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11章:暗府団長刺傷事件

3話:娼婦七人殺人事件(クラウル)

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 僅かに意識が浮上して、最初に感じたのは怠さと熱さ、鳴るような痛みだった。
 久しぶりにまずかった気がする。昔から比べると最近随分平和になった。それは同時に甘くなったということだろう。目の前で倒れている人に気を取られて、後ろに気を付けられなかったなんて。

 ふっと目が覚めた時に差し込んだのは、早朝の透明な朝日。そして、目元を腫らしたゼロスの苦しそうな顔だった。

「ゼロス?」
「あ……」

 渇いた喉からザラついた声が出る。だが、返ってきたゼロスの声も自分と大差ないように思える。
 手を上げて、力がこもった瞬間に痛みがあって眉根を寄せる。それを見て、ゼロスは辛そうな目をしてクラウルの手を取った。

「無茶しないでくれ! あんた、酷い怪我で」
「あぁ、みたいだ。すまない、しくじった」
「あんたが悪いわけじゃない! あんたは……なんで……」

 ズキリと痛んだのは傷ではなくて、胸だろうか。新しい涙をこぼすゼロスの憔悴しきった顔は初めて見た。自分が怪我をして動けなかった時でさえ、彼はいつもの調子だったのに。

「すまない、心配をかけた」
「クラウル様……」
「ゼロス、すまなかった。俺は大丈夫だ」
「大丈夫じゃ、ない……」
「直るまで大人しくしているから、そんなに心配しないでくれ」

 胸元に顔を寄せたゼロスの頭をポンポンと撫でながら、クラウルは不謹慎にも笑みを浮かべた。
 こんな事を言えば怒られるし、歪んでいるとは思う。だが、愛しい人からこんなにも心配されていると思うと、嬉しさもこみ上げてくるのだ。


▼ランバート

 ゼロスをクラウルの所に送り出してからが一番大変だった。暗府を落ち着かせるのがこんなに大変だったなんて、知らなかった。
 ファウストに言われてシウスの手伝いをしにいったランバートは、そこで闇討ち準備をするネイサンやラウルを見て肝を冷やしたのだ。
 普段のほほんとした人達が、同じ笑顔で殺気立って服に暗器をしこたま仕込んでいる現場は流石に恐ろしかった。

 「え? うちのボスが傷物にされて黙ってはいないよね?」という暗府副長ネイサンの満面の笑みが今でも忘れられない。

 シウスと二人、必死に彼らを説得して武装解除させたが、交換条件がクラウルが捕らえた被疑者の聴取となり、現在なかなかに痛い場面を見せられている。

「知らない、ではすまないので、そろそろお話を伺いたいのですが」
「……」

 ネイサンを前に黙りを決め込んでいる女装姿の男は、まだ抵抗する目をしている。椅子に括り付けられた彼は明らかにやせ我慢で、本当は叫びたいのだと分かる脂汗を浮かべている。

「うーん、困ったな。あまり傷をつけると怒られてしまうから穏便にしているんだけれど……。ラウル?」
「はい」

 靴を脱がせた足。そこに大きな傷はない。だが、地味に痛い拷問が先程から繰り返されている。
 ネイサンの呼びかけに答えたラウルは、男の爪と肉の間にまち針を差し込む。そしてそのまち針の背に金槌をあて、加減をしながら打ち込んだ。
 悲鳴が上がる。この光景と声を聞いているとなんだかランバートまで足が痛い気がする。

「上手にお話できるかな?」

 コテンと、とても無害そうに微笑むネイサンが怖い。そして、まったく他人の痛みに同情しないという様子のラウルも怖い。

 「暗府を本気で怒らせてはならぬ」と言ったシウスの言葉が今更ながら分かる気がした。

 そんな時、エリオットが拷問室へと入ってきてクラウルの意識が回復した事を教えてくれた。
 瞬間、室内の空気が一気に軽くはなった。皆が安心したのだとすぐに分かる感じだった。

「被疑者の手当をします。あと、食事も」
「え? どうしてですかエリオット様?」
「どうし……。ネイサン、被疑者を殺しては得られる情報も一緒に持ち逃げされますよ。最低限の事はしなければなりません」
「飢えさせても……」
「ダメです!」

