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20章:サバルド王子暗殺未遂事件
7話:要人救出(後編・ファウスト)
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ランバート達がスノーネル砦へと向かった数日後、暗府の努力もあってバロッサの森の中に奴らのアジトを見つけた。アジトと言っても建物があるわけではない。自然の洞窟などを利用しているようだ。
「敵総数は二百程度。だが、入り組んだ洞窟を根城にしている。ゲリラ戦になるだろうな」
クラウルからの報告を受け、ファウストは直ぐに第二師団と第五師団を招集した。遊撃部隊である第二師団は騎兵府の中では単独行動が多い。機動性と個人の武がものを言う部隊だ。そして第五は先鋒部隊。彼らもまた切り込みが速い。
会議の場にウェインとグリフィス、そして第五でも所属の長い隊員が加わった。
「暗府で確認できている洞窟の出入口は合計で五箇所。内部で繋がっているかも不明。複雑な構造をしている場合、追い込まれるとかなり危険だ」
「しかも通路が狭いと剣が上手く振れない可能性がある。小回りの利く第二師団の負担が大きくなるが、大丈夫かえ?」
シウスの問いにウェインは不敵に笑い頷く。彼も久々に暴れたい様子だ。
「第五も洞窟の中ですか? 正直うちのはデカいのが多くて、こういう狭い場所じゃ不利ですぜ?」
「いや、第五は外で仕事をしてもらう。作戦としては、こうじゃ」
シウスが前に出て、広げられた地図を覗き込む。五つある出入口に番号が振られていた。
「出入口のうち、三番だけが他と少し離れておる。まずはここを第二師団と暗府が襲い、中で大量の煙を炊く」
「燃やすってこと? 危なくない?」
「煙幕を大量に投入するような感じじゃ、害はない。じゃが、もしも洞窟が繋がっておった場合他の出入口へと向かってゆくだろう。中にいる者はパニックになり出口を目指す」
「繋がっていなかったらどうするつもりだ」
「自分たちの根城からもくもくと煙が上がれば騒ぎになろう。駆けつけに見張り以上の人間が出てこよう。表に出てきた奴らを第五で捕える。洞窟から人をできる限り出し、狭い場所での戦闘を減らすのが目的じゃ」
不利な状況をできる限り回避する。だが、そのような騒動を起こした場合人質となっているだろう人物はどう救出したものか。
「人質についてはどうなる」
「余程のアホでも無い限り、外で騒動が起れば人質を盾に交渉するだろう。私はそれに出来るだけ時間を使って応じる。その間に他の出入口から暗府が侵入し、人質を解放する。まぁ、一番嬉しいのは人質を盾に外に出てくるパターンじゃな。狙いやすい」
ここまで言ったシウスは、多少浮かない顔をしている。そして付け加えるように「じゃが」と切り出した。
「本当のアホであった場合、人質の生存は難しいやもしれぬ」
「本当のアホ?」
「国の為、大義の為、自らの命などいらぬという覚悟のアホじゃ。この場合、一人でも多くの宿敵を殺して己も死ぬだろう。残念な事に、この騎士団にも多くいるタイプじゃ」
呆れ調子のシウスだが、ファウストもクラウルも互いに見合って何も言えなかった。おそらく自分たちが、そのアホの筆頭であるだろうからだ。
「なので、第二と暗府は三番入口から侵入後そのまま進軍してもらいたい。そしで可能なら、人質を発見するかいない事を確かめてくれ」
「了解しました」
「仰せのままに」
ウェインとネイサンが了承の意を表す。
更に第一師団からの応援と、医療部隊として第四師団の応援も取り決めた。こうして無事、要人救出の準備は整ったのであった。
▼ウェイン
作戦実行は会議の翌日。第二の中でも小回りの利く者を選んだ。
森の中、じわりと洞窟周辺を第五が囲み、第四が後方支援に少数出てくれた。エリオットも一応待機をしている。
ウェインは三番出口を睨みながら身を潜めている。そこに、ネイサンが音もなく近づいた。
「お疲れウェイン」
「相変わらず気配と足音薄いよね、ネイサン。夜道なら叫びそう」
「そうかい? 任務中なら絶対君は叫ばないだろ?」
「任務中ならね」
実際は心臓バクバクである。
「準備はどう?」
「概ね完了。後はこちらの動き出しに任せるって」
時は来た。でもその心はあまり晴れやかではない。目は出入口を見据えたまま、ウェインは僅かに表情を曇らせた。
「……乗り気がしない?」
「そういうんじゃないよ。ただ……ちょっと、可哀想だなって」
「ん?」
疑問そうなネイサンの顔を見ると、自分でも何言ってるんだろうと思う。思うけれど、ウェインはどうしてもそう感じてしまうのだ。
「戦う必要のない戦いにかり出され続けて疲れて謀反起こして、仲間が沢山死んで、国まで追われてこんな所で死にそうで。この人達の願いって、俺たちだって覚えあるじゃん」
途端、ネイサンは表情を沈ませた。それだけで分かる、彼だって同じ思いを一度くらいは持ったということ。
「先帝が無理な国土拡大路線を緩めて今の陛下になってさ、救われたのは俺たちだって思う。毎日戦場で過ごして、毎日仲間の死を見て、毎日どこかが痛くてさ」
「……言っても、仕方がない事だってあるだろ」
「うん。……この人達も、同じだったのかな? その果てに、祖国じゃ降らない雪で寒い思いをして、死ぬのかなって」
やるせない思いもある。だからって任務に支障をきたすようなことはしない。それは仲間の命を危ぶむから。
そんなウェインの前に、ネイサンが何かを差し出した。小さな丸いもので、導火線がついている。
「弱い眠り薬が入ってる。見張りだけ引っ張りこんで気絶させて、コレを先に投げ入れる。煙が落ち着いた所で入って行けば上手くすれば眠っているし、そうじゃなくても動きが鈍ってると思うよ」
