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13章:瓦礫の囚人

1話:ゼロスの消失(ゼロス)

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 三月の終わり。クラウルの事件から早いもので三ヶ月が経とうとしている。
 クラウルのリハビリは順調というものを通り越して、既に以前と同じ生活と訓練ができるようになった。あの人はファウストの事を『化け物だ』というが、彼も大概だと思う。十分に傷の治りが早い。
 今では名残のように傷跡があるばかりだ。

 雪が解けた春の始まり、ゼロスは実家へと足を伸ばしている。それというのも、兄グレンの結婚の日取りが本格的に決まり、家族として色々と話す事が多くなったのだ。
 新年に顔を出した時には少し気まずい感じもあったが、今ではそれもない。帰れば普通に母が「おかえり」と言い、それにゼロスも「ただいま」と返す。

 ただ今日は少し、個人的な理由でゼロスは緊張していた。

 リビングにはグレンとイアン、そして父がいる。それぞれがゼロスを見て、ごく普通に「おかえり」と言って迎えてくれる。

「グレン兄さん、式は決まったのか?」
「四月二十日だ。家で披露パーティーやるわ。お前どうする?」
「呼んでくれるなら休み入れる。有給消化しないと宰相府が煩いし」
「えー、有給消化してないってなんでー。ゼロスってそんな社畜だったっけ?」
「そういうわけじゃないよ、イアン兄さん。これといって有給とってまでやりたい事がないってだけだ」

 クラウルと一緒に旅行、というのも惹かれるものはあるが、当のクラウルの休みが取れない。万年人員不足の暗府は長であるクラウルとて容赦なく仕事地獄だ。アレだけの怪我をしても「書類は溜められない」と言って病室でチェックしていたくらいだ。
 そういうわけで、有給の消化場所が分からない状態で溜まっていく。

「なんだかんだと事件もあったからな。新年早々の事件にもお前、駆り出されていただろ」
「それも近衛府の情報?」
「いや、駆け回っているお前を見た」
「見られてたのか……」

 父にあのグダグダ状態の自分を見られていたのかと思うと、少しいたたまれない。思わず視線を逸らしてしまった。

「コンラッド君とも仲良くやっているようで安心した」
「あいつとは相変わらずだよ。昔ほど一緒にもいないけれど」
「どうした?」
「いや、あいつに恋人ができたからだけど」
「恋人!!」

 父との会話に突然横やり。イアンはニヤニヤと、グレンはドキドキした目だ。この二人の兄、案外他人の恋バナが好きなのか?

「コンラッド恋人できたの! あの純情くんが?」
「あぁ」
「どんなだ! どんな相手なんだ! やっぱりあれか? 清い純愛系か?」
「いや、がっつり体の関係あるだろ。二十歳過ぎた健全な男だぞ。それに相手が奔放だから」
「なにぃぃ! 予想外すぎる!」

 ゼロスがコンラッドと幼馴染みということは、この兄達もコンラッドを小さな頃から知っている。そしてコンラッドが純愛派で健全で清い事も知っている。

「相手、どんな子?」
「自由で奔放だけど、案外気遣いも出来るかな。ちょっとビビリ。でも戦わせたら真っ先に前線に立って敵陣に突入していくタイプだ」
「……ん?」
「ん?」

 二人の兄がコテンと首を傾げる。それにゼロスの方が首を傾げた。

「なに?」
「……相手、男?」
「あぁ」
「……純愛で好青年だったコンラッドが、男の恋人……嘘だぁぁ」
「あぁ、そういう疑問か」

 ゼロスからすれば何を今更な感じだ。ハリーもコンラッドも楽しそうで、そして幸せそうだ。とてもいい交際をしているだろう。

「だから言っただろ。騎士団内部での恋愛はだいたい相手が男だと」
「コンラッドが……そんな魅力的なのか?」
「まぁ、綺麗な顔はしてるだろうな。どっちかと言えば愛されるキャラで放っておけない系だ」
「なにその無駄な属性。女なら欲しい」
「残念、男だ」

 既に何も気にならなくなったゼロスからすれば、そんなに拘るものなのかと思う。が、きっとゼロスの感覚がズレているのだろうな。

「あら、何の話?」
「母さん、聞いてくれよ! コンラッドに恋人できたんだって!」
「あら、本当!」
「男の」
「……やっぱり、そっちに向かうのかしらね?」

 同じくコンラッドを自分の息子くらいに可愛がっていた母の表情が一瞬固まる。それを見ると自分がこれから言おうと思っている事が少し怖くなってくる。

 程なく家族が席について、お茶を飲みながら母のクッキーを摘まみ、グレンの結婚式の打ち合わせを軽くした。
 日付は四月二十日。チャペル併設のレストランで行う事になった。その前日には相手の家族がこの家に来て、夕食を一緒にする。

