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8章:亡霊は夢を見る

12話:浄化

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 王城の一室に部屋が用意され、そこにハリーは入った。だがその表情は暗く俯いたままでいる。
 明日、軍法会議がある。その結果によっては、本当の裁判になるらしい。
 軍法はあくまで軍の内部で起こった問題や軍規違反を罰する場。あくまで身内だ。けれど裁判は違う。引き出された者は最初から犯罪者として扱われる。疑いを晴らす場ではなく、罪に対する量刑を決める場所だ。
 この状況で明るい顔が出来る奴がいたら、何かが壊れているんだろう。ハリーはそれでも踏ん張っていた。崩れ落ちそうな気持ちを奮い立たせていたのは、兄の姿だ。兄の無念だった。

 その時、不意に扉がノックされる。おかしな事だった。罪人のハリーに用意されたのは普通の部屋で、これといった拘束がされているわけでもない。さらに、ノックをして誰かが訪ねてくるなんて。
 顔を見せたのはオスカルで、その背後には三人の友の顔があった。

「お客さんだよ、ハリー」
「ハリー!」

 吊っていた腕を取ったオスカルの背後から飛び出すようにコンラッドが近づいてきて、戸惑うハリーの目の前までくると……いきなり頭上から拳が落ちた。

「っ何してんだお前は!」
「あっ、コンラッド?」
「心配したんだぞ! 更にお前、こんな……」

 明るくて面倒見がよくて世話好きで……そんなコンラッドが瞳に薄ら涙を浮かべて怒っている。それを呆然と見上げ、俯いた。
 気のいい仲間に、こんな顔をさせている。それでもまだ胸にわだかまるものを捨てる事ができない。この気持ちを捨ててしまったら、兄や、家族が消えてしまう。そんな気がしてしがみついている。
 今更かもしれない。でも、ハリーはこの二週間あまりをひたすら懺悔し、後悔して過ごした。それなりに楽しい少年時代を、充実していた思春期を、大切な仲間と過ごす今を後悔していた。自分ばかりが幸せだったのだと知って、全てが申し訳なかった。

「ごめん……」
「謝ってどうにかなる状況じゃ、ないけれどね」
「案外意地っ張りだな、お前も」

 コンラッドから遅れて入って来たレイバンとゼロスが苦笑している。そして、それぞれが背中を叩いてハリーを励ますようにしている。この温かさに泣きそうになった。けれどこの温かさすらもいけない事のように思えた。

「ハリー、俺は何があっても、どんなお前でも仲間で友人だと思ってる。お前は、どうなんだ?」
「俺は……」
「正直ハリーがいないと、酒の席がつまらないんだよね。ランバートにも下手に絡めないし、馬鹿やって飲める相手がいないのは寂しい」
「レイバン」