それなら、少しでも相手を殺さなくてもいいだろうか。せめて生きていて欲しいと願う。このくらいしかできないけれど、死んだら終わりだ。それだけは確かなんだ。
「有り難う、ネイサン」
「お気に召していただけてよかったよ、ウェイン」
「やろう」
「OK」
目の前には見張りが二人。他の第二部隊を見つからない後方まで一旦下げたウェインがネイサンから距離を取る。見張り二人、そのうち一人の背後を取れる位置に陣取った。
ネイサンが雪玉を作り、それを木の細い枝に向けて鋭く投げる。それは見事に枝に辺り、降り積もった雪が音を立てて地面へと落下していく。
『なんだ?』
『見てくる』
見張り一人が持ち場を離れてネイサンのいる草むらへと向かっていく。十分な距離が取れたのを目視したウェインは素早く残る一人の背後へと低く走り込んだ。
「な!」
「ていやぁ!」
小柄故の身の軽さと見合わない脚力で自分よりも頭二つは背の高そうな男の首を、ウェインは後方から思い切り蹴り倒した。それは見事に見張りの脳天を揺るがせたのだろう。バタリと倒れて僅かに雪が舞う。
視線をネイサンの方へと向けると、彼も無事におびき寄せた見張りを気絶させたようだった。
手で合図をすると他の第二師団が駆けつけて、ウェインの足元に倒れた男を影になる場所へと引きずっていく。今頃は簀巻きに猿ぐつわだろう。
静かにネイサンが歩み寄り、先程の丸い玉を五つほどウェインへと渡す。自分も同じくらいを手にし、それに火を付けて洞窟の奥へと投げた。
ウェインも同じようにすると、少しして僅かに匂いが漂ってくる。同時にドサリと人が倒れる音がして、互いに頷きあった。
「静かに、そして迅速にこの場を制圧する」
「予定通り。第二師団十名、突入する」
左手を挙げるとすぐさま小柄で小回りのきく隊員が近づいてきて後ろへとつく。その後直ぐに、ウェインを先頭にした第二師団とネイサンが洞窟へと突入していった。
中は大人の男が二人並んで歩けるくらいには広かったが、時々枝分かれしていた。だが本線は太いまま、小道は人が一人通れるくらいだ。
ウェインのように小柄なら十分に迅速に動ける。口元に布を当てて僅かに残る眠り薬を吸わないようにして進んで行く。煙は奥へと流れているようだ。おそらくかなり奥まで続いているのだろう。
道中予想通り、数人男が転がっている。後方の部下がそういう人物を拘束して猿ぐつわを噛ませて小道へと一旦隠している。
やがてウェインは少し開けた場所に到着した。地肌が剥き出しだが、木材で補強されている。しかも石は人工的に削られた様子があった。おそらく昔、ここは石材の採掘場だったのではないだろうか。
そこに二十名ほどの男が少しよろよろして剣を構えていた。その後方に通路が続いている。
真っ先に動いたのはネイサンだった。何かを叫ぶが言葉は通じない。だが一人が後方の通路へ走り出すのを見て、ネイサンは瞬時に飛び出し迫る男達の剣を全てかわして駆け出す男の足を払い倒し、手刀で大人しくさせた。
『くそ!』
『やれ!』
怒号が起こり迫る男達はみんな、グリフィスとどこか似ている。表にいたときも少し気になっていた。体格も、癖の強い黒髪も、野性味のある顔立ちも。
今回の作戦からグリフィスが外された理由は、これなのかもしれない。詳しくは話してもらえないけれど、きっと彼にも色々あるんだ。
水くさいじゃないか、友達で仲間なのに話してもらえないのは。秘密にしろって言うなら墓まで持って行くのに。
「帰ったら聞くからな」
小さく呟き、ウェインは猛然と走り出す。小さな体が起こす嵐は想像以上に鋭く強い。筋力に任せた男の剣の更に懐へと入り混み鳩尾を剣を握ったまま殴る。ただの拳よりも強いそれに男は呻いて前のめりに倒れてしまう。
そこへ横合いからも一人が突っ込んでくるが、これも眠り薬のせいか動きが鈍く見える。いや、寒さで体が動かないのかもしれない。彼らが纏うのはとても冬の装いじゃない。よく凍死せずにいられたものだ。
突撃男の剣は空を切る。ウェインが後方へと素早く退いたからだ。退いて剣が地を叩いた瞬間、ウェインは鋭く前方へと飛ぶ。そして平時よりもやや低くなった頭部へと踵落としを見舞ってやった。
見ればネイサンも流石の動きで次々と男達を制圧しているし、他の第二師団の面々も上手く取り押さえている。
場は二〇分としないうちに制圧され、男達は全て取り押さえられた。そして予定通り死者は出さずに住んだ。
「さて、やるか」
ウェインが持ってきた荷物から大量の箱を取り出して並べる。そこには固形燃料が入っていて、中には乾燥させた稲藁が固められて入っていた。
ウェインはそれを後方の通路近くに置き、一つに火をつける。すると乾燥した稲藁は予想以上の煙を上げて燃え始めた。
「周囲にこの箱並べて置いて。火の粉で後は勝手につくと思う。他の燃えそうな物は撤去……って言っても、ないか。雪を桶に持ってきておいて、消火に使うから」
「はい!」
煙はドンドン通路上の方を奥へと向かっていく。おそらく続いているんだろう。幸いな事にこの場所は風が吹き込んでくる位置にあるようで、ウェイン達の方へは殆ど煙がこない。
「煙はこっちにきていないな」
「そうだね。総員、この場に待機。身を隠して潜伏し、誰かが来たら引き込んで拘束。ただし、この場にも煙が充満するようであれば確保した捕虜を連れて外に撤退して。俺とネイサンは奥へ向かう」
「了解しました!」
頼もしい声に背を押され、ウェインとネイサンは煙の充満する通路を身を低くして奥へと向かっていった。
▼ファウスト
ウェイン、ネイサン率いる別働隊が動いたとの知らせを受けて数十分後、三番入口を制圧したという知らせが舞い込んだ。
それから更に数十分して、事態は動き出した。慌てたように各入口から人が飛び出してきたのだ。
『火事はどこだ!』
『酷い煙だ……』
『どうなっている!』
