きく口を開ける。噛みきるのかと思えるほどに鋭い牙からタラリと滴る毒。ヒヤリと体の上をくねったそれは、爛々と目を光らせてその鋭い牙をランバートの首へと埋めた。

◆◇◆

「やめろ!!!」

 金縛りが解けたように体が動いた。声も大きく出たと思う。途端、息が吸えた。

「ランバート!」

 体を抱き留めてくれる人の腕がある。起き上がった拍子にその腕を掴んでいた。恐る恐る見上げたそこに、心配そうな顔をしたファウストがいた。

「あ……」

 周囲を見回してみる。そこはシウスの部屋で、当然シウスがいる。ラウルやオスカル、エリオットの姿もあった。頃は春で、シウスの呼びかけで部屋に招かれたんだった。

「大丈夫か? 随分うなされていた」
「あっ、えっと……」

 なんとか誤魔化そう。思っても、体の震えを止められない。僅かな過去を含む悪夢は簡単に消えない。今も肌を這う蛇の感触があるようだ。舐めるような視線を感じているようだ。自分を抱きしめて、そのまま小さく蹲って動けなくなりそうなんだ。

「茶を飲んで、少し落ち着くがよい。落ち着いたら、いかな夢か話せ」

 そう言って、シウスが温かなお茶を差し出してくれる。受け取る手が震えてしまって、音を立ててしまう。ファウストが気を使って受け取って、カップを手渡してくれた。
 温かな物が体に入ると、ようやく熱を取り戻したようだった。徐々に気持ちも落ち着いてくる。隣に座ったファウストがずっと気遣ってくれたのが、有り難かった。

「どうしたんだい、ランバート? 君がそんなに怯えるなんて、ただ事じゃないね」

 努めて軽く聞いてくれたオスカルは、それでも表情を硬くしている。それはエリオットやシウスも同じで、とても心配しているようだった。

「何かあったかえ?」
「……昔に見た悪夢を、久しぶりに見たんです。あまりにリアルで、現実かと思ってしまって」
「何か原因があるんじゃないの? 気がかりな事とか」
「いいえ、これといって。二年前に何度か見た夢でしたが、原因が消えてからは見なくなっていたんです。強いていうなら、季節柄です。確か、春先の出来事で」
「つまり、現実が伴う原因で悪夢を見たわけだな」

 ファウストが気遣わしい声で言う。その目は追求しているようだ。
 けれどこれを口にするのは嫌だった。他人を不快にさせるばかりか、自分の口も腐りそうだ。それほどの嫌悪を感じているのだ。

「ランバート」
「……いい話ではありませんし、なんで今更こんな夢を見たのかも俺には分かりません。現状、俺には原因が分からないんです。それを踏まえて聞いて下さい」

 言わなければ許してもらえそうになかったし、何よりこんなに心配させてしまった。話さないで終われない雰囲気もあって、ランバートは過去の話をする事にした。

「二年くらい前です。俺はその頃下町に入り浸っていたのですが、そこにある男が来たのが始まりです」

 話し始めると、みんなは静かに聞いてくれる。ランバートも思い出していた。人生において会いたくない男と出会った時の事を。

「男は毒を扱う男で、この時も依頼人に品物を渡す為に来たのだと言っていました」
「毒を扱うってことは、殺しを請け負うということかえ?」
「少し違います。男は自分の手は汚さない。ただ、確実に人を殺せる毒をつくり、それを売りつけて歩いていると言っていました」

 薄気味悪い男だった。青白い肌にこけた頬、眼鏡の奥の瞳は蛇のようだった。歩く音も軽く、近づいても温度を感じないような。

「どうしてそんな奴と知り合う」

 険しい表情でファウストが聞いてくる。これには苦笑が漏れた。

「当時俺が懇意にしていたのは傭兵ギルドの先駆けみたいな場所でした。そこには仕事を求めて、そんな怪しい奴も出入りしていたんです。今ほどギルドも形になっていませんでしたから、有象無象があれこれと」
「東地区は騎士団でも少し手が出しづらい場所じゃ。二年前というと、復興を始めたくらいじゃろう。確かにあの当時ならば、そのような怪しげな者も多かっただろうの」
「えぇ。何せ一番儲かる職業が葬儀屋と用心棒でしたから。今はそんな輩が住み着かないように、住人も気をつけていますが」

 シウスが腕を組んで言うのに、ランバートは苦笑して頷く。今でこそ賑やかな場所だが、東地区は数年前までスラムだった。生きているのか死んでいるのかも分からない人間が多く転がっていた、そんな地獄だったんだ。

「その男が、ランバートの夢に出てきたの?」
「えぇ。初めて会った時に、その男に気に入られてつきまとわれたんです。まぁ、最終的には俺と仲間で王都から追い出して、それ以来姿を見ないので忘れていたのですが」
「付きまとわれたということは、その男はお前の事が好きだと言うたのかえ?」
「理想的だと言われたんですよ」

