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7章:クシュナート王国行軍記

8話:荒療治(ボリス)

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 アルヌールと共謀の約束をした、その日の夜。いつもみたいに食事を運んで部屋に入ったら、フェオドールはベッドの中で丸くなっていた。

 慣れない環境とストレスで疲れてもおかしくない。不自由のない生活をしていたんだから、当然の反応だろう。
 できるだけ早く出してやりたいけれど、相手待ちなのだからそうもいかない。

「どうしようかな、これ……」

 冷めてしまうけれど、食べないよりはいい。それとも後でもう一度持ってこようか。
 考えて、もう一度来ようと思い踵を返した。けれど、不意にベッドから漏れ聞こえた苦しそうな声に足を止めた。

「ぃ……ゃぁ……っ、ゃ……」
「!」

 小さな抵抗の声には多少の艶も含まれている。泣いているのか、しゃくり上げるような声もしている。それにしても呼吸が速い。なんだか嫌な予感がする。

 ボリスはトレーをテーブルに置いて近寄った。扉に背を向けたまま丸まっているフェオドールは、やっぱり苦しそうに息をしている。顔色も少し青くなっていた。

「フェオドール様!」

 体を揺すって強く名前を呼んだら、煙るような銀の睫毛から涙が落ちる。そればかりじゃない、何度も流した跡が頬に筋を作っている。
 開いた瞳は赤くなっていて、途端に激しく咳き込んでパニックを起こしそうになる。ボリスは体を起こして背を撫でながら胸の中に収めて、そっと声をかけた。

「ちゃんと息吐いて、過呼吸気味なんだから」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「っ! 吐けっての!」

 強く言ったらビクリと震えて、大きく吐き出した。そうしたら少し息が楽になったのか、深く吐くことをしている。細い体は震えたままで、なかなか止まる様子がない。

 そう言えば今朝もこんな風に目を真っ赤にしていた。落ち込んで泣いていたのだと思っていたけれど、あれも今みたいな状態だったんじゃないのか?

 途端にこみ上げる不愉快な気持ち。心が冷えて、頭の中が静かになる。こんなに怒ったのなんて初めてかもしれない。

「どう、してお前、が」
「食事持って来たの」
「もう、そんな時、間?」

 震えながらも、態度は頑張ろうとしている。ボリスの胸を押しのけて、フラフラしながら立ち上がろうとしている。
 これも腹が立つ。なんだってそう意地を張ってるのか。必要ないと手を振り払おうとしているんだ!

 思ったら、手が出ていた。自分がこんなに直情的だと思わなかった。
 フェオドールの腕を掴んで、ふらついているのをいい事にベッドに引きずり倒した。

 怯えた緑色の瞳が見上げている。青ざめた顔色で見上げている。見たいのはそんな顔じゃないんだけれど。

「……いつから、こうなの?」
「え?」
「あいつに、乱暴されたんだろ?」
「!!」

 ビクリと大きく震えたフェオドールは、目を見開いたまま首を横に振る。怖いんだと分かる。怖すぎて表情が凍り付いている。

「知ってるよ、俺は。鞭で打たれたんだって?」
「なんで! あっ、ちが……」
「なんで隠してるのさ。間違ってるの、あっちでしょ。訴えればいいことだよ。気付きなよ、バカ王子」

 心が冷える。まだ庇ってるのか、プルプル首を横に振っている。傷ついて、痛いのは分かるのに言葉が止まらない。罵ってしまう。ランバートみたいに優しい言葉をかけてやればいいのに。

「脳みそすっからかんなんでしょ。そうじゃなきゃ、案外そういう趣味があった? 助けてなんて十に満たない子だって言えるんだよ。どうして言わないのさ」
「ちが……私は、そんな……」
「あいつの事、好きだった?」
「違う!!」

 叫んだ言葉に、決壊したように涙が溢れるフェオドールを見下ろして、ボリスは深呼吸をして体を離した。
 何を熱くなっていたんだ。どうしたってそんなはずないのに不要に傷つけている。これじゃ、最低じゃないか。

「ごめん、俺も虫の居所が悪いみたいだ。今日はこれで……」
「……って、言われたんだ」
「え?」
「誰かに言ったら、された事全部バラすって言われたんだ!」

 悲鳴のようなフェオドールの言葉に、傷ついたのはボリスかもしれない。後悔したのは、ボリスだった。
 でも感情がグチャグチャに暴れているらしいフェオドールはボロボロ泣きながら、心の悲鳴を言葉にしていた。

「どうしたらいいか分かんなかったんだ! 一晩中犯されて、声も出なくなって熱出して、誰にも知られたくなかったら従えって言われたんだ! どうしたらよかったんだ!」
「あの、落ち着いて……」
「十五の私に何ができたっていうんだ!!」
「っ!」

 痛くて刺さる。でもこの痛みはフェオドールの痛みのほんの少しだ。
 近づいて、泣き叫んでいる体を受け止めて、そっと背中を叩いた。落ち着くようにポンポンと、髪を撫でてそうしていたら今度は子供みたいにしゃくり上げ始めた。

「ほんと、バカなんだからさ。君が悪いわけないじゃん。どうして黙っちゃったのさ」
「……淫乱、だって言われた」
「はぁ?」
「私は、淫乱なんだって。男相手に欲情して、誘ったのは私だって。お茶を飲んで、気持ち良く眠ってしまったはずなのに、気付いたらニコラと……しかも、と……吐精、したし」
「薬盛られていいようにされたんだよ。でっちあげ。淫乱じゃないでしょ」
「でも、男となんて考えていなかったのに吐精したってことは、つまり」
「あのねぇ、そりゃ扱かれたりすれば生理的に興奮はするし出るもん出るよ。しかも薬に変なもの混ざってたら、それこそ簡単になるよ」
「そうなのか!! だからあんな……何回も私は……」

