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2章:ロッカーナ演習事件

10話:ウォルシュ家

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 翌日、朝食を終えたくらいの時間にウェインはとある屋敷を訪れていた。通された執務室には、五十を過ぎたくらいの男性が待っていた。

「このような時間しか空きが取れず、申し訳ありませんウェイン隊長」
「いえ、こちらこそ急な面会をお願いしてしまい、申し訳ありませんウォルシュ伯爵」

 互いに硬い表情のまま握手を交わし、ソファーに腰を下ろす。執事がお茶を出して退出すると、先にウォルシュ氏が重く息をついた。

「愚息の事ですかな?」

 単刀直入な問いかけには、どこか確信めいたものがある。ウェインは曖昧に笑って、お茶を濁した。

「まだ、分からない事だらけです。調べる為にもお話を伺いたくて、失礼を承知で訪ねて参りました。伯爵、ロディという少年をご存じですか?」

 ウェインがロディの名を出した途端、ウォルシュ氏の瞳が驚きに見開かれ、次には悲しみに歪んだ。

「ロディの事は小さな頃から知っています。あの子の母の事も。あの子が死んだと聞かされて、どれ程驚いたか。芯の強い、優しい子だったのに何があったのか。……まさか、うちの息子が何か関わっているのですか?」
「まだ、確証はありません。ですが、どうやら隊内で虐めがあったらしく、そこにダレル君が関わっているという噂があります。何か、息子さんから聞いてはいませんか?」

 ウォルシュ氏の項垂れた頭は、なかなか上がらなかった。たっぷりと時間が経ったような感覚があって、ようやく顔が上がった。

「あれから、そうした話を聞いた事はありません。ただ、そうした事をする可能性は十分にあるかと思います」

 重く、苦々しい顔をして語るウォルシュ氏は、言葉をだいぶ選んだだろう。多少の親心を持って、話を続けた。

「少し、甘やかしてしまったのかもしれません。特にあれの母親は、一人息子に甘かった。いつの間にか他者を見下すようになり、家柄や身分でのみ人を判断する子に育ってしまった。自分に従順な相手を懐柔し、弱い者を攻撃する。ロディは、あれの目から見れば弱い存在です」
「ジェームズという子は?」
「ジェームズは昔から、あれの取り巻きでした。あの子に何か?」
「昨夜、何者かに襲われました。彼だけではありません。ロディの自殺に関わった疑いのある隊員が、襲われています」
「そんな、まさか!」

 事の大きさを知って、ウォルシュ氏は思わず立ち上がった。そして、顔を手で覆って力なくソファーに座り直す。

「可哀想なロディだけではなく、あれの愚かな行為で他の子まで怪我をしているなんて」
「まぁ、ロディ以外は無罪とは言えない奴らですから、あまりお気になさらずに。それに、傷も軽微です。今後の生活や仕事に支障が出るようなものではありません」

 それを聞いて、ウォルシュ氏は多少表情を緩めた。

「一つ、伺いたいのです。僕達はこの事件の犯人を追っていますが、どうしてもロディの事件と切り離すことができません。犯人はロディと関係の深い人物だと考えています。そうした相手を、ご存じではありませんか?」
「なぜ、それを私に?」
「貴方はこの町の名士。情報が自然と集まると聞いています。それに、入団前のロディの事も知っているようですし」

 ウォルシュ氏は考えて、首を横に振った。

「おそらく、騎士団に入ってからの相手でしょう。あの子は穏やかな子で、人づきあいの多い子ではありませんでした。同い年のクリフとは仲が良かったようですが、あの子はロディ以上に臆病な子です。とてもそんな恐ろしい事はできません。ロディが町に来るときは決まって、母親の療養所でしたし」
「一緒に誰か連れているような事は?」
「いいや、そんな話は聞いたことがありません。あの子はあれで目立つ子なんですよ。可愛かったですし、母親思いの優しい子だと評判でした。そういう子というのは、大人の目には必ず留まるものです。ですが、あの子が誰かを母親に会わせているなんて、聞いたことがありません」
「そうですか……」

 ウェインは残念そうに項垂れた。もう少し情報が得られるかと期待していたのだが。
 まぁ、そう上手くはいかないだろう。ここでウジウジしても仕方がない。
 顔を上げて、ロディの母親がいた療養所の場所を聞いて、ウェインはその場を後にすることにした。

◆◇◆

「で、結局それ以上の事は分からずじまいです。少なくとも、ロディは誰かと一緒に町に行った事はない。店にも聞き込みましたが、いつも一人だったそうです」

 夜の報告会で、ウェインは今日の成果を報告した。まぁ、概ね予想通りではあったが。

「ジェームズの方はどうだ?」

 ファウストに話を振られたオーソンは、首を横に振る。

「怯えています、色々と。ただ、ロディの事件から日が経ち、冷静に自分の行いを後悔し始めているのか、聞くと歯切れが悪くなっています。ですが、自分の軽率な裏切りが家にも迷惑をかけるのではと考えているようで、しきりに『俺だけではすまなくなる』と言って拒み続けています」
「そうか……」