 ゼロスが、レイバンが、当然のように微笑んでいる。「いつでも迎え入れる」と教えてくれる。縋りたい気持ちが強くなっていく。もう、どうしていいか分からない。

「それにな、ハリー」

 ゼロスが微笑んで、側のコンラッドの肩を叩いた。コンラッドは言葉もなく俯いて……泣いてた。初めて見た、コンラッドのこんな姿。

「お前に何かあったら、こいつが立ち直れないって」

 困って、立ち上がって、濡れた頬に手を添えてみた。顔を上げないまま、コンラッドが睨み付ける。とても怒って、心配してくれている。

「ごめん、コンラッド。俺……でも」

 なんて言えばいい。なんて、声をかけたらいい? この中に戻りたいのに、素直に戻れない。

「さて、これが限界。三人とも出てね」

 オスカルが声をかけて、もう一度ドアを開ける。それに従って三人が名残惜しそうに出て行く。けれど何故か、オスカルだけは出て行かずにハリーの隣に腰を下ろした。

「三人の気持ち、伝わった?」
「え?」
「あの三人だけじゃない。君の友人達は全員、君の無実を証明するために動き回っていたんだよ」
「え?」

 ハリーの心臓が僅かに跳ねる。そしてそのままドキドキと音を加速させていった。

「ねぇ、君の守りたいものって本当に今思ってるもの?」
「あの」
「僕はね、素直になればいいと思う。難しい事なんて置いておいてさ、純粋に幸せを掴めばいいと思う」

 オスカルの率直な言葉に心が揺れる。兄の無念を、国の無念を、一族の無念を。思う気持ちに反発するように、友との時間が迫ってくる。気持ちが、そちらに傾いてしまう。

「君の身の上はとても辛いと思うし、簡単じゃないと思う。けれどそれは、今を壊すほどのものかな? 僕はね、違うと思っている。死者はあくまで死者、過去しかくれない。でも生きている君は未来に向かって歩かなきゃいけない。その君の枷になる事を、本当に望むかな」
「……」

 笑顔がポンと浮かんだ。兄達の輪の中で遊んでいた時が浮かんできた。父が、母が、笑っていた。寒い外とは対照的な談話室の中で、温かな場所で笑っていた。

「故人を枷にするのも、力にするのも君の心次第。けれど君の友人達はその枷を引きちぎってでも、君を未来に引っ張りあげようとしている。その気持ち、大事にしてあげて。本当に、いい友人を得たんだからね」

 ポンと、肩を叩いたオスカルが立ち上がって部屋を出て行く。その背を見送り、一人になった室内でハリーは、泣き出しそうな気持ちを必死に押し殺していた。

◆◇◆

 翌日、ハリーはファウストに連れられて知らない部屋に入った。裁判を行う場所ではなく、円形の小さな会議室のような場所だった。
 その中、入口に背を向けて座ったハリーの両サイドに団長達が座る。隣にはファウストが、逆隣にはクラウルが、ファウストの隣にシウス、クラウルの隣にオスカル。そして少し遅れて、ハリーの前に遠くからしか見た事のない人物が腰を下ろした。

「お前が、ハインリヒ・フェシュネールか」
「あ……」

 凛と強い瞳に見られ、ハリーは震えた。正面に座った皇帝カールに圧倒されてしまう。重苦しい空気のまま、ハリーはただ頷く事しかできなかった。

「それでは、会議を始める。ファウスト、報告を上げよ」

 シウスの進行でファウストが立ち上がる。手元にある紙の束はどれもが調書なのだろう。それらを読みながら、事件のあらましが語られた。
 カールはずっと難しい顔でそれらを聞いていた。事件は軽いものではない。幸い騎士団への人的被害はそれほど大きくはなかった。それでも砦を乗っ取り、そこに火をかけ、ランバートを攫った。騎士団の顔に泥を塗った形だった。

「大方の事は分かった。今回の事、フェシュネール派のテロリストの行いで間違いがないんだな」
「はい」
「そこの者が関与した。それを、今審議するのだな」

 視線がこちらを見る。その重圧に息苦しくなってしまう。ハリーは膝の上で手を握り、ブルブル震えていた。それでも、前を見なければ。残された最後の王族としての責務を果たさなければ。思い、前を向く。そして口を開こうとした。
 だがそれよりも先に、ファウストがはっきりと口にした。

「その可能性はありません」
「!」

 驚いて、ハリーはファウストを見上げる。どうしてそう言い切れるのか、訳を聞きたい。
 一瞬、ファウストがこちらを見た。だが直ぐに視線を調書へと移した。膨大な数の調書だ。

「フェシュネール派を束ねていたオーギュストという男や、他の者の証言を合わせますと、今回の計画が持ち上がったのは昨年の秋。ハリー・バスカヴィルはその間、フェシュネール派の者と接触していません」
「なんで」
「これは、ランバートおよび暗府が確かめました」
「!」

 驚いて、目を見張る。秋から今までの行動を全部確認したなんて、そんなの無理に決まっている。思って……ふと思いだした。

「お前の日記をランバートが訳してそれを元に行動確認をした。行きつけの店、孤児院がお前の行動のほとんどだった。王都を離れる事もなかったし、宿舎の門番もお前の事を覚えていた。お前、出る時も帰って来る時も必ず声をかけていただろ。そういう奴の事は、皆覚えているものだ」

