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31章:ウエディングベルは君の為に(オリヴァー)
3話:祝福のベルが鳴る
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あっという間に式の当日になり、朝から忙しく支度をしている。
控え室で着替えたオリヴァーは、アレックスが用意してくれた衣服に袖を通して感嘆の息をついた。
光沢のある白いタキシードは丈が長めで、袖の返し、裏地は明るいグリーンで、僅かに図柄が織り込まれている。縁やボタンは金で、袖の返しには金糸の刺繍までされている。
豪華な衣装、中庭の飾り付け。白い薔薇を飾るそれを見下ろして、何処か浮かないのはいけない事だろう。
幸せだ、愛した人と新たなスタートを切る。それを友に祝って貰える。
なのにどうして心が晴れない。どうして、溜息が出るのか。
「はぁ……」
何度目かの溜息をついた、その時だった。コンコンとノックする音に振り向いたオリヴァーに、メイドが声をかけてきた。
「オリヴァー様、お客人が見えておりますがいかがなさいますか?」
「客人?」
そんな予定はないはずだ。
だが、律儀なファウストやランバートが先に挨拶にきたのかもしれない。その位の時間でもあった。
ドアを開けた。その目の前に立っていた人物に、オリヴァーは言葉がなかった。
緩く波を打つアイスブロンドは、年を経た今でも美しく輝いている。凛とした緑色の瞳は見透かすように強い光を放ち、迫力のある美しい顔立ちは彼女の年齢を曖昧にしてしまう。
「母上……」
「久しぶりね、オリヴァー」
よく通る声だ。未だ女優として一線に立つそれは堂々としていて気圧されてしまう。若い女優の陰口にも平然としている豪胆な彼女は、全ての振る舞いに対してあまりに美しい。
「なんて顔をしているのです、貴方は。主役が弱腰では花が萎れたのと同じ。人前に立つ以上、堂々としていなさい」
相変わらずの強い言葉に、オリヴァーの瞳は戸惑いと困惑に揺れ動く。それくらい、変わらないのだ。
男の相手をさせられた。あまりに幼い少年は、恋も愛も知らないまま体だけを強要され、嫌だと叫んでも助けはなかった。
いつの間にか心はひび割れ、そこから大切なものが流れ落ちていった。誰かを愛する事も、自分が愛される事も分からなくなった。
それでもこの母の顔を見ると安堵した。存在しないように扱った父などどうでもいいが、母と姉だけはその幸せを願うくらいには大事だった。
「アレックス、どうして……」
母の後ろに立つアレックスが、少し安堵した顔をしている。
「こちらの彼が、貴方の結婚を知らせてくれました。親らしい事など出来なかった母の祝福などいるのかと断ったのに、劇場にまで足を運んで」
溜息をついた母アルテミシアは、それでも珍しく優しい顔をしている。
部屋へと入ったオリヴァーの前に、アルテミシアはしっかりと立つ。オリヴァーの襟をしっかりと正し、しげしげと眺めている。
「流石私の息子、なかなか綺麗よ」
「母上、あの……」
「……貴方にあの人がした事は、知っています」
途端に、ズキリと胸が痛んだ。でも、感じていた。母は知っている。当時はそれを感じていたからこそ、母にも憤りがあった。知っているのにどうして止めてくれないんだと。
けれど落ち着いて、気付いた。大昔は家に帰る事も稀だった母が、いつしか頻繁に屋敷に帰り、オリヴァーに挨拶をして、少しでも声をかけてくれていたことを。
公演の合間、ほんの二時間程度なのに帰ってきて、探してくれたこと。
酷い陵辱を受けて寝込んだ時に感じた、少し冷たい手の感触を。
母が屋敷にいる間、父はオリヴァーに男をあてがわなかった事を。
「貴方が騎士団に入ると言った時、もう関わるまいと思いました。貴方もそれを望まないでしょうから」
