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29章:食は幸せを連れてくる(レイバン)

1話:収穫祭は美味しい匂い

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 安息日当日、朝便の馬車に乗り合いで向かったのは山間の村、マローネ。
 小さな村はとても賑わっていた。

「凄い人! これ、宿大丈夫?」

 乗合馬車から降りたレイバンは人の多い村を見て驚いた。建物はそう立派なものではなく、田舎にありがちな素朴なもの。田畑が多い事で土地は広いが、建物の数としては村というのに相応しい程度だ。
 そこに多くの人が入っていく。そして、いい匂いがしている。

「世話になった人に宿を頼んである。収穫体験もできるから、楽しいぞ」
「収穫体験!」

 後ろから来たジェイクの言葉に、レイバンは嬉しく声を上げた。

 なんだか昔を思い出す。森で木の実を取って生活していた時代の事だ。辛い時代だったことは確かでも、痛みではなくなった。今が幸せだから。

「川からは鮭が遡上してくる。ここで人工的に孵化させて、放流なんかも始めているらしい」
「そんな事までしてるの!」

 思わず声を上げたレイバンはうきうきとして村の門前に立った。


 マローネのメインストリートはそう長くはない。宿屋や道具屋、飲食店は多いが食べ物を扱う店は思った程ない。それというのも基本、自分の家で作っているらしい。足りない物は作っている農家などで求めるか、お裾分けでもらう事も多いとか。

 その中央にある広場はとても広く、今は祭りのメイン会場だ。あちこちで食べ物を売る声と美味しそうな匂いが漂っている。匂いだけで腹の虫が鳴りそうだ。

「食べたい!」
「そうだな、少しもらおう」
「やった!」

 辺りを見回して、一番美味しそうな匂いがしている場所を目指して歩き出す。そこでは骨のついたままの肉が美味しそうな匂いを漂わせている。遠火で炙られ焼かれていた。

「これ何の肉なの?」
「羊だよ兄ちゃん」

 チュニックに、少し汚れたズボン姿の男がにこやかに言う。そして表面の少しカリッとした部分を一つまみ分切り取ってくれた。

「いいの?」
「おう、食え食え」
「頂きます!」

 口の中に放り投げた時の香ばしさと、噛むと出てくる旨味と肉汁がたまらない。シンプルな料理こそ新鮮であれば美味いものだ。

「美味しい!」
「一皿くれ」
「あいよ!」

 後ろから苦笑したジェイクが一皿頼んでくれる。正直一皿では足りない気がしたが、そうじゃなかった。
 そこそこ大きな皿に、骨から無骨に削り取った肉がかなり乗る。これで一皿銀貨十枚だ、破格だと思う。

「あっちにワインもあるから、適当に買って腰下ろして食うぞ」
「あ、ワイン俺買ってくる」

 木製ジョッキに入ったワインを二つ持って、牧草地に腰を下ろして肉にかぶりついた。ワインとよく合うし、とにかく肉が美味い。

「はぁ、美味い」
「素材の良さには敵わないからな」
「ジェイさんの料理も美味いよ?」
「当然だ。だが、料理は食べる場所や鮮度、それに一番合う調理方法で食べるのが美味いんだ。これはベストな料理だ」

 ここでは羊の他に牛や豚も飼っているという。

「そう言えば、今日は前夜祭で明日が本祭りなんだって?」
「あぁ、そうだな」
「イベントも多いらしいよ。参加しない?」
「イベント?」
「キノコ収穫競争、鮭のつかみ取り、大食い競争。メインは料理自慢コンテストだって」
「ほぉ」

