月は夜に抱かれて

凪瀬夜霧

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5章:ルルエ平定

12話:説得

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 場が慌ただしくなったのは、アルクースが意識を取り戻した数時間後の事だった。
 聖オーキン教会の門前にクレメンス率いるタニス軍百騎が突如として訪れ、開門を迫ったのだ。
 聖オーキン教会は戦死者の霊を慰める他に、前線にある事から砦としての様相も呈している。正面の鉄製の門扉を閉めてしまえば高い城壁があって乗り越える事は困難なのだ。
 その城壁の上に二人の人物が立ったのを、クレメンスは確認した。

「タニス軍が将、クレメンスと申す。こちらに、アルクースという青年が逃げ込んだとの知らせを受けた。その者はタニスの者、早急に身柄を引き渡して頂こう!」

 言えば一人が眉根を寄せる。年の頃は五十代を過ぎているだろうが、気骨のある人物に見える。
 そしてその隣には若く綺麗な顔立ちの青年が立っている。格好も聖教騎士団のもの。こちらが噂のリチャードだろう。確かに見た目はいいだろうが、心根はどうなのか。そんな様子だ。

「その青年が何をしたと申される」
「彼の者は我が軍の機密を他に漏らした疑いがある。身柄を抑え真偽を問いただす」
「真偽などあるのですか」

 老人の厳しい問いかけに、クレメンスはニヤリと笑う。その笑みを、老人は正しく受け取った。

「弱い者を踏みつけるような貴国の考えを、私は聖職者として受け入れる事はできません! この扉が開くことはない! 帰ってそのようにお伝え願います!」
「それはできぬ。我らが王はその者に問うと言っている。連れ帰るまで、ここを離れる事はできん!」

 そう言うと、クレメンスは馬首を返して場を開けた。
 そして、矢が届かぬ場所に野営のテントを設置すると、篝火を焚いて門前を睨むように鎮座した。

◆◇◆

 辺りが暗くなり、室内に小さな明かりが灯される。食事を持ってきたフェリスが、アルクースに現状を伝えた。

「明日の朝一番に、リチャード隊が攻撃を開始すると息巻いていましたわ。相手はたったの百、こちらはその十倍の兵力、恐るるに足らないと」
「まんまとだね」

 このまま打って出てくれればいい。そうすれば教会は兵数が減る。後は内部からの働きでリチャード隊を締め出せばいい。
 これがユリエルの考えだ。内部に人を入れ、門前に立って物流を断つ。少数であると見せて油断を誘い、武に逸ったリチャード隊の大半を教会の外に出してしまう。制圧可能な数になった所で内部に侵入した者が門を閉じてしまう。これにより内部から軍人を押しだそうというのだ。

 アルクースが入り込んだのは、一つにクレメンスが攻め入る理由を作る事。軍部の機密を漏らした罪人を追って引き渡しを迫る。そういう理由で軍を敷き、物流を断つ事と精神的なプレッシャーを与える。それと同時に少数であるという油断を誘い殲滅に兵を出させる囮をする。クレメンスもタニスの中では名の知れた武将であるが、その実力は正直未知だろう。指揮官としては優秀でも、騎士としての武はどうか。その辺も出てきやすい理由だ。
 そしてもう一つ、アルクースには任された仕事がある。

「明日の朝なら、俺がハウエル司教と話すのは今日かな」
「そうですわね。食事の後、司教は礼拝堂で祈りを捧げますわ。行って、懺悔なさってきてはいかがかしら」
「うん、そうする」

 フェリスの笑顔に、アルクースも笑顔で応じた。

 その夜、アルクースは礼拝堂へと向かった。当然外の扉の前にはフェリスがいて、扉に向かい祈るふりをして邪魔がないように見張っている。
 中は意外と小さく、蝋燭の明かりが神秘的に灯るばかり。そこに、ハウエルの姿があった。

「アルクースさん、どうなさいましたか?」
「司教に、懺悔を聞いて頂きたいのです」

 弱く言えば司教は頷いて、小さな箱形の懺悔室へとアルクースを招いた。
 狭い密室で、アルクースは老人の顔を見る。穏やかだが、クレメンスにも臆さない気骨のある人物だ。話を聞いて怒らなければいいけれど。

「何を、懺悔するのですか?」
「多くの嘘を」
「嘘?」

 アルクースは頷き、ハウエルの前に膝を折る。祈るように両膝をつくのではなく、片膝を立てる軍のものだ。

「我が主、ユリエル陛下のご意志により、貴方にだけ真実をお伝えしに参りました」
「アルクースさん?」
「すみません、嘘をついて。こうでもしなければリチャード将軍とバートラムの目をかいくぐれないと思ったのです」