「……はい」
「親らしい事などしなかった私が、貴方の今後の人生にとやかく言う資格はない。だからこそ、今日もここに来る気は無かったのです」
「……はい」
分かっている。オリヴァーもそのつもりで招待状を捨てた。今更どんな顔をして会えばいいか分からなかった。引っかかっても、それはいずれ薄れると思っていた。
「なのにそこの彼が頑固に誘うのですよ。楽屋にまで来て、どうしても出て欲しいと。貴方の幸せな姿を、祝福して欲しい。このままでは貴方はずっと今日の事を後悔する。本当に幸せな笑みを見せてくれないだろうと」
オリヴァーの瞳がアレックスを見る。彼はどこか気恥ずかしそうな顔をしていた。
「貴方の曇った顔を見るのは、俺にとっても苦しい事だ。二人で新しい時を過ごす門出は、どうか笑っていてもらいたい。表面ではなく、心から幸せな笑みが見たいんだ」
こみ上げるのは、幸せであり喜びだった。歩み寄って、抱きしめた。
こんなにも思ってもらっている。こんなにも幸せを願ってくれる人がいる。どうしようもない過去を知っているのに、その全てを受け入れてなお愛してくれる。
背に腕が回り、強い力で抱きしめてくれる。胸に顔を埋め、幸せに微笑んだ。神などいないと言っていた少年は、今神に感謝している。この出会いを用意してくれた幸福に、心から感謝している。
「ようやく、心からの貴方を見られた。正直、お節介だったかと不安でもあった。今ここで、貴方に嫌われてしまう事も考えたんだよ」
「そんな! 私が貴方を嫌う事なんてありえません! こんなどうしようもない、欠陥だらけの私を受け入れて慈しんで、愛してくれるのです。他に何が必要なのですか?」
驚いて顔を上げたオリヴァーは、次には幸せな笑みを浮かべた。
そうして、改めてアルテミシアへと向き直る。全てを見ていた彼女の前に進み出たオリヴァーの胸にはもう、苦しみなどなかった。
「母上」
「よい相手に巡り会えたようね。安心したわ」
「はい。母上、私は今日、彼と共に残りの人生を歩む誓いをいたします。見届けて、頂けますか?」
「私で良いの?」
「はい。母上にこそ、見届けてもらいたいのです。私を気遣ってくれた貴方に祝福されたい。お願い、できますか?」
アルテミシアは真っ直ぐに頷き、鞄の中から一つのコサージュを出し、それをオリヴァーの胸に飾った。
小ぶりで愛らしい、涼しげなブルースターの花に、アイビーのコサージュは白い衣服に色を添える。それをきっちりと止めたアルテミシアは、妖艶と言われる唇に笑みを浮かべた。
「ブルースターの花言葉は『信じ合う心』、アイビーは『永遠の愛』よ。そして花嫁は青を身につけると幸せになれる。胸を張って、堂々とするのよ。これは貴方の為の舞台。主役は誰よりも輝いて、幸せにしているのですよ」
「はい、母上」
目を細めて笑うアルテミシアの目尻に、僅かながら涙が光る。それは女優ではなく母としての表情だった。
◆◇◆
▼ランバート
ファウストや、他の師団長達も一緒に会場となる屋敷に行くと、そこには懐かしい友人が何故か出席していた。
「リッツ!」
「ランバート!!」
声をかけられ振り向いた青年は、途端にキラキラと輝くような笑顔でランバートに近づいてくる。
肩下までの甘いキャラメル色の髪に、黄色味の強いキャラメル色の瞳をした好青年は、ランバートに足早に近づくと肩を組んでじゃれるように笑った。
「久しぶりじゃんか。えっと……三年半前!」
「そんなに前だったか? もう記憶にない」
「ひっでぇ! まったく、友達がいの無い奴だよな」
ふて腐れた様に子供っぽく口を尖らせた彼は、ランバートの後ろに居並ぶ一同を見て首を傾げた。
「えっと……後ろのキラキラした人達誰?」
「あぁ、紹介する」
青年を隣りに、ランバートは背後で疑問そうなファウスト達に向き直った。
「紹介します。俺の友人で、リッツ・ベルギウス。俺と同い年で、商人をしています」
