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28章:それぞれのお疲れ様

5話:不器用な言葉(チェスター)

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 レイバンからの提案で、お疲れ様会は食堂で行われる事になった。お酒厳禁で。
 でもこれならランバートも出席出来て、面倒な外出届も出さなくてすむ。しかもジェイクの計らいで普段は九時に閉じる食堂を十一時まで開けて貰える事になった。残り物でよければお疲れ様会に料理も提供してくれるという。

 ただ、こうなると小規模では収まらなかった。希望する人全員となり、カンパが増えて少し大規模になったことでランバートだけに料理をさせる事が無理になり、料理得意な隊員達が集まってとなったのである。

「ほらチェスター、いつまで渋ってるのさ」
「だって……」

 先を行くランバートに半ば引きずられる様にしてチェスターは行く。だが足は重いままだ。
 向かったのは診察室。ノックをすれば丁度、エリオットとリカルドがいた。

「どうしました、ランバート? 具合でも?」

 気遣わしげなエリオットが心配そうに眉を下げて近づいてくるが、今日の用事はそれではない。ランバートも笑顔で首を横に振る。

「実は、お疲れ様会へのお誘いに来たのですが」
「あぁ、食堂でやるんですよね?」

 エリオットは流石に知っていたが、リカルドの方は知らなかったのか怪訝な顔をする。そして、やっぱり難しい顔だ。

「食堂でお酒の持ち込みをせず、お疲れ様会をする事になりました。料理は料理府の方の監修で、俺と料理の出来る隊員で作ります。俺の食事は俺が作りますので」
「貴方が料理をするのですか?」

 リカルドは驚いた顔をしたが、すぐさまエリオットがフォローに入ってくれた。それを聞き、少し考えて頷きながら、ガラス玉のような赤い瞳がランバートを見ている。

「分かりました、合意致します。ただし、料理を作る時は私も側につきます。お手伝いもしますので、よいでしょうか?」
「勿論です、リカルド先生。宜しければエリオット様も参加してください」
「私もよいのですか?」
「勿論。今回の事、エリオット様にも大変お世話になりましたから」

 にこやかに対応するランバートに対して、チェスターの方は表情が硬いままだ。やっぱり何処かで反発心がある。それは否めなかった。

「それでは、当日に」

 結局全てをランバートが説明して、二人で頭を下げて診察室を出て行く。後に出るのは溜息ばかりだ。

「どうしたんだよ、チェスター。お前、リカルド先生の前では態度が違うけど」
「あぁ、うん……」
「世話になったんだろ?」

 そう、そこなんだ問題は。
 世話になった。本当に頼りにしていた。だからこそ、今の淡泊な感じが受け入れられずにいる。

「リカルド先生、冷たいから」
「そうか? いい先生だよ」
「……怪我が治ったなら診察室に来ないようにって言われて」

 邪魔にならない程度に顔を見たい気がしたけれど、そう言われてしまったらどうしようもない。仕事の邪魔だと言われたようで……受けた親切も仕事だと言われた気がして嫌だった。

 けれどランバートの方はあっけらかんとした感じだった。

「当然だろ? 医者が『また来てね』なんて言わないだろ」
「そういうもんか?」
「医者にかかるって事は、怪我なり病気なりだろ。それを望む医者はいないよ。だから『また来い』は言わないのが普通」

 呆れたように言われて、目をパチクリした。チェスターはランバートを見て、呆然と問いかけていた。

「それ、本当? 普通?」
「普通」
「俺、嫌われたんじゃない?」
「違うと思うよ」

 言われたら、今度は恥ずかしいやら自己嫌悪やらで顔が上がらない。ついでに今行って謝りたい気持ちだったけれど、流石にさっきの今は恥ずかしすぎた。

「なんだよ、嫌われたと思ったのか?」
「だって、世話焼いてくれて嬉しくていたら、突然『もう来ないでください』って言われたんだ。怪我人じゃなくなったからって」
「確かに突き放した言い方に聞こえるけれど、真正面から受け止めるなよ」
「だって、そんな常識知らなかったから」

 じゃあ、本当に傷つけていたのは自分かもしれない。世話してもらったのに、当たるような態度を取って。嫌な奴に見られたんじゃないだろうか。
 思ったら、落ち込んだ。早とちりで申し訳なく思えてくる。