何事かを言いながら周囲を見回す者、疲れ果て咳き込み雪の上に膝をつく者、怒鳴りながら見回る者。反応はそれぞれだがゾロゾロと人が慌てて出てくるのを見ると、どうやら炊いた煙が洞窟内に充満したのだろう。
「煙が回ったようだの」
「そう言っているのか?」
側のシウスは今回作戦には参加しないが、サバルドの言葉が分かる人物は騎士団内でも少ない。その為交渉役としている。
そのシウスが頷いて、何を言っているのかをファウストに伝えた。
「それにしても、思ったよりも少ないやもしれぬ。飛び出してきたということは中は相当に煙たかろう」
「もう少し人が出てくるのを待って一気に押さえる。その後は俺も中に入る」
「分かった。お前も気をつけよ、ファウスト。いつもよりも短い剣を持ってきたのだろう? 間合いが違うと勝手が違うからな」
シウスの視線が腰の剣に向けられる。確かに今回は狭い場所での戦闘を見越して一般的な剣を持ってきた。普段の物よりも一〇センチ以上短い。だからといって接近戦の訓練をしていないわけじゃない。だから問題無いのだが。
「まぁ、十分に気をつける」
そうとだけ伝え、ファウストは更に注意深く現場を見た。
数人が三番の入口へと入り、他も外を見回っている。そのうちに入口から出てくる者が少なくなったのを見て、ファウストは手を上げ、けしかけるように振った。
途端、隠れていた第五師団が一斉に立ち上がりサバルドの者を取り押さえていく。体格的には相手が恵まれているが、こちらは気力も休息も装備も万全で数もいる。慌てふためくサバルドの反乱軍が慣れない雪に足を取られている間に事はおおよそ片付いてしまった。
「シウス、中の様子を聞けるか?」
「どれ、やってみよう」
歩み寄るシウスが捕えた者の前に来る。睨み付ける男を前にしてもシウスは堂々と立ち、穏やかに聞き慣れない言葉で問いかけた。
『私は、帝国の宰相でシウスと言う。この中に、ラティーフ殿下への使者はおるか?』
『知らん!』
『そうか。では、お前達のボスはどこにいる』
『知らん!』
『ふむ、まだ出て来てはおらぬようだな』
『!』
シウスが何を言ったのかは分からないが、明らかに動揺が見える様子だった。だがシウスは厳しい視線をファウストへと送った。
「ファウスト、直ぐに中を制圧せよ」
「どうした」
「こやつ等の司令官は未だ出て来ておらぬようだ。この状況でも留まるならば」
言わんとしている事が分かり、ファウストはすぐさま洞窟の中へと突入していった。
中は煙で白く見えたが、視界が完全にきかないわけではない。口元を布で覆ったファウストはズンズンと中へと入り込んでいく。幸い敵はかなり外へと逃れたのだろう、道中出くわす事はなかった。
広く大きな道をそのまま素直に進む。おそらく大昔の採掘場だったのだろう、徐々に下がっていくのを感じる。下がり、上がり。入り組んでいても大きな道は奥へと続く。そうして辿り着いたのは、天井の高い広い地下空間だった。
「そこで何をしている!」
居住区なのだろうそこには生活の痕跡があったが、今はそこに男が二人。一人は猿轡を噛まされ手足を縛られた中年の男。そしてもう一人は眉間に皺を刻む軍人らしき男だった。
軍人らしき男が振り返り、更に眉間に皺を寄せる。癖の強い黒髪は肩程まで。鋭い青い瞳はただジッとファウストを見ている。
『手練れと見える。俺の最後に相応しい相手か』
何を言っているのかは分からない。低く、あまり抑揚のない言葉を発した男は向き直り、剣を抜いた。
……ボロボロだった。手入れはしたのだろうが、それではもう間に合わないほどに刃がこぼれていつ折れてもおかしくはない剣。それだけでこの男の通った道の過酷さが分かる。
思い出したのは、騎士になりたてだった頃の自分だった。あの頃も酷かった。きっと目の前の男のような顔をしていただろう。
「死地を求めるか」
おそらく相手にもファウストの言葉は通じていない。それでも何かを察しただろう。ふと、男は自嘲気味な笑みを浮かべた。
『祖国を遠く思いながら、もはや生身で彼の地を踏むことは叶わない。だが易々とくれてはやれないのだ、異国の騎士よ。貴殿のような者の手にかかるなら立派だろう。どうか、我が魂を女神の元へ送り届けてくれ』
男が正面に剣を構える。気迫はなかなか、だが暗い影が見える。知っている、死にたがりの目だ。
ファウストも剣を抜いて構えた。そうして互いの気迫が満ちる、その一瞬。
前に出るのは同じタイミングだ。そうしてぶつかる剣の音が高く岩肌に反響する。払ったのはファウスト、押されたのは男だった。よろけるように後退しながらも数歩多々良を踏んで踏みとどまり、睨み付ける。満身創痍なのだろう。
「抵抗せずその者を引き渡せば捕縛する。もう、命を削るな」
静かに伝えたが、あっちもこちらの言葉は分からないだろう。雰囲気で察してくれればいいのだが。
いや、察したとしても応じるかが問題か。この男は強者と戦い果てることを目的としているように思える。
再度、男は剣を構えた。相変わらずの自嘲を口に。
『憐れんでくれているのだろう、異国の騎士よ。だが無用だ。全てが遅いのだ。我が友は散っただろう。そしてあの悪魔の子をこの手で屠れない俺もまた、ここで散るのが運命だ』
なりふり構ってはいられなかったのだろう。死ぬ事を望む者の剣は荒っぽいが執拗だ。いや、違う。死ぬ事を目的としている者だ。
男の指先は僅かに紫色になっていた。足元はブーツではない。痩せて、耳も血色が悪い。凍傷を起こしているのは明らかだ。
それでもまだこれだけ力を込めて戦っている。それはいっそ、憐れですらあった。
息を吐き、ファウストは男の剣を下から思い切り切り上げた。ボロボロの剣はその衝撃で折れ、柄も男の手を離れて飛んでいく。切っ先がクルクルと舞って男へと落ちていこうとするが、もはや抵抗する気はないのだろう。受け入れるように目を瞑った男の腕を掴み、ファウストは自らの方へと引き寄せた。