「どうも、リッツと申します。皆さん、服の仕立てなどは宜しければ当店で。中々いい生地取りそろえてますので」
商人らしいニッカとした笑みを浮かべたリッツに、全員が苦笑いをする。少々珍しい相手だったのだろう。
「で、こちらのキラキラした方達は?」
「騎士団の上官なんだ。今日の花嫁? 新婦?」
「あぁ、この場合迷うよな。でもまぁ、相手方な。その方って、騎士団の人なんだ。ってか、お前騎士団にいるの!」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてない! あぁ、でも聞くより前に俺が独立して忙しくしてたのか。で、騎士団の方なんだ」
忙しくあれこれ言うのが懐かしく、思わず笑ってしまう。リッツと話すといつもランバートの倍リッツが話す。こんなのは久しぶりだ。
「えっと、まず右から、アシュレー様、ウェイン様、ウルバス様、グリフィス様。全員騎兵府の師団長だ」
紹介された面々が苦笑いを浮かべて頭を下げる。
だがここで相手の壁を気にしていたら若手の商人は生き残れない。綺麗に無視してグイグイだ。
「師団長! すっごい! あっ、もしかして今日のお相手も?」
「師団長だよ」
「さっすがアレックスさん、見る目あるのな」
何かに感心した様子でまくし立てたリッツの視線が、一人紹介していないファウストに止まる。明らかに値踏みの目だ。
「んで、こちらは?」
「騎兵府団長のファウスト様」
「団長! しかもファウストって……シュトライザー家の?」
「あぁ」
そうなるとますますリッツの顔はニンマリとする。お得意様に欲しいのだろう。
「どうも、ランバートの友人のリッツです。よろしくごひいきに」
そう言って握手を求めるリッツの手を、ファウストではなくランバートが握る。あまりに妙な状況に、周囲は思いきり蚊帳の外状態になっていた。
「なんだよ!」
「お前にはやらない」
「ケチ! いい男は皆でシェアしようよ!」
「誰がするか!」
毛を逆立てる猫の様なランバートの口振りに、リッツはふと首を傾げる。
その間にランバートはファウストの隣りに素早く陣取り、腕を絡めてしまう。
「……もしかして、そういう?」
「悪いか」
「いや……ランバート、変わったね」
驚いたリッツは、だが次にはふわりと寂しげに笑う。その表情は、少しばかり悲しかった。
「おめでとう。遊び回ってたけど、ようやく決めたんだ」
「決めた。だからお前にはやらない」
「俺だって友人の相手なんかに手を出さないよ。これでもハッピーエンド支持者なんだ」
少し大人びた、寂しげな笑み。だが次には明るいものになって、全員に頭を下げた。
「んじゃ、俺はこれで。せっかくなんで他にも挨拶してきます。あと、二次会とか呼ばれたいです!」
台風のように去って行くリッツの背中を見送る面々は、その後で大いに笑った。
「凄い子だね」
「すみません。昔から落ち着きがなくて」
「ベルギウスと言えば、四大貴族家のか?」
「えぇ」
アシュレーの問いかけに、ランバートは素直に答えた。
四大貴族家は、ランバートの生家であるヒッテルスバッハ。ファウストの生家であるシュトライザー。そしてリッツの生家であるベルギウス家と、もう一つアイゼンシュタイン家がある。
そしてこの場に、そのうちの三家が揃っているのだ。
「あいつは次男ですし、ベルギウス家は商人の家柄。貴族家と言っても少々特殊で、全員が独立しているようなものです」
「彼は商魂たくましいみたいだね」
ウルバスは未だに苦笑気味だ。それに、ランバートは頷く。
「明るくて、すぐに人の輪に入る事の出来る奴です。少し厚かましいのが玉に瑕ですが。でも、頭のいい奴ですよ」
「賑やかすぎってのもなぁ」
「第五のグリフィスがそれを言う?」
ガシガシと頭をかくグリフィスに、ウェインは笑っていった。