「何があったんだ? そんなに世話になったのか?」
「……うん」

 少し恥ずかしい話だけれど、本当に救ってもらったんだ。
 傷を負った方の手を握る。今ではまったく違和感なく動く手。けれど、怪我を負った時は違ったんだ。

「左肩の怪我が、やっぱり深くてさ。暫く痺れが取れなかったんだ」
「え?」
「あぁ、今は平気! でも、その時は不安で……俺このままじゃ剣、握れないと思ったらさ。そういう事考えたくなくて、負傷者も増えたから手伝うって言ったら、リカルド先生に怒られたんだ」

 今でも覚えている。足はヨタヨタで、左手は痺れていて何が出来るんだって話だけれど、当時はそういう事を全部忘れたくて手伝いをしたかった。

「怒られて、不安で眠れなくて。そんな俺を心配して、忙しいのに夜に来てくれてさ。ずっと俺の話し聞いてくれたんだ」

 左手が戻らなかったらどうしようかという不安。何も出来ない不甲斐なさ。悔しい思いを全部聞いてくれた。
 別に何かが返ってくるわけでもない。慰めの言葉があるわけでもない。けれど真っ直ぐに見てくれて、時々相づちを打ってくれて。それだけで随分気持ちが違った。

「それからは毎日、時間の空いた時には来てくれてさ。手のマッサージとかもしてくれて。そうしたら少しずつ痺れがなくなって、動くようになって。報告したら、ほんの少し笑ってくれたんだ」

 「よかったですね」という抑揚のない言葉だったけれど、何よりも嬉しく感じた。だからそれが続くんだと思っていたんだ。
 なのに戻って怪我が治ったらつっけんどんにされて。ショックだった。

「こっちに戻って、突き放された気分になって。俺、ショックだったから」
「それで反発してたのか」
「……謝ってくる」
「今度な」
「うん」

 分かっていたはずなのに、冷たい人じゃないって。ただ、会いたいだけだったから。顔を出したのに邪魔扱いされた気がして。
 ちゃんと謝ろう。チェスターの心はそう決まったのだった。

◆◇◆
▼リカルド

 仕事を終え、湯ももらった後の自室はガランとしている。二人部屋は、今はリカルド一人だ。中途半端な時期に入った事もあり、相方がいない。
 というのはこじつけに聞こえる。リカルドは自分がエル族である事を理解している。その扱いの難しさを、騎士団は知っている。

 残念ながらシウスとは同じエルでもコミュニティーが違って面識はなかった。だが同じエルの悲劇で森を追われ、母と共に流浪の生活をしていた。

 物乞いのような生活をして、辺境の地へと流れて。
 そんな母子を救ったのは、変わり者と言われた医者だった。

『目の色だ、髪の色だと人間は皮一枚の事で煩く言う。腹の中に詰まってるものは同じだ』

 年老いた医者はそう言って、リカルドの類い稀な容姿を笑い飛ばして受け入れてくれた。

 貧乏暮らしだったが、医者は腕がよかった。お人好しで大酒飲みだったが、医者と母子を食べさせられるくらいには稼いだ。
 そしてリカルドは真綿のように医者の知識と技術を吸収し、あれよあれよと腕を磨いて医者を助けるようになった。

 気付けば十年近くが過ぎ、その間に母は温かな場所で眠るように亡くなった。大きく苦しむ事はなかった。
 そして恩師である医師もまた、年齢には勝てずに死んだ。

 これでもう、人と関わる事はないだろう。リカルドはそう思っていた。恩師が何と言っても、やはりエルは奇異の目で見られた。その目がいつしか煩わしく思えていたのだ。
 今までは恩師への恩返し。だから亡くなった後は世など捨てて生きようと思っていた矢先、恩師の死を知った知人という医師が弔問に現れた。