 裏切れば報復がある。そうなれば家にまで迷惑をかけると考えているのなら、口を割らせるのは至難の業だろう。どんなクズでも、後ろに大事なものを背負うと途端に別人になる。

「ファウスト様」

 ウェインの重々しい声にファウストが視線を向けると、妙にギラギラしたウェインがファウストを見ていた。

「ジェームズに、取引を持ち込みたいと思います。彼だけではなく、これまでの被害者全員を、個別にまわって」
「何を取引する?」
「ロディの事件の真相と、黒幕に関する証言を条件に、本人たちの罪の軽減を」
「それだけで応じると思うか?」
「もう一つ、免罪符を貰ってありますから」

 そう言ってウェインが取り出したのは、一枚の羊皮紙だった。そこには緻密で几帳面な文字で、こう書かれていた。

『愚息、ダレルの行いによって他の者に何らかの制裁、及び不利益を負わせることは一切ないと、ここに誓う。

アーロン・ウォルシュ』

「これで、家の事を気にする必要はなくなります」
「輸送は?」
「明日から全員を説得し、応じた段階で随時王都に護送します」
「分かった、約束しよう。ただし、口添えが出来る程度だ。今回の事は俺も立場が悪い。軍法を逃れる事は出来ないし、そこで下った判決は覆せない。奴らには自らの罪を悔い改め、真摯な態度で過ごすように言っておけ」
「はい」

 丁寧に礼を取ったウェインは、早速動き出す為にオーソンと小声で打ち合わせを始めている。
 そのやり取りを見ていたクリフが、こっそりと隣のランバートの袖を引いた。

「あの……みんな罪に問われるの?」
「まぁ、無罪放免とはいかないだろうな。それでも、ファウスト様から直々に口添えとなればかなりいいと思う。本人たちが反省して、正直に真実を述べれば減刑にはなるよ」
「この犯人も?」

 その質問には、ランバートは答えが見つからなかった。

「……ロディ、亡くなる半年前くらいから、休みの前日とか、当日に出かけてたよ。いつもじゃないけど、時々見てた」
「え?」

 ぼそぼそとランバートにしか聞こえない声で言うクリフに、ランバートは驚いて目を見開く。思わず出てしまった声に、ファウストの視線が止まった。

「どうした?」
「いえ、少し。クリフが、彼らはどうなるのか心配したようで」

 ファウストの視線がクリフに向かう。とても穏やかで優しい眼差しだ。

「絶対とは言えないが、減刑できるよう取り合う。王都で一から叩き直す予定だ」
「てことは、あいつら王都勤務になるんですか?」

 当然のようにランバートは嫌な顔をする。だがファウストはそれに頷くばかりで、譲る気はないようだ。

「下働きから雑用まで、みっちりやってからこっちに戻す。今の所、そう簡単に人を辞めさせられる状況じゃない。万年人不足だ」
「それは、そうですけれど……」
「何ならお前の下につけようか?」
「何の嫌がらせですか! 俺はあんなのいりません」

 キッパリと断わるランバートに、楽しげに笑うファウスト。そんな二人を見てオロオロするクリフの頭を、ファウストがくしゃりと撫でた。

「そういう事だ、心配はいらない。俺の責任で、しっかりと指導しなおす。次にここに戻ってくる時には、別人のようになっているさ」

 そう言われて、クリフも頷いた。


 報告は以上とのことで、ランバートとクリフは自室に戻ってきた。
 戻ってきてすぐ、ランバートは部屋に鍵をかける。そして、クリフに真剣な目を向けた。

「さっきの話の続きなんだけど、どういう事だ? 誰かに会っている様子だったのか?」
「多分。とても幸せそうな感じがしたから。でも、いつも一人で行って一人で帰ってきてたと思う。見かける時は必ず一人だったから。相手は分からない。それに、どこに行っていたのかも。でも決まって、森のほうに行ってた」
「森って、訓練用の?」

 問うと、クリフはしっかりと頷いた。

「訓練用の森は、そのまま本当の森に通じているんだ。途中に敷地を表す柵があるけれど、その先も森は続いてる」
「何があるか、分かるか?」

 その問いには、首を横に振った。

「行ったことがないから。道がないし、遠くまで行くと帰りが心配だし。それに、野盗も出るって噂があるんだ。捨てられた教会とか、村があるらしいよ」
「教会や、村か」

 ランバートは暫く考え込む仕草をしたが、やがて一つ確かに頷いて笑ってみせた。

「明日、確かめてくる」
「でも、明日も訓練が」
「腹の具合が悪い事にするよ」
「……ファウスト様に言わなくて、よかったのかな?」

 その言葉には、ランバートも曖昧に笑って頷いた。

「いいんじゃないのかな。色々考えて、あの人には言いたくなかったんだろ?」
「うん。勘違いかもしれないし、偶然かもしれない。何もない可能性の方が高いのに、お忙しい人を煩わせるのは気が引けて」
「それなら、俺が確かめてくる。必要そうなら、報告しておくから」
「ランバート、怒られない?」
「怒られ慣れてるから大丈夫」

 そう言って笑ったランバートに、クリフは目を丸くして、その後でふにゃりと笑った。
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