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3話:盲の語りと異教の凶鬼

語り部の救済

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 とにかく相手が人間と分かればここに置いていくのも忍びない。田中はヨリとキョウを元来た町へと連れて行く事にした。町の人間も最初こそ訝しい目で見ていたが、当のヨリが気にした風もなく堂々としている。その不思議な存在感から、町の人間も異様ではあるが人間だと認識したようだった。

 滞在している寺へと彼らを連れて行くと、僧侶は最初こそ驚いたがヨリが語り部だと名乗ると、今度は深々と頭を下げた。

「この時に語り部殿がここを訪れたのは、何かのお導きだろうか」
「どうかなさいましたか?」
「実は……魔物に傷を負わされた男の命が、消えようとしているのです。酷く苦しみ、怯え、恐れております。経など上げてはみていますが、このままではあの男自身が魔物か、それに準ずる者になるのではと気が気ではなく」

 昨夜の男の様子を、田中は思い出す。確かにあのような傷では苦しかろう。死ぬことも、その原因となった出来事も恐ろしいだろう。

「どうか、死にゆく男に語っては下さいませんか。少しでも安らかに逝けるように」
「分かりました、お受け致しましょう」

 ヨリはそう言って、皆と共に男の部屋へと向かった。

 部屋の空気は益々重い。先ほど感じた村に通じるものがあり、臭いもきつくなっている。思わず吐き気を感じた田中の目の前、ヨリは嫌な顔一つせず部屋へと入ると男の横に腰を下ろした。

「語り部の、ヨリと申します。ゆったりと、お聞き下さい」

 深く一礼したヨリは何かしらを考える間を置いて、スッと息を吸った。

「とある所に、年の近い兄弟がおりました。二人の暮らしぶりはあまり良くはなく、年越しもろくに出来はしません。母は口うるさく感じますし、父は寡黙です。二人は何だかんだと喧嘩をしていました。
そんな、年越しの前日。二人が寝ていると枕元に一体の仏像が立ち、二人に告げました。
『私を見つけなさい。さすれば幸せになれるであろう』
そう告げると、仏像は兄弟の前に一つの道を指し示しました。
二人は不安はあったものの、幸せという言葉は魅力的です。意を決し、その道を行くことにしました」

 不思議な音色だった。田中は知識欲が強く、当然語り部という者達を知っているし、快く受け入れている。彼らの話は遠い地の話や、時に異国の話まで聞ける。そういうものに思いを馳せる時間は子供のような心の沸き立つ気分がする。
 だが、ヨリという語り部の語りはこれまで出会った語り部とは違う、不思議な響きと引き込む空気を作り込む。
 事実、苦しんでいた男の声は少し小さくなって、聞いているのだと分かる視線を送っていた。

「道を行くと、二人の目の前には既に亡くなった多くの知り合いがおりました。近所のおじさん、祖父様、婆様。そして、幼くして亡くなった弟や妹まで。二人はあまりの懐かしさに駆け寄り、これまでの事を沢山話しました。
招かれた祖父の家で語らっていると、その神棚に例の仏像にそっくりな物がある事に気づきました。二人はそれを祖父から譲り受けて道を戻り仏像に見せましたが、仏像は『これは似ているが違う』と言われ、砕かれてしまいました」

 死者との再会。その語りに、男の残っている目から涙が零れた。だがその顔に恐怖はない。死者の国など本来ならば恐ろしいだろうが、懐かしく語らう温かな声に安心感を覚える。田中ですらふと、死んだ両親を思い出したくらいだ。

「つぎに仏像が示した道の先には、恐ろしい戦場が広がっていました。
多くの人が苦しみもがき、救いを求めています。二人が恐怖に震えていると、奥にお堂が見えました。
もしかしたらあそこにあるかもしれない。兄弟喧嘩ばかりしていた二人は手を取り合い、勇気を持って戦場を走り抜きます。励まし合い、辿り着いたお堂にはあの仏様があります。
二人はそれを抱えて道を戻りましたが、仏様は『これはお前達のものではない』と言われ、砕かれてしまいました」

