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4章:国賊の巣
8話:役人狩り
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王弟がトイン領主の館に入って二日、何やらやっていると他の人から漏れ聞こえてきた。
ヒューイは仕事の合間に領主館の西側によく足を運んでいる。そこから見上げるのは、西の端。そこにいる人の姿を思い描き、自分の不甲斐なさを悔やんでいる。もう少し力があればと、いつも思って拳を握っている。
「ふーん、彼女の思い人はあんたなのか」
「な!」
見上げたそこから人影がふわりと着地するのを見て、ヒューイは警戒して腰の剣に手をかけた。だが、目の前の人物を認識すると抜くことはできない。彼は赤い髪をゆっくりとかき上げた。
「レヴィン将軍」
「まぁ、そう怖い顔をしなさんな。俺はこれでもあんたの味方さ」
「……胡散臭い事を言う」
初めから油断のならない相手だと、ヒューイは隠さなかった。この場にあの心優しい少年の姿がないから余計にだ。
仕事柄、色んな人間を見てきた。ブノワのような欲望と野心を持つ者、他の役人のように力もないのにおこぼれに預かる者、抗って苦しむ弟のような者、弱い村人達。
このレヴィンという男はその中でも、最も心を許してはいけない相手だ。軽薄な笑みの中に思慮深さと狡猾さ、そして毒牙を持っている。楽しげな紫の瞳が余計に胡散臭く見えた。
彼は肩をすくめて戯けたような顔をする。そういう姿が似合うが、どこか道化のようにも見えた。
「まぁ、酷いわぁ。なーんてね。正しい判断だと思うよ。俺は決して友好的な相手ではない。でも、利害の一致っていうのがあるからさ」
「利害?」
ヒューイは問い返す。それに、レヴィンも真剣な目で見据えた。
「領主はお姫様を、シリルに娶せようとしている」
「な!」
ヒューイの動揺は、いっそ目眩がするほどだった。あの幼い少年には何の咎もないのに、思わず彼を恨みそうなほどだった。それはお門違いだと自分を戒め言い聞かせている。
「シリルの方は完全に拒絶した。まぁ、あの子は不誠実ってのを嫌うからさ。政略結婚とか一番嫌うわけだ」
「……それで、俺に何をしろと?」
「お姫様とは、相思相愛?」
問われて、ヒューイは口ごもった。正直、自信がない。彼女を愛している。彼女もそんなに悪い感情を抱いてはいなかっただろう。けれど、自分が彼女に相応しい相手かと問われれば否と言うより他に無い。彼女とも数回しか会っていない。
「あれ?」
「正直、それは分からない。彼女とは身分が違う。不相応な相手だと言われれば、それまでだ」
「そういうことを聞いているんじゃないんだよね。俺が聞きたいのは、大罪犯してでも彼女を引き受ける覚悟があるかってこと」
レヴィンの声には本気が見える。ヒューイは手を握りしめた。独り身ならそうもできる。だがヒューイには兄弟がある。家もあるのだ。
「一人ならそうしたい。だが、俺には家族もある。俺の罪が弟や村の人間に害を与えてしまったら」
「冷静だな、あんたは。けど、その冷静さに安心した。これで俺も気兼ねなくシリルを守れる。お姫さんにもとばっちりがいくかもしれないけど、よろしくな」
「はぁ?」
話が見えないヒューイはレヴィンを睨む。その先で、レヴィンは悪い笑みを浮かべていた。
「まぁ、任せなさいって。今頃シリルが領主を虐めてる最中だ。早いうちに事は動く」
「虐めてる?」
ヒューイの問いかけに、レヴィンは答えなかった。
だが事は確実に動いていた。
◆◇◆
その頃、シリルは領主や周囲の村の管理役人を集めた会議の場にいた。ブノワが管理するトイン領にはいくつかの村があり、その村から税を集め、領主が決まった額の税を国に納めるシステムになっている。
