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3章:黒猫は甘いのがお好き

3話:休日の過ごし方

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 ジェイクは休みになると町にでかける。出かけ先はいつも違う。ラセーニョ通りの老舗レストランや、新しく出来た店。下町の食べ歩き。レイバンは時々それについていって、一緒にランチなんかをしている。それというのも、一人じゃ入りづらい店もあるとぼやいているのを聞いたからだ。
 頃は十二月の頭。この国の最後の大祭であり、最大の祭り『建国祭』を前にしている。
 町も店も華やかな装飾がされている。白い雪が降り始める季節、赤や緑、青、金、銀の装飾はとても華やかだ。

「美味い!」

 レイバンはラセーニョ通りにある有名ケーキ店のテラスにいた。目の前には期間限定の飾り付けをされたガトーオペラ。それに紅茶の湯気が温かい。

「お前、本当に甘い物が好きだな」

 子供のように目を輝かせるレイバンの前に座るジェイクも、期間限定のガトーショコラを前にしている。

「甘い物は幸せの味だろ?」
「お前のは異常だ。給料の三分の一を甘味に使うな」

 そう言われてしまうと苦笑しか出てこない。けれど、本当に甘味は幸せの味だと思える。

「俺さ、貧乏だったじゃん」

 繊細なオペラの層を一口で味わえるようにフォークを入れながら、レイバンは話し出した。鼻歌を歌うような楽しげな表情で、幸せをたっぷりに笑みに浮かべて。

「ケーキって、誕生日と建国祭しか食べられなかったわけ」

 目の前の人はジッと見ている。憐れむでもない、静かな目。ちゃんと話を聞いている、そういう顔をしている。

「でも、だからこそ特別だった。この日ばかりは特別って感じで両親も嬉しそうだしさ。だから、甘い物は幸せの味なの」

 とは言っても、昔はこんな上等なものは食べられなかった。もっとスポンジは堅くて、チョコなんて雑な感じがした。本当に普通で、むしろ安いものだった。

「それでも給料の三分の一は使いすぎだ。ちゃんと貯金はしているのか?」
「あっ、俺戦死希望」

 何でもない感じでレイバンは言う。本当にそう思っているのだからそのまま出てしまった。けれど目の前のジェイクは手を止めて、きつく眉根を寄せて怒っていた。

「バカを言うな」
「あぁ、本当だけど。俺って没落貴族で、もう家も両親もないだろ? だから、年取ってここを出ての生活とか、想像できないし。そこまで生きてやる事とかも、あまり無いっていうか」

 言えば余計にジェイクの眉根の皺が深くなっていく。
 それでもレイバンの本心はこれだった。六十で定年退職、でもその後は見えていない。そもそも年を取る自分を想像できないのだ。帰る場所も、迎えてくれる相手もいないのだから仕方がない。ここを出たらまた身一つ、それを思えばどこかの戦場なりで戦死のほうが想像が容易だった。

「少しは貯蓄してるけど、それも老後っていうよりは不測の事態用? もの凄く欲しい物ができたりした時の為だからさ。それよりは飲み代にしたり、こうして甘い物食べたりに使っちゃうんだよね」

 軽い感じで言っても、ジェイクの眉根の皺が伸びる事はなかった。そうして伸びた手が、案外強い力で拳骨を落とした。

「いった!」
「バカを言うのも大概にしろ、バカ猫」

 静かに怒っている、これを嬉しいと思うのは少し病んでいるだろうか。心配してくれる相手がいることが、なんとなく嬉しいなんて思ってはいけないだろうか。
 レイバンは笑っていた。いつものニヤリとした含みのある笑みではなくて、毒の無い笑みだった。


 ジェイクに連れられて、最近出来た店に入る。彩りのいい料理は少し肩も凝るがそれ以上に美味しい。見た目が華やかだというのは見ているだけで楽しいものだ。
 目の前の人は先ほどまでとは違う意味で眉根を寄せて真剣に料理を見ている。そうして半分を普通に食べる。流石料理人、ナイフもフォークもとても綺麗に使って、とても綺麗に食べる。ただしそれは、半分までなんだ。
 半分を食べ終えると、まるで料理を一つずつ解体するように食べ始める。材料の一つ一つを見定めて口に入れ、味わうみたいに咀嚼している。使われているソースや、スパイスの一つずつを味わい、定めるように。だから誰よりも綺麗に食べられるこの人の皿は、最終的にもの凄く荒れてしまう。皿を下げに来た人が一瞬手を止めるくらいに。
 でもこれはこの人の癖だ。美味しいからこそ気になって、使われている材料や調味料を知りたいと思ってしまう。調理法も分かるのか、「なるほど」なんて小さく独り言を言うこともある。そんな人を見て、レイバンは可笑しくて笑ってしまう。
 これを気にして一人で動いていた。同席する相手に恥をかかせるような事をしたくないと思っていたらしい。これがもの凄いマナー違反で、店にも同席者にも失礼な事だというのは本人がよく分かっている。それでも抑えられない衝動のようなものだと言った。だから最初、レイバンも同席するなと言われた。
 全然気にしない。これはこの人の料理ってものに対する真剣さと探究心だから、それを分かっていれば気にならない。無理に同席して、レイバンがまったく気にしないのを見て、ジェイクはどこか申し訳なく、けれどほっとした顔をしていたのを覚えている。それからは申し訳なさそうにしながらも拒まなかった。