「服と言っていたな。今の主力なのだろうな」
「そのようですね。でもまさか、アレックスさんと関わりがあるとは。世の中狭いものです」
何にしても少し懐かしかった。二次会は分からないが、もう少しだけ話していたい。久々に、そんな気がしていた。
式はとても賑やかに、そして温かく進行した。椅子は用意されていたが、基本は庭先での立食で、交流を深めつつ楽しんだ。
オリヴァーが登場した瞬間、会場は感嘆の溜息が出たのが面白かった。騎士団の面々ですら、白に明るいグリーンの衣服をきた彼の美しさと穏やかな笑みには思わず溜息が出た。
全員の前で誓いの言葉が述べられ、二人が寄り添って誓う。出席者全員が二人の結婚を祝う拍手をし、それぞれの代表が結婚証明書に署名をし、最後に二人が署名をする。
アレックスの妹のサフィールがリングピローに乗せられた指輪を差し出し、互いが交換して、熱いキスをすると会場は沸いて祝福のシャンパンが鳴らされた。
そんな二人の幸せな様子もさることながら、後に現れた女優のアルテミシアの登場には、ランバートも俄に沸き立った。
何せ未だ一線で輝く演技派の名女優だ。美しさもさることながら、確かな演技と迫力のある女優である。
そして彼女がオリヴァーの母親だと知って、妙な納得をしてしまった。
オリヴァーの怪しい魅力は、母譲りなのだと。
式は楽しく和やかに過ぎ、途中お色直しと言って去ったオリヴァーがウェディングドレス姿で現れた時には大いに賑わった。
男で美しいAラインドレスが着られるとは……恐ろしい。
ほっそりとした足を惜しげも無くチラ見せしつつ、豪華に使われたレースも美しく、騎士団の面々は思わず酒を吹きそうになり、アレックス側の出席者は一瞬目の色が変わった。
その姿で酒を注いで回り、会話を楽しむのだ。あの人はこの場で多くの男を引っかけるつもりかと思ったが、側にいるアレックスを見る幸せそうで熱い視線を見ると誰も、この間に入る気にはなれないだろう。
何にしても幸せで、温かい式は多少ランバートにファウストを意識させ、ウェインを感動させるものだった。
控え室で着替えたオリヴァーは、アレックスが用意してくれた衣服に袖を通して感嘆の息をついた。
光沢のある白いタキシードは丈が長めで、袖の返し、裏地は明るいグリーンで、僅かに図柄が織り込まれている。縁やボタンは金で、袖の返しには金糸の刺繍までされている。
豪華な衣装、中庭の飾り付け。白い薔薇を飾るそれを見下ろして、何処か浮かないのはいけない事だろう。
幸せだ、愛した人と新たなスタートを切る。それを友に祝って貰える。
なのにどうして心が晴れない。どうして、溜息が出るのか。
「はぁ……」
何度目かの溜息をついた、その時だった。コンコンとノックする音に振り向いたオリヴァーに、メイドが声をかけてきた。
「オリヴァー様、お客人が見えておりますがいかがなさいますか?」
「客人?」
そんな予定はないはずだ。
だが、律儀なファウストやランバートが先に挨拶にきたのかもしれない。その位の時間でもあった。
ドアを開けた。その目の前に立っていた人物に、オリヴァーは言葉がなかった。
緩く波を打つアイスブロンドは、年を経た今でも美しく輝いている。凛とした緑色の瞳は見透かすように強い光を放ち、迫力のある美しい顔立ちは彼女の年齢を曖昧にしてしまう。
「母上……」
「久しぶりね、オリヴァー」
よく通る声だ。未だ女優として一線に立つそれは堂々としていて気圧されてしまう。若い女優の陰口にも平然としている豪胆な彼女は、全ての振る舞いに対してあまりに美しい。
「なんて顔をしているのです、貴方は。主役が弱腰では花が萎れたのと同じ。人前に立つ以上、堂々としていなさい」
相変わらずの強い言葉に、オリヴァーの瞳は戸惑いと困惑に揺れ動く。それくらい、変わらないのだ。
男の相手をさせられた。あまりに幼い少年は、恋も愛も知らないまま体だけを強要され、嫌だと叫んでも助けはなかった。
