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8章:亡霊は夢を見る

1話:ネイサン・アルウィックの報告書

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 北、スノーネル。
 かつてはノースフィリアと呼ばれたこの町は、まだ雪深い中にある。帝国の中でもどこか異国を思わせる町並みは、そのままその通りだ。
 この場所はかつてノーラント王国と呼ばれていた。北の小国ではあったが、領地の鉱山から良質の鉄鉱や銀、金も採掘された。国の主な産業はこうした鉱山からの採掘資源だったのだ。
 国を潤したはずのこれらの資源が国を滅ぼす事になった。それは、十七年前の話だ。

◆◇◆

 石造りの家から一人の青年が出てくる。綺麗な格好などはせず、薄汚れた頑丈だけが取り柄のゴワゴワしたつなぎに、薄汚れた白のチュニックを着て、重たいコートを着た長身の青年だ。荒れ放題の手は水仕事を思わせる。いつも麻の袋一つを持って家を出る様子を、周囲の者もよく見ている。

「ネイサンも仕事熱心だな。砦の掃除夫なんて、辛いだろ?」
「この季節に水仕事なんてね」
「あぁ、いいえ。俺は体を動かす以外は取り柄なんてないし、掃除は嫌いじゃありませんよ」

 近所のおじさんやおばさんが声をかけてくれるのに、ネイサンはやんわりと笑った。どこにでもいる、田舎の好青年という様子の人だった。
 実際ネイサンの容姿はこれと言って目を引くものはない。長身で体格が良いが、田舎でも力仕事をしていればこのくらいにはなる。髪も濃いめのブラウンに緑色の瞳という、帝国ではありがちな容姿だった。
 だが、このスノーネルでは逆に目立った。この地方の人々は帝国とは少し違い、銀髪の人が多いのだ。

「それにしたって、あんたは偉いね。田舎のお袋さんに仕送りするのに、こんな所まで仕事に来るなんて」
「あははっ、それも仕方がないです。俺みたいに無骨で力仕事ばっかりの奴じゃ、王都とかでは仕事ないし。だからって港の荷下ろしは、なんか周囲が怖くてついてけなくて」
「気が弱いんだよ、ネイサン。もっとビシッとしてないと。そのうち亡霊に捕まっちまうよ」

 言われて、ネイサンは困った顔をした。

「嫌だなぁ、亡霊なんて。俺、怖いの苦手なんですよ。夜眠れなくなったらどうしよう」
「なんだい、本当に気が弱い。亡霊なんて出やしないよ」

 おばさんがカラカラ笑って、ネイサンの広い曲がった背中を叩く。それに「いててっ」と言いながら、ネイサンは更に弱気な顔をした。

「あっ、それじゃこれで。遅れたら給料に響くんで」
「あぁ、頑張っておいで」

 手を振って、ネイサンはこの町にある砦へと向かう一本道を歩いていった。


 この町には騎士団の砦がある。これは昔の名残であり、今も危機感を持って機能している砦の一つだ。それというのも王都から遠いこの北の地にも、帝国を憎むテロリストがいるからだ。

 『フェシュネール派』
 大抵のテロリストが五年前のカール皇帝即位の事件でテロリストとなったのに対し、彼らだけはその前からいた。そしてその規模もほぼ変わっていない。総勢は千いない程度でルシオ派やレンゼール派に比べればよほど少ない。
 だが彼らは間違いなくこれらとは違う。彼らは元ノーラント国軍。帝国によって滅ぼされた王国の生き残り達だ。

 ネイサンは砦の更に奥へと視線を向ける。黒く煤けた外壁を残すかつての王城は、主を失って久しい。
 それでも元ノーラント国民は大半が帝国に下った。変わらぬ生活を約束されたからだ。彼らにとっては生きるために主を選べなかったのだろうが、今は反発も少なくなった。それだけ年月が経ったのだ。もう、元の主が戻る事などないと諦めてしまうくらいには。

 砦についたネイサンは、町の人が言うとおりに掃除を始める。雪をかき、室内の塵を掃く。だがこの季節、決して水拭きはしない。廊下が凍るからだ。その後は室内の汚れだけを洗い、トイレ掃除。そうして表側から奥へと行くと、ネイサンはとある一室へと入って服装を改めた。
 黒の騎士団の制服には所属を表すエンブレムがある。髪型も綺麗に整え、心持ち表情も厳しくなった。

「お疲れ様です、ネイサン殿」

 砦の高官であるユナンが声をかけ、苦笑する。それに、ネイサンも苦笑で返した。

「何か新しい情報は入ったか?」
「いえ、これと言って。本当にフェシュネール派の動きが活発になりそうだなんて噂があるのですか?」

 ユナンの言葉に、ネイサンも苦笑する。それを調べるのが暗府たるネイサンの仕事なのだ。
 人々に紛れて生活し、そこから情報を得る。テロリストとは言え人間が相手だ、必要なものはある。それらを調達するためには、やはり他人と関わらなければならない。必ず日常生活のどこかに、小さな切っ掛けが落ちているはずなのだ。
 暗府はそうしたものを拾う。本当に小さな会話の中から違和感を見つけてこっそりと動く。大抵が一人、もしくは現地で協力者を得て行われる。
 今回の調査で組んでいるのが、この砦の高官のユナンだ。人当たりがよく柔和で、砦の人間とも出入りの人間とも穏やかに日常会話をしているのを見て彼がいいと決めた。ネイサンは一時を出稼ぎにきている田舎の若者として町に溶け込んだ。その為、騎士団の人間としての動きは取りづらかった。
 何かがあったとき、事情を把握している騎士団の人間がいてくれると助かる。その時の為の協力者だ。

