月は夜に抱かれて

凪瀬夜霧

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5章:ルルエ平定

2話:来訪者

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「私に客?」

 執務室に来訪を伝えた者は、恭しく礼をしたまま頷いた。

「リジョン公国の商人で、ツェザーリ・メンデスと名乗る者です。なんでも、陛下に忘れ物を届けに来たと言って大きな木箱を一つ持参しております」

 聞いた事のない商人だ。だが、なにか引っかかる。ユリエルは傍らのクレメンスを見た。

「箱の中身は改めたか」
「それが、とてもデリケートな物なので触れる事も見る事もできない。ただ、拾ったのだと言っております。陛下、いかがいたしましょう」

 リジョン公国は行商の国。海の先にある彼の国の商品はこの国にはない魅力のある物が多く、人気でもある。だが同時にそれらを扱う商人達は油断ならない。為政者に取り入り荒稼ぎしようという者も多くいるのだ。
 だが、何かが引っかかる。その人物の物言いと、謎の木箱か。

「分かった、謁見室に通せ」
「陛下」
「箱もそのまま持ち込んで構わない。中身も改める必要はない」

 クレメンスは渋面を作ったが、ユリエルはこの妙な引っかかりが気になってしかたがなかった。見過ごせば災いになる。そのような気がしてならないのだ。

 謁見の間で膝を折って待っていたのは、なんとも食えない様子の商人だった。
 薄い色合いの金の髪は顎のライン辺りで切りそろえられ、ほんの僅か顔を隠している。年の頃もいまいち分からない。若くて二十代の前半、上に見れば三十代にも見える。青と緑の中間辺り、リジョンの者に言わせると「国の色」と言われる明るい色合いの服に白いズボン、薄い水色のローブを緩く革編みのベルトで固定している。

「お前が、リジョン公国のツェザーリか」
「はい」
「表を上げろ」

 行儀良く膝を折り垂れていた頭が上がり、瞳が開く。細い瞳はそのくせ実に鋭い光を宿している。日に照らされた海のような澄んだ青の瞳は、ユリエルを捕らえて僅かばかり呆けたように見開かれた。

「わいはツェザーリ言います。麗しの陛下のご尊顔をこの目で見ることが出来ました事、実に恐悦至極でございます」

 実に奇妙な言葉とイントネーションだが、ツェザーリのタニス公用語はこれでも丁寧で上手い方だ。リジョン公国という国の人間がタニスの公用語を話すと、どうしてもこのような奇妙な言葉になる。酷い者など聞き取る事が難しいレベルになるのだ。それを思えば、この男は上手い。

「社交辞令も前置きも必要ありません。本題を問います。その箱はなんですか」

 冷たいとも取れる凛とした声に、ツェザーリの細い瞳が僅かに開き口元に笑みが浮かぶ。鋭さと腹の黒さが窺えるものだ。

「陛下はせっかちやな」
「意味のない長たらしい口上が嫌いなだけです」
「ほんまに気持ちのいいお人や。ほな、お受け取りください。先にも伝えた通り、わいは拾い物を届けにきよっただけです。これは元々陛下のもの。どうか、お納めください」

 「失礼を」と先に断りと入れ、ツェザーリは立ち上がって木箱へと歩み寄る。丁寧に箱の上を開け、横の奇妙な留め金を外すと正面に見える側壁が前へと倒れ、中が露わとなった。

「!」
「どうか、お納めくださいませ」

 立ったまま慇懃に礼をするツェザーリなど、もうユリエルには見えていない。立ち上がり駆け寄るようにして近づいたユリエルは、箱の中に蹲る女性の肩に触れた。

「フィノーラ、どうしたのです! ヴィオは? 貴方の仲間はどうしたのです」
「陛下……」

 白い髪に透き通るような青い目の女性は、美しい人形のような瞳に憔悴と絶望と悲しみを沢山にため込んでいた。それがユリエルを見ると緩み決壊したのだろう。見る間に溢れた涙を恥じるように俯き、手で強引に拭う。その手をやんわりと止め、ユリエルは胸に納めて背を撫でた。

「何か、あったのですね」

 問えば静かに頷く。だが、緊張が切れて一度しゃくりあげ始めた胸はそう簡単にはおさまらない。顔を隠し背を撫でて、ユリエルは存分に彼女を泣かせた。

「今は構いません。大丈夫、私は貴方の味方です。今は思うままに吐き出しなさい。その後で、何が起こったのかを話して聞かせてください」
「申し訳、ありません」
「いいのですよ。辛かったのですね」

 柔らかく穏やかに言うユリエルの側で、ツェザーリはとても意外そうな目をしていた。

「クレメンス、奥の部屋を用意してください。それと、シリルとレヴィンにも声をかけて。何か温かなものを用意してあげてください」
「かしこまりました」

 丁寧にクレメンスが礼をして去って行った後、ユリエルは表の顔を脱ぎ去ってツェザーリを見た。

「彼女を連れてきた事には礼を言います。ですが、ここから先は覚悟なく踏み入れれば身の破滅。礼金を手にして全てを飲み込むか、私に加担するかをこの場で決めなさい」

 鋭い視線に一瞬気圧されたようなツェザーリは、だが次にはニンマリとキツネのように笑う。なるほど、まっとうな商人ではやはりないようだ。

「お付き合いさせて頂きます、陛下。わいもここまで乗りかかっとりますし、思いのほか面白いお人のようや。深く関わるのも、また一興」
「物好きめ。だが、いいでしょう」

 フィノーラの手を引き、ツェザーリを連れて奥へと下がったユリエルの目は終始厳しく引き上がったままだった。

◆◇◆

 奥の部屋にはシリルとレヴィンも控えていた。憔悴したフィノーラを見たレヴィンは驚き、声をかける。それにほんの少し笑みを浮かべたフィノーラは、精一杯気丈な顔をした。

「話してもらえますか?」
「はい」

 ソファーに腰を下ろしたフィノーラは一度息を吐いて、ゆっくりと起こった事を話し始めた。

「事件は四日前です。私たちはマリアンヌとキエフの間を警戒しながら航行しておりました。そこで、非武装の他国船を見つけたのです。全く動かず、座礁でもしているのかとメイン船だけで近づいたのですが、それとは違う船が突然側面から追突してきて、側面を割られました」