いつの間にか心はひび割れ、そこから大切なものが流れ落ちていった。誰かを愛する事も、自分が愛される事も分からなくなった。
それでもこの母の顔を見ると安堵した。存在しないように扱った父などどうでもいいが、母と姉だけはその幸せを願うくらいには大事だった。
「アレックス、どうして……」
母の後ろに立つアレックスが、少し安堵した顔をしている。
「こちらの彼が、貴方の結婚を知らせてくれました。親らしい事など出来なかった母の祝福などいるのかと断ったのに、劇場にまで足を運んで」
溜息をついた母アルテミシアは、それでも珍しく優しい顔をしている。
部屋へと入ったオリヴァーの前に、アルテミシアはしっかりと立つ。オリヴァーの襟をしっかりと正し、しげしげと眺めている。
「流石私の息子、なかなか綺麗よ」
「母上、あの……」
「……貴方にあの人がした事は、知っています」
途端に、ズキリと胸が痛んだ。でも、感じていた。母は知っている。当時はそれを感じていたからこそ、母にも憤りがあった。知っているのにどうして止めてくれないんだと。
けれど落ち着いて、気付いた。大昔は家に帰る事も稀だった母が、いつしか頻繁に屋敷に帰り、オリヴァーに挨拶をして、少しでも声をかけてくれていたことを。
公演の合間、ほんの二時間程度なのに帰ってきて、探してくれたこと。
酷い陵辱を受けて寝込んだ時に感じた、少し冷たい手の感触を。
母が屋敷にいる間、父はオリヴァーに男をあてがわなかった事を。
「貴方が騎士団に入ると言った時、もう関わるまいと思いました。貴方もそれを望まないでしょうから」
「……はい」
「親らしい事などしなかった私が、貴方の今後の人生にとやかく言う資格はない。だからこそ、今日もここに来る気は無かったのです」
「……はい」
分かっている。オリヴァーもそのつもりで招待状を捨てた。今更どんな顔をして会えばいいか分からなかった。引っかかっても、それはいずれ薄れると思っていた。
「なのにそこの彼が頑固に誘うのですよ。楽屋にまで来て、どうしても出て欲しいと。貴方の幸せな姿を、祝福して欲しい。このままでは貴方はずっと今日の事を後悔する。本当に幸せな笑みを見せてくれないだろうと」
オリヴァーの瞳がアレックスを見る。彼はどこか気恥ずかしそうな顔をしていた。
「貴方の曇った顔を見るのは、俺にとっても苦しい事だ。二人で新しい時を過ごす門出は、どうか笑っていてもらいたい。表面ではなく、心から幸せな笑みが見たいんだ」
こみ上げるのは、幸せであり喜びだった。歩み寄って、抱きしめた。
こんなにも思ってもらっている。こんなにも幸せを願ってくれる人がいる。どうしようもない過去を知っているのに、その全てを受け入れてなお愛してくれる。
背に腕が回り、強い力で抱きしめてくれる。胸に顔を埋め、幸せに微笑んだ。神などいないと言っていた少年は、今神に感謝している。この出会いを用意してくれた幸福に、心から感謝している。
「ようやく、心からの貴方を見られた。正直、お節介だったかと不安でもあった。今ここで、貴方に嫌われてしまう事も考えたんだよ」
「そんな! 私が貴方を嫌う事なんてありえません! こんなどうしようもない、欠陥だらけの私を受け入れて慈しんで、愛してくれるのです。他に何が必要なのですか?」
驚いて顔を上げたオリヴァーは、次には幸せな笑みを浮かべた。
そうして、改めてアルテミシアへと向き直る。全てを見ていた彼女の前に進み出たオリヴァーの胸にはもう、苦しみなどなかった。
「母上」
「よい相手に巡り会えたようね。安心したわ」
「はい。母上、私は今日、彼と共に残りの人生を歩む誓いをいたします。見届けて、頂けますか?」
「私で良いの?」
「はい。母上にこそ、見届けてもらいたいのです。私を気遣ってくれた貴方に祝福されたい。お願い、できますか?」