「出来ればアンタも前日から来て欲しいんだけど」
「あぁ、大丈夫。今から申請出せば都合つくから」
「そう?」

 母の要望に軽く答えたゼロスは、どのタイミングで切り出そうかをずっと迷っていた。ただずっと、カットイン出来ないでいる。
 そんな悶々とした焦りを感じていると、不意に父の視線がゼロスに止まった。

「ゼロス、何か言いたい事があるんじゃないのか?」

 視線が一斉にゼロスへと集まる。その緊張は戦の前のようだ。正直胃がひっくり返りそうだ。
 それでも今日はちゃんと伝えようと思ってきた。クラウルとちゃんと向き合うと決めた時、家族ともちゃんと向き合わなければと思ったのだから。

「あの……実は俺も、今付き合ってる人がいるんだ」

 喉がカラカラでひっつきそうだ。
 ゼロスがこう切り出すと、以前それとなく話していたグレンとイアンはビクリとし、父は静かなものだった。
 だがその時その場にいなかった母だけは目をパチクリし、嬉しそうな顔をする。今からこの母を裏切るのかと思うと、喉にまるまんまの卵でも引っかかっているのかと思えるほどに言葉が出てこない。

「そうなの? ちょっと、そういうのはちゃんと教えなさい! どんな子? どこの家の子なの? あぁ、勘違いしないでね! 格式なんて全然気にしなくていいんだから! ただご挨拶だけは……」
「家の格で言えばうちよりもずっと上だと思う。良家だよ」
「そうなの? あら、どうしましょう。それじゃ……」
「男、なんだ」
「……え?」

 母の目が徐々に丸くなっていく。暫くの気まずい沈黙。これに耐えて何か言わなければ。
 思って口を開く前に、母は目の前にある紅茶のカップを引っつかむと少し温くなった中身を一気に飲み干した。
 ガチャンと、ソーサーが鳴る。

「大丈夫! なるほど、騎士団だとやっぱりそうなるのね。いいわ、覚悟してた」
「母さん」
「アンタがそんな不安な顔するんじゃないわよ!」

 母は紅茶と一緒に色んなものを飲み込んだだろう。けれど、今は気丈な目をしている。

「アンタが改まって言う相手なんでしょ? ドンと胸を張りなさい!」
「母さん……ごめん。有り難う」
「……いいわよ、仕方がない。そのかわり、絶対に後悔するんじゃないわよ!」
「あぁ、分かってるよ」

 こういう肝の据わった所が母のいい所だ。ゼロスは小さく笑みを浮かべて、しっかりと頭を下げた。

「あの、さ。その相手って、実際どんな相手なんだ?」

 理解は出来ないが、それでも諦めたらしいグレンが問いかける。これには父も興味がありそうだった。

「年齢は俺よりも五つ以上うえで、上官」
「お前の五つ上って、俺と同い年くらいだろ!」
「あぁ、かも。でもグレン兄さんよりずっとしっかりしてる」
「なぬ!」

 多分、本当に同じくらいの年齢なのだが……どうしてだ、兄がちゃらんぽらんに見える。分かっている、クラウルがしっかりしすぎている。というよりも騎士団の人間が早熟すぎる気がするのだが。

「ねぇ、それより名前! ってか、父さん情報掴んでないの?」
「これに関しては近衛府も口が硬くてな」

 なんか、ほっとした。知らない筈はないのだが、流石に筒抜けていなかった。

「ゼロス、名前!」
「はいはい。多分、父さんは名前くらいは知ってる人だ」
「ん?」
「クラウル・ローゼン様だ」

 すんなりと言ったつもりだが、案外勇気がいるものだ。ちょっとドキドキしている。
 目の前の父は目をパチクリして口を閉ざした。表情が珍しく固まっている。
 そして兄達はまったく知らない様子で顔を見合わせ、母も首を傾げている。
 まぁ、有名なのは騎士団内部だから仕方がないが。