 辟易という様子でランバートは言った。それに、シウスもオスカルも疑問そうな顔をする。多分ランバートが使った「理想的」という言葉に引っかかったのだろう。

「どういうこと? しつこく付きまとったとか、強姦まがいのことをされたとか?」
「オスカル、滅多な事を言うな」

 嫌悪を示すようにファウストが怒るが、実際はもっと酷い。オスカルの言うことはまだ可愛いものだ。

「死んでくれと言われたんですよ」
「……は?」

 全員が分からないという顔をした。そう、普通はこれが正解だ。理解できないほうが平和な話だ。

「えっと……なに?」
「死んでくれたら美しく残せるのにと言って、俺に迫ったんです。その男、ネクロフィリアだったんですよ」

 口にした途端、消えたはずの怖気が戻ってきてブルッと体が震えた。生理的な嫌悪はどうしようもならない。思い出すと吐き気がする。冷たい指が触れて、うっとりと言われた時を思い出して叫びたくなった。

「あの……ネクロフィリアって、なんですか?」

 そろそろと手を上げたエリオットが、もの凄く言いづらそうに口を開いた。それに、その場にいた全員が緊張の糸を切られたようにガックリと肩を落とし、ランバートは拍子抜けして逆に笑った。

「あの、すみません! 話の腰を折るとは思ったのですが」
「あぁ、いえ。エリオット様のそういう所、俺は好きですよ」

 この話をして笑えるなんて、思ってもみなかった。笑うと不思議と、心の曇りが僅かでも晴れるように思えた。

「ネクロフィリア。別の言い方をすると、死体性愛者」
「死体性愛者? なんだか、妙な単語が並んでいますが」
「読んで字のごとくじゃよ。死体に性的な興奮を覚える病的な者を言う。死体を相手に性行為など、私は考えられぬ」
「死体は見るだけ。その側でおかずにするタイプもいるみたいだよ。どっちにしても、健康的な状態じゃないよね」

 シウスが嫌そうな顔をして、オスカルが身震いする。そしてエリオットはもの凄く同情的な瞳をランバートに向けていた。

「あの、つまりそういう病的な性癖を持った人物に、目をつけられたのですか?」
「そういうことです。勿論、俺にそんな趣味はありませんので遠ざけましたが、あちらが何やら執着したみたいで。一度狙われたんですがそれは退けました。それ以来、話を聞いていなかったので忘れていたのですが」

 今になって、なんであんな夢を見たのか。これといった話を聞いたわけでもないし、そんな予感も感じていなかったはずなのに。

「虫の知らせでなければ良いのだがの」

 シウスが気遣わしげに言って、ランバートの頭を撫でる。だが、本当に御免被る。

「とりあえず、ゆっくり休む事だね。おかしな話も今の所は聞いてないんだから、あまり気にしない事だよ」
「そう、ですね」

 あれこれ考えたって仕方のないことだ。ランバートもそう感じたからこそ苦笑して頷く。そしてこの日は大人しく部屋に戻る事にしたのだった。

◆◇◆

 ランバートが部屋に戻って、残った面々はなんとも言えない顔をする。ファウストもまた、同じだった。

「それにしても、ネクロフィリアとは。あれはどうにも難儀じゃの」
「ランバートは、そうした人に人気があるのでしょうか?」

 気の毒そうな顔でエリオットは言うが、他の奴は苦笑した。どうにもあいつの苦難は、そんな軽い言葉では言い表せないように思えた。

「そうした人間と接触する機会が多い場所にいたのが問題だね。そしてそうした異常者に好かれる何かもあるのかも。当の本人にとっては迷惑な話だろうけれど」

 確かにそうかもしれない。ランバートは下町と深く関わってきた。五年前からだと言っていたから、あそこがスラム状態だった頃だ。今でこそ綺麗になったが、それでもまだ怪しげな人間の出入りがあると聞いている場所に長くいたから、そうした人物とも関わりができてしまった。

「少し、情報を拾えるようにクラウルに聞いてみよう。東地区ではクラウルも動きづらいだろうが、何かしらあるかもしれぬ」
「確信のないことで動くの?」

 意外そうな顔でオスカルが問いかけている。ファウストも同様だった。シウスもそれなりに忙しい身の上のはずだ。
 だがシウスは苦笑して頷く。そして次には、複雑な笑みを浮かべた。

「ランバートの事ばかりではなく、春先は変態が増えるのじゃよ、なぜか。はた迷惑な話ではあるが、アンテナは張っておかねばの」
「温かくなって頭おかしくなるのかな? 確かに、露出狂や変態ってこの時期に多いよね」

 納得したようにオスカルが辟易と言う。

「第三師団にも、気をつけて警備するよう通達しておこう。変態の話はさておき、春は人の出入りが多い。紛れておかしなのが入ってくる可能性も否定できないからな」

 ファウストも気になっていた。それは、ランバートの動物的な勘もだ。あれはどうも危険を察知する能力があるように思う。厄介事に敏感に反応するというか。そういう奴が感じた危機感だ、何かあるように思えている。
 とにかく目を離さないよう、それだけを気にとめるしかなかった。
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