アルテミシアは真っ直ぐに頷き、鞄の中から一つのコサージュを出し、それをオリヴァーの胸に飾った。
小ぶりで愛らしい、涼しげなブルースターの花に、アイビーのコサージュは白い衣服に色を添える。それをきっちりと止めたアルテミシアは、妖艶と言われる唇に笑みを浮かべた。
「ブルースターの花言葉は『信じ合う心』、アイビーは『永遠の愛』よ。そして花嫁は青を身につけると幸せになれる。胸を張って、堂々とするのよ。これは貴方の為の舞台。主役は誰よりも輝いて、幸せにしているのですよ」
「はい、母上」
目を細めて笑うアルテミシアの目尻に、僅かながら涙が光る。それは女優ではなく母としての表情だった。
◆◇◆
▼ランバート
ファウストや、他の師団長達も一緒に会場となる屋敷に行くと、そこには懐かしい友人が何故か出席していた。
「リッツ!」
「ランバート!!」
声をかけられ振り向いた青年は、途端にキラキラと輝くような笑顔でランバートに近づいてくる。
肩下までの甘いキャラメル色の髪に、黄色味の強いキャラメル色の瞳をした好青年は、ランバートに足早に近づくと肩を組んでじゃれるように笑った。
「久しぶりじゃんか。えっと……三年半前!」
「そんなに前だったか? もう記憶にない」
「ひっでぇ! まったく、友達がいの無い奴だよな」
ふて腐れた様に子供っぽく口を尖らせた彼は、ランバートの後ろに居並ぶ一同を見て首を傾げた。
「えっと……後ろのキラキラした人達誰?」
「あぁ、紹介する」
青年を隣りに、ランバートは背後で疑問そうなファウスト達に向き直った。
「紹介します。俺の友人で、リッツ・ベルギウス。俺と同い年で、商人をしています」
「どうも、リッツと申します。皆さん、服の仕立てなどは宜しければ当店で。中々いい生地取りそろえてますので」
商人らしいニッカとした笑みを浮かべたリッツに、全員が苦笑いをする。少々珍しい相手だったのだろう。
「で、こちらのキラキラした方達は?」
「騎士団の上官なんだ。今日の花嫁? 新婦?」
「あぁ、この場合迷うよな。でもまぁ、相手方な。その方って、騎士団の人なんだ。ってか、お前騎士団にいるの!」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてない! あぁ、でも聞くより前に俺が独立して忙しくしてたのか。で、騎士団の方なんだ」
忙しくあれこれ言うのが懐かしく、思わず笑ってしまう。リッツと話すといつもランバートの倍リッツが話す。こんなのは久しぶりだ。
「えっと、まず右から、アシュレー様、ウェイン様、ウルバス様、グリフィス様。全員騎兵府の師団長だ」
紹介された面々が苦笑いを浮かべて頭を下げる。
だがここで相手の壁を気にしていたら若手の商人は生き残れない。綺麗に無視してグイグイだ。
「師団長! すっごい! あっ、もしかして今日のお相手も?」
「師団長だよ」
「さっすがアレックスさん、見る目あるのな」
何かに感心した様子でまくし立てたリッツの視線が、一人紹介していないファウストに止まる。明らかに値踏みの目だ。
「んで、こちらは?」
「騎兵府団長のファウスト様」
「団長! しかもファウストって……シュトライザー家の?」
「あぁ」
そうなるとますますリッツの顔はニンマリとする。お得意様に欲しいのだろう。
「どうも、ランバートの友人のリッツです。よろしくごひいきに」
そう言って握手を求めるリッツの手を、ファウストではなくランバートが握る。あまりに妙な状況に、周囲は思いきり蚊帳の外状態になっていた。
「なんだよ!」
「お前にはやらない」
「ケチ! いい男は皆でシェアしようよ!」
「誰がするか!」
毛を逆立てる猫の様なランバートの口振りに、リッツはふと首を傾げる。
その間にランバートはファウストの隣りに素早く陣取り、腕を絡めてしまう。
