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25章:心の友

5話:許し(ハクイン)

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 待つ時間がこんなに長い事なんて知らなかった。
 砦の手術室の前に座ったまま俯いて震えていた。その隣りにはずっとハリーがいる。ただ黙って居てくれた。

 ドアが開いて、中からエリオットが出てきたのは一時間後のことだった。体感ではもう何時間も経ったような気がしていた。

「あ、の……」

 なんて言葉を繋げればいいか、分からなくなってしまった。弾かれるように立ち上がったあとは所在なく見つめるしかない。
 エリオットはその前に立って……難しいながらも笑ってくれた。

「完全に危険な状態から脱したとは言えませんが、とりあえずは」
「あ……」

 我慢していた不安が溢れてまた泣いた。泣きすぎて少し頭が痛くなっていた。
 そんなハクインの背中を軽く叩いて笑ったのは、ハリーだった。

「良かったじゃん」
「ありが……ごめ……」
「今は言わないであげるから、顔見てきたら?」

 エリオットも頷いている。ヨロヨロしながら手術室と繋がる病室へと入ると、ランバートが室内であれこれとしながら視線を向けた。

「お疲れ様でした、エリオット様。脈拍、呼吸と落ち着いています。体温も急な変化はありません」
「有り難う、ランバート」

 事務的なやりとりを耳にしながら、ランバートの奥に眠るリオガンを見た。静かに眠っている姿を。

「リオガン……」

 ヨロヨロと進み出て、駆けるようにベッドに近づいて、側に立った。震えながら触れた肌は確かに温かさがあった。胸は小さく上下していた。指先に僅かに触れる脈を感じた。

「リオガン」

 良かった、生きてる、ちゃんと生きてる!

 ズルズルと床にへたり込んで、安心と感謝にしばらくの間ハクインは泣き続けていた。

 ようやく落ち着いた頃には、一生分泣いたんじゃないかってくらいグズグズだった。その様子に難しい顔をしていたエリオットやハリーも苦笑していた。
 今はリオガンが寝ている部屋のソファーに座って、いい匂いのお茶を飲んでいる。

「ごめ……」
「もういいですよ。良かったですね」
「ありがと」
「それも伝わっていますよ」

 すっかり毒を抜かれたように苦笑するエリオットは、穏やかな様子でいる。
 こんな風に笑うんだ……。ハクインが知っているのは泣きながら大切な相手の名を呼ぶ、その姿ばかりだった。

「俺、酷い事」
「その一言で済ますの止めてよ。俺の兄貴は死んでるんだから」
「っ」

 ハリーの言葉にまた俯く。あれは、戦力が欲しくて。そして、混乱させたくて。テロリストを引き入れる事はずっと話し合っていたから、いいと思ったんだ。加えて騎士団内部で疑心暗鬼が生まれたり、混乱や仲間割れが起きればと思ったんだ。

「まぁ、もういいけどさ」
「え?」
「兄貴にも非があるのは否めない。帝国が過去にした事にも俺は憤ってる。引き金はお前でもそこに乗っかったのは……兄貴達だから」

 複雑そうな顔はしていた。でも全部を飲み込んだんだと表情が語っていた。

「それに、これ切っ掛けで恋人できたしね」
「え?」
「ちょっと純情過ぎるけど、いい奴だし。それに兄貴も……最後は兄貴として死んだ。テロリストとして刑に服すしかなかった奴等にも寛大な処分が下ったし、俺も騎士団に残ったし。だから、恨み言だけで済ませてあげる」

 言うと、ハリーは立ち上がりハクインの頭を乱暴にグリグリする。頼りなく見上げるとその額に、デコピン一つだ。

「まっ、悪いようにはならないよ。お人好しの集まりだからさ」

 そういうこの人だってお人好しだ。大事な人が死ぬ切っ掛けを作った相手に、デコピン一つなんだから。
 出て行く背中を見送って、ハクインは心の底で何度も何度も謝罪していた。