会議は当たり障りの無い内容を話し、終わろうとしていた。
「それでは、会議はこれまでということで。よろしいですかな?」
何事もなく会議を閉めようとするブノワだったが、シリルは手を上げてそれを止めた。
「何かございますかな、殿下?」
シリルの挙手に、ブノワは緩みきった態度で応じた。明らかに甘く見ている様子に内心怒りを感じながらも、シリルは冷静に頷く。手元には用意した数々の書類がある。とても重い証拠の数々が。
「先日、税に関する詳細を記した帳簿を見せていただいたのですが、いくつか不明な部分がありましたのでこの場で説明を願いたく思います」
ブノワのビーズのような瞳に焦りや怒りが宿った。芋虫のような指で顎をなぞる姿を見ると、明らかに動揺していると分かった。
「いかなものですかな?」
「ここに、いくつかの村の役人から提出させた納税帳簿の詳細があります。それによると、全ての村で取れ高の八割が納められている計算になりますが、領主管理の帳簿には国が定めた規定の四割しか納められていない記録になっています。この差額、四割の所在はどこへ?」
ブノワの顔色は目に見えて変わった。そしてこの場に出席していた管理役人達も目を泳がせ動揺している。素知らぬ顔をしているが、彼らは知っているはずだった。
このトイン領は領主のワンマン状態が続いていて、下にいる村の管理役人の大半は煮え湯を飲まされている状態だと聞く。
シリルはレヴィンに頼んで、各村の納税帳簿を写してもらった。正確には管理役人の下でとばっちりを食らっている下っ端役人に近づいて、必要な書類を揃えてくれたそうだ。
嘆かわしいのは、そうして近づいた下の役人は上司を裏切る事に何の躊躇いもなかったことだったが、今はそれを問うつもりはない。むしろ助かった。
「ブノワ領主、説明を」
「それは……。私は確かに四割しか受け取っておりません。そもそも八割の徴収など私は命じた覚えなど」
「領主!」
途端に周囲から非難の声が上がった。だがブノワはそれらの声を無視している。証拠が無いのをいいことに。
「では、貴方の指示ではなくここにいる多くの管理役人が行った事だと?」
「はい、その通りです。私は一切そのような汚らわしい事に加担など」
怒声が起こったが、シリルは手を打って騒々しさを切った。新緑の瞳が汚れた大人を映し、瞳を細めて厳しい表情をする。そして、重々しい沈黙を破るように一つ溜息をついた。
「大変、残念な事です。このように多くの優秀な管理役人を失う事になろうとは、思いませんでした」
「はぁ?」
全員が不安に顔を見合わせる。だがそれはすぐに、明確な形となって現れた。
廊下が騒がしくなる。そしてシリルの合図でそれらは姿を現した。タニスの軍服を纏った武官がきっちりと、シリルの後ろについたのだ。
「四村の管理役人全員を拘束し、尋問します」
「な!」
全員が逃げるように席を立ち上がる。だがシリルは彼らを許さなかった。
「これは立派な犯罪です! 税をごまかし、領民を貧困へと追いやった罪は重い。国王陛下もその罪を重く捉えています。私には軍を動かす権利があり、不正を暴き裁く権利があります。その役目を果たしているだけのことです」
凛としたシリルの声に、軍の者は次々に管理役人を拘束して連行していく。シリルはそれらを見送り、すっかり人のいなくなった会議室を見回した。
ブノワは青い顔をして汗を浮かべていた。シリルは何でもない顔で退室しようとするが、戻ってきた身なりのいい武官を前に足をとめた。
「殿下」
「どうしました?」
「管理役人の館を取り調べるのですよね? いつからにいたしましょう?」
シリルはにブノワを盗み見た。明らかに動揺している。青かった顔が白くなりそうだった。