 途端、ハウエルはとても困った顔をした。思い当たるものはある、そういう様子だった。

「貴方がタニス王に虐げられているという話は?」
「先祖の地を追われ、放浪の末に拾って頂いたのは本当です。ですがユリエル様は一族を人質になどしてはおりません。大変に心をかけてくださり、必要なものを取りそろえてくださっています。俺が力を貸すのは強要ではなく、あの方の優しさと誠実さに報いたいと思うからです」
「恩のある方を殺されたというのは?」
「最初にタニスに攻め入ったのは、こちらでした。故に戦いとなり、負けたのです。それでもユリエル様は死者を丁重に弔ってくれました。俺の恩師も長くユリエル様の世話になり、病で静かに看取られて亡くなったと聞きます。そして、生前の望みのままに弔いの儀式をしてくれました。本来俺がやらねばならない事を、嫌な顔もせずに全て行ってくださった人へ感謝こそすれ、恨みになど思うはずがありません」

 アルクースの言葉に、ハウエルは静かに考え込んだ。人の心の真偽を見られる人だ。アルクースは目の前の人物をそのように見ている。だからこそ、誠意をもって嘘を謝罪し、全てをつまびらかにすれば理解はしてくれる。そう思ったのだ。

「体の傷は、タニス王がつけたのでしょ? あれは他人の手によるものだと聞いていますよ」
「俺がここに入る為、怪しまれない為に必要な事でした。それでも、ユリエル様は大変に辛そうな顔をして気遣い、謝罪の言葉をかけてくださいました」

 それでもハウエルは眉根を寄せる。アルクースはその目を真っ直ぐに見た。

「タニスは、貴国との和平を望んでおります。ユリエル様は血を流し続ける両国の関係を終わらせたいと願っています。長く行方不明であったルルエ王からの親書を入手し、その心を知って踏み切ろうとしているのです」
「ルーカス様の親書を、タニス王は受け取っていなかったのですか!」

 ハウエルは酷く驚いた様子で問いかけてくる。それに、アルクースは静かに頷いた。

「ユリエル様の失脚を狙った賊臣の手によって、長く隠されていました。ですがユリエル様はその存在の噂を聞いて探し続け、ようやく見つけたのです」
「なんと愚かな……。ジョシュ様を失った苦しみの中、それでもペンを走らせた我らが王のお心が、届いていなかったとは」
「同じく、ユリエル様の心はルルエ王に届いていない可能性があります」

 静かに伝えれば、ハウエルは今度こそ大きく目を見開き、震えるように口を開いた。

「なん、ですって?」
「王都奪還の後、ユリエル様は和平を願う親書を送っています。にもかかわらず、宣戦の知らせを貰い落胆しておりました。親書の噂があったのは、ラインバールで両軍が激突した後の事。すでに止まれず、また止めるための材料も揃わぬ状態でした」

 アルクースの誠意を、ハウエルは正しく受け取っている様子だった。それ故に落胆し、悲しみ、項垂れていた。

「誰がそのような事を」
「この国で、戦いを求める者がそのように手を回したのだと思います」
「……アンブローズ様ですか」

 その言葉に落胆と失望はあれど、疑問はない。ハウエルも分かっているのだろう、アンブローズという人物を。

「なんと嘆かわしい。人の心の安寧を願う神の代弁者が、すすんで争いを招くなど」
「彼の人物がいる間は、和平を結ぶことは難しい。そう思い悩んでいたおりに、クララス隊長がユリエル様の元へ窮状を訴えにきたのです」
「クララスが」

 ハウエルは静かに呟き、次には困った子を思うように笑う。その温かな表情を見るに、アルクースも穏やかになった。

「決死の覚悟で来たクララス隊長が、ユリエル様に貴方の救出を願ったのです」
「私は囚われてなどおりませんよ」
「本当に、そう思われますか?」

 問えば答えは返ってこない。それだけで、自らが置かれている状況を理解しているのだと分かる。アルクースは静かに先を続けた。

「タニスが目前に迫る今、人望を集める貴方をアンブローズが疎み、時を見計らって害しようとしている。その罪を全てタニスにきせようとしていると、クララス隊長は伝えてきました。和平を望む今、民から人気のある貴方をタニスが殺したとなれば道が断たれる。ユリエル様は一計を案じ、貴方を守る為に俺をつかわしたのです」

 そう言うと、アルクースはハウエルに一通の手紙を差し出した。それはユリエル直筆の手紙だった。
 ハウエルはそれを受け取り、中を読んでいる。大体は今アルクースが話したままなのだが、ユリエルの言葉で伝える事が大事だ。
 やがて、読み終えたハウエルは酷く思い悩む顔をしながらも手紙を器に入れ、そこに火をつけた。

「な!」
「残れば何かと火だねとなります。こうしたものは直ぐに消してしまうのが、賢い事。貴方の主がどのような人か、確かに受け取りました」
「……どう、判断されますか」

 ハウエルは思い悩む。だがしばらくして、確かに顔を上げた。

「この教会の中で、血を流す事はできません。ここは苦しんで死んだ者が安らぎを求めて来る導きの場所。汚す事は認められません」
「心得ています」
「……直接お会いして、判断をいたします。ですが、私も両国の和平を望んでおります」

 それだけで、もう十分な答えだ。アルクースは確かに頷き、安堵の笑みを浮かべた。
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