「彼はお人好しですね」
「エリオット様も大概ですがね」

 静かにお茶を飲むエリオットが静かに言い、ランバートが苦笑する。視線をそちらへと向けたハクインは、いたたまれなくてモジモジしている。

「私は個人的には許せていません。今回貴方達を助けたのは、騎士団としての意思です」
「……」

 こうはっきりと言われると、やはり胸の奥が痛む。分かっている事とは言え、痛みはする。

「まぁ、私ではなく被害者が同じくお人好しですけれどね」
「え?」
「オスカルが、『もういいから許してあげて』と私に言うのですよ。貴方達の事情を知って、置かれた立場を知って同情していました。それに、命まで奪われたんじゃないし仕事復帰もできたのだからと」
「案外オスカル様はさっぱりとしていますよね。意外でした」
「後に引き摺らない人なんですよ。だからこそ覚えている恨みは恐ろしい所があります」
「つまり、絶対に何があっても復讐するつもりなんですか……」
「徹底的に、ね」

 などと恐ろしい話をしている。聞いているハクインは緊張に体を強ばらせながら動けないでいた。

「まぁ、そういう事情です。貴方の事はテロリストとして拘束はしますが、今後の行いや協力にとっては寛大な処置となります」
「例えば?」
「貴方の主を救出後、まとめて国外退去です」
「!」

 それは寛大どころではない。しかも、主を救出と言った。救出、してくれるのだろうか。

「事情はダンから聞いています。貴方達の気持ちを思えば、私も多少哀れに思います。そしてこれは陛下も同じようです。まったく、お人好しばかりが集まってしまって」
「……うん」

 でも、今は希望に見えるんだ。散々な事をしたのに、本当なら今ここで殺されたって恨み言なんて言えた義理ではないのに。

「ほら、もう泣かないんですよ」
「ごめ……」
「泣き虫ですね、貴方は」

 苦笑するエリオットがハンカチを出して頬を拭う。その優しい動きに、ハクインは主を思い出してしまった。

「何にしても、二人を確保ですね。キフラス達は動きますかね?」
「そこは分かりません。ルースがどうでるか……都合のいいように事実をねじ曲げるくらいは平気な奴ですからね」
「……やっぱり、今回の事って」

 ハクインの呟きに、エリオットもランバートも頷いた。

「チェルルの一件で動くとすれば君たち二人だろうと、ダンが教えてくれました。同じ教会で育った兄弟のような関係なのですよね?」

 ハクインは頷く。そして、混乱で隅に追いやられていたチェルルの事を思いだした。
 死んだと聞いた、毒を煽って。でも、この人達が殺したのか今は疑問に思えている。死んだとしても助けようとしてくれたんじゃないか。リオガンを助けてくれたように。

「あの、チェルルは」

 恐る恐る問いかけると、ランバートは頷いて一通の封筒をハクインの前に置く。それを受け取って、ハクインは緊張しながらも中を開けた。

「!」

 そこに綴られている文字を知っている。慌てなくていいのに慌てて書くから、いつも少し崩れる文字。手紙の最後の文字がいつも、書き上げたんだぞ! と言わんばかりに右上がりに跳ねる癖。

「これ!」
「俺の兄貴が面倒見てる。これ受け取った時、顔色良くなってたよ」

 心臓がドキドキと音を立てている。でもこのドキドキはいいものだ。嬉しくて、安心して、締め付けるのにちっとも嫌いじゃない。

『ハクイン、リオガンへ
俺は元気にしてる。今は……まぁ、療養かな。毎日美味しくない薬草てんこ盛りご飯にもちょっと慣れた。
帝国の宰相さんが、俺達に協力してくれるって。陛下もきっと簡単には殺されないって。ベリアンス様を抑える為には必要な人質だから。
俺も、そう思った。何より俺はもうキルヒアイスの言いなりになるのは嫌だ。だから、帝国に力を貸す。陛下を助ける為に、まずは体を治す。
二人も、何がいいかを考えてみて。その為の行動をとればいいと、俺は思う』

 手紙がクシャリとへしゃげる。その上に涙が落ちたから、ちょっとインクが滲んだ。泣きながら頷いて、「よかった」と繰り返す。もうそれしか出てこなかった。

「ハクイン、力を貸してください。ルースは何を考え、誰を主としたのですか? 戦力は?」

 グズグズの鼻をかんで、涙を拭いて、ハクインは静かに頷く。主の為に戦いはしても、仲間の為に戦いはしても、ルースの為になんて戦っていたんじゃない。裏切ったのはあっちだ。