『……なんの真似だ』
恨みがましい低い声と、睨み上げる目。だがもう、この男に戦う力はない。
「死に急ぐな。お前はここの隊の責任者だろ。一人死んで楽になろうなんて思うな。他の者の為にも、生きろ」
伝わらない事がもどかしい。それでも男は諦めたのだろう。がっくりと肩を落としてそのまま無抵抗になった。
「ファウスト様!」
「ウェイン、無事か!」
違う入口からこちらへときたウェインとネイサンに、ファウストは声をかける。すぐさま目の前の男は拘束されて連れ出され、逆に拘束されていた男は解放された。
見た目に文官と分かる男だった。背は高いが肉付きもそれなりにあり、とても激しい運動が出来るようには見えない。眼鏡をかけた奥の目は小さく丸く、鼻も丸く小さい。サバルドの人間はグリフィスのようにパーツが大きく彫りが深いのが特徴だと聞いていたが、この男はまったくそのような感じがしなかった。
「帝国騎士団の皆様、救って頂き有り難うございます!」
「言葉が通じるのか!」
猿轡を外された男がにこやかに頷く。握手を求められて応じたが、その手も柔らかいものだった。
「外交の仕事もさせて頂いておりますので。私、ラティーフ様の文官でカシムと申します。他国を経由し帝国まで来る事は出来ましたが、直後に彼らに見つかってしまいまして。危ない所を助けて頂き、有り難うございます」
丁寧に腰を折ったカシムに、ファウストはただ頷いた。
「ところで、ラティーフ様はお元気であらせられますか? ジャミルという従者もいると思うのですが」
「それについては俺の口から言える事はない。とりあえずは治療と休養を」
「それは失礼をいたしました。お気遣い、有り難うございます」
丁寧に頭を下げて笑みを浮かべるカシムだが、ファウストはいまいちこの男が分からない。表情が豊かで言葉も丁寧だが、どうにも素が見えてこない。まるで仮面を見ているようだ。
「ウェイン、捕えた者を軍の牢へと移してくれ。医療部隊も派遣して治療を。おそらく凍傷にかかっている」
「了解しました」
当然のようにウェインはそのように動く。だが、疑問の声は違う所から起こった。
「何故この者達を助けるのですか? この国にとっても、異分子であり争いの種では?」
それはカシムの声だった。振り向いたファウストが見たのは、酷く苛立たしい気持ちにさせるカシムの表情。心底疑問そうに、何の哀れみも浮かべていない。本当に、何故殺さないのか分からないという様子だった。
この男は、本当に信用していいのか? 直感的な疑問がファウストに過ぎる。が、それを判断する材料はない。証拠もなく他国の使者に手を出す事はできない。
「どのような者でもこの国に入ればこの国の法で裁かれる。彼らは捕虜であり、罪人。後々この国で刑に服す」
「そうなのですか! これは不勉強で申し訳ございません」
パッと表情を明るく、声は申し訳なさそうにしたカシム。それが余計に胡散臭い感じがした。
かくしてサバルドの反乱分子は鎮圧され、ラティーフへの使者カシムは多少の怪我や衰弱はあるものの無事に救出された。
ランバート達がスノーネルに到着した日の朝の事であった。
▼グリフィス
ファウスト達がバロッサ近郊でサバルドの残党を捕縛している頃、グリフィスはベルギウス本邸でラティーフと会っていた。表向きは賊を警戒しての護衛、だが実際は確かめたい事があったのだ。
「まさか、グリフィスが護衛をしてくださるなんて」
早朝だというのにラティーフはきっちりと着替えて優雅なものだ。当然ジャミルも背筋正しく立っている。その側では一応着替えたものの眠そうにするリッツがいる。無理に付き合わなくてもよかったのに。
「ですが」
「ん?」
「単に護衛だけをしにきた、という訳ではないのですよね?」
「分かるか?」
「なんとなくですが、気を張っておいでのようで。何か、話しがあるのですか?」
どうやらこの王子様もそれなりに逞しくはなってきたようだ。穏やかに問いかけるラティーフに、グリフィスは頷いた。
「ここの居場所を教え、迎えにきてくれるという男の事が少し知りたくてな」
「カシムですか?」
首を傾げるラティーフは酷く疑問そうだった。カシムについて何も疑っていない様子だ。
だが思うのだ。もしもこのカシムが現王派のふりをした旧王権派で、ラティーフを迎えにくるふりをして実は殺しにきた。その可能性も捨てきれない。シウスやファストもそれを考えたはずだ。
「そのカシムという男は、どんな男だ?」
「カシムはサバルドの少数部族の出ですが、賢くて博識な人です。少し大きくなってから側に仕えてくれて、私の勉強をみたり外交をしてくれたりと力を貸してくれます」
「……その男が、旧王権派である可能性はないのか?」
この問いにジャミルは反応した。否定しきれない様子のジャミルだが、ラティーフの方は目を丸くしている。何の疑問も持っていないようだった。
「俺の実父は勉学を重んじた。お袋から聞いていたが、虐げられていた少数部族にも手を差し伸べて才能ある者を取り立てていたと聞く。お前の側にひっそりとそういう者が潜んでいる可能性はないのか?」
「確かにカシムは博識で、マジード王の事を私にこっそりと教えてくれました。私が彼の王を尊敬する切っ掛けとなったのもカシムからの教えがあったからです」
「じゃあ」
「ですが、ありえません」
ここまで怪しい要素があるのに、ラティーフは否定する。グリフィスからするとこれはもう黒に近いグレーなのに。
だが、ラティーフの次の言葉で、その可能性は一気に萎んでいった。
「カシムを私にと宛がったのが、他でもない父王なのです」
「なっ」
「父はマジード王の側に居た者を徹底的に排除しました。側近などは一族諸共に処刑した程なのです。それどころかマジード王を称えようものなら百叩きの罰を与えられます。そのような人から紹介された人物が、旧王権派であるはずがありません」