 興味なさげだったジェイクが最後は顔を上げる。楽しそうだと思ってる顔に、レイバンは満足に笑う。

「出てみたい?」
「プロだぞ。反則じゃないか?」
「そうでもないみたい。プロ歓迎だって」
「まぁ、気が向いたらな」

 そんな事を言うがかなり興味はあるだろう。既にレシピを考えていそうなジェイクの横顔を見ながら、レイバンは楽しく笑った。

 ワインも肉もなくなって、二人で田舎の農道を歩いている。広場を離れて三十分、かなり歩いたがその先に見える家が目的地だ。

「あの家だ」

 石造りの家に、横には家以上に大きな作業小屋っぽい建物、そして裏手には柵で囲った果樹が見える。煙突からは煙が出ていて、何とも長閑だ。

 二人が近づいて戸を叩けば、中からは五十代らしい恰幅のいい男が出てくる。豊かな口ひげだが癖があるのか少し縮れていて、毛むくじゃらにも見えた。

「おう、ジェイク! 久しぶりだな、元気してたか」
「ドラールさん、久しぶりです。元気でやっていますよ」

 珍しく穏やかに笑うジェイクの横に立つレイバンは少し気後れする。親密そうで、なんだか入っていけないのだ。

「ん? それがお前の恋人か」

 ビー玉みたいな小さい青い瞳がレイバンを見つけて笑う。彫りの深い顔で瞼が厚ぼったいから、余計に目が小さく見えるのだ。

「あぁ、そうだ。騎士団のレイバンだ」
「初めまして」

 紹介され、背を押される。気後れしながらも一言伝えてちょこんと頭を下げると、豪快そうなドラールはニコニコと機嫌良く笑い、肩をボンと叩いた。わりと痛い。

「そうか、随分綺麗どころじゃないか。無愛想なお前がよくやったなジェイク」
「一言も二言も多いよ、ドラールさん」

 たじたじといった様子のジェイクが苦笑し、招かれるままに室内に入る。
 思った以上にアットホームな歓迎に、レイバンの方は苦笑いだった。


 室内はごく普通の田舎の家だがそこそこ大きい。板間で、室内全部を温めるような大きな暖炉がある。その前には揺り椅子。
 キッチン前の大きめのテーブルは古いが味があり、色味や傷まで渋い。

「お前等の部屋は二階だ。二人で一部屋でいいんだな?」
「あぁ、助かるよ」
「あんまり夜にイチャつくなよ。声が通るんだからな」

 ニヤニヤっと言われればなんて返せばいいのか。この人物、けっこう下世話だ。

「とりあえず荷物置きに行くか。ドラールさん、夕方の収穫あるのか?」
「あぁ、たんと仕事はあるぞ。人手がいるから助かる」

 手をひらひらと振って行くよう促すドラールに一礼して、レイバンはジェイクに連れられリビングから続く階段を上がっていった。

 二階は三部屋ほどがある。ジェイクが目指したのは階段から一番奥の部屋だ。
 綺麗に片付けられたダブルベッドの部屋は簡素だがこざっぱりとしている。風も通されているのか、綺麗な空気に包まれていた。

「あの人強烈だねぇ」

 ベッドに腰を下ろしたレイバンの第一声に、ジェイクが苦笑している。
 一階で焚かれている暖炉の熱のおかげで、二階は床も温かい気がした。

「まぁ、そうだな」
「どういう知り合い?」
「まだ騎士団で働く前、駆け出しの料理人だった頃に何度かここに足を運んでいたんだ。その時に世話になって、こんな風に下宿をさせてもらっていた。騎士団に入ってからは足が遠のいたが、久しぶりに手紙を書いたら快く応じてくれてな」
「忙しいもんね、料理府」

 言えば苦笑が返ってくるが、不満はない。寧ろ充実していると言わんばかりだ。

「まぁ、あのままの裏表のないいい人だ。お前の事も息子か孫のような気分だろう」
「流石に孫はないんじゃない?」
「ばーか、田舎の結婚は早いんだよ」

 これには目をパチクリする。レイバンも小さな町の出身だが、流石にこの年齢で孫というにはドラールは若い。そんな気がしている。

「さて、忙しいぞ。下宿代が安い分、働かなくちゃならないからな」
「え? 下宿代そんなに安いの?」
「二人で金貨一枚」
「何その破格!!」

 普通宿に泊まるにはそれなりにかかる。場末だって一人一泊金貨一枚くらいはかかるもんだ。

「人手がないんだよ。その分働いて返せがあの人の流儀だ。飯代も含まれてるから文句言うな」
「うわぁ、遊びに来たのか働きに来たのか微妙なラインだ」
「お前等のやってる訓練に比べれば屁だ」