「兵の配置とか、知らない。でも、主は知ってる。名前はダニエル・コルネリウス。権威欲ばかりが強い威張り腐った子供だよ。扱いやすくて家柄がいいからって担ぎ上げた。兵力は千五百を越えてる。そのうち千以上をキフラスが率いてる」

 ランバートが、エリオットが驚いた顔をした。予想よりも多かったに違いない。

「ルースは主を立てるとか言ってるけど、多分違う。自分の思う通りの傀儡にしやすいと思ってる。俺達の事は……道具だと思う」
「まぁ、でしょうね。あの男は自分以外は道具だと思っていますから」
「俺達を殺そうとしたのは、やっぱり騎士団じゃなくて?」
「違う」

 嫌そうな顔をしたランバートがはっきりと言い、腰を上げた。

「ファウスト様にこの事をまず伝えてきます。もしかしたら補給が更に必要になるかもしれません」
「分かった」

 エリオットが頷き、ランバートが部屋を出て行く。残されたのはエリオットとハクインだけだった。

「リオガンは暫くこの部屋に。私の部屋は隣です」
「あの!」
「ん?」
「俺も、ここに寝ていいですか? このソファーでいいので」

 野宿に比べれば十分なものだ。ここのソファーだってちゃんとクッションがある。後は毛布があれば季節柄寒くはない。
 けれどエリオットはちょっと怖い顔をする。

「貴方も完全に無事なわけじゃないでしょう。手当はハリーがしたでしょうが、ちゃんとベッドで寝なさい」
「でも」
「私がついていて、簡単に患者を死なせたりはしません。ここに居て、怪我をしているのなら貴方も患者です。側に部屋を用意しますし、意識が戻ったら連絡をします。いいですね」
「は、い」

 先程までの穏やかさはどこに行ってしまったのか、目をつり上げて低い声で言われて思わず返事をしてしまった。

「さぁ、休みなさい。部屋へ案内します」
「あの、拘束とか」
「しませんよ。彼がこの状態では、貴方は下手な行動などしないでしょう」

 「信じている」と言われているのだと感じて、照れるやらだ。
 部屋に案内され、用意された服に着替えて、ベッドに潜り込む。気持ちは興奮しているが安心材料もある。リオガンもまずは生きている。チェルルも生きている。
 何が、出来るだろう。大事な主の為に、仲間の為に何ができるのだろう。
 ハクインはそれを考えながら、やがて疲れに引き摺られて眠りについた。

◆◇◆

▼ハリー

 部屋に戻ったハリーを迎えてくれたのは、コンラッドだった。ハクインを捕縛すると聞いて、いてもたってもいられずに同行を願い出た。
 その様子を気にして、コンラッドがついてきてくれたのだ。

「ハリー」

 歩み寄って、抱きしめてくれる腕の中で、ハリーはグズグズに泣いていた。我慢していた色々が溢れてくるみたいだ。

「俺……俺、あいつぶん殴ってやるって! 兄貴が死んだの、あいつが!」
「うん、分かってる」
「あいつが余計な事言わなければ、兄貴はまだ生きてたかもしれないんだ!」
「分かってるよ」

 吐き出すよに言えば、胸の中の重たい物も流れていく。楽になっていく。その全部をコンラッドが受け止めてくれる。

「でも……出来なかったんだ。大事な人が死にそうで、『助けて』って……俺その気持ち、よく分かる。俺、俺あの気持ち分かるから」

 潰れてしまいそうな苦しさも、泣いても泣いてもどうにもならない事も、助けてと言うしかない辛さも知っている。兄を看取ったあの時の自分を思い出して、重ねてしまった。
 お人好しだ。リオガンが助かって、どこかでほっとした。ハクインの「有り難う」も「ごめんなさい」も、全部心の底から出て来たんだと分かった。

 優しい腕が抱きしめて、髪を撫でてくれる。毒を全部抜くように。

「ハリーは優しよ。それに強い。頑張った、それで良かったんだよ」
「コンラッド」
「ハリー、愛してるよ」
「うん」

 優しい恋人の腕に甘えて、ハリーは目を閉じる。凭りかかるその胸がとても温かい。それに気づけたのは、やっぱりあの時だったんだ。

「愛してるよ、コンラッド」

 恥ずかしながら口にして、ハリーは甘えるみたいにキスをした。
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