 それが第二の師であり、エリオットの師だった人物だった。

 彼はリカルドに恩師の若い頃のバカ話をして、数日を共に過ごした。
 ちっとも偏見がなかった。温かな瞳と笑顔がとても嬉しく思えた。凍えた心が、温まるように。

 別れの日、その医師は「自分の元に来ないか?」と誘ってきた。

 もしかしたら、また違う世界が見られるかもしれない。もう少し先に行けるかもしれない。
 そんな希望を持って、住み慣れた場所を離れた。


 それから二年、第二の師は素晴らしい外科医だった。その技術をひたすら見て盗んだ。どんどんそれらを手にしたリカルドへ新たな道を示したのも、第二の師の言葉だった。

 今年の春、突然「騎士団に行ってこい」と言われた。

 驚いたし、正直あまり乗り気ではなかった。国家社会という場所がいかに偏見を持つのかを知っているのだ。だからこそ、行きたくはなかった。

 第二の師はリカルドに、そこの医療府にエリオットという愛弟子がいること、騎士団にはエルの人物がいること、そして前年の冬に騎士団が行ったエルへの救出の事を教えてくれた。

 興味が二点、感謝が一点。
 第二の師は厳しく、なかなか『愛弟子』という言葉を使わない。少なくともリカルドには言わなかった。その人物が愛弟子というエリオットが気になった。
 そしてエルの宰相シウス。数少ないエルの生き残りに会ってみたかった。

 そしてエルへと行われた国の救済。そしてそれを行った騎士団。
 ならばいいだろうと思った。水が合わなければまた流れるか、今度こそ世捨て人になってもいい。その位の気持ちで、多忙を極めるという騎士団の医療府へと第二の師の推薦状を持って訪ねたのが、今年の夏の事だった。


 リカルドは氷の入ったグラスに琥珀の液体を僅かに注ぐ。アルコールに氷が溶けて揺らめきとなるのを見ながら、一口入れる。鼻に抜ける匂いと、体の内側がカッと熱くなる感じがする。これだけは恩師の悪影響だった。

 居心地が悪ければ消えよう。そう思っていた場所は意外な程に心地よい場所だった。
 ここに偏見はない。宰相シウスがそもそもエルの人間で、こうした外見は見慣れていたのだろう。
 そしてここでは実力で人を見る。医師として実力のあるリカルドを嫌う者はない。

 エリオットは素晴らしい医師だった。自分より若いというのに素晴らしい外科技術を持ち、研究熱心でもあった。今も医師仲間であるハムレットと親交を持ち、不幸にも亡くなった方の遺体を検死して研究している。
 医師として最善を尽くす。その姿勢と、その為の探究心の強さ、自身へのストイックさは見習うべき部分がある。

 何よりここにいる人間は実に個性的で面白い。無邪気な顔をしたと思えば、仕事となると目の色が違う。そして皆、「仲間の為に」と口にする。
 集団生活が長い為か、苦労をともにするためか、ここの人々は仲間というものをとても大切にする。安い給料でも文句なく危険な仕事を行えている。
 良い部分は仲間の為に死のうという者は少なく、良くも悪くも生に執着してくれる。だからこそ、助けられるのだ。

 その時、ふと部屋をノックする者があった。
 時計は夜の十一時を指している。そろそろ就寝の時間だ。

 ドアを開けるとそこには、まだ僅かに髪の濡れたチェスターが一人寝間着姿で立っていた。

「あの、先生……」
「貴方はバカなのですか?」
「え!」
「早く入りなさい」

 廊下に立ち尽くすチェスターを室内に手早く招き入れたリカルドは、溜息をついて座らせて髪を丁寧に拭く。頃は十月、既に温かい季節は過ぎている。

「まだ調整中だというのに薄着で髪を濡らして。風邪を引くつもりですか」
「いや、このくらいは……」
「自己管理のなっていない人間は社会人として認められません」

 と、ここまで言って口をつぐむ。ついつい腹が立つと言ってしまうのだが、言い方が悪く抑揚がないせいでもの凄く冷たく見られてしまう。だが当然だ、虐げられてきた人間がそう表情豊かには暮らせない。

 だがチェスターは少ししょんぼりとするも大人しく聞いている。
 思いだした、ここの騎士団は何故か多くが擦れていない。比較的素直な人間が多いのだ。

 静かに髪を拭いて、水気が完全に抜けた所で側を離れる。そして自分は注いですっかり薄まったウィスキーを流し込んだ。

「先生って、お酒飲むんだ」
「医者なのに、これだけは体に悪いと思いながらも止められません。いけませんか?」
「いや、そう言うんじゃなくて! ちょっと意外というか……」