「何か、掴みましたか?」

 問われ、ネイサンは苦笑して首を横に振った。

「それらしい話はな。森の方まで入るか、港の方まで行く方がいいか」
「港に行かせた部下からの報告では、それらしい人物は見つけられないとの事ですが」

 困った顔をしたユナンに、ネイサンも同じく困った顔をする。この町から港町までは森を越えて馬で二時間、徒歩なら四時間かからないだろう。足元の悪さを考えても、五時間もあれば十分だ。

「もう少し探ろう。確かな筋からの話らしいし、最近何かと騒がしいからな」
「分かりました」

 ユナンが静かに頭を下げて退出していく。それを見送って、ネイサンは手紙を一つしたためた。

『拝啓、黒の方
思うような成果は得られませんが、それが妙です。もう少し探ります。お土産に鱈などいかがでしょうか? 鍋の具材に美味しいですよ』

 これを丁寧に封をして、こっそり隠しにしまい込んだ。そして、その日の夕刻までこれまでの報告をまとめたり、気になる点を書きだして報告書を作成したりの通常業務を行ったのであった。

 夕刻、暗府から掃除夫へと戻ったネイサンはボサボサの髪で町に戻ってくる。そして店先を覗き、美味しそうな魚を見て目を輝かせた。

「美味しそう。それに安いね」
「あったりまえだろ! 港から直で入ってくる魚だぞ」

 言って差し出された鱈は、ここに来てから何度か食したものだった。ぷりぷりとした弾力のある白身の魚はスープに入れると美味しい。味に癖がないのもいいだろう。

「切り身がいいんだけど、ある?」
「おうよ、待ってな」

 そう言って魚屋の店主が持ってきたのは、ぶつ切りになった切り身だ。これをこのまま鍋に入れて、野菜と僅かな塩などで調えて食べるのがいい。

「美味しそう」
「当たり前だ」

 威勢良く言われ、それを購入する。野菜はまだ家にあったはずだ。帰りがけにキャベツだけを購入し、ネイサンは家に戻った。
 暖炉に火を入れ、そこに適当に切った人参やキャベツ、芋と、丁寧に洗った鱈をそのまま投入して煮込み始める。骨からもいい出汁が出るし、野菜も煮えてくる。味を見て、塩とコショウで味を調えれば簡素な木の器にそれらをよそい、ランプの明かりの下で食べ始めた。

 この町に来て一ヶ月はまだ経っていない。だが、町の人間は新参者を受け入れてくれる。店の店主などはさっきの魚屋に見える通り豪快で人当たりがいい。
 そういう人から時々聞くのだ。港町の方で見慣れぬ人を見る。薄い金髪に、整った顔の若い青年だという。この辺では金髪の方が目立つから、仕入れに行った人達の目についたようだ。
 話しを聞くに、どうも建国祭で王都を騒がせた人物の一人に特徴が似ているような気がする。思い違いの線もあるため、確かめるのが本当だろう。人相書きは嫌というほど見て覚えている。
 そしてもう一つ気になるのが、砦の様子だ。地方の砦はその地方に暮らす人間が大半を占めている。だがここの砦だけは中央からも人を出している。フェシュネール派の影響を恐れてだ。
 フェシュネールはノーラント王国を治めていた王家の名で、彼らが名乗っている。このテロリストは王都での反乱はないが、他国と結びついて北の領域を犯そうとしている。内部と外部から国境の関所を攻撃し、しばしば国境を脅かしている。
 だが彼らを誰がとりまとめているのか、未だ分かっていない。この名を名乗るという事は王家の生き残りがいる可能性が高いのだが、当時の国王も王妃も、そして王太子も死んでいる。他に兄弟がいるのかもしれないが、当時の資料が少なすぎて掴めないそうだ。

「はぁ……」

 どのくらい潜伏できるか。砦の内部も柔和にネイサンを受け入れているが、そのわりに警戒もされているように思う。肌で感じるのだ、そういうものは。そのせいで報告書には差し障りのない事しか書けない。手紙はこっそりと他から出している。まるで敵地に居るような気分だ。

「寝よう」

 食事も終えてベッドに寝転がる。だが絶対に側に剣を隠したままだ。どうにも見られている気がする。だからここでも書き物はしない。

◆◇◆

 安息日、ネイサンは港町へと足を伸ばす事にした。森にはしっかり道があり、歩いている人も多い。田舎の純朴な青年という格好で港町へと行けば、賑わいが心を軽くする。陰鬱な気分だったから余計に、この明るさが嬉しかった。
 港の中をひやかし、他国の珍しい食べ物や装飾品を見ながら、ネイサンは酒場へと足を伸ばす。そこで昼を食べながら、それとなく周囲の話しを聞いていた。