 どうやら、彼らの言う尋問の手が緩む気配はないようだった。


 シウスとファウストがクラウルと会話したようで、上に戻ってくると既に会議の準備が整っていた。その場に、憔悴しきったゼロスもいた。

「大丈夫か?」

 声をかけると、昨日よりは多少しっかりしたゼロスが頷く。大丈夫ではないだろうが、昨日のように全てが上の空というわけではなさそうだった。

「さて、人も揃ったな。クラウルが案外しっかりしておって助かった。どうやら、話が見えてきたぞ」

 そう言ったシウスの手には一冊の古い調書がある。そこにはなんとも不似合いな事件名が書かれている。

 『白バラの君連続殺人事件』と。

「下町花街でも話を聞き、クラウルにも話を聞いた。それらを総合すると、おそらく根元にあるのはこの事件じゃ。ランバートとゼロスは知らぬだろうから、話しておく」

 シウスが調書をめくる音が室内に響く。ファウストは終始無言で腕を組んでいた。

「事件は今から八年か……九年くらい前、下町花街で起こった。当時はまだカール陛下の代に変わられて久しく、あちこちで混乱も起こっておった頃じゃ。事件は丁度年が明けてすぐくらい、街の裏路地で一人の娼婦の遺体が見つかった」

 シウスの話す事件を聞くうちに、ランバートはその事件を思いだしていた。この頃、ランバートは下町の復興に関わっていた。だから当然、その事件は知っていたのだ。

 肌を刺すような寒い朝、下町花街の人気の無い裏路地で流れの娼婦の遺体が見つかった。その頃娼婦殺しなんてのは今よりも多かったが、これは異様だった。
 彼女は腹を割かれ、女性器を切除されていた。そしてそこに沢山の白バラを詰められていたのだ。白い雪と、血の赤と、白バラを腹から溢れさせて死んでいる女性と。
 こんなのが七日に一度くらいの頻度で七件続いたのだ。

「覚えています。でもこれ、犯人捕まりましたよね? 確か、医者だった気がします」
「あぁ、その通りじゃ。犯人の名はティム・キャラハン、医者をしていた。奴は自分の元患者を殺して回っていた」
「なぜ、そんな事を? 俺はその頃は一般人なので、犯人が捕まった事しか知らないのですが」
「夫婦の問題が、根底にあったのだよ」

 シウスは重い溜息をつき、調書の続きを読み始めた。

「奴の奥方というのが悪妻での。元々十も下じゃ。夫婦仲は最悪。妻は常に男をとっかえひっかえしてティムの金で遊び倒しておったし、最初から夫婦関係など破綻しておった」
「それ、どうして結婚したんですか?」
「妻の家が苦しくての。ティムの家は裕福であったし、ティム自身も腕のいい親身な医者であった。そしてティムの妻は派手だが綺麗だったのじゃよ。地味なティムはこれでも、妻を愛おしく思っておったようじゃ」

 バカバカしい。ランバートならそう切り捨てられる。だが、そればかりではないのも分かっている。
 今は少し落ち着いたが、一昔前は傾きかけた家を建て直す為に娘を金持ちに嫁がせる事なんてザラだ。上手くいく所もあれば、破綻するものもある。ティムの家は最悪だったのだろう。

「まぁ、こうした事情で離縁もなかったが、相変わらず妻の男遊びは激しくなるばかり。そしてティムにも一つ、切迫した問題があった」
「なんですか?」
「跡継ぎが必要だったのじゃよ。奴は一人っ子で、家を継ぐ子供が必要だった。それを妻に求めた」
「無理でしょ?」
「あぁ。故に外に愛人を何人か作ったようなんじゃが、どれもダメになった」
「何故?」
「妻が全ての愛人を追い払った。関係のあった男などを使って、相当まずい事もしての」
「どうして!」

 流石のランバートも驚いて声を大きくした。第一、最初から愛情もない関係で自分も散々に遊んでいるのなら、相手にもそれを認めるのが当然だ。貴族の結婚で政略なら、このくらい日常的にあるのが当然だ。

 シウスは疲れた顔をして、調書に視線を落とした。

「愛人に子が出来れば、その子の養育に金がかかる。自分が遊ぶ金がなくなるし、ゆくゆくはその子が跡継ぎとして大きな顔をする。それが、面白く無かったと言っておる」
「勝手な……」
「故に悪妻じゃ。そして手が悪い。この女、自分が男に捨てられるとティムに泣きついて、その時だけは体の関係もあったらしい。だが、すぐにまた違う男を作って蔑ろにする。これの繰り返しじゃ」

 とんでもない猟奇殺人犯で、七人もの人を殺した。だがランバートはティムに同情している。これほどに人としての尊厳や権利を奪われて、おかしくならない人はいないだろう。

 でも気になったのは、隣で表情もなくただ聞いているゼロスの様子だった。

「何が切っ掛けで、事件は起こったんです? ここまで我慢していたんですよね?」
「……妻がティムの子を堕胎したからじゃ」
「な……」

 嫌な感じが、下から上がってくる。そうしてこみ上げるのは、言いようのない嫌悪だった。

「……もしかして、ティムが殺した元患者って」
「あぁ。ティムの所で子を下ろした流しの娼婦じゃ。余程でなければ娼婦にとって子は枷になるからの。これが流しとなれば、余計にじゃろう。ティムはその女達と妻を重ねたのだろうな。念願の子が授かった筈なのに」