 だろうなと思う。皆が健康にいい生活をしているだろうと言うが、医者は案外そうでもない。エリオットなど明らかにオーバーワークだ。

「でも」
「?」
「俺も酒が好きなんで、ちょっと嬉しいかも」

 ほんの少し恥ずかしげに笑みを浮かべるチェスターからは、言葉以上の感情はない。はにかんだ笑みは、実年齢よりも幼く見える。

「飲み過ぎていませんよね?」
「ほっ、程々だよ!」
「まったく……」

 分かりやすい。溜息をついて空のグラスを置いた。

「ところで、こんな時間に何の用ですか? 貴方の体にはまだ休息が必要なはずです。早く部屋に戻って休むべきですよ」
「あぁ、いや……」

 言って、また自己嫌悪。いつも言葉に棘があり、一言も三言も多い。分かっていても出てしまうのだから、もうこういう性格だと諦めている。
 だがチェスターは気にした様子もない。これもある意味驚きだった。

「あの、謝りたくて」
「謝る?」
「俺、先生の気持ちを受け取り間違って、嫌な態度とってたから、それで……」
「嫌な態度?」

 まったく覚えがない。そもそも受け取られ方を間違うような言いようが悪いのだろう。それを気にして、わざわざ来たのか?

「怪我が治ったのだから、もう来ないで下さいって」
「あぁ」

 そのままの言葉だ、何も間違っていない。言い方が冷たかったのはいつもの事だ。

「俺、バカだからそのまま受け取って。怪我してくる事がないようにっていう意味だなんて、知らなくて。それで、突っかかって」

 確かにそういう意味で言ったが、言い方がまずかったのは明らかだ。言葉などは正しい情報だけを伝えるものではない。そこを誤解されたのは、明らかにリカルドの落ち度だ。

「お気になさらずに。いつもの事ですので」
「でも俺、ちゃんと知ってたのに。先生が冷たい人じゃないって、分かってたのに誤解して。それで、謝りに……」

 律儀すぎる様子に驚いてしまう。こんな事でわざわざ謝罪に来るなんて、今までに無い事だ。

「俺、先生が親切にしてくれたから、突然そう言われて繋がりを断たれた気がして。それで、なんかむしゃくしゃしてて。自分でも、嫌な態度だったって思うから」

 そう言って項垂れたチェスターを、リカルドはどうしたらいいのか分からずに見つめていた。


 彼の怪我は一時的に命に関わった。大量の出血による軽いショック症状があり、緊急手術が行われた。幸い治療が早く、輸血も間に合った事で大事には至らなかったが、術後に痺れが僅かに残ったようだった。

 不安だったのだろう事はすぐに分かった。フラフラしながらも何かをする事で恐怖を誤魔化しているのは理解できた。だが見立てでは傷の回復に伴い痺れは改善されると思っていたのだ。
 今無理をすればそれこそ後遺症が残る。だからこそ説教をし、彼の心を和らげる方向へと持っていったのだ。

 素直すぎる感情に戸惑う。真っ直ぐな謝罪に驚く。でも、嬉しいと思う気持ちもどこかにあった。

「え?」
「え?」
「先生、今笑ってた……」
「?」

 笑っていた?

 そんなつもりはなかったのだが、どうやら笑っていたらしい。嬉しいような、こそばゆい気持ちだったのは確かだ。それでも自ら笑おうと思わない場面で笑みが浮かぶなど、あまり無いことだった。

 チェスターの顔が見る間に赤みを増していく。目がキョロキョロと泳ぎ、目がソワソワと合わなくなった。

「あの、先生もう一度笑ってください」
「何故です」
「綺麗だったし、それに可愛かった!」
「お断りします」

 勢い込んで突進でもしそうなチェスターに溜息をつきながら、リカルドは背を向ける。少しだけ熱い気がした。これはきっと、さっき飲んだウィスキーのせいだろう。

「さぁ、戻りなさい」
「えー」
「戻りなさい」

 二度目は強めに。そうれでようやくチェスターは立ち上がる。そしてすごすごと戸口へと向かって、もう一度だけ立ち止まった。

「先生」
「なんですか?」
「お疲れさん会、来てくれよな」

 それだけを残して出て行く彼に溜息をつき、リカルドは灯りを落とす。
 そして胸に僅かなこそばゆさを抱えたまま、眠りについたのだった。
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