 養父だった爺さんがハリーに日記を欠かさず書くように言った。当時、ハリーは帝国の言葉を知らず祖国の文字で書いていた。それからずっと、今も続く習慣。他は全部帝国公用語になったのに、日記だけは祖国の言葉で書いていた。
 それを、ランバートが訳した。そしてそれを元に、皆が裏を取ってくれた。知らない間に、皆が動いてくれていた。
 締まるように苦しくなる。どれだけ大変な事をしてくれたのか……会って、謝りたかった。

「こちらに日記の訳と、それに対する裏付けもあります」

 山のような紙の束が、カールの前に運ばれる。それらに軽く目を通したカールもまた頷いた。

「確かに、疑いようがないレベルだ」

 視線がハリーをとらえる。だがそこに、先ほどまでの厳しさはなかった。どこか柔らかく、優しい光がある。

「ハインリヒ、君はどうしたい」
「え?」
「亡国の王子を自由にする事はできない。だが今回の事を知っているのは調査に関わった者と師団長、そしてここにいる者だけだ。騎士団に、戻りたいか?」

 問われ、気持ちが大きくそちらに傾く。けれど何かがその足を引く。目を背けていたものが枷となっている。

「……皆、少し席を外せ」
「陛下?」
「よい。少し話がしたい」

 列席する団長達が困惑するように顔を見る中、クラウルはスッと立ち上がり、退室していく。他も心配しながらも席を離れて扉が閉じた。
 室内にはハリーとカールしかいない。戸惑いながらどうする事も出来ずにいると、カールが立ち上がり、ハリーの直ぐ側に腰を下ろした。

「これを、君の仲間から預かっている」

 上着の隠しから出てきたのは、厚みのある紙だった。カールはそれをハリーの前に差し出す。震える手で三つ折りになっている紙を開き、読み出したハリーの目から堪えていた涙が溢れるように出た。
 それは、クラウルの父が残した日記の断片と、当時の軍事資料だった。
 帝国がノーラントの鉱脈を欲していた事。それを奪うためにノーラント大使を利用し、戦争を起こした事。大使の起こした事件から二日後に、数千の兵がノーラントへと向かっている事からも明らかに準備されていた事だった。
 そして、炎の夜。城から脱出したハリーを見つけて匿ったのはクラウルの父だった。まだ幼い子供を殺す事に抵抗があったことと、この戦争への疑問から尽力してくれた事が書かれていた。

「すまなかった、ハインリヒ」
「え?」

 見れば、カールが頭を下げている。その姿にハリーは驚き席を立って、それでも手を触れていいのかも分からずオロオロしていた。

「人を下げなければ頭一つ下げる事もできない。私の父が、非道な真似をした。今更謝った所でどうする事もできないが……すまなかった」
「あの、頭を上げてください! 俺は」

 もう、十分だった。

 カールは頭を上げる。そして、穏やかに微笑んだ。温かなその表情にハリーは兄の面影を重ねた。こんな風に笑っていたはずなんだ、ヴィクトランは。穏やかで優しい、木漏れ日のような笑みを浮かべる人だった。

「父の非道は知っていたが、まさかここまでとは知らなかった」
「……これは、公表されますか?」

 問えばもの悲しく、カールが首を左右に振る。これには落胆があった。真実は分かったが、それもまた闇に消えるのだ。

「これを公表すれば、いらぬ争いが起こる。起こった争いを鎮圧するのは、お前の仲間である騎士団だ。そして傷つくのは、ノーラントの民だ」
「!」

 言われて、ハッとして、ハリーは俯き手を握る。そこまでは考えていなかった。あの土地があまりに穏やかで帝国の一部になっていたから、思わなかった。これを知ったら憎しみを持つ人がでること。平和である人々の生活を壊してしまうこと。そしてその人達を制圧するために出て行くのが、騎士団であること。

「すまない、ハインリヒ。矛を収めてもらえるだろうか」
「陛下」
「その代わり、私が彼の地を守ってみせる。人々を、守ってみせる。不遇な思いなどさせない。皆が幸せに暮らせるよう力を尽くす。ここに、それを誓う。もしも私がこの誓いを違えた時には、そのレポートにある事を公表していい」