「この後はどうするの?」

 食後のバニラアイスを食べながら問えば、ジェイクは少し考えていた。

「下町に行って気になったものを食べ歩きしながら、店先を見たい。何が入ってきてるか見ておきたい」
「了解」

 下町は案外入り組んでいて、美味しい店はそんな細い道の小さな間口の店に多い事をランバートが教えてくれた。そんな店は気まぐれで、店主の気分次第で開いたり開いてなかったりだと言う。当然予約なんかもできないし、食材がなくなればお終い。そんな、勝手きままな店らしい。
 場所をもっと詳しく聞いて、今度ジェイクを連れていこうか。そんな事を思ってしまう。
 下町の表通りは食材店が多いのと、食べ歩きできる店の宝庫。ランバートが前に持ってきた焼き鳥の店をジェイクに教えたら早速食べて気に入っていた。タレが美味しいらしく、しばらく店主のおっさんと話していた。
 他にもあれこれ店先を冷やかし、入ってくる食材を見ている。野菜は種類が減りはしたが、量は十分な様子だった。魚は豊漁らしく豊富にある。果物とかはこの季節、やっぱり難しい様子だった。

「お前、よくこの寒さでアイス食べられるな」

 下町の噴水広場もこの季節は水を止めている。その代わり建国祭のオーナメントが煌めいていた。手にクッキーを持った子供達が、楽しそうにしている。

「美味しいよ?」
「いらん」

 下町のアイス店はこの季節は閑古鳥……かと思えば、店内の温かな場所で楽しんだり、アフォガートなどにしたりでけっこう人がいる。ココアにバニラアイスを乗せたものが好まれると言われるなか、レイバンはカップアイスをチョイスして持ち歩きにし、寒い外で食べている。

「建国祭、もうすぐなんだな」

 建国の王が国を樹立した日。国一番の華やかな祭り。この日ばかりは城の前庭が解放されて多くの人が出入りする。近衛府は忙しい季節らしく、少し殺気立っていた。

「もうすぐ一年終わるのか」

 今年も色々あった。新しい友達も増えた。その中で一番は、やっぱりランバートなんだろう。彼に関わるようになって、色んなものが見えてきた。なんとなく、少し似ている。考え方だったり、妙な遠慮だったり。
 でもそれも最近は変わった。ランバートがファウストの恋人になって、少し先を行くようになった。刹那的な思考は薄れて、日々を確かに足をつけて生きている。目標を見つけた、そんな感じだ。
 羨ましいと思ってしまう。少しだけ似てたから余計にかもしれない。だからといって妬んだりはしないし、心から応援できる。正直ランバートの生き方はレイバン以上に儚くて、無謀だと思えたから。死にたがりかと疑った事もある。レイバンもあまり生にしがみつくタイプではないが、好んで投げ出すわけでもないから。
 そこが変わった。恋人を得て、自分を大事に……というよりは、相手の為に自分も大事にしなければいけないんだと思いだしたんだと思う。良いことだし、そこは大いにそうしてもらいたい。得た友を失うのは、やっぱり見たくはないから。

「俺、来年何してるかな」

 忙しくなるんだろうか。少し前に遠征があったけど、大変だったらしい。参加したハリーやボリスが話してくれたけれど、とても大変だったって。宰相のシウスが毒に倒れたり、謎の襲撃者がいたり。単純なテロリストや闇ブローカーの検挙とは違ったらしい。
 そういう相手が蠢いているなら、多分来年も忙しい。そんな予感がする。
 隣に座るジェイクを盗み見る。命を張る仕事をしているんだから、絶対の安全なんてない。幸い今のところ大きな怪我はしていない。けれどもしそうなったら、この人は少しでも悲しむかな。
 そうなればいい。そうしたら、少しだけ温かい。心配されるくらいにはこの人の中にいる。それを感じられるから。
 広場では子供が無邪気に薄く積もった雪で雪だるまを作っている。小さなそれが噴水の縁にいくつか並んでいるのは、実に微笑ましい光景だ。