「……もしかして、そういう?」
「悪いか」
「いや……ランバート、変わったね」
驚いたリッツは、だが次にはふわりと寂しげに笑う。その表情は、少しばかり悲しかった。
「おめでとう。遊び回ってたけど、ようやく決めたんだ」
「決めた。だからお前にはやらない」
「俺だって友人の相手なんかに手を出さないよ。これでもハッピーエンド支持者なんだ」
少し大人びた、寂しげな笑み。だが次には明るいものになって、全員に頭を下げた。
「んじゃ、俺はこれで。せっかくなんで他にも挨拶してきます。あと、二次会とか呼ばれたいです!」
台風のように去って行くリッツの背中を見送る面々は、その後で大いに笑った。
「凄い子だね」
「すみません。昔から落ち着きがなくて」
「ベルギウスと言えば、四大貴族家のか?」
「えぇ」
アシュレーの問いかけに、ランバートは素直に答えた。
四大貴族家は、ランバートの生家であるヒッテルスバッハ。ファウストの生家であるシュトライザー。そしてリッツの生家であるベルギウス家と、もう一つアイゼンシュタイン家がある。
そしてこの場に、そのうちの三家が揃っているのだ。
「あいつは次男ですし、ベルギウス家は商人の家柄。貴族家と言っても少々特殊で、全員が独立しているようなものです」
「彼は商魂たくましいみたいだね」
ウルバスは未だに苦笑気味だ。それに、ランバートは頷く。
「明るくて、すぐに人の輪に入る事の出来る奴です。少し厚かましいのが玉に瑕ですが。でも、頭のいい奴ですよ」
「賑やかすぎってのもなぁ」
「第五のグリフィスがそれを言う?」
ガシガシと頭をかくグリフィスに、ウェインは笑っていった。
「服と言っていたな。今の主力なのだろうな」
「そのようですね。でもまさか、アレックスさんと関わりがあるとは。世の中狭いものです」
何にしても少し懐かしかった。二次会は分からないが、もう少しだけ話していたい。久々に、そんな気がしていた。
式はとても賑やかに、そして温かく進行した。椅子は用意されていたが、基本は庭先での立食で、交流を深めつつ楽しんだ。
オリヴァーが登場した瞬間、会場は感嘆の溜息が出たのが面白かった。騎士団の面々ですら、白に明るいグリーンの衣服をきた彼の美しさと穏やかな笑みには思わず溜息が出た。
全員の前で誓いの言葉が述べられ、二人が寄り添って誓う。出席者全員が二人の結婚を祝う拍手をし、それぞれの代表が結婚証明書に署名をし、最後に二人が署名をする。
アレックスの妹のサフィールがリングピローに乗せられた指輪を差し出し、互いが交換して、熱いキスをすると会場は沸いて祝福のシャンパンが鳴らされた。
そんな二人の幸せな様子もさることながら、後に現れた女優のアルテミシアの登場には、ランバートも俄に沸き立った。
何せ未だ一線で輝く演技派の名女優だ。美しさもさることながら、確かな演技と迫力のある女優である。
そして彼女がオリヴァーの母親だと知って、妙な納得をしてしまった。
オリヴァーの怪しい魅力は、母譲りなのだと。
式は楽しく和やかに過ぎ、途中お色直しと言って去ったオリヴァーがウェディングドレス姿で現れた時には大いに賑わった。
男で美しいAラインドレスが着られるとは……恐ろしい。
ほっそりとした足を惜しげも無くチラ見せしつつ、豪華に使われたレースも美しく、騎士団の面々は思わず酒を吹きそうになり、アレックス側の出席者は一瞬目の色が変わった。
その姿で酒を注いで回り、会話を楽しむのだ。あの人はこの場で多くの男を引っかけるつもりかと思ったが、側にいるアレックスを見る幸せそうで熱い視線を見ると誰も、この間に入る気にはなれないだろう。
何にしても幸せで、温かい式は多少ランバートにファウストを意識させ、ウェインを感動させるものだった。
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