 カールの言葉に、その心に、嘘はないだろう。そして、国の民が幸せに笑っていられる事こそが、父や兄達の願いだったはずだ。なぜなら父は言っていたのだ。「民の為の王でいられる事こそが、王の喜びだ」と。

「お願い、します」

 涙と一緒に溢れる言葉は不格好に震えていた。その肩を、カールはポンポンと叩いて微笑んでくれる。

「ハインリヒ、他に気がかりはないか?」
「え?」
「ハリー・バスカヴィルに戻るのに、ハインリヒに気がかりがあっては戻れない。何か、あるか?」

 問われて、ハリーは思い巡らせて、遠慮がちに口を開く。

「兄の亡骸を、家族のお墓に入れたいです」
「あぁ、構わない」
「……オーギュスト達の処分は、どうなりますか?」
「簡単ではないが、道がないわけじゃない。命を助ける方法はある」
「お願い、できますか?」
「分かった」

 カールは立ち上がり、扉へと近づいていく。そうして外に何かを伝えると、「行くよ」と声をかけられた。団長達も伴って城の中を歩くハリーは、そのまま地下の牢獄へと連れて行かれた。


 地下は空気が冷たくて、重苦しい。その中に、オーギュスト達投降した兵がいた。みながハリーを見て声を上げる。無事を喜ぶ声だった。

「ハインリヒ様」
「オーギュスト……みんな……」

 道すがら、求められる事をハリーは聞いていた。そしてこれは、ハインリヒしか出来ない事だった。

「……聞いて欲しい。お前達全員を、労働刑として騎士団に入れる事ができる。刑期は十年、その後は自由に暮らせる」

 息を呑むような音と緊張が沈黙を作った。一人、また一人と俯いている。だが最後まで、オーギュストは目をそらさなかった。

「それは、命令ですか?」
「……俺の願いだ」
「願い?」
「これ以上、誰にも死んでもらいたくない。俺はハインリヒから、ハリーに戻る。でもお前達が死んだら……俺は苦しいし悲しい。もう誰も、死んでもらいたくない!」

 思う心を素直に伝えた。死なないでほしかった。その為ならどんな方法でもよかった。労働刑だとしても、騎士団がそうした人を悪し様に扱う事はないと信じている。捨て駒のように扱わないと、信じている。
 オーギュストは静かに瞳を閉じ、やがて頷いた。

「それが、貴方の願いであるならば」
「オーギュスト」
「主の最後の願いくらい叶えてやれず、何が臣でしょうか。貴方に憂いを残すような事を、ヴィクトラン様もきっと望んではおりますまい」

 その言葉に、ハリーは表情を明るくする。俯いた顔が、次第に上がっていく。その目には、確かな光があった。

「我らが主、ハインリヒ様の御心のままに」

 膝をつき、臣下の礼をする百人ほどの人々を前に、ハリーはようやく涙を流しながらも笑っていた。


 彼らは全員が労働刑十年となり、来春の正式入団が決まった。そしてハリーは、仲間達のいる騎士団にお咎めもなく戻る事が許された。今日の会議も実は軍法などではなく、スノーネルでの事件の報告会議だったそうだ。一番に事情を知るハリーは、特別な参考人として呼ばれたという扱いになった。
 そうして宿舎に戻ると、その入り口に仲間達が立っていた。

「あ……」

 なんて言えばいいだろうか。「ごめん」なのか「有り難う」なのか、それすらも分からない。
 ランバートが少しやつれた感じで笑っている。コンラッドが、ボリスが、ゼロスが、頷いている。レイバンがニヤリと笑い、コナンとクリフが泣いていて、トレヴァーとピアースとトビーが慰めている。ドゥーガルドは涙に鼻水で大変な顔面だ。

「あの」
「お帰り、ハリー」

 ランバートが前に出て、ニッコリと笑う。それに、ハリーもまた目頭が熱くなって涙腺が崩壊した。でも、笑っている。そう、これでいいんだ。

「ただいま、みんな」

 迎え入れられる大事な場所へと駆け出したハリーを、仲間達は確かに受け止めて、受け入れてくれていた。
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