真面目な顔で言うラティーフの言葉を、グリフィスは否定する事ができなかった。
「敵総数は二百程度。だが、入り組んだ洞窟を根城にしている。ゲリラ戦になるだろうな」
クラウルからの報告を受け、ファウストは直ぐに第二師団と第五師団を招集した。遊撃部隊である第二師団は騎兵府の中では単独行動が多い。機動性と個人の武がものを言う部隊だ。そして第五は先鋒部隊。彼らもまた切り込みが速い。
会議の場にウェインとグリフィス、そして第五でも所属の長い隊員が加わった。
「暗府で確認できている洞窟の出入口は合計で五箇所。内部で繋がっているかも不明。複雑な構造をしている場合、追い込まれるとかなり危険だ」
「しかも通路が狭いと剣が上手く振れない可能性がある。小回りの利く第二師団の負担が大きくなるが、大丈夫かえ?」
シウスの問いにウェインは不敵に笑い頷く。彼も久々に暴れたい様子だ。
「第五も洞窟の中ですか? 正直うちのはデカいのが多くて、こういう狭い場所じゃ不利ですぜ?」
「いや、第五は外で仕事をしてもらう。作戦としては、こうじゃ」
シウスが前に出て、広げられた地図を覗き込む。五つある出入口に番号が振られていた。
「出入口のうち、三番だけが他と少し離れておる。まずはここを第二師団と暗府が襲い、中で大量の煙を炊く」
「燃やすってこと? 危なくない?」
「煙幕を大量に投入するような感じじゃ、害はない。じゃが、もしも洞窟が繋がっておった場合他の出入口へと向かってゆくだろう。中にいる者はパニックになり出口を目指す」
「繋がっていなかったらどうするつもりだ」
「自分たちの根城からもくもくと煙が上がれば騒ぎになろう。駆けつけに見張り以上の人間が出てこよう。表に出てきた奴らを第五で捕える。洞窟から人をできる限り出し、狭い場所での戦闘を減らすのが目的じゃ」
不利な状況をできる限り回避する。だが、そのような騒動を起こした場合人質となっているだろう人物はどう救出したものか。
「人質についてはどうなる」
「余程のアホでも無い限り、外で騒動が起れば人質を盾に交渉するだろう。私はそれに出来るだけ時間を使って応じる。その間に他の出入口から暗府が侵入し、人質を解放する。まぁ、一番嬉しいのは人質を盾に外に出てくるパターンじゃな。狙いやすい」
ここまで言ったシウスは、多少浮かない顔をしている。そして付け加えるように「じゃが」と切り出した。
「本当のアホであった場合、人質の生存は難しいやもしれぬ」
「本当のアホ?」
「国の為、大義の為、自らの命などいらぬという覚悟のアホじゃ。この場合、一人でも多くの宿敵を殺して己も死ぬだろう。残念な事に、この騎士団にも多くいるタイプじゃ」
呆れ調子のシウスだが、ファウストもクラウルも互いに見合って何も言えなかった。おそらく自分たちが、そのアホの筆頭であるだろうからだ。
「なので、第二と暗府は三番入口から侵入後そのまま進軍してもらいたい。そしで可能なら、人質を発見するかいない事を確かめてくれ」
「了解しました」
「仰せのままに」
ウェインとネイサンが了承の意を表す。
更に第一師団からの応援と、医療部隊として第四師団の応援も取り決めた。こうして無事、要人救出の準備は整ったのであった。
▼ウェイン
作戦実行は会議の翌日。第二の中でも小回りの利く者を選んだ。
森の中、じわりと洞窟周辺を第五が囲み、第四が後方支援に少数出てくれた。エリオットも一応待機をしている。
ウェインは三番出口を睨みながら身を潜めている。そこに、ネイサンが音もなく近づいた。
「お疲れウェイン」
「相変わらず気配と足音薄いよね、ネイサン。夜道なら叫びそう」
「そうかい? 任務中なら絶対君は叫ばないだろ?」
「任務中ならね」
実際は心臓バクバクである。
「準備はどう?」
「概ね完了。後はこちらの動き出しに任せるって」
時は来た。でもその心はあまり晴れやかではない。目は出入口を見据えたまま、ウェインは僅かに表情を曇らせた。
「……乗り気がしない?」
「そういうんじゃないよ。ただ……ちょっと、可哀想だなって」
「ん?」
疑問そうなネイサンの顔を見ると、自分でも何言ってるんだろうと思う。思うけれど、ウェインはどうしてもそう感じてしまうのだ。
「戦う必要のない戦いにかり出され続けて疲れて謀反起こして、仲間が沢山死んで、国まで追われてこんな所で死にそうで。この人達の願いって、俺たちだって覚えあるじゃん」
途端、ネイサンは表情を沈ませた。それだけで分かる、彼だって同じ思いを一度くらいは持ったということ。
「先帝が無理な国土拡大路線を緩めて今の陛下になってさ、救われたのは俺たちだって思う。毎日戦場で過ごして、毎日仲間の死を見て、毎日どこかが痛くてさ」
「……言っても、仕方がない事だってあるだろ」
「うん。……この人達も、同じだったのかな? その果てに、祖国じゃ降らない雪で寒い思いをして、死ぬのかなって」
やるせない思いもある。だからって任務に支障をきたすようなことはしない。それは仲間の命を危ぶむから。
そんなウェインの前に、ネイサンが何かを差し出した。小さな丸いもので、導火線がついている。
「弱い眠り薬が入ってる。見張りだけ引っ張りこんで気絶させて、コレを先に投げ入れる。煙が落ち着いた所で入って行けば上手くすれば眠っているし、そうじゃなくても動きが鈍ってると思うよ」
それなら、少しでも相手を殺さなくてもいいだろうか。せめて生きていて欲しいと願う。このくらいしかできないけれど、死んだら終わりだ。それだけは確かなんだ。
「有り難う、ネイサン」
「お気に召していただけてよかったよ、ウェイン」
「やろう」
「OK」