 溜息しか出ないが、らしいとも思う。疑わない性格も困りものだ。相手にいいように言いくるめられて、都合良くでっちあげられてこれだ。絶対色々騙されるタイプだ。

「私は、淫乱なんだと思っていた。ニコラにされて、沢山吐き出してしまって、淫乱だって笑われて酷くされてまた……私は、痛い事に興奮するんだって、言い続けられて、それで」
「信じた」

 コクンと頷く。本当にバカとしか言いようがない。
 ないのに、「らしいな」の一言で笑えてしまう。

「気持ち良かった?」
「分からない。でも、気持ち良かったから達してしまったんだろ?」
「はぁ……」

 そこからか。

 ボリスはグリグリっとフェオドールの前髪を上げる。くすぐったそうに僅かに上向き目を閉じた彼の唇に、柔らかく触れた。

「っ!」

 びっくりして見開かれた目。押し戻そうとする腕を無理矢理押さえ込んで、優しく唇を吸った。

 ヒクリと、体が震えて瞳が濡れる。ふにゃりとした瞳に熱がこもっていく。
 舌でノックして、無防備に開いたから舌を絡めて優しく吸うと鼻にかかった甘ったるい声が上がる。これに一番驚いたのは、誰でもないフェオドールだった。

「ふっ、うぅぅ、んっふ、はぁ、あっ、いやぁ……」
「もう一度」
「はうぅ……んっ、ちゅっ……はぁ……」

 たっぷりと、でも優しく蕩けさせるようにキスをして、たっぷり蹂躙して唇を離した。つつっと唾液の橋がかかって、熱に蕩けまくった瞳がぼんやりボリスを見ている。唇がまだぼんやり開いていて、無防備な舌が見えている。生理的な涙が頬を滑っていく。

「どんな気分?」
「…………へ?」
「キスして、どんな感じがしたわけ?」
「あ……ぼーっと、して。ふわふわ、して。体、ビクビクしてとまらな、くて……まだ、口の中で動いて、る……」

 舌の動きを追うように、ぼんやりしながら自分の指を口に突っ込んでクチュクチュかき混ぜて、またビクリと体を震わせるフェオドールは確かに扇情的だ。
 ドキドキしている。虚ろな瞳で快楽に酔った少年が、情事を追うような行為を見せている。それを見ているのは酷く欲情を誘う。

 ボリスは手を握って指を離させた。チュポンと抜けた指を寂しそうに見ているフェオドールに生意気な気配はない。名残惜しそうな様子には、まだ呆けた様子がある。

「それ以上してたら、本当に襲うよ」
「……あ」
「今のが気持ちいい。分かる?」
「わ……かった」
「あいつにされて、こんな感じになる?」

 ふるふるっと、小さな頭が否定を表す。そして次には理性の光が瞳に宿って、次には違う意味で泣き始めた。

「気持ち良くなんてなかった。怖かった……痛いの、嫌で……」
「うん」
「失敗したら、犯されるんだ。痛い事するのは躾だって。私は兄上よりも劣っているから、上手くできない時には体に教えるんだって」
「うん」
「兄上は横暴で、国を悪いほうに持っていくって言われて、違うって言ったら酷く殴られ……兄上と仲良くしたら叩かれたんだ。それで……」
「……もぉ、バカじゃないの」

 ほんと、不憫過ぎるでしょこんなの。どうして受け止めてるのさ、反抗しなよ。

 抱きしめて、よしよしと慰めて、そうしたらまた声を上げて泣いて。本当に手のかかるお子様だ。

「訴えなさいよ、本当に。素直に何でも信じるからでしょ。判断しなよ」
「だっ、だって! 兄上みたいにしたいって言ったら皆ダメだって言うんだ! 私のことを、周りの奴等は否定するんだ! 兄上だけが味方だったのに……王になって、声が届かなくなって……」

 この子を利用したい奴ばかりで、味方はアルヌールだけだったのに、そこも隙ができた。そこに入られたんだろう。

「だんだん、周りの言ってる事が正しいんだって、思うようになって。それで……仲直りの仕方も、わからな……」
「いいよ、もう。ごめん、俺がほじくったね。傷ついているのは分かってたのに、ごめん。だからもう、泣くの止めなよ」
「おっ、お前が泣かせたんじゃないか! お前が、こんな……私だって止め方わからないんだ!」

 真っ赤になって怒っている。顔を口にして喚く姿は嫌いじゃない。だから、少しだけ調子を取りもどした。

「じゃあ、責任とらなきゃね」
「へ?」

 動きが止まった隙に、ボリスは目尻を舌で舐めとる。ビクンとしたフェオドールが体を引いて固まり、プルプルしている。

「塩味薄いよ。ご飯食べて水分とらないと」
「何で判断してるんだ貴様!」
「もぉ、さっきまでのしおらしさどこいったの? 可愛かったのに」
「うっ……可愛くなくて悪かったな!」

 ふんと鼻を鳴らしながらもそっぽを向いて。でも、顔に赤みは戻ってきた。

 少しだけ安心する。やっぱり生意気じゃないと、フェオドールっぽくない。

「さて、ご飯食べてよ」

 促して席につけば、ちょこちょこと来て席につき、食事を始める。その様子を眺めるのが、ちょっとだけ満たされる時間になってきた。
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