 男の目が一瞬恐怖に開かれたが、ヨリの声はどこまでも穏やかで柔らかい。空気もまた穏やかなものだからか、男は直ぐに落ち着いた。

「次ぎに向かう道で、二人は上手くいかない事に苛立って喧嘩をしてしまいました。途端、道が大きく避けて弟がその割れ目に落ちてしまいそうになりました。兄は咄嗟に手を差し伸べ、弟の手を取ります。
兄は必死でした、弟を失うわけにはいかないと。弟も必死ですが、同時に兄の大きさと優しさを思い出していました。
兄が弟を引き上げた時、二人は抱き合って泣いて、互いに謝罪しました。
そうして訪れた先では、兄弟の願いが全て叶っていました。人々が綺麗な着物を着て、お腹いっぱい美味しそうな物を食べて、働きもせずゴロゴロと過ごしています。
ですが兄弟の目にはもう、それはさほど魅力的に映りませんでした。懐かしく語り、協力して何かを成し、互いの大切さを知った兄弟は今も悪くはないと思えていたのです。
口うるさい母は、頑張れば頭を撫でてくれますし、少ないながらも毎日美味しいご飯を作ってくれます。寡黙な父は毎日文句も言わずに仕事をして、二人にも教えてくれたりします。
そんな両親の事を思っていると、会いたくなってきました」

 本当の宝物には、決まった形はないのだろう。だからこそ見えにくく、気づけなければ簡単に無くしてしまう。だが、この兄弟はそれに気づけた。どんな宝にも勝る、大切なものを。

「二人が手を繋いで戻って来た時、仏像はにっこりと笑いました。
そこでふと、目が覚めました。母が相も変わらず大きな声で二人を起こします。あれは全て夢だったのです。
『あ!』
兄が神棚を見て声を上げました。そこには真新しい仏様があります。それがどうも、夢の中の仏像にそっくりだったのです。
二人は互いに顔を見合い、笑い合いました。
それから兄弟は喧嘩をする事なく、互いに切磋琢磨して父と同じ仏師の道に進み、後に名を残す素晴らしい仏像を多く世に残したということです」

 ヨリが最後の言葉を結んだ時、男は既に息を引き取っていた。僧侶は線香を焚き、お鈴を鳴らす。
 その中、ヨリは丁寧に頭を下げて「有り難うございました」と静かに感謝を伝えた。

 怪しい男と思っていた。人なのか一瞬疑った。だが、この男はおそらく本物だ。長い年月を語り部として過ごした人物から聞いた事がある。本物の語り部は聞く者の心に入り込み、その心を揺さぶる。その場に立たされたような感覚を与える。
 そしてそういう者は世を彷徨う魂を鎮め浄化し、魔物ですらも安らぎを与える。
 事実、この部屋に立ちこめていた重い空気は綺麗に浄化されたように軽く明るくなっているし、不穏なものを何も感じない。

 何より田中が、もっと聞きたいと思ってしまった。この男の語りというものを。

◇◆◇

 その夜、「一つ役目がございますので」というヨリがキョウを連れて寺を出た。その後を、田中も付いてきた。

「付いてこなくても大丈夫ですよ、田中様」

 ヨリの静かな声に、田中は首を横に振った。

「私の好奇心だ、気にしないでくれ」
「怖い思いをするかもしれませんよ。ヨリ様がこれから向かうのは、あの村ですから」
「……だろうと思ったんだ」

 あっけらかんとした調子のキョウに伝えられた事は、ほぼ予想通りだ。語り部として町の者に語る約束をしていないのだから、役目など他にないだろう。
 田中の声に、ヨリは笑う。どこか楽しそうに。

「変わったお侍様ですね、田中様は。覚悟がおありでしたら、どうぞご自由に。貴方なら何かあっても身を守れるでしょうし」
「刀が通じる相手であればよいのだが」
「それは、保証しかねます」

 そんな事を話しつつ向かった村は、夜は余計に不気味だった。ただ、そこに何かしらの影はない。空気が重く淀んで、まだ色々なものが生々しいだけだ。

「ここはまだ、色々な事が生々しいのです。死んだことに気づかないまま苦痛を訴える者。ただ恐怖に縫い付けられている者。悲しみに暮れる者。このまま時が過ぎれば、今度は彼らが魔物となります」
「まるで見えているようだ」

 ヨリが周囲を見回し、まるでその光景を見ているかのように言う。田中は茶化したつもりであった。だが、ヨリはくすくすと笑い頷いた。

「見えているかもしれませんよ」
「……流石に冗談だろ?」
「さぁ? 私は見えない事で、色々な感覚が研ぎ澄まされております。この肌で感じ、鼻で感じ、耳で感じているものが私の中ではありありと浮かぶ。これも一つの目ならば、私には亡き者の姿が見えていると言っても過言ではないでしょうね」