目の前には見張りが二人。他の第二部隊を見つからない後方まで一旦下げたウェインがネイサンから距離を取る。見張り二人、そのうち一人の背後を取れる位置に陣取った。
ネイサンが雪玉を作り、それを木の細い枝に向けて鋭く投げる。それは見事に枝に辺り、降り積もった雪が音を立てて地面へと落下していく。
『なんだ?』
『見てくる』
見張り一人が持ち場を離れてネイサンのいる草むらへと向かっていく。十分な距離が取れたのを目視したウェインは素早く残る一人の背後へと低く走り込んだ。
「な!」
「ていやぁ!」
小柄故の身の軽さと見合わない脚力で自分よりも頭二つは背の高そうな男の首を、ウェインは後方から思い切り蹴り倒した。それは見事に見張りの脳天を揺るがせたのだろう。バタリと倒れて僅かに雪が舞う。
視線をネイサンの方へと向けると、彼も無事におびき寄せた見張りを気絶させたようだった。
手で合図をすると他の第二師団が駆けつけて、ウェインの足元に倒れた男を影になる場所へと引きずっていく。今頃は簀巻きに猿ぐつわだろう。
静かにネイサンが歩み寄り、先程の丸い玉を五つほどウェインへと渡す。自分も同じくらいを手にし、それに火を付けて洞窟の奥へと投げた。
ウェインも同じようにすると、少しして僅かに匂いが漂ってくる。同時にドサリと人が倒れる音がして、互いに頷きあった。
「静かに、そして迅速にこの場を制圧する」
「予定通り。第二師団十名、突入する」
左手を挙げるとすぐさま小柄で小回りのきく隊員が近づいてきて後ろへとつく。その後直ぐに、ウェインを先頭にした第二師団とネイサンが洞窟へと突入していった。
中は大人の男が二人並んで歩けるくらいには広かったが、時々枝分かれしていた。だが本線は太いまま、小道は人が一人通れるくらいだ。
ウェインのように小柄なら十分に迅速に動ける。口元に布を当てて僅かに残る眠り薬を吸わないようにして進んで行く。煙は奥へと流れているようだ。おそらくかなり奥まで続いているのだろう。
道中予想通り、数人男が転がっている。後方の部下がそういう人物を拘束して猿ぐつわを噛ませて小道へと一旦隠している。
やがてウェインは少し開けた場所に到着した。地肌が剥き出しだが、木材で補強されている。しかも石は人工的に削られた様子があった。おそらく昔、ここは石材の採掘場だったのではないだろうか。
そこに二十名ほどの男が少しよろよろして剣を構えていた。その後方に通路が続いている。
真っ先に動いたのはネイサンだった。何かを叫ぶが言葉は通じない。だが一人が後方の通路へ走り出すのを見て、ネイサンは瞬時に飛び出し迫る男達の剣を全てかわして駆け出す男の足を払い倒し、手刀で大人しくさせた。
『くそ!』
『やれ!』
怒号が起こり迫る男達はみんな、グリフィスとどこか似ている。表にいたときも少し気になっていた。体格も、癖の強い黒髪も、野性味のある顔立ちも。
今回の作戦からグリフィスが外された理由は、これなのかもしれない。詳しくは話してもらえないけれど、きっと彼にも色々あるんだ。
水くさいじゃないか、友達で仲間なのに話してもらえないのは。秘密にしろって言うなら墓まで持って行くのに。
「帰ったら聞くからな」
小さく呟き、ウェインは猛然と走り出す。小さな体が起こす嵐は想像以上に鋭く強い。筋力に任せた男の剣の更に懐へと入り混み鳩尾を剣を握ったまま殴る。ただの拳よりも強いそれに男は呻いて前のめりに倒れてしまう。
そこへ横合いからも一人が突っ込んでくるが、これも眠り薬のせいか動きが鈍く見える。いや、寒さで体が動かないのかもしれない。彼らが纏うのはとても冬の装いじゃない。よく凍死せずにいられたものだ。
突撃男の剣は空を切る。ウェインが後方へと素早く退いたからだ。退いて剣が地を叩いた瞬間、ウェインは鋭く前方へと飛ぶ。そして平時よりもやや低くなった頭部へと踵落としを見舞ってやった。
見ればネイサンも流石の動きで次々と男達を制圧しているし、他の第二師団の面々も上手く取り押さえている。
場は二〇分としないうちに制圧され、男達は全て取り押さえられた。そして予定通り死者は出さずに住んだ。
「さて、やるか」
ウェインが持ってきた荷物から大量の箱を取り出して並べる。そこには固形燃料が入っていて、中には乾燥させた稲藁が固められて入っていた。
ウェインはそれを後方の通路近くに置き、一つに火をつける。すると乾燥した稲藁は予想以上の煙を上げて燃え始めた。
「周囲にこの箱並べて置いて。火の粉で後は勝手につくと思う。他の燃えそうな物は撤去……って言っても、ないか。雪を桶に持ってきておいて、消火に使うから」
「はい!」
煙はドンドン通路上の方を奥へと向かっていく。おそらく続いているんだろう。幸いな事にこの場所は風が吹き込んでくる位置にあるようで、ウェイン達の方へは殆ど煙がこない。
「煙はこっちにきていないな」
「そうだね。総員、この場に待機。身を隠して潜伏し、誰かが来たら引き込んで拘束。ただし、この場にも煙が充満するようであれば確保した捕虜を連れて外に撤退して。俺とネイサンは奥へ向かう」
「了解しました!」
頼もしい声に背を押され、ウェインとネイサンは煙の充満する通路を身を低くして奥へと向かっていった。
▼ファウスト
ウェイン、ネイサン率いる別働隊が動いたとの知らせを受けて数十分後、三番入口を制圧したという知らせが舞い込んだ。
それから更に数十分して、事態は動き出した。慌てたように各入口から人が飛び出してきたのだ。
『火事はどこだ!』
『酷い煙だ……』
『どうなっている!』
何事かを言いながら周囲を見回す者、疲れ果て咳き込み雪の上に膝をつく者、怒鳴りながら見回る者。反応はそれぞれだがゾロゾロと人が慌てて出てくるのを見ると、どうやら炊いた煙が洞窟内に充満したのだろう。
「煙が回ったようだの」
「そう言っているのか?」