「クラウル・ローゼン殿というと……暗府団長のクラウル殿か?」
「あぁ」
「……どうしろと言うんだ、そんな大物」

 珍しく父が頭を抱える。まぁ、当然といえば当然の反応なのかもしれないが。

「ねぇ、アナタ。その方ってどんな方なの?」
「父さんばかり分かってずるい!」
「なんか、すごい人なのか?」
「……現騎士団の主要府の一つ、偵察、捜査、諜報に長けている暗府という機関がある。クラウル・ローゼン殿はその暗府を纏める長であり、古くから王家の剣術指南をしている騎士・ローゼン家の一人だ」

 こうして他人の口からクラウルの事を語られると、もの凄く仰々しいものに聞こえる。ゼロスからするとクラウルは暗府の長で、強くて、憧れで、どこか可愛い人になる。肩書きは色々ついてくるし、仕事の顔は見せてくれないが、それでもいいと思っている。見せたくない顔もあるのだろうから。

「正直、うちみたいな末端役人の家とは雲泥の差だ。お前、どうしてそんな人と」
「……惚れたし、惚れてくれたんだから仕方ないだろ」

 もうこれしかない。話せば色々と出てくるが、今更恥ずかしい。

 顔が熱い気がしてパタパタ手で扇ぐゼロスを見て、母は安心したように優しく笑う。そういうのも少し、くすぐったくていたたまれない。

「いい人なのね?」
「うん」
「遊ばれてないでしょうね?」
「ないよ、絶対」
「捨てられない?」
「死んでも側にいるんじゃないか?」
「それもすごいわね」

 でも、何となくそんな気がしている。あの人はもしもの事があって先立つ事になっても、ゼロスの側にいる気がする。
 それともこれは、ゼロスの思い上がりだろうか。

「まぁ、何にしてもよかったわ。今度挨拶にいらっしゃい。よければグレンの結婚式とか」
「マジか! うわぁ、弟の彼氏とかどう接すればいいんだよ。しかもそんな立派そうな人と」
「立派そうじゃなくて立派なんじゃん? グレン、嫁ちゃんの前でかっこ悪い所はみせらんないよ?」
「うるさいぞイアン!」

 なんだか、思っていたような重い空気にはならなかった。相変わらずのコントみたいな光景を呆然として見ていると、父がポンと肩を叩いた。

「母さんの言うとおり、一度つれてこい。大したもてなしはできないが、歓迎する」
「もてなしなんていらないさ。この話したらきっと、大喜びするし」

 ゼロスの両親や家族に挨拶がしたい。
 これはずっと、クラウルが気にしていた事なのだから。


 夕方になって、ゼロスは実家を出る事にした。

「本当に夕飯、食べていかないのかい?」
「クラウル様と夕飯一緒に食べる約束してきたから」
「うわぁ、カミングアウトしたらもう惚気? ゼロスって、案外現金だったんだなー」
「いいだろ、イアン兄さん」

 言ってしまえば気が楽で、このくらいの軽口は出てくる。

「それじゃ、今度は相手連れてくる」
「事前に連絡しなさいよ!」
「分かってるよ」

 そう言って家を後にしたゼロスは、人通りのない道を宿舎へと戻っていた。
 夕方、しかも食事時とあって外を出歩く人の気配がない。外食の人はとっくに家を出ているし、家で食事ならとっくに始まっている。
 実際通りには一台の馬車しかない。

 早く宿舎に戻って、今日の事をクラウルに伝えよう。きっと喜ぶだろう。体調も良くなったからすぐにでもと言い出すかもしれない。けれどそこは抑えてもらって、早くても次の安息日くらいで予定を立てよう。
 いや、出来ればもう一週空けたい。翌週ではあまりにがっつきすぎている。

 そんな事を考え、「早く会いたいな」なんて思いながら止まっている馬車の横を通り過ぎようとした。
 その時だった。

 突如物陰から人が飛び出してきて、ゼロスは構えた。軽装の男が五人、手には鈍器のような武器を持って突進してくる。
 非番の時は武器の携帯はできない。それでも五人程度、体術だけでも十分に相手ができる。
 その油断が、背後の馬車という存在を失念させていた。

 ドカン! という鈍い音が頭の中に響いたのと、地面が急速に近くなったのはあっという間の出来事だった。後頭部がワンワンと鳴って、項の辺りが僅かに濡れている。頭が痛くて、目が回る。

「やったか?」
「殺してないだろうな?」
「それは大丈夫だろ。加減した」
「ほら、人に見つかる前に積み込め」

 乱暴に両脇を持ち上げられ、馬車に放り込まれる。朦朧とした意識のまま猿轡をされ手と足を拘束されたゼロスは、やがて痛みと目眩の中で気を失った。
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