「そういや、森が揺れてるらしいぞ」
「あぁ、知っている。王家の亡霊が出るんだろ?」

 その言葉に、耳が釘付けになった。話ているのはこの港町の人間のようだった。

「あんな死に方をしたらなぁ、恨んで出ても仕方がない」
「王子様方も、浮かばれないだろうよ」

 「王子様方」という言葉に、ネイサンの心臓は僅かに音を立てた。やはり王太子の他に、まだ兄弟がいたのだ。
 ノーラント王家の最後は壮絶だったらしい。十七年前となると今の騎士団の人間は誰一人当時の事を知らないが、この地に赴くにあたり少しだけ学んだ。それによると、追い詰められた王は王妃を殺し、自ら城に火を放った。玉座に座したまま王は炎にまかれて死に、王太子も自刃していたそうだ。
 肖像画や、ノーラント王家に関わる物がほぼ全て焼けてしまった為に、詳しい資料は何も残っていない。謎の多い戦だった。
 そんな壮絶な死に方をしたからか、この辺では王家の亡霊が出るという噂が絶えない。当時城に仕えていた人が化けて出るというのも聞く。
 だがネイサンは亡霊など信じていない。騒がしいのはきっと、フェシュネール派の人間じゃないのか。それを疑った。

 酒場を出て、ネイサンは素早く手紙を書いて持っていた本の間にそれを差し込み、梱包をして王都への宛名を書いて早馬に乗せた。
 気になっている事、ここで見聞きしたことを書き残し、送ったのだ。
 そうして町を出て森に入ったネイサンは、ふと複数の視線を感じた。明らかに素人ではない視線だった。
 このまま町に辿り着いては町で騒ぎが起こるかもしれない。一般人を巻き込んでしまう。だがこの街道を離れては余計にやられる。荷の中にナイフを持ってはいるが、数人ではない視線の数を考えると立ち回って逃げる事が難しそうだ。
 だがその時、どこからか矢がネイサンの鼻先を掠めて側の木に突き立った。通行人が一気に悲鳴を上げて逃げ惑う。こうなればこの場を離れざるをえない。ネイサンは咄嗟に脇の森の中へと身を隠し、走った。
 視線が、微かな足音が追ってくる。それを感じながら走ったネイサンは、矢の攻撃を避けながら走らされる。どこかに誘導させられている。それを感じるも、逆らって突破するには数が多い。まずは逃げられる可能性を少しでも高めないと。
 やがて視界が開けてきた。その中に飛び込んだネイサンは目の前に広がった光景に足を止めた。
 ぱらりと、崩れた小石が崖下の川へと落ちていく。崖を背にして直ぐに森へと向き直ったが、時は遅い。複数の人影が取り囲むようにしている。その壁は厚い。そしてそこから一人の人物が笑みを浮かべて出てきた。

「ユナン」
「やぁ、ネイサン。鬼ごっこは楽しかったですか?」

 そう言った人物を見て、ネイサンは憎らしく奥歯を噛んだ。
 白に近い銀の髪に、切れ長の緑の瞳。顔立ちはよく、小さな頭部にパーツが綺麗に収まっている。柔和に思えた雰囲気は、今は棘も見た。

「ユナン……ですか。その名で呼ばれる度、私は腸が煮えるような感覚を覚えます」
「なに?」

 包囲が狭まり、自然ネイサンの足は後ろへと下がる。崖が、直ぐそこにある。パラパラと小石が落ちて行く音が聞こえている。
 ユナンは薄い笑みを浮かべる。綺麗な緑色の瞳には憎悪の炎が揺らめいていて、表情は感情を殺したような薄い笑みだ。

「冥府を渡るに気がかりがあってはなりませんね。私の名は、ヴィクトラン・フェシュネールと申します」
「な!」

 告げられた名が全てだろう。薄く笑みを浮かべるユナンを見つめたまま、ネイサンは言葉を飲んだ。

 彼こそが、亡霊だ。

「さぁ、気がかりもないでしょう。 コイツを捕らえ、我らが宿願を果たすのです!」

 そうして森から出てきた顔は、全てに見覚えがあった。砦の中で見ていた顔が大半だったのだ。

「なぜ、騎士団の人間が!」
「入れ替えさせて貰ったのですよ」

 ユナンの言葉に戦慄する。つまりこいつらは本当の騎士団の人間を捕らえ、自分たちが騎士団となってあの砦にいたのか。

 知らせなければ。

 ユナンの包囲が狭まるなか、ネイサンは谷底へと自ら飛んだ。景色がゆっくりと遠ざかる中、上から矢が降り注いだ。

「っ!」

 いくつかを受け、それでも落下は止まらない。どのくらいそうして落ちていたのか。やがて叩きつけられるような衝撃が背に走り、水に揉まれ、ネイサンは意識を手放した。
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