側のシウスは今回作戦には参加しないが、サバルドの言葉が分かる人物は騎士団内でも少ない。その為交渉役としている。
そのシウスが頷いて、何を言っているのかをファウストに伝えた。
「それにしても、思ったよりも少ないやもしれぬ。飛び出してきたということは中は相当に煙たかろう」
「もう少し人が出てくるのを待って一気に押さえる。その後は俺も中に入る」
「分かった。お前も気をつけよ、ファウスト。いつもよりも短い剣を持ってきたのだろう? 間合いが違うと勝手が違うからな」
シウスの視線が腰の剣に向けられる。確かに今回は狭い場所での戦闘を見越して一般的な剣を持ってきた。普段の物よりも一〇センチ以上短い。だからといって接近戦の訓練をしていないわけじゃない。だから問題無いのだが。
「まぁ、十分に気をつける」
そうとだけ伝え、ファウストは更に注意深く現場を見た。
数人が三番の入口へと入り、他も外を見回っている。そのうちに入口から出てくる者が少なくなったのを見て、ファウストは手を上げ、けしかけるように振った。
途端、隠れていた第五師団が一斉に立ち上がりサバルドの者を取り押さえていく。体格的には相手が恵まれているが、こちらは気力も休息も装備も万全で数もいる。慌てふためくサバルドの反乱軍が慣れない雪に足を取られている間に事はおおよそ片付いてしまった。
「シウス、中の様子を聞けるか?」
「どれ、やってみよう」
歩み寄るシウスが捕えた者の前に来る。睨み付ける男を前にしてもシウスは堂々と立ち、穏やかに聞き慣れない言葉で問いかけた。
『私は、帝国の宰相でシウスと言う。この中に、ラティーフ殿下への使者はおるか?』
『知らん!』
『そうか。では、お前達のボスはどこにいる』
『知らん!』
『ふむ、まだ出て来てはおらぬようだな』
『!』
シウスが何を言ったのかは分からないが、明らかに動揺が見える様子だった。だがシウスは厳しい視線をファウストへと送った。
「ファウスト、直ぐに中を制圧せよ」
「どうした」
「こやつ等の司令官は未だ出て来ておらぬようだ。この状況でも留まるならば」
言わんとしている事が分かり、ファウストはすぐさま洞窟の中へと突入していった。
中は煙で白く見えたが、視界が完全にきかないわけではない。口元を布で覆ったファウストはズンズンと中へと入り込んでいく。幸い敵はかなり外へと逃れたのだろう、道中出くわす事はなかった。
広く大きな道をそのまま素直に進む。おそらく大昔の採掘場だったのだろう、徐々に下がっていくのを感じる。下がり、上がり。入り組んでいても大きな道は奥へと続く。そうして辿り着いたのは、天井の高い広い地下空間だった。
「そこで何をしている!」
居住区なのだろうそこには生活の痕跡があったが、今はそこに男が二人。一人は猿轡を噛まされ手足を縛られた中年の男。そしてもう一人は眉間に皺を刻む軍人らしき男だった。
軍人らしき男が振り返り、更に眉間に皺を寄せる。癖の強い黒髪は肩程まで。鋭い青い瞳はただジッとファウストを見ている。
『手練れと見える。俺の最後に相応しい相手か』
何を言っているのかは分からない。低く、あまり抑揚のない言葉を発した男は向き直り、剣を抜いた。
……ボロボロだった。手入れはしたのだろうが、それではもう間に合わないほどに刃がこぼれていつ折れてもおかしくはない剣。それだけでこの男の通った道の過酷さが分かる。
思い出したのは、騎士になりたてだった頃の自分だった。あの頃も酷かった。きっと目の前の男のような顔をしていただろう。
「死地を求めるか」
おそらく相手にもファウストの言葉は通じていない。それでも何かを察しただろう。ふと、男は自嘲気味な笑みを浮かべた。
『祖国を遠く思いながら、もはや生身で彼の地を踏むことは叶わない。だが易々とくれてはやれないのだ、異国の騎士よ。貴殿のような者の手にかかるなら立派だろう。どうか、我が魂を女神の元へ送り届けてくれ』
男が正面に剣を構える。気迫はなかなか、だが暗い影が見える。知っている、死にたがりの目だ。
ファウストも剣を抜いて構えた。そうして互いの気迫が満ちる、その一瞬。
前に出るのは同じタイミングだ。そうしてぶつかる剣の音が高く岩肌に反響する。払ったのはファウスト、押されたのは男だった。よろけるように後退しながらも数歩多々良を踏んで踏みとどまり、睨み付ける。満身創痍なのだろう。
「抵抗せずその者を引き渡せば捕縛する。もう、命を削るな」
静かに伝えたが、あっちもこちらの言葉は分からないだろう。雰囲気で察してくれればいいのだが。
いや、察したとしても応じるかが問題か。この男は強者と戦い果てることを目的としているように思える。
再度、男は剣を構えた。相変わらずの自嘲を口に。
『憐れんでくれているのだろう、異国の騎士よ。だが無用だ。全てが遅いのだ。我が友は散っただろう。そしてあの悪魔の子をこの手で屠れない俺もまた、ここで散るのが運命だ』
なりふり構ってはいられなかったのだろう。死ぬ事を望む者の剣は荒っぽいが執拗だ。いや、違う。死ぬ事を目的としている者だ。
男の指先は僅かに紫色になっていた。足元はブーツではない。痩せて、耳も血色が悪い。凍傷を起こしているのは明らかだ。
それでもまだこれだけ力を込めて戦っている。それはいっそ、憐れですらあった。
息を吐き、ファウストは男の剣を下から思い切り切り上げた。ボロボロの剣はその衝撃で折れ、柄も男の手を離れて飛んでいく。切っ先がクルクルと舞って男へと落ちていこうとするが、もはや抵抗する気はないのだろう。受け入れるように目を瞑った男の腕を掴み、ファウストは自らの方へと引き寄せた。
『……なんの真似だ』
恨みがましい低い声と、睨み上げる目。だがもう、この男に戦う力はない。
「死に急ぐな。お前はここの隊の責任者だろ。一人死んで楽になろうなんて思うな。他の者の為にも、生きろ」