シリルはしばらく思案する様子を見せ、わざと聞こえない小声で武官に命じた。それに丁寧に頭を下げてさがった武官と共に、会議室を後にした。
ヒューイは仕事の合間に領主館の西側によく足を運んでいる。そこから見上げるのは、西の端。そこにいる人の姿を思い描き、自分の不甲斐なさを悔やんでいる。もう少し力があればと、いつも思って拳を握っている。
「ふーん、彼女の思い人はあんたなのか」
「な!」
見上げたそこから人影がふわりと着地するのを見て、ヒューイは警戒して腰の剣に手をかけた。だが、目の前の人物を認識すると抜くことはできない。彼は赤い髪をゆっくりとかき上げた。
「レヴィン将軍」
「まぁ、そう怖い顔をしなさんな。俺はこれでもあんたの味方さ」
「……胡散臭い事を言う」
初めから油断のならない相手だと、ヒューイは隠さなかった。この場にあの心優しい少年の姿がないから余計にだ。
仕事柄、色んな人間を見てきた。ブノワのような欲望と野心を持つ者、他の役人のように力もないのにおこぼれに預かる者、抗って苦しむ弟のような者、弱い村人達。
このレヴィンという男はその中でも、最も心を許してはいけない相手だ。軽薄な笑みの中に思慮深さと狡猾さ、そして毒牙を持っている。楽しげな紫の瞳が余計に胡散臭く見えた。
彼は肩をすくめて戯けたような顔をする。そういう姿が似合うが、どこか道化のようにも見えた。
「まぁ、酷いわぁ。なーんてね。正しい判断だと思うよ。俺は決して友好的な相手ではない。でも、利害の一致っていうのがあるからさ」
「利害?」
ヒューイは問い返す。それに、レヴィンも真剣な目で見据えた。
「領主はお姫様を、シリルに娶せようとしている」
「な!」
ヒューイの動揺は、いっそ目眩がするほどだった。あの幼い少年には何の咎もないのに、思わず彼を恨みそうなほどだった。それはお門違いだと自分を戒め言い聞かせている。
「シリルの方は完全に拒絶した。まぁ、あの子は不誠実ってのを嫌うからさ。政略結婚とか一番嫌うわけだ」
「……それで、俺に何をしろと?」
「お姫様とは、相思相愛?」
問われて、ヒューイは口ごもった。正直、自信がない。彼女を愛している。彼女もそんなに悪い感情を抱いてはいなかっただろう。けれど、自分が彼女に相応しい相手かと問われれば否と言うより他に無い。彼女とも数回しか会っていない。
「あれ?」
「正直、それは分からない。彼女とは身分が違う。不相応な相手だと言われれば、それまでだ」
「そういうことを聞いているんじゃないんだよね。俺が聞きたいのは、大罪犯してでも彼女を引き受ける覚悟があるかってこと」
レヴィンの声には本気が見える。ヒューイは手を握りしめた。独り身ならそうもできる。だがヒューイには兄弟がある。家もあるのだ。
「一人ならそうしたい。だが、俺には家族もある。俺の罪が弟や村の人間に害を与えてしまったら」
「冷静だな、あんたは。けど、その冷静さに安心した。これで俺も気兼ねなくシリルを守れる。お姫さんにもとばっちりがいくかもしれないけど、よろしくな」
「はぁ?」
話が見えないヒューイはレヴィンを睨む。その先で、レヴィンは悪い笑みを浮かべていた。
「まぁ、任せなさいって。今頃シリルが領主を虐めてる最中だ。早いうちに事は動く」
「虐めてる?」
ヒューイの問いかけに、レヴィンは答えなかった。
だが事は確実に動いていた。
◆◇◆
その頃、シリルは領主や周囲の村の管理役人を集めた会議の場にいた。ブノワが管理するトイン領にはいくつかの村があり、その村から税を集め、領主が決まった額の税を国に納めるシステムになっている。
会議は当たり障りの無い内容を話し、終わろうとしていた。
「それでは、会議はこれまでということで。よろしいですかな?」
何事もなく会議を閉めようとするブノワだったが、シリルは手を上げてそれを止めた。