 手が震えている。この話からは絶望的な情景しか浮かばない。ユリエルは手を握り、静かに頷いた。

「囮の船で引き寄せて、船体武装した船で体当たりをして船に傷を付けられたのですね」
「はい。しかも敵の船から軍人のような人達が移ってきて、沈みそうな船の上で激しい白鯨戦が行われました」
「ヴィオはどうしたのです?」

 彼がいればそう簡単にはやられないはずだ。彼の強さはユリエルがよく分かっている。
 だがフィノーラは静かに首を横に振った。

「最初の衝撃で、私を含む数人の者が海に投げ出されました。その後、ヴィオが全員に海に逃れるように叫びながら敵の攻撃を一人で防いでくれていたのです。そのおかげで、船員は全員海上に逃れましたが、あの子だけが……」

 それだけを言って顔を覆い泣き出したフィノーラは、おそらく限界だった。
 ユリエルは唸る。ヴィオは勇敢で強いが、流石に数の優勢を覆せはしないだろう。むしろ攻められながらも全員を海上に逃がせただけで立派だ。だがそうなると、彼は……。

「こっから先はわいが話しますわ。姉さん、限界や」

 横合いからの声に、ユリエルも静かに頷く。許しを得たツェザーリは、事を起こった順番に話はじめた。

「わいはルルエでの取引後、タニスへと航行しとった。その海上で姉さん達を拾ったわけや。それが三日前。周囲にはそれらしい船もなかったんで座礁した船の船員かと思って引き上げたら、そこな姉さんがユリエル陛下へ知らせな言うもんだからここまで連れてきたんや」

 親切心だと言わんばかりのツェザーリだが、決してそれだけではないだろう。彼は商人だ。ユリエルとコネクションができる、それを狙ったのは見えている。

「後は陛下もご存じの通り、感動の再会とあいなりまして」
「分かりました」

 多少、唸る所はある。襲撃した船が今どこにいるのか、それすらも現状掴めていない。だが、船は補給が必要だろう。そうなればどこかの港に寄港はしている。フィノーラ達を襲う事を目的としたならこちらへの敵意も当然あると思っていい。ならば、まだこの近辺にいるかもしれない。

「フェリス」
「はい、陛下」

 物陰から音もなく現れた女性に、ユリエルとレヴィン以外の者がビクッと肩を震わせる。だがそんなものは一切無視して、フェリスは優雅に一礼をした。

「キエフ港に行って、情報を探して下さい。この数日、マリアンヌ港近辺で妙な船を見なかったか。また、見慣れない入港者がいないかどうか」
「畏まりました」

 一礼をして、今度は堂々と出入り口から出ていく。それら全てを食い入るように、全員が見守っている。

「彼女、確実に心臓に悪いですね」

 クレメンスの呟きが妙に大きく聞こえて、この状況だというのにユリエルは笑ってしまった。

「クレメンス、私の不在を他の家臣達から隠す事はできますか?」
「可能です。陛下は長く行軍と治世に邁進しておられます。一段落ついた今、多少その疲れが出たとて何ら不思議ではないかと」
「任せます」
「仰せのままに」

 一連の流れを見ていたフィノーラとツェザーリが目を丸くしている。フィノーラは期待と葛藤の見える眼差しで、ツェザーリは信じられないと言わんばかりだ。

「シリル、私が不在の間の内政をお願いします」
「畏まりました、陛下。レヴィンさんはどうしますか?」
「そいつは船の上では役立たずですよ。船酔いが酷くて使い物になりません」

 言われ、レヴィンは恥ずかしく頭をかいている。だが、ついてくるとは言わなかった。

「ちょっと待った! 陛下、生きてるかも死んでるかも分からん奴を助けに行くつもりやないでしょうね?」

 焦ったようにツェザーリが言うのに、ユリエルは当然と頷いた。頭が痛いと言いたげな奴は、ブンブンと頭を左右に振っている。

「そんなん、めっちゃアホらしいことや。えぇか? 生きてへん! 絶対生きてへん!」

 そう力説されて、フィノーラは項垂れる。ただ無言で拳を握り、涙を堪えて耐えている。だがユリエルはふわりと笑い、フィノーラの手に手を重ねた。

「それでも行きます」
「なんでや!」
「ヴィオは私の大切な仲間です。だからこそ、助けに行くのです。見捨てたりはしない。もしも手遅れだったのだとしても、救うのです」
「陛下……」

 ジワリと浮いた涙を、フィノーラは必死に堪えようとしている。それに、ユリエルはしっかりと頷いた。

「行きましょう、フィノーラ。ヴィオを助けに行きますよ」

 その言葉に、フィノーラは頷いて泣き崩れた。その頭を抱いてやりながら、ユリエルもひたすらに願う。どうか、無事であってくれと。
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