伝わらない事がもどかしい。それでも男は諦めたのだろう。がっくりと肩を落としてそのまま無抵抗になった。
「ファウスト様!」
「ウェイン、無事か!」
違う入口からこちらへときたウェインとネイサンに、ファウストは声をかける。すぐさま目の前の男は拘束されて連れ出され、逆に拘束されていた男は解放された。
見た目に文官と分かる男だった。背は高いが肉付きもそれなりにあり、とても激しい運動が出来るようには見えない。眼鏡をかけた奥の目は小さく丸く、鼻も丸く小さい。サバルドの人間はグリフィスのようにパーツが大きく彫りが深いのが特徴だと聞いていたが、この男はまったくそのような感じがしなかった。
「帝国騎士団の皆様、救って頂き有り難うございます!」
「言葉が通じるのか!」
猿轡を外された男がにこやかに頷く。握手を求められて応じたが、その手も柔らかいものだった。
「外交の仕事もさせて頂いておりますので。私、ラティーフ様の文官でカシムと申します。他国を経由し帝国まで来る事は出来ましたが、直後に彼らに見つかってしまいまして。危ない所を助けて頂き、有り難うございます」
丁寧に腰を折ったカシムに、ファウストはただ頷いた。
「ところで、ラティーフ様はお元気であらせられますか? ジャミルという従者もいると思うのですが」
「それについては俺の口から言える事はない。とりあえずは治療と休養を」
「それは失礼をいたしました。お気遣い、有り難うございます」
丁寧に頭を下げて笑みを浮かべるカシムだが、ファウストはいまいちこの男が分からない。表情が豊かで言葉も丁寧だが、どうにも素が見えてこない。まるで仮面を見ているようだ。
「ウェイン、捕えた者を軍の牢へと移してくれ。医療部隊も派遣して治療を。おそらく凍傷にかかっている」
「了解しました」
当然のようにウェインはそのように動く。だが、疑問の声は違う所から起こった。
「何故この者達を助けるのですか? この国にとっても、異分子であり争いの種では?」
それはカシムの声だった。振り向いたファウストが見たのは、酷く苛立たしい気持ちにさせるカシムの表情。心底疑問そうに、何の哀れみも浮かべていない。本当に、何故殺さないのか分からないという様子だった。
この男は、本当に信用していいのか? 直感的な疑問がファウストに過ぎる。が、それを判断する材料はない。証拠もなく他国の使者に手を出す事はできない。
「どのような者でもこの国に入ればこの国の法で裁かれる。彼らは捕虜であり、罪人。後々この国で刑に服す」
「そうなのですか! これは不勉強で申し訳ございません」
パッと表情を明るく、声は申し訳なさそうにしたカシム。それが余計に胡散臭い感じがした。
かくしてサバルドの反乱分子は鎮圧され、ラティーフへの使者カシムは多少の怪我や衰弱はあるものの無事に救出された。
ランバート達がスノーネルに到着した日の朝の事であった。
▼グリフィス
ファウスト達がバロッサ近郊でサバルドの残党を捕縛している頃、グリフィスはベルギウス本邸でラティーフと会っていた。表向きは賊を警戒しての護衛、だが実際は確かめたい事があったのだ。
「まさか、グリフィスが護衛をしてくださるなんて」
早朝だというのにラティーフはきっちりと着替えて優雅なものだ。当然ジャミルも背筋正しく立っている。その側では一応着替えたものの眠そうにするリッツがいる。無理に付き合わなくてもよかったのに。
「ですが」
「ん?」
「単に護衛だけをしにきた、という訳ではないのですよね?」
「分かるか?」
「なんとなくですが、気を張っておいでのようで。何か、話しがあるのですか?」
どうやらこの王子様もそれなりに逞しくはなってきたようだ。穏やかに問いかけるラティーフに、グリフィスは頷いた。
「ここの居場所を教え、迎えにきてくれるという男の事が少し知りたくてな」
「カシムですか?」
首を傾げるラティーフは酷く疑問そうだった。カシムについて何も疑っていない様子だ。
だが思うのだ。もしもこのカシムが現王派のふりをした旧王権派で、ラティーフを迎えにくるふりをして実は殺しにきた。その可能性も捨てきれない。シウスやファストもそれを考えたはずだ。
「そのカシムという男は、どんな男だ?」
「カシムはサバルドの少数部族の出ですが、賢くて博識な人です。少し大きくなってから側に仕えてくれて、私の勉強をみたり外交をしてくれたりと力を貸してくれます」
「……その男が、旧王権派である可能性はないのか?」
この問いにジャミルは反応した。否定しきれない様子のジャミルだが、ラティーフの方は目を丸くしている。何の疑問も持っていないようだった。
「俺の実父は勉学を重んじた。お袋から聞いていたが、虐げられていた少数部族にも手を差し伸べて才能ある者を取り立てていたと聞く。お前の側にひっそりとそういう者が潜んでいる可能性はないのか?」
「確かにカシムは博識で、マジード王の事を私にこっそりと教えてくれました。私が彼の王を尊敬する切っ掛けとなったのもカシムからの教えがあったからです」
「じゃあ」
「ですが、ありえません」
ここまで怪しい要素があるのに、ラティーフは否定する。グリフィスからするとこれはもう黒に近いグレーなのに。
だが、ラティーフの次の言葉で、その可能性は一気に萎んでいった。
「カシムを私にと宛がったのが、他でもない父王なのです」
「なっ」
「父はマジード王の側に居た者を徹底的に排除しました。側近などは一族諸共に処刑した程なのです。それどころかマジード王を称えようものなら百叩きの罰を与えられます。そのような人から紹介された人物が、旧王権派であるはずがありません」
真面目な顔で言うラティーフの言葉を、グリフィスは否定する事ができなかった。
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