「何かございますかな、殿下?」
シリルの挙手に、ブノワは緩みきった態度で応じた。明らかに甘く見ている様子に内心怒りを感じながらも、シリルは冷静に頷く。手元には用意した数々の書類がある。とても重い証拠の数々が。
「先日、税に関する詳細を記した帳簿を見せていただいたのですが、いくつか不明な部分がありましたのでこの場で説明を願いたく思います」
ブノワのビーズのような瞳に焦りや怒りが宿った。芋虫のような指で顎をなぞる姿を見ると、明らかに動揺していると分かった。
「いかなものですかな?」
「ここに、いくつかの村の役人から提出させた納税帳簿の詳細があります。それによると、全ての村で取れ高の八割が納められている計算になりますが、領主管理の帳簿には国が定めた規定の四割しか納められていない記録になっています。この差額、四割の所在はどこへ?」
ブノワの顔色は目に見えて変わった。そしてこの場に出席していた管理役人達も目を泳がせ動揺している。素知らぬ顔をしているが、彼らは知っているはずだった。
このトイン領は領主のワンマン状態が続いていて、下にいる村の管理役人の大半は煮え湯を飲まされている状態だと聞く。
シリルはレヴィンに頼んで、各村の納税帳簿を写してもらった。正確には管理役人の下でとばっちりを食らっている下っ端役人に近づいて、必要な書類を揃えてくれたそうだ。
嘆かわしいのは、そうして近づいた下の役人は上司を裏切る事に何の躊躇いもなかったことだったが、今はそれを問うつもりはない。むしろ助かった。
「ブノワ領主、説明を」
「それは……。私は確かに四割しか受け取っておりません。そもそも八割の徴収など私は命じた覚えなど」
「領主!」
途端に周囲から非難の声が上がった。だがブノワはそれらの声を無視している。証拠が無いのをいいことに。
「では、貴方の指示ではなくここにいる多くの管理役人が行った事だと?」
「はい、その通りです。私は一切そのような汚らわしい事に加担など」
怒声が起こったが、シリルは手を打って騒々しさを切った。新緑の瞳が汚れた大人を映し、瞳を細めて厳しい表情をする。そして、重々しい沈黙を破るように一つ溜息をついた。
「大変、残念な事です。このように多くの優秀な管理役人を失う事になろうとは、思いませんでした」
「はぁ?」
全員が不安に顔を見合わせる。だがそれはすぐに、明確な形となって現れた。
廊下が騒がしくなる。そしてシリルの合図でそれらは姿を現した。タニスの軍服を纏った武官がきっちりと、シリルの後ろについたのだ。
「四村の管理役人全員を拘束し、尋問します」
「な!」
全員が逃げるように席を立ち上がる。だがシリルは彼らを許さなかった。
「これは立派な犯罪です! 税をごまかし、領民を貧困へと追いやった罪は重い。国王陛下もその罪を重く捉えています。私には軍を動かす権利があり、不正を暴き裁く権利があります。その役目を果たしているだけのことです」
凛としたシリルの声に、軍の者は次々に管理役人を拘束して連行していく。シリルはそれらを見送り、すっかり人のいなくなった会議室を見回した。
ブノワは青い顔をして汗を浮かべていた。シリルは何でもない顔で退室しようとするが、戻ってきた身なりのいい武官を前に足をとめた。
「殿下」
「どうしました?」
「管理役人の館を取り調べるのですよね? いつからにいたしましょう?」
シリルはにブノワを盗み見た。明らかに動揺している。青かった顔が白くなりそうだった。
シリルはしばらく思案する様子を見せ、わざと聞こえない小声で武官に命じた。それに丁寧に頭を下げてさがった武官と共に、会議室を後にした。
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