「寒いな」

 言いながら、ジェイクはコートのポケットに突っ込んでいた手を出してレイバンの口元を拭った。そこについていたクリームを指の腹で拭い、その指をペロリと舐める。少し厚みのある舌が指を舐める姿は妙に欲情を誘っている。
 レイバンは薄く笑って、肩口に頭を寄せた。

「ねぇ、この後って予定あるの?」
「これと言ってないが」
「夜番もない?」
「ない」
「じゃあさ、これから帰ってイイコトしない?」

 誘いかければ驚くように目を見張り、次には眉根に皺が寄る。こういう時はそんな顔をしないでもらいたい。拒まれている気がするから。

「お前、少し前にもしただろ」
「いいじゃん、欲しいんだから」
「却下。盛りのついた猫じゃないんだぞ」

 案外がっかりしてしまう。拒まれるのは少し辛いから。
 その時、突然大きな音と大人の悲鳴、そして怒号が聞こえてきた。

「どけろ!!」
「!」

 その声にレイバンは咄嗟に立ち上がり、そして素早く周囲を見回した。中央の噴水広場に続く道の一つから聞こえるそこに走り込むのと、猛スピードの荷車が走ってくるのは同時。悲鳴と共に遊んでいた子供達が散り散りに逃げる中、まだ三歳ほどの男の子だけが恐怖に動けなくなっている。
 レイバンは踏み出していた。そしてその子の腕を掴むと力の限り引き寄せた。男の子の体がその場から浮いてレイバンの腕の中に転がり込むのと、荷車が大きな音を立てて噴水の縁にぶつかり大破するのはほぼ同時。本当に、危機一髪だった。

「うっ、うええぇぇぇぇぇ」

 腕の中で泣き声を上げた男の子を、レイバンは大事に抱いて頭を撫でた。怖かったのだろう、震えが止まらない。

「大丈夫、もう怖くないって。痛い所あるか?」

 大きな目に涙を沢山に溜めた男の子は泣きながら首を横に振った。よしよしと撫でたまま、レイバンはニッコリと笑う。背中を叩き、あやしながら、周囲は大変な騒ぎになっていた。

「痛くないなら平気だな。怖かったな。でも、もう大丈夫だ」

 何かないか。思ってあちこちを探るとポケットの中に小さなクッキーの袋を見つけた。さっきおまけで貰ったものだ。それを開いて、一つを男の子の唇に当てる。驚いた目でクッキーを食んだ男の子は、次にはとても柔らかく笑った。

「美味いか?」
「うん!」
「そっか、良かったな」

 その頃には騒ぎを聞きつけた男の子の母親が血相を変えて駆けてきて、レイバンの腕の中から男の子を受け取ってしきりに頭を下げていく。
 そして荷車を追っかけていた男二人がしきりにレイバンに頭を下げていた。これが転がり落ちてきたのは少しきつい坂道で、どうやら荷下ろしの間に止めが壊れて転がり出してしまったらしい。

「気を付けて貰わないとさ。あんなの小さな子に当たったら死ぬんだよ」
「すみません」

 荷車から転がり出たのは色とりどりの飴やクッキー、綺麗な包装のチョコレートだ。男達はそれを拾い集めながら、ふと顔を上げて笑い、遊んでいた子供達を手招いて配りだした。怖い思いをさせたお詫びにと。
 良い風景だ。そりゃ、思わぬトラブルではあったけれど結果的にはみんな無事。ゼロスなら素直に喜ばずに「店の危機管理がなってない」と渋面を作るのだろうけれど、レイバンは結果オーライというのも良いと思っている。

「はい!」

 目の前に出されたのは、銀や金、赤や緑の包装紙に包まれたチョコレートや飴。差し出したのは、さっき助けた男の子だった。

「お兄ちゃん、あげる!」
「いいのか?」
「うん! 有り難う!」

 そばでは母親も何度もお辞儀をしている。それを見送って、嬉しいと一緒に少し胸の奥が軋む。それは、忘れたくらい遙か昔、小さな頃の自分に重ねたからだろうか。
 不意に後ろから、ボスッと無遠慮に手が触れる。レイバンの黒髪を無遠慮に混ぜるように手が触れている。大きく節の立つ手だ。

「よくやったな」
「そんな、特別な事じゃないでしょ」
「お前はそうでも、あの親子にとっては特別だ。お前がいなければ、建国祭を幸せに過ごせたか分からないんだからな」

 そう言われて、そういうことはあまり考えてなかったレイバンはふと、気持ちが緩んで笑った。そしてしきりに「そうか」と呟いた。

「帰るぞ」
「え? あぁ、うん。いいの? まだ五時だよ?」

 時間は夕刻。もう少し歩き回っても良さそうなのに。
 けれど手を引き前をゆくジェイクはふと振り向いて、真剣な顔をして頷いた。

「ご褒美、やるよ」

 そう、とても静かにレイバンに言った。
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