 ジェイクの言葉にレイバンは笑い、そして二人で階下へと下りていった。


 ドラールの家はブドウ農家だった。裏の庭には瑞々しいブドウがたわわに実っている。
 帽子に籠を腰につけ、収穫用のハサミを持ったレイバンはその光景に目を輝かせた。

「いいか、丁寧にハサミ入れろよ。実に触れないようにな」
「はーい」

 返事をして、ジェイクについて歩き出す。そして瑞々しいブドウを一房丁寧に手に取ってハサミを入れた。

「上手いな」
「へへ、任せてよ」

 それを丁寧に籠に入れる。このブドウは果物として出す品種らしく、見た目も大事だと言われた。
 潰れないように丁寧にして、少し溜まると平らな箱の中へ。そうして夢中になって果物を収穫していると、やっぱり昔を思い出す。
 森に自生しているブドウは酸っぱかったが、あの当時は貴重な果物だった。

「おう、レイバンは筋がいい。どれ、一つ食ってみろ」
「え、いいの? 売り物でしょ?」
「なーに、一つくらい食っても大した事はない」

 言われて、自分が取ったブドウを一粒口に入れる。瑞々しい果汁が口いっぱいに弾けて、僅かな酸味と深い甘み、そして鼻に抜けるような良い香りがする。

「美味い!!」
「だろう!」
「すっごく美味しい!」

 夢中になってもう一粒。あまりに美味しくて幸せ過ぎる。
 その様子をジェイクが見て笑っている。見ればドラールも笑っている。途端に恥ずかしくて顔が熱く、小さくなればそれにも笑われた。

「素直ないい子じゃないか、レイバン」
「そうでもないよ」
「案外捻くれているんだよ、ドラールさん」

 苦笑するジェイクにちょっと恨みがましい目を向ければ、知らないといった様子でそっぽを向かれる。連れない恋人だ。

 ブドウはかなりの数が収穫でき、ドラールも満足そうに笑ってくれた。
 そうして夜にはまた祭りの会場へ。キノコの網焼き、ふかし芋のバター乗せなんかを頬張っている。
 ジェイクは料理もだが素材にも興味があるらしい。売られている牛肉の塊を真剣な目で見ているが、流石に持って帰れないからとレイバンが引っ張る。
 その代わり、リンゴや梨、柿は仕入れていた。

「こんな所まで来て仕事の目して」
「すまない」
「いいけどさ。そういえば、明日の料理コンテストのメイン食材は鮭か牛肉だって。出るの?」
「面白そうだからエントリーはした」

 離れて祭りを動き回るのは少し寂しいけれど、ジェイクの料理は食べたい。それが少し顔に出たのか、ジェイクは苦笑してそっと手を重ねた。

「お前は出るのか?」
「キノコ探し」
「なんで?」
「探した分だけ貰えるから」
「意地汚いぞ」
「いいじゃん」

 それに、匂いには敏感だ。少し行った山にキノコが自生しているらしい。取ってくるキノコの審査は、所々に審査員が立っている。食べられるかどうかはこの人に聞けば分かるらしい。

「ドゥーとかランバートとか、ゼロスがいれば大食いに出すんだけどなー」
「あぁ、あいつらは食べるな。ドゥーガルドは分かるが、ランバートとゼロスは意外だ」
「本当に凄いよね、あの二人。どこに入ってるんだろう?」

 そう言いたくなる位には食べる。主食だけで一人前より少し多く。おかずが数種類にスープにサラダにデザート。ざっと二人前近くあるのではないだろうか。

「ランバートは自分が大食いだって、俺達と食事する様になるまで分かんなかったらしいよ」
「一緒にいるのがファウスト様だからな」
「あぁ……」

 それを言われるとどうにも言葉がない。
 ファウストも食べる。体もしっかりしているが、それを維持するのにはやはり食べ物が必要なのだろう。何度か一緒のテーブルに着くことがあるが、見事な食べっぷりだ。

「あの体格と筋肉を支えていられるだけ食べるとなればな。それに、運動量が多い。机仕事以外はほぼ動き回っている。行軍となればほぼ食べなくてもいいと言うが、そうじゃなければな」
「俺、見てるだけで腹一杯」
「お前はもう少し食べろ」

 呆れられて、牛肉の香草焼きを乗せられる。それも美味しく食べれば、ジェイクは満足そうに笑った。

「大分食べられる物が増えたな」
「ジェイさんがお節介にしてくれたから。今じゃ食べられない物ないよ」
「苦手な物はあるだろ?」
「……セロリ」
「ははっ」

 楽しそうに笑いながら、頭をぽんぽんされる。朗らかなその顔は絶対に騎士団では見られないものだった。
 そしてそんな人に、やはり胸は温かく、そして切なくなっていった。
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