 この男なら、実際に見えていてもおかしくはない。
 田中の喉が上下に動き、変な冷たさが背を伝う。足が僅かに止まったが、その肩を叩いたのは意外にも彼の用心棒、キョウだった。

「大丈夫ですよ、田中様。何かあったらお助けします」

 最初はあんなに警戒していたのに、町に着く頃にはすっかり慣れて、語りが終わったらむしろ人懐っこくなっていた。ふと、近所の野良犬を思い出した。信頼している奴には惜しみない愛着を見せてくれるつぶらな目と同じに思える。
 実際は狼みたいなのだが。

 進み出たヨリが、一際明るい村の真ん中に立つ。空を見上げる彼の目に、今は何が映っているのだろうか。
 白い着物が汚れるのも構わず、彼は凸凹の土の上に座る。そして一度礼をすると、またあの不思議な声で語り始めた。

 途端、周囲の空気が動いているように感じた。ヨリへと向かい這いずるように進むそれは、まるで人の気配そのものだ。
 思った途端、総毛立つ。この世に魔物がいるならば、魂がある。魂があるなら、霊もいるだろう。今、田中を押しのけるように脇を通り過ぎるこれらが霊ならば、目に見えないまでも感じる気配が全てそうなら、ここは人では無い者の巣窟だ。

「気をしっかり持たないと駄目ですよ。この人達、もう死んでますが生々しい感じがするので、怯えると付いてきたりします」
「ついてくるのか!」
「まぁ、稀に。でも、生きてる人間の方が絶対に強いんで、しっかり胆に力を入れておいてくださいよ」

 キョウの言うとおり腹に力を込めて気を張ると、不思議と気配が遠のいた。

 だが、この中でヨリは大丈夫なのだろうか。見れば彼は一つ語り終えて、フッと息をつく。その時不意に彼の目が開き、田中は世にも美しいそれを見る事ができた。
 目に月をはめ込んだように綺麗な白銀の瞳は、冴え冴えとして身が引き締まる。月明かりで銀にも青にも見えるそれが虚空を見上げ、僅かに笑う。
 そうするとまた次の話を語り始め、終わるとまた空を見上げて。

 田中の目に何かが見えているわけではない。だが、感じる気配から理解した。ヨリはここにいる霊をその語りで慰め、送っているのだと。

 ヨリの語りは一晩中続いた。一つ語る度に空気が軽くなり、暗く重く立ちこめたものが浄化されていくのを感じる。
 そうして東の空に薄明かりが差し込む頃、ようやくヨリは地に手をついて丁寧に一礼をし…………そのまま地へと倒れ伏した。

「ヨリ様!」

 田中の側にいたキョウが慌てて駆け出し、抱き起こしている。田中も近づいて……眠っているヨリを見て力が抜けた。

「寝ているのか」
「一晩中でしたからね、お疲れだったと思います。昨日も野宿でしたし」
「野宿! よく魔物に襲われなかったな」

 知らないとはいえ、なんて恐ろしい事か。これだけの惨状をもたらした何かはまだその正体すら分からないまま逃げている。早く捕まえてどうにかしないと、近隣の町や村まで危険になる。

 キョウはヨリを抱きかかえ、厳しい顔をした。

「やっぱり、逃げてるんですか」
「あぁ」
「こんなに酷い被害を出すほどの憎しみを持っているんです、早く見つけないと」
「そうだな」
「田中様は、この魔物を討伐するために出てこられたのですか?」
「あ…………」

 本当は、もう田中の仕事は終わっている。現地を視察し、現状を把握した。これは盗賊などの人間の仕業ではない。明らかに人外の……魔物の仕業だ。

「もしもそのつもりなら、俺、力を貸します」
「ん?」
「これでも語り部の用心棒で、旅慣れています。ヨリ様も駄目とは言わないでしょうし、協力しますよ! 何よりこれ、一刻を争いますし」
「……そうだな」

 確かにこれから祥の都に戻って兵を編成してから改めてなどと言っていたら、時間が掛かりすぎる。その間にいくつの町や村が襲われるか。
 やれる気がした。この不思議な語り部と、その用心棒の妙な場慣れ感と安心感がそう思わせるのかもしれない。
 田中はこのまま魔物退治を優先することに決め、とりあえずは町に戻る事にした。
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