 こういう話は聞いていて嫌なものだ。心の底にドロドロしたものがたまっていく。ヘドロのようにこびりついて、なかなか気持ちが晴れていかない。

「当時の事件は地道な聞き込みと、医療従事者が犯人だという事で両面から捜査。医者関係からティムの存在が浮上し、似せ絵を見せながら周辺の娼婦達に聞き込んで逮捕した。その後、ティムは獄中で自殺。事件は新聞屋がセンセーショナルにかき立てたものだから妻も王都にいられなくなった。これが、この事件の顛末じゃ」

 パタンと、シウスは調書を閉じた。なんとも言えない重い空気が場に広がる。
 その中で声を発したのは、ゼロスだった。

「その事件でどうして、クラウル様が。誰が、あの人を」

 重く、低い声は抑揚がない。普段助けられる事の多い親友は、この時ばかりは別人のようだった。

「この事件を捜査し、ティムを捕まえたのがクラウルじゃった」
「騎兵府の仕事では?」
「当時、地方で大規模な暴動が起こって、俺はメインの隊を率いてそちらに行っていた。その間に起こった事件だ」
「……あの人が、何をしたっていうんだ。今更こんな事件引っ張り出して、誰が……っ!」

 グッと握った手が震えている。ランバートはその手にそっと触れた。それでも、ゼロスの力が緩まる事はなかった。

「誰がというのは詳しくは分からぬ。だが、ティムには認知していない子が二人おることが分かっている」
「は?」

 ランバートは目を丸くする。調書の最後のページを再度見たシウスは、溜息をついた。

「ティムが外に作った愛人の中に、程なくして双子を産んだ娘がいた。ただ、ティムも娘も妊娠が分からぬうちに妻によって追い払われ、娘は王都を遠く離れておる。そこで子を産んでいる。時期からみて、ティムの子であるのは間違いない」
「皮肉、ですね」

 子が欲しかったティムは、この事を知っていたのだろうか。そんな事を考えてしまう。

「その子が生きていれば、今は十七歳くらいじゃ。そしてこの二人に、クラウルは一度会っているそうだ」
「どこで?」
「ティムの墓じゃ。あいつにとって後味の悪い事件であったようでな。節目の命日に墓に参って、そこで面差しの似た子を二人見たそうだ。その子供の片割れが、昨日捕まったあの子だろうと言っておった」

 確かに、印象の薄い顔をしていた。幸も薄そうだったが。

「もう一人いるのが双子の片割れ?」
「だろう。これと、今起こっている娼婦失踪が繋がるかは分からぬ。ランバート、先入観は持たずに捜査せよ」
「分かりました」

 調書をシウスから受け取ったランバートは、俯くゼロスの手を引いて会議室を出た。そして事前に集めていた皆の所へと、ゼロスを引っ張っていった。


 ランバートの部屋にはハリーとコンラッド、ボリス、トレヴァー、ピアース、トビー、チェスター、レイバン、ドゥーガルドがいた。今回は事件の性質上、コナンとクリフには遠慮願った。必要そうなら声をかけると言ってあるが。

 同室で、報告時に一緒にいたコンラッドが心配そうにゼロスに近づく。俯いたまま顔を上げられないゼロスの肩をハグした彼は、トントンと背を叩いた。

「絶対、俺達で捕まえよう。ゼロス、それでいいな?」
「……よくない」
「お前がバカをしたら、クラウル様が悲しむんだぞ。この一件でお前が罰せられたり、最悪騎士団を去る事にでもなれば誰が苦しむんだ。短気、起こすな」
「だが!」
「ゼロス!」

 コンラッドの叱りつけるような声に、全員が少し驚いた。普段こんな声を出す奴ではないから。

「お前は絶対に、ここにいなきゃいけないんだ。頼むから一人で突っ走るな」

 コンラッドの声に、ゼロスはやがて頷いた。

 一通りの報告をしたランバートは、一緒に似せ絵を皆に見せる。一晩中見ていたのだから書くのは簡単だった。

「これからどうする?」
「俺とボリス、ゼロスの三人でミス・クリスティーナの娼館に話を聞きに行く。行方不明になっている娼婦の話も聞きたい」
「了解」
「残りは聞き込み頼む。街のどんな小さな異変でもいい」
「おうよ」
「事件も起こっている。二人一組で頼む。集合は夕刻、俺の部屋で」

 全員が頷いて、それぞれに散っていく。ランバートはボリスとゼロスを連れて、娼館へと向かう事にした。
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